48話 仲間の存在
真っ直ぐにガルドを見つめる瞳。濁りの無い澄んだ色をしているが、そこに湛えられた感情は決して明るいものではない。怒りや憎しみといった不純物はなく、混じりけのない怯懦が前面に表れている。
リメールのもとからギルドへ戻ってきて数分。なぜかリメールまでもがリダに同行しており、大変なことが起こったから聞いてほしいと腕を引っ張ってきたのだ。
聞いてみれば、二人は更なる情報を求めて北側の礼拝堂まで足を延ばしていたという。礼拝堂でリダと一緒に行動していたリメールも、リダの話を聞いてあげてほしいとガルドに進言してきた。
リメールにまで言われては看過するわけにもいかない。そう判断し、耳を傾けてみると――
「オバケが出たんですっ!」
というのが彼の言い分だった。
彼一人が騒いでいるだけならば軽くあしらってもよかったのだが、今回はリメールからも口添えされているのでそうそう受け流すわけにもいかない。
「……リメールも見たのか?」
「とても奇妙なものを、ですけど。それがオバケだったかどうかは何とも……」
歯切れの悪い返事に思わず眉をひそめる。
オバケというのがリダの尚早な結論だとしても、礼拝堂にいた何かを二人が目撃したのは間違いないようだ。現場で直接見たわけではないガルドにそれ以上は判断できない。
リダのすがるような視線を受けながら、数秒考え込む。
「……どうしても不安なら、その礼拝堂には近づかなければいいんじゃないか」
「えぇーっ! 一緒に来てくれないんですか!?」
「なんで俺まで巻き込む。こっちにも仕事があるんだよ」
どうやらガルドについて来てほしかったようで、あての外れたリダは抗議とともに頬を膨らませている。
「あそこには天使の重要な手がかりがありそうだったんですよ」
「それが見たいってんなら、なおのこと自力で克服するべきだろ。いい機会だ、俺に頼らず自分でなんとかすることを学べ」
「そんなぁ……」
勝手に覗き見ているのは問題があるのではないか、という疑念はひとまず頭の隅に置いておく。
「っていうか、リメールが一緒なのはダメなのか」
「あ、あはは……すみません、私って頼りにならないみたいで」
「いや、リメールが謝ることじゃないだろ」
申し訳なさそうにするリメールに対しすぐさま否定を入れる。
リダにとってはリメールが『一緒に怖がってくれる仲間』で、ガルドが『頼りになる仲間』といった位置づけなのだろう。いずれにせよ、リメールが頼りにならないと考えているわけではない。それにしても気遣いが足りないというのは確かなのだが。
「……とにかく。人手が足りなくなったとかならともかく、オバケが怖いからって理由で手を貸すほど暇じゃないんだ。諦めな」
「うぅぅ……」
きっぱりと却下したガルドに、リダは窮した様子で俯いてしまった。
「襲撃事件といい、姿の見えない植物族といい……その手の話題には事欠かないな、この街は」
「グレーどころか真っ黒、ってところね」
一通り話を聞き終え、黙って聞いていたリオナも渋い顔をしている。
火のないところに煙は立たない。リダの唱えるオバケ説は半信半疑のガルドだが、件の礼拝堂のきな臭さは尋常でない。他の案件と何かしら関係している可能性も充分にあり得るだろう。
それならば礼拝堂へ向かうこと自体を止めるべきなのだろうが――二人の様子を見る限り、忠言しなくとも自粛してくれそうだ。
「うぅぅ、気になります、気になりますよぅ」
「無理はしちゃダメですよ。リダさんの身に何かあったらガルドさんに申し訳が立ちません」
「うー……はい」
リメールに諭されて素直に頷くリダ。どうやらリメールのほうも、得体の知れない気味の悪さを気にしているらしい。
彼女の言葉に脅迫めいたものはないが、自然と従おうと思える説得力が感じられた。リダにじっくりと言い聞かせている姿には、彼女の世話焼きな性格が顕著に表れている。
「っと、そんなのんびりしてられる場合でもないな」
その光景を微笑ましく感じながらも、ガルドは今後のこの街での行動について頭を悩ませていた。
度重なる異変の発現に、ガルドの脳内では警告音が常時鳴り響いている。街そのものから危険を感じているせいで、目に映るもの全てに注意を払って行動せざるを得なくなっているのが現状だ。当然ながら精神的な疲労は溜まる一方であり、体力を回復しつつある他の二人とは反対に、まともに休息をとることもままならない。
「あんまり長居すると、否応なしに面倒なことに巻き込まれそうだな」
「じゃあ、すぐに出発?」
「いや、それは考えてない」
どこかホッとしたようなリオナの問いに、ガルドは首を横に振った。
「具体的に目的地を絞れるような情報は集まってないし、お前やリダの体調もまだ万全になってないだろ。街を出れば安全とも限らないしな」
「そう、ね……」
反論はしないものの、リオナは釈然としない様子だ。理屈では分かっていても感情では割り切れない部分があるのだろう。この街に長居したくないと感じているのがありありと伝わってくる。
「……植物族の匂いは気にならないのか?」
「気になるけど……今はどっちかっていうと、何の考えもなしに詮索するのが怖いわ。兄さんが関わっていたとしても、今は助けられるだけの力がない気がして……私たちの手に負えないくらい、話が捩れて大きくなってる気がするの」
「そういうもんか」
同族が事件に巻き込まれている可能性についてはリオナも分かっているはずだ。ただ、いくつもの不穏因子が重なり合っている現状で過大なリスクを冒すのは躊躇われるのだろう。それもまた当然の心理だと考えるガルドに、彼女の反応を批難するつもりはない。
「だがそうだとしたら、迂闊に外を歩き回るのは避けるべきじゃないか? 仕事と情報集めは俺一人でもできるし、リオナもリメールの手伝いをしてたほうがいいと思うんだが」
「ん……」
曖昧な返事ではあったが、彼女自身もそれがベストだと考えていたようだ。ハッキリ肯定しないのは、主な用事がガルドにまかせっきりになってしまうことを申し訳なく思っているからだろうか。
「リメールもそれでいいか?」
「あ、はい、大丈夫ですよ。リオナさんも手伝ってくれるんですね」
「あ、え、ええ」
リオナに悩む暇を与えないようすかさずリメールの了承を得る。下手に考え込むより、こうして背中を押された方が彼女も決意しやすいだろうとガルドは考えたのだ。
しかし、北側に位置するこのギルドから南側のリメール宅までは距離がある。移動中のリスクを考えると、南側の宿に二人を移したほうがより安全を図れるだろう。出費はかさむが、二人の安全には代えられない。
「じゃあ、二人はここじゃなくて南側に拠点を移した方が――」
「あ、それは大丈夫だと思いますよ」
二人に指示を出そうとしたところ、リメールが制止するように口を挟んできた。そしてどういうことかと問いかけるよりも先に、あっさりとした口調でその理由を述べる。
「私、解読に必要なものはこっちに持ってきちゃいましたから」
言いながら、パンパンに膨れ上がったバッグをテーブルの上に置いて見せた。
「……え?」
「解読作業をこちらでさせてもらえれば、南側で新しく泊まるところを確保する必要もありませんよね? 移動しなくていいですし、余分な宿泊代もかかりませんし」
いそいそとバッグに手を突っ込み、中身を次々に展開していくリメール。大本である本はもちろん、解読したメモや資料などがテーブルの上に並べられていく。
「私の方がこちらにお邪魔させていただく形になりますけど……ご迷惑でしたか?」
「いや、リメールには色々世話になったし別に……じゃなくてだな、なんでそんな荷物がもう用意できてるんだよ」
「あー、その、最初はあの礼拝堂をちゃんと調べようと思ってまして。私の家よりここからの方が近いじゃないですか。あ、もちろん今は行くつもりありませんからね」
一通り中身を出し終わったリメールが恥ずかしそうに苦笑して見せた。
ギルドに宿泊できるのは基本的にギルドのメンバーだけだ。しかし、メンバーの仲間や知人であれば五人程度までは一緒に泊めてもらうことも可能となっている。リダとリオナも正式なギルドのメンバーではなく、ガルドの仲間として一緒に宿泊している形だ。
リメールの宿泊もそれと同じ形をとれば、そう問題なく手続きが済むだろう。一般の宿よりも格段に安く収まるので、様々な面でメリットが大きい。
しかし、リメールがこちらに移ってくるという展開はガルドも予想していなかった。初日の宿の確保もそうだが、彼女の決断力と行動力は常人を遥かに凌ぐほどのもののようだ。
もちろん、申し出を断われた場合のことは全く考えられていないプランなのだが。
「こんなにたくさん……よく持ってきたわね」
「駄目だって言ってたらどうするつもりだったんだ?」
「その時はこれを持って家に帰るつもりでした。オッケーもらえて安心しましたよ」
ここまで準備が整っている状態で断るというのはなかなかできないだろう。その心理まで見越していた、というのはリメールの性格からは考えにくいが。
「というわけで、こちらでしばらくお世話になります。あらためてよろしくお願いします」
「ええ、よろしく」
「よろしくお願いします!」
「……ああ」
すっかり歓迎ムードになってしまった二人を見て、ガルドは感心と呆れを内心にしまいこんだ。
「滝だ! うわーすごいすごいすごい!」
それまで疲労ですっかり黙り込んでいたメフィが、巨大な瀑布の姿を認めるなり大はしゃぎで駆け出した。一様に口を噤んでいた他の面々も慌ててそれに続く。
「どこにそんな元気があるんだか」
「でも、嬉しいのは分かります……はぁ、はぁ」
『ここで休憩。シューラ、もう限界みたい』
息も絶え絶えなシューラの様子を気にかけたシオリが休息を提案し、エルクも隠すことなく安堵の意気を吐いた。シューラほどではないにしろ、エルクの体力もだいぶ消耗していたので、ここでの休憩は素直にありがたい。
「んー、じゃあ……あのあたりなら丁度いいかな?」
少しばかり下流に下った川辺にてごろな空間が広がっており、座りやすそうなサイズの岩もいくつか転がっているのが見える。シオリとシューラも異論は無いようで、無言でコクコクと頷いた。
『この滝をすぎたら、麓はすぐ』
「そっか、それはよかった」
「よ……よかった、です……はぁ、はぁ」
シオリの嬉しい情報にエルクは安堵の意気を漏らす。今のシューラを見ていると、一刻も早く平坦な道に出なければならない気がしてくる。
ただ、そのシューラが文字通り限界間近らしいので、一度しっかりと休憩をとっておく必要がありそうだ。
「少し長めに休憩をとろうか。ここまできて体を壊したくないからね」
『ん』
エルクと同じように考えていたらしく、シオリもそれを了承する。
「メフィもそれでいいね?」
「え? あー、いいわよ!」
すっかり滝に心を奪われているメフィは、はたしてどこまで話を聞いていたのだろうか。
すでに何日も山林を練り歩き、蜘蛛族の里からどれだけやってきたのかも分からない状況だ。川を越えてから数日が経過したため、そろそろ麓にたどり着くかもしれないというおよその見当をつけられる程度である。
下山してから近くの街まで移動しなければならないことを考えると、まだまだ終着点は遠い。
「勾配はだいぶ緩やかになってきてるんだけどな」
「ええ、だいぶ楽になりましたよね」
手ごろな岩に腰を下ろしたシューラが大きく息を吐く。荒れていた呼吸もようやく落ち着いてきたようで、やわらかい笑顔をエルクに向けてきている。
「シューラにはきつかったかな、今回の登山は」
「でも、少しは体力もついたんじゃないでしょうか」
「だろうね」
ニコニコと嬉しそうなシューラは、エルクと談笑しながら足の筋を労わるように撫でている。
レクタリアで犬を追い回していた時のことを顧みれば、彼女にも旅をするだけの体力がついてきたのだと分かる。旅に体が慣れてきたというのは、他の誰でもない彼女自身にとって喜ばしい変化だろう。
「メフィも体力ついてると思うんだけどね。後先考えずにすぐ突っ走るからすぐ疲れてる」
「メフィさんらしくていいと思いますけどね。……あれ、そういえばメフィさんはどこに?」
「ああ、シオリと水浴びだってさ」
辺りを見回すシューラに、エルクは顔を動かさないまま後ろを指差す。
「あ、ホントですね」
エルクの肩越しに二人の姿を確認したようで、背を伸ばしながら大きく手を振り始めた。「シューラもおいでよー!」という呼びかけがエルクの耳に届き、すぐさまシューラも「もう少し休んでからにしますー」と返す。
メフィ曰く「これ以上体を不潔にしたままなんて、一女子として耐えられない」とのことだ。そう言われると男のエルクには反論のしようがないので、とりあえず彼女たちの希望をそのまま通す形になっている。
滝も近いので深い所は危険だ。それは二人も承知しているらしく、かなり浅い辺りで水遊びのようなことをやっていることが音から分かる。体を綺麗にするという名目で、結局は遊びたかっただけなのではという疑問も拭いきれない。
「……なんでこっちを見たままなんですか?」
姿勢を戻したシューラが、川に背を向けたままのエルクに気付いて首を傾げた。
「振り向いたら指二本で世界を真っ暗にしてあげる、だって」
「そ、そうですか……」
二本の指でいったい何をするのか、考えるまでもないだろう。エルクに暴力を振るう時のメフィは驚異的な瞬発力と怪力を発揮するので、素直に従わなければ視力が危ない。
そのダメージを想像したらしいシューラもブルリと体を震わせたが、不意にはにかんで薄く笑って見せた。
「でも、そういうのっていいですよね」
「え、メフィに脅迫されてるのが?」
「そういうことを言い合える人がいることが、ですよ」
シューラの視線が背後のメフィたちに向けられる。
「エルクさんとメフィさんはホントに仲良しなんだなって思います」
「良いことばかりじゃないような」
「それでも素敵じゃないですか。羨ましいです、そんな仲間がいるって」
どこか遠くを見るように、感慨深そうに目を細めるシューラ。
本心からそう言っているのだろう。彼女の言葉には迷いがなく、皮肉や陰りといった後ろめたい感情も感じられない。
ただ、エルクはその他人事のような言い方がどうしても気になってしまった。
「シューラだって僕らの仲間じゃない」
「……え?」
「いや、『え?』って言われても。ここまで一緒にやって来たんだし、赤の他人って間柄じゃないでしょ」
他意などなく思ったままを告げただけなのだが、シューラはそれを聞いた途端に目を見開いて硬直してしまった。
「……でも私は、故郷に着くまでしか一緒にいませんし」
「いつまで一緒かってそんなに重要かな? んー、えっと……時間の量じゃないと思うんだよね、こういうのは」
適当な単語が思いつかずに言葉が淀んでしまう。エルクの主張が意外だったのは確かなようで、目を丸くしてエルクを凝視している。だが口を噤んでしまってしまい、何か言い返してくる気配はない。
「うーん、他にうまい言い方が思いつかないや。なんて言ったらいいのかな」
エルクの方が先に耐えられなくなり補足をしようと口を開いたのだが――
「あっあの! 私も、メフィさんたちのところに行ってきますね!」
「あ、ちょっと」
前触れもなく立ち上がったシューラはそれだけ言い残し、逃げるように川へ走って行ってしまった。振り返ることも許されないエルクは、無人となった小岩だけを視界に残し呆然とする。なぜ逃げてしまったのかぼんやりと考えてみるが、
「……恥ずかしくなったのかな?」
という、現実味の薄い発想が浮かんだだけだった。
『これは見せしめだ』
耳に、低く重い声が蘇る。
『他の連中への、そしてお前自身への』
鼻に、錆びた鉄のような臭いが蘇る。
『その低劣な頭でしっかりと理解しておけ』
舌に、こみ上げた胃液の味が蘇る。
『これがお前の――お前たちの全てだ』
肌に、突き刺すような空気の感触が蘇る。
『感じられるだけの絶望を感じて、そして死ぬ。それだけだ』
目に、あの時の光景が蘇る。
「――――っ!」
「え、シューラ?」
音のない悲鳴は、しかしメフィにはしっかりと聞きとられてしまったようだ。
思わず大声をあげかけたのだが、喉の筋肉が硬直して発声には至らなかった。それでも精神的なショックは大きく、シューラは過呼吸になりその場に頽れてしまう。
『シューラ!』
異様な様子に気づき、シオリも駆け寄ってきて顔を覗き込んでくる。シューラの顔はすっかり青く染まっており、それを確認したシオリは表情を強張らせた。
「すっ……すみま、せん……! 大丈夫、ですから……!」
「全然大丈夫に見えないから。まだ休んでた方がいいよ、ね?」
二人に肩を支えられ、入ったばかりの川から連れ出されるシューラ。道中の疲労がぶり返したと思っているようで、川辺でシューラを休ませようとしてくれている。
それはシューラにとって素直にありがたいことであったし、確かに体を休ませる必要があったことも事実だ。
しかし、それは決して現在の疲労によるものではなく――シューラの抱える、拭い去ることのできない過去によるものだった。
――仲間。
エルクにそう呼ばれたことが不快だったわけではない。彼らの輪の一員であるということは純粋に嬉しいことであるし、シューラの方もエルクたちのことを大切な仲間だと認識している。
だが真正面から聞くこととなったそのフレーズは、素直な喜びよりも先にシューラの『過去』を強く想起させた。
今もまだ、シューラの心を蝕む記憶。
鮮明に脳裏に焼き付いた当時のあらゆる感覚は、思い出す度にシューラの精神をズタズタに引き裂いていく。
「……っ、すみません、本当に、もう大丈夫ですから」
体重を支えてくれる二人に断りを入れ、自らの足で体を支える。笑顔を作って平気であることをアピールすると、心配そうにしながらも二人は了承してくれたようだ。
「そ、そう……? ならいいんだけど」
『無理はダメ。絶対』
「すみません。私はここで休んでますから、メフィさんとシオリさんは気にしないでください」
その場に腰を下ろし、二人に水浴びに戻るよう促す。まだこちらの体調を気にかけているのは伝わってきたが、自分のせいで二人が充分休憩できなくなるのは避けたかった。
――仲間。
シューラもまた、彼らの仲間でありたいと願っている。エルクがそう呼んでくれたように、自分も彼らのことを仲間だと胸を張って呼びたいというのが彼女の本心だ。
だからこそ、シューラは誰にも明かさない。
仲間だからこそ彼らには知ってほしくないと、笑顔の裏で静かに怯えて。