4話 永い旅の前に
少しずつ陽が傾き始め、あたりにゆっくりと闇が差し始めてきている。灯りなしでの野宿は当然危険なのだが、エルクがランタンを持ちだしていたために暗闇で一夜を明かす事態は避けられている。
「準備いいのね」
「燃料はあんまりないんだ。今夜でおしまいだと思うよ」
「それでも、よく咄嗟にランタンを探そうとしたわね。普通はそんなの思いつかないわよ、ねぇ?」
「え……あ、えーと?」
ランタンを囲んで干し肉と水だけの簡素な夕食を取る三人。メフィは積極的に少女に話しかけており、その表情もいつになく明るい。同性だからなのか、エルクに対してよりもいくらか饒舌になっているようだ。
ただし、少女は決して楽しげな様子ではない。
冷静さを取り戻しても、少女はあまり多くを語ろうとしなかった。
シューラという名前は明かしたものの、どこの出身なのか、なぜ倒れていたのか、頭のキノコは何なのかも一切喋ろうとしないのだ。しかもただ黙秘するだけでなく、訊いた途端に泣きそうな顔になってしまうので、二人も無理に聞き出すことができなかった。
「これからどうするの?」
会話の途中でメフィがそれとなくシューラに訊ねた。メフィは干し肉を一枚握っており、少しずつちぎって食べやすいようにしているようだ。
「まだちゃんと考えてませんけど……家に帰るつもりです」
シューラはメフィから肉の欠片を受け取ると、それを口に運んだ。食事が問題なくできるほどまで体調は整ってきているらしい。
「そりゃそうよね。で、シューラの家ってどこ? ここから近いの?」
「…………」
「な、泣かないで! 今のはなし、なし!」
涙ぐむシューラを見てメフィが慌てて訂正する。今の質問も彼女にとっては答えたくないものなのだろう。
「……二人はどうするんですか? 私とずっと一緒にいますけど、急ぎの用事とかはないんですか?」
「それは大丈夫。ただ、どうするかって訊かれると……ねぇ?」
「……うん」
メフィに急に話を振られ、傍観者気分だったエルクはとりあえず頷いた。そして言いにくそうにしているメフィの代わりに口を開く。
「どこに行くとか、全然決めてないんだよね。敢えて言うなら『どこか』って感じ」
「どこか?」
シューラが不思議そうに首をかしげる。事情を知らなければ当然の反応だろう。
「新しく暮らせる場所を探そうと思ってね。決まったところに行きたいわけじゃないってこと」
「そうですか……」
シューラはいまいち納得できていないようだった。
出立の理由を伏せているので、現実味に欠けているのはエルクも自覚している。だがエルクは、事情を話して同情されるのはできれば避けたいと考えたのだ。
お互いに次の言葉を見失い黙り込んでしまう。
「……私はあるわ、目的」
しばらく何かを考えているようだったメフィが唐突に口を開いた。
「こんなことになった原因……あいつらの正体を確かめたいの。どうしてこうなったのか、どうしてレダーコールを滅ぼしたのか、それが知りたい」
「あいつら?」
色々と説明不足なメフィの言葉に、シューラの疑問符が増える。説明ではなく決意だったのか、メフィに理解を求めようとする姿勢は見られない。半ば呆れながら、エルクが話の続きを伝えることにした。
「前に住んでた街が、よく分からない連中にボロボロにされちゃったらしくてね。僕らが旅に出てるのはそのせい」
「……そんなことが」
「んー、まあ僕はメフィほど気にしてないんだけど」
首を傾げてくるシューラに、エルクは苦笑いをして見せる。あまり重苦しくならないよう軽く言ったつもりだったのだが、メフィはその反応が気に入らなかったようだ。
「エルクも少しは気にしたら?」
「え、いいよ別に」
「なんでよ? こんな目に遭わされて、あいつらの事恨んでないの?」
「それはまあそうなんだけど、そのー」
唐突にメフィに詰め寄られ、しどろもどろになるエルク。しばらく視線を漂わせたりしていたが、小さく咳払いをしてようやくメフィと目を合わせた。
「これ以上危ないことに首突っ込むことはないと思うんだ。僕はともかく、メフィの事が心配だし」
「む……まあ、その気持ちはありがたいけど」
「復讐自体を否定はしないけどね。ただ、もっと自分を大事にしてほしいって思ってるだけだから」
「……」
諭すようなエルクの言葉に、メフィはとうとう反論できなくなったようだ。不服そうな様子なので、完全に諦めたわけでもないようだが。
「それでも……答えだけでも、見つけたいよ」
「うん。気持ちの整理をつけるには、そのほうがいいのかもしれないね」
エルクが笑って肯定すると、メフィも安心したように笑顔を浮かべた。
ランタンの灯りだけが辺りを照らし、あとは煌めく月だけがほのかに地上へ光を注いでいる。嵐をもたらした雲はどこへ消えてしまったのか、ばら撒いたような星の輝きが空一面に広がっている。
エルクは独りで空を見ていた。
すぐ横にランタンを据え、ぼんやりとした灯りの中で小さな光の粒を眺めている。
メフィとシューラはランタンを挟んだ隣で横になっているので、姿が見えないというようなことはない。燃料次第だが、ひとまず真っ暗闇という状態は避けられている。
寝息が聞こえるので、少なくともメフィは眠ってしまったようだ。
自分も早く寝なければならないとエルクも分かっているのだが、どうしても眠る気になれなかった。
今日という短い時間の中で、あまりに多くの事が起こりすぎた。
目の前で起こったはずの故郷の崩壊は、既に何日も前の事のように感じられている。日付は変わっていないはずなのに、あまりに『遠い記憶』になってしまっていた。
これから考えなければならないことも多い。シューラにも話したが、目的地は何も決まっていないのだ。
あてもなく彷徨う生活がいつまでも続けられるとは思っていない。かといって、頼れる親戚のような存在も心当たりがない。最悪、道中で盗賊の類に襲われるか餓死してもおかしくない状況だ。
にも関わらず、エルクは異常なまでに冷静に現状を見据えている。
(本当なら、もっと慌ててなきゃいけないはずなんだけどな……)
心中で自身を嘲りながら、同じ境遇であるメフィの様子を思い返す。
彼女も一見すると普段通りのようだった。だが、故郷の崩壊に対する怒りや悲しみといった感情は間違いなく持っているようだった。レダーコールを滅ぼしたという連中への怨嗟も、その感情に基づくものなのだろう。
それに対して、エルクの心はあまりに冷え切ってしまっている。
(結構冷酷なんだな、僕って)
小さなため息が、深夜の静寂に溶け込んで消えた。
「……エルクさん?」
横から声をかけられ、エルクは視線を夜空からそちらに向けた。
横になって寝ていたシューラの目が開いている。彼女の丸い瞳は、ランタンに照らされながらどこか不安げにエルクの姿を捉えていた。
「起こしちゃった?」
「いえ……眠れないだけです」
「そっか」
短く返事をすると、再び空を仰ぎ見る。シューラが起き上がろうとする様子はないが、そのまま眠ろうとしているわけでもなさそうだ。
しばらく黙っていたシューラが、意を決したように口を開いた。
「……お二人は、どうして一緒に旅をしているんですか?」
ひそめた声で、怯えた様子で。
エルクは視線を空に固定したまま、再び自嘲気味に笑った。目は空に向いているものの、既に星を見ているわけではない。
「自分は答えたがらないのに、人の事は聞きたがるんだね」
「あっぅ……その、今のは」
「いいよ。別に隠したいわけでもないし、そもそも大した話じゃないから」
エルクの言葉にシューラはほっと息をついた。そして話を聞くために体を起こしたようで、ごそごそと動く音が隣から聞こえた。
そちらを向いてもよかったのだが、エルクは振り返らない。
「僕とメフィは幼馴染でね、もともと仲は良かったんだ。旅に出ようって僕を誘ってくれたのもメフィ」
星空を背景に、その時の映像が目に映し出される。それはまさしく『今日』の記憶なのだが、アルバムの古い写真のように褪せた色合いをしていた。
「生まれ育った街が変わり果てた姿になってて……僕は、もうどうでもいいやって自暴自棄になってたんだよね。何をする気力もなくなって、瓦礫にへたりこんで落ち込んでたんだ」
「…………」
「そしたらメフィがさ、この街を出ようって言い出したんだ。僕もいろいろメフィに言ってたけど、それは衝撃的な提案だったよ。まあメフィは、復讐の為にそう言いだしたみたいだけど」
「……じゃあ、いずれ二人は別れて行動するつもりなんですか?」
「それはないかなぁ。確かに僕は復讐とか考えてないけど、メフィにはついて行こうと思ってる。だからまぁ、落ち着いてどこかに根を下ろすのは当分先になるかもしれない」
さもおかしそうに笑ってみたが、シューラがつられて笑った様子はなかった。
エルクの脳裏に、レダーコールでの最後の時間が蘇ってくる。
両親も、親戚も、隣近所の友人も、誰一人として生存者が見つからない。
昨日まで多くの人間でにぎわっていた大通りが、今は瓦礫と消し炭のような何かで埋め尽くされている。徹底的な破壊痕は、誰かが意図的にレダーコールを崩壊させた事を暗示している。
それまで平和の中で暮らしていたエルクから心を奪い取るには、それだけで十分だった。
「ダメ、こっちの方も誰もいなかったわよ……エルク?」
別方向へ生存者を捜しに行っていたメフィが、うなだれるエルクに気付いて心配そうに声をかけた。
「もう、いいよ」
エルクの口からこぼれる、諦めの言葉。
それを聞いたメフィはどう思ったのか、黙りこんでしまった。視線を落としていたエルクは、その時の彼女の表情を見てはいない。
「全部、何もかも、もうおしまいなんだ。この街も、僕も、全部ひっくるめてね」
「エルク……」
涙さえ出ない悲しみに、エルクの体から力が抜ける。このまま目を瞑り、一生眠り続ければ楽になれるような錯覚に捉われていた。
不意に両頬が包みこまれるように覆われ、顔が持ちあげられる。
頬に手を添えていたのは、メフィだった。普段の勝気な様子とは違う、優しい母親のような顔をしている。
「旅に出よう」
たったそれだけの言葉に、エルクの頭の中を困惑と動揺がめまぐるしく駆け巡っていく。
「……旅?」
「私たちが生き残ったのは、きっと何か意味があるのよ。だったらこんな所で立ち止まってちゃいけないわ。この街を出て、新しい土地で、新しい生活を始めようよ。まだまだ私たちは終わってなんかいないって信じよう」
「……」
いつも無鉄砲で、後先考えずに行動して、エルクは毎回それに振り回されてきた。
だが今回は違った。
彼女の言葉は、エルクの心に新たな一筋の光をもたらしていった。
起き上がったシューラも座って夜空を眺めており、ランタンを挟んで二人で星を観察しているかのようだ。ランタンの光は力強く、それぞれの顔を温かなオレンジ色に照らし出している。
「どんな旅路になるかは分からないけど……ひょっとしたら、シューラの故郷にも行くことがあるかもしれないね」
そこで初めて、エルクはシューラへ視線を向ける。同じタイミングで、シューラもエルクに視線を向けていた。目が合ってしまい、シューラは慌てた様子で顔をそらす。
「それで、シューラはこれからどうする?」
家の場所は黙秘されてしまったため、エルクたちに彼女を送り届けることはできない。だからこそ、彼女が今後どうしようとしているのか訊ねたのだ。
「……決めました」
シューラの横顔が大きく頷く。
「私、エルクさんたちについていきます」
そらした目線が再びエルクへ向けられた。
瞳には先刻までの怯えたような様子はなく、強い意志を宿した輝きがたたえられている。ランタンの光を映し出して宝石のように煌めく目に、エルクは思わず見とれそうになってしまった。
「……でも、僕らはシューラの家の場所を」
「旅の途中で行くかもしれないんですよね。だったら、私はそれまで一緒に行きます」
迷いなく言い切られてしまいエルクはたじろぐ。初対面から続いていた警戒心をあっさりと解かれ、彼女の急な心境の変化に対応が追いつかない。
「いつになるか分からないよ? 最後まで行くことがないかもしれないし」
「いいんです。独りでいるのが怖いだけですから」
まるで揺るぎそうにないシューラ。だがそこで表情に一瞬影が差し、もの悲しそうに目を伏せた。
「初めて会った時はすみませんでした。私、いろいろ……あったので……」
「うん、そこは訊かないから大丈夫」
シューラの禁句を受け入れてなお陰日向なく接しようとするエルクに、彼女は少しだけ驚いたように目を見開き、そして――
「……これから、よろしくお願いします」
屈託の無い笑顔を、エルクへと向けた。