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ぼくらの天使  作者: 半導体
三章
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42話 白銀の女

 ガルドたちが本格的にマルトーリへ向かい始めてから数日が経ち、高くそびえる山脈が威圧感と雄大さを伴って視界に映るようになった。壁のように広がる姿は遠くからでも見えていたが、行く先を阻むかのように迫る距離まで来ると改めてその存在感を認識させられる。

 一つの大陸を明確に二つの地域に区切る、文字通りの隔壁。尾根は複雑な曲線を描いていくらか低くなっているところもあるものの、やはり人間の足で越えられるような易しい地形には見えない。

 そうした山影の中に、不自然なまでに窪んだ箇所が一つだけ存在した。丁度ガルドたちの歩いている道の先に位置し、そこならばいくらか簡単にこの連峰を越えられるのではないかと思えてくる。実際は両側の山々と比べて低くなっているだけであり、決して楽な道のりというわけではないだろうが。


「――あのへんにマルトーリがあるのかしら」

 露骨な窪みを確かめながらリオナが呟く。息はあがっていないようだが、しきりに足首を回してストレッチをしているのは疲労が溜まってきているのだろう。それをまったく口に出さないのは、彼女なりの矜持がそうさせるのかもしれない。

「ここからじゃ街があるかどうかもよく分からないわね」

「でもこの分なら、もうすぐ着きそうですね」

 目的地が見えたということでリダが嬉しそうに飛び跳ねる。巨大な斧を背負っているにもかかわらず、こちらはまだまだ元気が有り余っている様子だ。それは種族の違いによるものではなく、単に彼が子供というだけだろう。

「このまま歩いていけば明日の朝には着くだろう、が……」

 ここまでのペースを踏まえてそう目算を立てたガルドは、二人の様子を見て思案を始める。

 山脈に近づくにつれ、道は急激に勾配が急になり始めた。街道として多少(なら)されてはいるが、ひたすら坂道を登っていく旅路はまるで登山のようだ。当然、足腰にかかる負担は平坦な道の比ではない。

 確かに到着は早い方がいいが、無理を押してまで先を急ぐべきではない。誰かが倒れてしまってからでは遅いのだ。

 リオナは口に出さないだけで、かなり疲れが溜まっているのは間違いない。顔色はやや青ざめており、体調が万全でないのは火を見るよりも明らかだ。

 未だ疲労の陰も見せないリダも、その気力が翌日まで続くだろうと楽観はできないだろう。今は好奇心が彼を突き動かしていても、突然どこかで体が悲鳴をあげてしまうかもしれない。まだ子供である彼は、自身の体力管理もままならない可能性がある。

「無理は禁物だ。少し早いが、今日はこのあたりで休もう」

「え」

 リオナが意外そうな、しかしどこか安堵したような声を上げた。

「どのみち今日中に到着は無理だ。少し余裕をもって休憩を挟んだほうがいいだろう」

「……そ、そうね。ガルドの言うとおりだわ」

「むぅ。早く行きたかったですよぅ」

 やはり本心では休みたがっていたらしいリオナが同意し、リダも渋々ながら承諾をする。そんな二人の様子を見て、ガルドは続けかけていた言葉を呑み込んだ。

 ――マルトーリでゆっくり休めるとは限らないからな。

 行き先を思案していた際、背筋を駆け抜けていった寒気を思い出す。

 何か根拠があるわけでも、かつてマルトーリで嫌な経験をしたわけでもない。純粋なガルドの勘が、しかしこれまでないほどはっきりと警告を発してきているのだ。

 ただでさえ体に無理をさせている二人に、不確定なことで精神的な負担までいたずらに増やす必要はない。ガルド自身で違和感の正体が掴めていないこともあり、彼らに何かを告げようとはしなかった。

 それでもガルドは、あくまで『なんとなく』マルトーリで何かが起こると確信している。

「……二人とも、今日の内にしっかり体力を回復しとけよ」

「え、ええ」

「は、はい……?」

 漠然とした危機感しか覚えていないガルドに、それ以外言えることはなかった。






「あの……よかったんですか?」

 恐る恐るといった様子で、シューラが前を行くシオリに声をかけた。

『なにが』

「しばらく帰れなくなるかもしれないのに、その、こんな簡単について来てしまって」

「……」

 もっともと言える指摘に、シオリは困ったような表情で口をへの字に曲げる。

『簡単じゃない。前から考えてた』

「そう、なんですか」

『あたしは、あたしのやりたいようにする。それだけ』

 短くまとめると、何事もなかったように歩みを速めてしまう。自分のことを積極的に語りたがっていないようで、シューラもそれ以上しつこく訊き出そうとは思わなかった。


 早朝に蜘蛛族の里を出発して、すでに太陽は真上にまで昇っている。

 周囲の景色は延々と同じような山岳地帯が続くばかりで、どの程度進んできたのかまるで分からない。蜘蛛族の使う裏道のようなものだという話だったが、エルクたちの目には道であることさえ疑わしい山林が映るばかりだ。

 どこが正規のルートなのかも判断がつけられない。唯一頼りになるのは、先頭を進んでいるシオリの案内だけだ。

「ここらへんでどのくらいかな?」

 しんがりを務めるエルクが先頭のシオリに声をかけた。

 エルクの感覚でもだいぶ歩いた印象ではあったが、それでも見渡す限り森と山が広がるばかりで麓らしい場所が見えてこない。自分たちがどこまでやって来ているのかというのは、エルクだけでなくメフィとシューラにとっても気になる点であった。

『もうすぐ川がある』

「川……もうすぐゴールってこと?」

『それを越えたら、三日』

「三日……」

 まだまだ先は長いらしい。

 すぐに山を下りられると考えていたらしいメフィががっくりと肩を落とす。どうやら長く山中を歩き続けて疲れが溜まってきているようだ。直接口に出して伝えようとはしていないが、気持ちがありのまま表に出ているので気遣いとして成立していない。

 それを見かねたエルクは、再び歩き出そうとしたシオリを引き留めて一つの提案を口にした。

「その川が見えたら少し休憩しない?」


「ねえ、山を下りた後はどうするの?」

 目的地を得て少し元気を取り戻したメフィがエルクに振り返る。

「レクタリアへ戻るのよね。どうやったら南側に戻れるかルートくらいは考えてるよね」

「うーん、それについては色々考えてたんだけどね」

 今後の展開について、エルクは迷いながらも一つの結論を出していた。

 シオリのためにもできるだけ早くレクタリアへと向かいたい。大きく迂回することになってしまったが、現時点での一番の目的地はレクタリアで決定しているのだ。

 とすれば、目下の課題はいかにして巨大な山脈を越えるかというところにある。

「僕は、西に行こうと思ってる」

「西?」

「大陸を分断してる山脈にも少し低くなってるところがいくつかあってね、その一つがここから西に進んだところにあるらしいんだ」

 北側に関する話など、レダーコールからほとんど出たことのないエルクは全く聞いたことがない。そもそも北側に行くことなどないだろうと考えていたため、この手の情報は慢性的に不足しているのだ。

「道は整備されてるの?」

「……境界に街があるみたいだから、道はあると思う。少なくとも、山脈をまともに越えるよりは楽じゃないかな」

 不安そうにするメフィにも自信を持って返答できない。こんなことならちゃんと調べておくんだった、と後悔せざるを得なかった。

「その街の名前は分かってるの? っていうかそれも分かってなかったら問題よ」

「そ、それはもちろん。えっと、確か――」

 さすがのメフィも何も知らないままではいたくないようだ。なんとか知っていることを凄みながら訊かれ、エルクは慌てて記憶を引っ張り出す。

 様々な意味で重要な場所となる、その街の名前を。


「マルトーリ、だったかな」






 もはや完全に山道と化したその道は蛇が這って行ったように曲がりくねっており、ごつごつとした岩や倒木のせいで足場も悪くなっている。登山の経験がない者ではたちまちのうちに体力を消耗してしまうだろう。

「ふうぅ……」

 どうやらリオナとリダもその例に漏れなかったようだ。道のはずれに落ち着いて腰を下ろせる倒木を見つけるなり、そこに座り込んで同時に深いため息をついた。

「よっぽど疲れてたみたいだな。言ってくれればよかったのに」

「自分でもこんなに疲れてるなんて思わなかったもの」

「ぼ、僕はまだまだ大丈夫ですけどね!」

 自分たちの歩いていた道が上り坂であることは、休憩に入ってから初めて気づいたらしい。自分から休憩を切り出しておいてよかったと、ガルドは今さらながらに安堵した。

 夕食の準備を始めるにはまだかなり早い。特にすることもないガルドは、通りの脇に歩み出て周囲の様子をのんびりと眺め始めた。

 主な交易路から外れているためか、他に通りを歩く人間の姿は一人も見られない。もとよりあまり使用されていないからこそ、ここまで整備が遅れているのだろう。

 マルトーリ自体も特産物や目立った観光資源のない街であり、北側の玄関口というイメージが普及している。未開の地とされる北側へ積極的に行きたがる人間などそう多くないのだろうということも簡単に想像がつく。

 マルトーリに到着すればもう少し賑わいもあるのだろうが、今は人の手の及ばない大自然の中に放り込まれたような気分だ。

「……おや」

 マルトーリ方面を見上げたところで、ガルドは道を下ってくる人影に気付いた。

 これまでは誰ともすれ違わなかったため、思いがけない遭遇に驚きが声として漏れる。マルトーリから来たのであれば、おそらくはこれからレクタリアへ向かう交易商か旅人の類だろう。

 どうやらその人影は女性らしく、頭の後ろで髪の毛を束ねて結わえている。それを歩くたびにヒョコヒョコと揺らすその仕草はまるで幼い少女のようだ。リオナよりも身長が高いので、見た目より実年齢はもう少し上だろうか。

「あっ」

 女性もガルドに気が付いたようで、目が合うなり足を速めてガルドの方へ近づいてきた。凹凸の激しい地面に何度も転びそうになりつつ、軽い足取りで坂を下ってくる。

「あの、こんにちは」

「ああ、どうも」

 ガルドの前まで来ると、女性は頭を深く下げて挨拶をした。ガルドもつられて会釈をすると、女性は嬉しそうにニッコリと微笑んだ。想像以上に丁寧な態度に面食らいつつ、ガルドは改めて相手の姿をよく確認する。

 髪の毛は光を放っているように輝く銀色をしており、それを大きなポニーテールに纏めているところはリダを彷彿とさせる。彼ほど大きなものではなく、癖毛があちこち跳ねているといった違いはあるが。

 瞳は葡萄酒のような朱色を湛えており、妖艶とも蠱惑ともつかない輝きを放っている。しかしそんな(あで)やかな色合いを打ち消すように瞳そのものはくりっと可愛らしい丸い形で、彼女の人懐っこい笑顔と合わせるとむしろ子供のような印象だった。

 どうやら、ガルドの想像していた商人や旅人といった種類の人間ではなさそうだ。

「すみません、急に声をかけてしまって」

「俺に何か用か?」

 敵意は感じないものの、彼女を完全に信頼する理由にはならない。未だ拭いきれない正体不明の不安のこともあり、気を抜かないまま慎重に用件を尋ねかける。

 だがそれに対する女性の反応は、ガルドの様々な予測を超えた、まるで突拍子もないものだった。

「唐突で申し訳ないんですけど、あのですね……ここに来るまでに、本を拾いませんでしたか? こう、難しい言葉で書かれた難しそうな本なんですけど」



「これが拾ったっていう本?」

「そうです。読んでみると結構面白いですよ」

 倒木に腰かけたリダは、暇つぶしにと先日拾った本を取り出してリオナに見せびらかしていた。土埃はきれいに払っており、鮮やかな藍色の表紙と金で箔押しされた題字が重厚な雰囲気を醸し出している。

「人の物だし、勝手に読むのはホントはよくないんだけどね」

「……まあ、そうなんですけど。やっぱり気になるじゃないですか」

 ばつが悪そうにしつつも、リダは膝の上に本を置いてパラパラとめくり始めた。ほとんどのページは文字ばかりで、リダのような子供が読むにはいささか不釣り合いな本だ。

 だがリオナは、そんなことよりも本の中身の方に意識を奪われていた。

「うわ、なにこれ。何が書いてあるのか全然分からないじゃない」

「あ、分かりません? どこかでこの字を見たことはあるんじゃないですか?」

「いえ、こんな文字……見たことないわよ」

 リオナはタイトルの文字をじっくりと眺め、それから首をかしげる。彼女の見たことのない奇妙な文字が用いられており、何と書かれているのか全く読み取ることができない。

「全然読めないわ……タイトルからもう無理」

「これですか? これで『天使』っていう意味になるんですよ」

「なるほど……て、え」

 得意げに解説するリダに感心しかけたリオナは、彼がタイトルをあっさりと訳してしまったことに気づいて目を丸くした。

「リダ、読めるの?」

「え? あ、はい。アンヘル文字っていうんですけど、故郷で少し習ったことがあるんで。でも僕の知ってるのと違う文法もあって、全部は分からないですね」

 不満そうな表情でリダは何ページか開き進め、適当なページの中ほどの一文に指をなぞらせて唇を尖らせる。おそらくそこが彼でも読み取れない部分なのだろうが、どこも解読不可能なリオナには違いがさっぱり分からない。ただただ、年下のリダが想像以上に博識であることを知って驚愕していた。

「えっと、アンヘル文字、ね。それってあれかしら、力の民が古代から使ってきた特別な言葉とか、そういうの?」

「あはは、そういうんじゃないですよ。僕も好奇心で勉強したから読めるだけですし、分かる人は僕の仲間でもそんなにいないんじゃないでしょうか」

 旅に出る前は勉強家だったのだろうか。現在も興味の引かれたものについては積極的に知りたがる性格であり、充分にあり得る話かもしれない。

「それで、この本はどんなことが書かれてるの?」

「あ、ちょっと待ってください。僕もまだちゃんと読んでないんです」

 他人のものだと言いつつ、結局はリオナも内容が気になるのだ。顔を密着させてページを覗き込み、リダも数百はありそうなページをめくって面白そうな記述を探していく。

「おーい、リダ。ちょっといいか」

 だが様子を見に行っていたガルドから声をかけられ、その作業は中断することとなった。

「はい? どうかしましたか?」

 顔を上げてみると、ガルドは見慣れない女性を一人連れてきていた。銀色のポニーテールが特徴的な女性で、赤い瞳などは大人の女性らしいのに全体を見ると子供っぽく感じられるという変わった風貌だ。足元の枝や小石を踏むたびに転びそうになっており、おっちょこちょいな性格であることが窺える。

「お前、確か本を拾ったって言ってたよな?」

「あ、はい。丁度今読んでるところですけど」

 突然話題を振られ、リダはよく分からないまま膝の本を持ち上げて見せた。

 この状況で本について触れるということはつまり、後ろの女性がこの本の持ち主なのだろうか。もしそうならば、無事に返すことができてリダとしても嬉しい限りだ。

 内容に興味があるのも事実ではあるが、持ち主に返すのを渋ってまで読みたいとは思っていない。

 そう思ったリダは本をよく見えるよう持ち上げたのだが――

「ああぁー!」

 突如、銀髪の女性が本を指差して大きく叫んだ。

「それ! それです! 私がなくした本!」

「やっぱりそうか。いや、まさか本当に俺の連れが拾ってたとはな」

 絶叫にも驚いた様子を見せずガルドが頷く。どうやらリダの予想した通り、この女性が本を落とした当人だったようだ。

「すごいです! もう見つからないんじゃないかって半分諦めてたのに!」

「盗賊崩れの連中に拾われてたみたいだったからな。いずれにせよ、すごい偶然だ」

「ふわぁ、ホントですね……。とにかく、ちゃんとお返しできるみたいでよかったです」

 自分の行動が無駄にならずに済んだと分かり、リダはほっと胸をなでおろす。道中でばったり出くわした相手がたまたま拾った本の所有者だったというのは、ガルドの言うとおり驚くべき偶然だ。

 道中ですれ違ってしまったり、そもそもリダたちが本に気付かなかったという可能性もある。こういう巡り合わせを運命と呼ぶのかもしれない、とリダは胸を弾ませた。

 リダは倒木から飛び降りると、トテトテと女性に歩み寄って本を手渡す。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます! 本当に助かりました!」

 見るからに年下のリダに対しても丁寧に謝辞を述べて頭を下げる女性。それが彼女の性分なのだろうが、お互いが敬語を使っているために妙な感覚になってしまう。

「無事に返せてよかったです、やっぱり不安でしたし」

「本当にご迷惑をおかけしました。どうも私ってドジばっかりで、仕事の仲間からも呆れられてるんですよ」

「うわー、なんかすごい気持ちわかります。僕もよくガルドにそういうこと言われます」

「……どっちが喋ってるのか分からなくなってくるわね」

「キャラ被ってんのな」

 リオナがぼそりと呟き、ガルドも同意するように頷く。女性と楽しそうに会話を繰り広げるリダは、二人の微妙な反応に気づくことはなかった。


「何かお礼をさせてください。このままじゃ申し訳ないです」

 色々と事情が変わってきたのは、女性のこの一言が発端だった。

「いえ、いいですよお礼なんて。僕たちだってお礼が欲しくて拾ったわけじゃないですし」

「ダメです! 一方的にお世話になっただけなんて、仕事仲間の人たちに怒られちゃいますから。それに私自身、そんなの我慢できません」

 いきなり語気を強くして断言され、ガルドもたじろいでしまう。よほど強い信念でも持っているようで、簡単には折れてくれそうにない雰囲気が伝わってくる。

「気持ちはありがたいんだが……あー、えーと」

「あ、すみません。まだ名前もお教えしていませんでしたね」

 どう呼ぶか迷っていたのを察したようで、女性が慌てた様子で三人に向き直る。礼儀正しいことと何事もこなせるというのはイコールでないらしい。

「私はリメールといいます。仕事の用事で、今はマルトーリに滞在しています」

「俺はガルド。こっちの子供がリダで、そっちがリオナ」

「よろしく」

「って、僕は子供じゃないですよぅ」

「それで、リメール」

 背伸びしたいお年頃のリダの苦情はさらりと受け流す。

「そんなに言うなら、そうだな……俺たちもマルトーリに向かってるところだ。今日はここで野営するつもりだが……マルトーリについたらこっちから連絡するから、その連絡方法だけ教えてもらっていいか?」

「はい、お安いご用です!」

 女性――リメールは、ガルドの提案に嬉しそうに頷く。

 下手をすればケーキと紅茶を用意してガルドたちを迎え入れそうで恐ろしいが、到着する前からマルトーリの人間と繋がりができたのは決して悪いことではない。まさか宿までお世話になるわけにもいかないだろうが、エディカについての情報収集はいくらかスムーズになるだろう。

 もっとも今の彼女を見る限り、一言伝えれば宿さえも嬉々として用意してしまいそうではあるが。

「んー、回りくどい気もするけど……まさかリメールさんにまで野宿を強要するわけにもいかないわよね」

「あ、私はそれでも全然」

「勘弁してくれ」

 さらに気を遣ってきそうなリメールを先回りして止める。野営の準備は三人分しかできていないというのもあるが、彼女にまで野宿させるというのはさすがに無茶だろう。マルトーリに彼女のちゃんとした拠点があるのであれば、なおのことここで一緒に過ごさせる理由がない。

「そうですか……分かりました。あまり無理を言ってもご迷惑になりますしね」

 どうやらリメールの方もガルドの心中を察してくれたようだ。ポケットから紙切れとペンを取り出すと、サラサラと何かを書き留めてそれをガルドに差し出す。

 反射的に受け取ったガルドは、そこに書かれているのがマルトーリでの住所だとすぐに気付いた。

「今はそこにお世話になってるんです。マルトーリに着いたらぜひ寄ってくださいね」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 過剰な謙遜は不要だ。彼女との距離感をしっかり把握したガルドは、受け取った紙片を上着の内ポケットにしまい込んだ。

「では失礼します。本のこと、本当にありがとうございました!」

 最後にもう一度深々とお辞儀をすると、リメールはマルトーリへの道を軽い足取りで走って行ってしまった。途中で小石に躓いて盛大に転んだが、すぐに起き上って再び道を登っていく。

 入り組んだ道の形状も手伝い、その姿が完全に見えなくなるまでそう時間はかからなかった。


「……よくこの道を駆け足で登れるなあ」

「騒々しい人でしたね」

「ファルさんをちょっと柔らかくしたみたいな人ね」

 まるで小さな嵐でも通り過ぎていったようなひと時に、三者三様の感想を漏らす。まるで白昼夢でも見たような気分にさせられたが、手元にあった本がなくなっているので紛れもない現実だと分かる。

 リメールの見えなくなった道の先を呆けた顔で見つめる二人に気付き、ガルドは気持ちを切り替えるように手をパチンと叩いた。

「ほら、こっちはこっちでやることがあるだろ? そろそろ野営の準備を始めるから、二人も手伝ってくれ」

「はーい」

 その音で気持ちの区切りがついたのか、リダとリオナも普段の調子に戻って返事をした。

 休息が必要とはいえ、何もしなくていいわけではない。今の二人にもできる仕事があるのだ。

 リメールのことは明日、マルトーリに到着してからゆっくり考えればいい。今すべきことを二人に再確認させたガルドは、地面に置いた荷物から野営に必要なものを引っ張り出した。



「……?」

「リオナ? どうかしましたか?」

「う……ううん。なんでも、ないわ」


 ――この感じ……どこかで、覚えが……。

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