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ぼくらの天使  作者: 半導体
二章
41/56

40話 新幕に向けて

「行ってきまーす!」

「ああっ、待ってくださいよぅ」

 威勢のいい掛け声とともにメフィが外に飛び出していく。一緒に行くはずのシューラを置いていくのもいつものことだ。エルクは特に反応することもなく手を振って二人を見送った。

 騒々しく二人が退室すると、室内は一気に静寂に包まれる。ただでさえ人数が少なく会話のほとんどない環境だったことに加え、隣のベッドで休養していたシオリも今はいない。

 彼女はエルクより一足先に全快し、すでに自分の家に戻っている。時折エルクの様子を見に来てくれたりもするが、基本的に一人の状態の方が多い。



 蜘蛛の里に滞在して数日が過ぎた。

 質の高い治療のおかげか、エルクの腕は日を重ねるごとにみるみるよくなり、今では多少動かす程度ならば何の問題もなくなっている。食事を自力で摂れるようになった点でメフィがやや不満そうにしていたが、ひとまず順調に全快へと向かっているようだ。あと一週間のうちには出発することができるかもしれないとエルクは期待を持ち始めていた。

 一度ここを出てしまえば、しばらくここに戻ってくることは叶わなくなる。深い交流を持つことこそなかったものの、キプリやシオリといった面々と当分会えなくなるというのはやはり寂しいものがあった。

 もちろん、それを理由にいつまでもお世話になるつもりもないのだが。


「う……んーっ」

 大きく伸びをし、全身の筋肉を引き延ばす。

 しばらくベッドから動いていないため、体がなまってしまっているようだ。旅のことを考え、傷に障らない程度にストレッチを施していく。

 これからもテロリストとの接触が避けられないことは想像にたやすい。今以上に実力をつけなければ、メフィやシューラまで危険にさらしてしまうことになるだろう。療養は必要だが、いつまでも怠けているわけにはいかないのだ。

 二人のためにも、自分が強くならなければならない。エルクはそう考えていた。

「んっ、うしょっ」

 腕、背中、わき腹、足――長くまともに動かしていなかった筋肉が刺激を受けて運動を渇望してくる。

 キプリからはまだ安静にしているよう言いつけられているが、エルク自身の感覚ではもう動いても平気なほどに回復したという印象だ。傷の具合に関しては素人なので、あえて無視するようなことはしないが。

 とはいえ、もう数日の間にキプリから起き上がっていいと許しが出るのも予想がつく。いざ出発という時に体が動かないなどシャレにもならないので、こうして自主的に慣れさせていっているのだ。


「……ん?」

 しばらくストレッチを続けていたところ、ドアの外から足音が聞こえてきた。

 それだけならば、見舞いに来たキプリやシオリだろうと考えてそれほど意識はしなかっただろう。エルクが眉をひそめたのは、その足音は明らかに男性のものだったからだ。

 この部屋にやってきそうな人物を並べてみても、男性は一人も思い当たらない。やってくる可能性があるのは蜘蛛族しかないが、この里で蜘蛛族の男性と知り合う機会はこれまでなかった。

 どうやら足音はエルクの部屋を目指していたらしく、部屋の前で足音が止まる。これで思い過ごしの可能性も消えてしまった。

 相手の正体がつかめず、エルクは体を起こした姿勢でわずかに腰を浮かせる。すでに逃走を図るタイミングは逃しており、相手との接触に対しては腹をくくる他なさそうだ。


 エルクの懸念をよそに、ガチャリと軽快な音を立てて扉が開く。

『よっ。エルクくん、邪魔するよ』

 にこやかに顔を出したのは、やはりエルクの初めて会う蜘蛛族の男性だった。

 浅黒く日焼けした肌に短く切りそろえた髪、凹凸がくっきり浮き出た太い腕などから相当に力自慢であることが窺える。だが顔に浮かべた朗らかな笑みのおかげで、全体の印象はむしろ穏やかで優しい人物といった雰囲気だ。

『ん、他には誰もいないのか。シオリもいるって聞いてたんだが』

「ええ、まあ……今は僕だけです」

 敵意は感じないものの、まだ警戒を解くことはできない。未だエルクはまともな抵抗のできない状態であり、もしも彼が敵であればこれは絶体絶命な状況ということになる。

『まあ君がいるなら問題はねえんだ。いよっと』

 男性は一度扉の向こう側に戻り、それから何かを抱えたような態勢で体を室内へ滑り込ませてきた。

『今日は、こいつを持って来たのさ』

 男性が見せびらかしてきたのは、一つの小さな樽。

「……それは?」

『果実酒。まあ酒っつっても、アルコールが入ってるわけじゃねえから安心してくれ』

 樽を手近にあった小テーブルに置き、そこに肘をかけていかにも疲れたといった仕草をして見せた。

 エルクに対する忌避の念は全く感じられず、エルクの心にも少しずつ困惑が広がり始める。

 蜘蛛族が人間を嫌っているというのは今さら確認するまでもないことであり、数日前にはシューラから里の人に嫌煙されているといった旨の話を聞いていた。

 それがなぜ、向こうから会いに来たのか。誰からエルクのことを聞いたのか。そして、なぜ果実酒などを持ってきたのか。

 様々な疑問が沸き上がってきたが、咄嗟に口にできたのは簡単な質問文ひとつだけだった。

「なんで僕に?」

『そりゃお前さん――あ、いや、まだ話してないって言ってたっけか』

 そこで初めて男が不自然にたじろいで見せた。何か隠し事をしているらしいのは間違いないが、それがエルクの油断を誘う罠というわけではなさそうだ。

『そうだな、まあ見舞いの品ってことでここは一つ』

「……はあ」

 無理矢理はぐらかされた形となり、釈然としないまま生返事をする。悪意が無いのであれば無理に追求することもないか、と自身に言い聞かせた。

『それじゃ、メフィちゃんやシューラちゃんにもよろしくな』

「あ、はい」

 本当に果実酒を渡すためだけに来たらしく、男は早々に部屋を立ち去ってしまう。

 積み重なった疑問点は何一つ解消されず、スッキリしない感覚と果実酒の樽だけが残される。何か仕込んであるのではと一瞬疑いもしたが、単身でも身動きの取れないこの状況でさらに回りくどい方法をとる理由がない。

「純粋な好意だったのかな? でも、なんでこんな急に」

 懸命に脳内で情報を整理しようとする。

 だがそれに集中する間もなく、再び扉が開かれた。

『ちょっと失礼するね』

「えっ?」

 今度は四十代ほどの女性だ。先刻の男性と入れ替わる形でやって来たらしい。

『驚かせちゃったかしら? ごめんなさいね』

「あ、いえ」

 本音では驚いたなどというレベルではなかったが、即座に対人用の態度に切り替える。やはり敵意のようなものは感じられず、ただ困惑しながら事の成り行きを眺めるばかりしかできない。

『あら、もう先客がいたの?』

 テーブルに置かれた樽を確認して女性が意外そうに首をかしげた。

「あ、はい。すぐに帰っちゃいましたけど」

『そうなの。まあ私も、これだけ置いたらすぐ帰っちゃうつもりだけど』

「……それは?」

『クッキーよ。たくさん焼きすぎちゃってね、少し食べてもらおうと思って』

「そ、そうですか」

 やはり状況が呑み込めないまま女性のペースに流されていく。身の危険を感じてはいないものの、何も分からないうちに事態ばかりが進んでいくのは気持ちが悪い。

「あの……ありがたいんですけど、なんで僕にそれを?」

『んー、そうね。快気祝いってところかしら』

 男性と同じ質問をぶつけてみたのだが、男性と同じ反応を返されてしまった。自然に振る舞おうとしている挙動の中に何かを隠しているような印象を受ける。

「えーと……すみませんけど、今まで、会ったことありませんよね?」

 混乱はかなり激しいらしく、言いたいはずの言葉がどもってうまく出てこない。

 それに気づいているのかいないのか、女性は堂々とした姿勢を崩さないまま自信満々にエルクの質問を笑い飛ばした。

『いいじゃない、それでも。せっかく美味しくできたんだから、みんなに食べてもらおうと思うのは当然でしょ?』

「いや、まあそうかもしれませんけど」

『あ、ひょっとして悪いもの入ってないか心配してる? 大丈夫だってば、ほら』

 エルクの懸念を読んだかのように女性は口をとがらせ、それからクッキーを一つつまんで口に運んだ。半分ほどかじり、サクサクと小気味よい音を鳴らしてクッキーを味わっている。

「す、すみません」

 気を遣わせてしまったことに対してエルクは即座に頭を下げた。完全に信用できるようになったわけではないものの、いたずらに彼女の神経を逆なでする必要はないだろう。

 それを置いておいても、そのクッキーに危険が無いことはなんとなくわかる。何の根拠もない単なる勘だが、それでも彼女を信じようというのがエルクの結論だった。

「それじゃあ、一ついただきます」

『ふふっ、遠慮せずどうぞ。っていうか、このバスケットは置いていくから好きなだけ食べちゃっていいわよ?』

「えっ、こんなにいいんですか」

『メフィちゃんも食べたそうにしてたからねー。シューラちゃんも交ぜて一緒に食べるといいんじゃないかしら。それじゃ、私はこれで』

 受け取ってもらえたことが嬉しかったのか、女性はにこやかに手を振って退室してしまった。


「なるほど」

 しばし呆然としつつも、エルクは改めて何が起こっているのかを漠然と理解し始めていた。

 男性も女性も、当然のようにメフィとシューラの名前を出していた。エルクにとっては確かにいて当然の存在だったので気に留めていなかったのだが、彼らに二人の存在を知る機会はほとんどなかったはずだ。それだけに、蜘蛛族の人が急に親密になった理由がそこにあると推察できる。

 二人は連日里に遊びに向かっており、その時の興奮や感動は毎日メフィから浴びるように聞かされてきた。おそらく、そうした冒険の合間に彼らのような蜘蛛族と仲良くなったのだろう。

 つまり、この快気祝いも彼女たちが蜘蛛族に吹き込んだのだ。

 信じがたいのは、これほどの短期間に二人が蜘蛛族とそうしたやりとりをできるほどに仲良くなれたという事実だ。蜘蛛族の持つ人間への深い確執を、どうやって取り除いたというのだろうか。

「まあシューラは植物族だし、メフィはそういうの関係なく誰とでも仲良くなれそうだしなぁ……」

 彼女の特技、とでも称するべきだろうか。方法については推測のしようもないが、メフィにとっては容易いことのようにも感じられた。

 様々な事情で人間不信に陥っていたころの彼女をエルクは知っており、他者との交流に積極的になった彼女に改めて感嘆の意を覚える。対人関係をうまく築けるようになったというのは良い変化と言っていいだろう。

「でも、こういうお節介なところはぜんぜん変わってないんだ」

 樽とバスケットを横目に見て苦笑を漏らす。

 自分がどんな辛い状況にあっても、彼女を心配するエルクを逆に気遣ってばかりだった。自分が追い詰められるよりも、自分と関わりの深い誰かが傷つく方が耐えがたいことだったようだ。

 他人を恐れていたはずのメフィと自分がどんなきっかけで仲良くなったのか、エルクはよく覚えていない。それほど些細なきっかけだったのだろうと考え、メフィに改めて確認することもしていなかった。そもそもメフィはあまり当時のことを話したがらず、そんな彼女に無理に語らせる必要性もないと感じている。

 帰ってきたらお礼を言おうと決め、渡されたクッキーに手を伸ばした。





「あ、あの……何かご用でしょうか?」

 巨大な岩石によって地形が形成される地域の一角。大きなポニーテールが特徴的な子供が、恐怖で震えながらも恐る恐る口を開いた。怯えているというのは傍目にもよく分かったが、それでも子供の言葉は聞き取りやすいようにはっきりと述べられていた。

 それに対する周囲の反応は、無言。

「……あの……」

 その子供はまだ十代の前半といった外観をしており、丸く大きな瞳もあいまって幼気(いたいけ)な少女という表現がよく似合う風貌だ。

 その周りを囲っているのは、粗雑な服装に屈強な肉体を兼ね備えた男たち。いずれも動きやすそうな軽装と何らかの武器を携えており、一目で荒くれ者の集団であることが分かる。巨石に背を預けている子供の周囲をそうした男たちが取り囲んでおり、逃げ場のない状況を作り出されてしまっているようだ。

「で、捕まえていいわけ?」

 ここで初めて男たちの方から言葉が発せられた。ただしそれは目の前の子供に向けられたものではなく、単なる仲間内での会話であるようだ。

「この状況から逃がす選択肢があると思うのか?」

「いや……」

「なんにせよ、子供ってのは高く売れるさね。みすみす逃がすにゃあまりにもったいない」

 自分の処遇について話していると分かった子供は身をすくませながらも、その顔を恐怖に染めないように唇をかみしめている。

 そして何かを決心した様子で、凛とした眼差しを集団のリーダーらしき男へと向けた。

「あっあの……! 最近この近くで頻発している強盗被害の犯人って、ひょっとしてあなたたちなんじゃないですか?」

「……あん?」

 突如としてぶつけられた妙な確認事項に男たちは互いの顔を見合わせる。こんな小さな少女が大多数の男に囲まれた状態で何を言っているのか、そんな表情だ。

「確かに、俺たちはこの辺りを縄張りに仕事をしてるな。その『強盗被害』の全部が俺らとは限らないが」

「近くの町で討伐依頼くらいは出てるかもしれないな。もっとも、この人数相手に太刀打ちできる人間なんざそうはいないだろう」

「……そうですか」

 いくらか脅しつけるような迫力の男たちにも子供が怯んだ様子はない。表情を引き締め、まるでこれから男たちに対して戦いでもけしかけようという戦意をにじませている。男たちもいくらか戦闘の経験があるようで、その意図を鋭く感じ取ったようだ。

「まさか、お嬢ちゃんが俺ら全員を相手取って戦うつもりか?」

「む」

 皮肉混じりの言葉に、子供が目を細く尖らせる。その瞬間明らかに纏う雰囲気が変わったのだが、所詮子供だと軽く見ていた男たちの中にそれを感化できる者は存在しなかった。

「だとしたらやめておけ。いくら子供とはいえ、抵抗するならこっちも容赦し――」

 言葉の途中で後方から猛烈な勢いで迫る殺気を感じ取り、咄嗟に身を翻す。その反応ができたのは、先頭に立って言葉を発していたリーダー格の男だけであった。

 振り返った男のすぐ横をすり抜けていく『何か』。通り抜ける際の凄まじい風圧は、その重量と威力を肌で直接感じ取るには十分だった。

 直後、岩を砕く破壊音がその場にいた全員の耳を(つんざ)く。

「うおぉっ!?」

 数人の荒くれ男が訳も分からないまま岩から飛び退る。そして音の発生源に視線を向け、改めてその眼を驚愕に見開いた。

 岩をえぐるように突き刺さっているのは、ひと振りの巨大な鉄斧だった。

 一般人が薪を割ったりする際に用いるものとは桁が違う。刃の部分が成人男性の体躯ほどのサイズに作られており、あまりに現実離れした外見のせいで逆にその重さを想像しにくい。

 敵襲。それを理解すると同時に、男たちは一斉に斧が飛んできた方向へと注意を向けた。

「……あー、間に合ったみたいでなによりだ」

「も、もうちょっと穏便に事を運ぶって考えはないの!?」

 そこに現れていたのは一組の男女だった。いかにも力を持て余していそうな男と、それに付き従うようについてくるツインテールの少女。

 投げられた斧は明らかに人間の扱える重量をはるかに超えている。それを理解しているリーダー格の男は、彼らがどのようにして斧を投げたのか分からずに混乱してしまう。

 しかし、彼らが敵であることは間違いない。ならば敵相手に動揺を悟られるわけにはいかないという心理が働いたようだ。次にリーダー格の男から発せられた言葉は、驚くほど冷静に状況を見定めようとしている理知的な色をしていた。

「……なんだ? このガキの保護者ってことか? だとしたら、こんな状況になるほどガキから目を離してちゃ保護者失格だろう」

 自分たちのことを棚に上げた発言に男は初めてその表情を緩める。わずかに微笑み、リーダー格の男を品評するような視線を全身に這わせていく。

「なるほど、確かに道理だ。そのガキが本当に保護しなければならないほどに軟弱だったならな」

「……何?」

 思わせぶりな発言に、男の心が急速に焦燥で満たされていく。

 相手の真意を測り取ることができない。相手が何を言っているのか分からない。

「あー、言っとくが俺らは手を出さないから。だから俺らより、後ろに気を付けた方がいいぞ?」

「何を……言っている?」

 自分だけが蚊帳の外に置かれたように会話が勝手に進められる苛立ち。それでも余裕を繕っていられるのは、圧倒的な人数差という有利な状況であるからだろうか。

 その余裕も、即座に打ち崩されることになる。それも目の前に現れた男ではなく――獲物であるはずの小さな子供によって。

「う!?」

 直後、先刻以上に激しい破砕音が後方から響く。

 斧は岩肌にめり込んでおり、そう簡単に抜き取ることは不可能だ。少なくとも、この逼迫(ひっぱく)した事態にそんなことをしている余裕などない。荒くれ集団の男たちは全員がそう考えていた。

 しかし、今の音はその斧で岩を砕いた音で間違いない。この状況でそんなことができるはずはないと頭では否定するものの、どうしてもその可能性をぬぐいきることができない。

 そしてその可能性を否定するべく、全身に襲いくる寒気を堪え恐る恐る後ろを振り返る。

「お、嬢、ちゃん……?」

 そこには、岩から力づくで斧を引き抜いたらしいポニーテールの少女の姿があった。

 それまでの儚げなイメージとは打って変わり、鬼神のような凄まじい重圧を全身から惜しみなく放っている。わずかに俯いて顔の部分が影になったせいで、その禍々しいオーラがより一層際立っているようだ。

 だが、やはり男の頭を混乱へと一気に叩き落としたのは、その子が例の斧を片手に携えていた点だろう。

 柄の部分を握っているだけではない。かなりの重量を誇るであろう刃の部分は完全に地面から離れており、彼女が右手のみで巨大な斧のすべてを支えているのだ。

 こんな小さな子供が? 片手で? 岩から引き抜いた?

 疑問符ばかりが浮かび上がっていくが、すべての答えは目の前に示されている。事実として、『非力な少女』であったはずのその子供が巨大な斧を手にしているのだ。

 それだけに、全てを呑み込むにはかなりの時間を要した。

「誰が、お嬢ちゃんですか……?」

 怨嗟の如く紡がれる言葉はやはり声変わりもしていない子供のものだが、耳にした男たちの背中をうすら寒いものが駆け抜けていく。彼女の敵意は今、すべて自分たちへと向けられている――

「やっ……やっちまえ!」

 反射的にリーダー格の男が叫び、それを皮切りにして荒くれ男たちがまとめて少女に躍り掛かった。すでに彼女を子供として見ている者はおらず、突然登場した男女と同じく『敵』として彼女を認識している。

「僕は……僕は男ですっ!」

 しかし、それに気づくのはいささか遅すぎたようだ。



「はぁっ!」

 まるで木刀でも振り回すように巨大な斧を一閃する。それに合わせて、最後に残っていた数人がまとめて吹き飛ばされた。 激昂していたとはいえ、必要以上の怪我はさせないように力加減をわきまえておく。

「……ふぅっ。まったく、失礼な話ですよね」

 だいたい状況の整理がついたと判断し、子供――リダは斧をついて一息ついた。

 周囲には荒くれ集団の男たちが昏倒して倒れており、事情を知らないものが見れば突発的に嵐でも発生したのではないかと思うことだろう。

 これらはすべて、リダが一人で叩きのめしたものだ。ガルドとリオナは彼に斧を渡して以降、やや距離を置いて傍観していた。ガルドが自分の実力を見ようとしていることも気づいており、彼らが加勢せずにいたことを責めるつもりなどない。相手からまたしても女の子扱いされて頭にきてしまったが、それでも今の自分の実力を出し切ったと感じている。

 リダはむしろ誇らしささえ覚え、胸を張って意気揚々と二人の下へと駆け寄った。

「えへへっ、どうでしたか? 僕もけっこう強いでしょ?」

「駄々こねて暴れる子供みたいだったな」

「ふぎゅうぅぅぅ……」

 ガルドにバッサリと切られ、築いたばかりの自信が音を立てて崩れていく。自分に戦闘の経験があまりないことは自覚しているものの、こうも辛辣に言い切られると涙が滲みそうになる。

「うぅぅ……」

「そ、そんなことないわよ。一人であんなにたくさんいた大の男をみんなやっつけちゃうなんて、やっぱりすごいわよ、リダは」

 リオナはフォローするように褒詞を告げてくれたが、虚しさが胸中に溢れていく。

 ここで泣き出してしまうとまたガルドにバカにされてしまうので、リダは惨めな気分をぐっと飲み込んだ。

「っ……ありがとうございます」

「ん、無闇に泣き出したりはしなかったか。リダなりに進歩はしてるみたいだな」

 そこでようやくガルドからも一応の褒め言葉らしきものが与えられた。むしろ小馬鹿にされたようにも聞こえたが、それは気にしないことにする。

 これまでの一連の立ち回りは、通りかかった街で受けた『近隣に出没する強盗団を退治してほしい』という依頼によるものだ。ガルドが一人でどうにかするつもりだったようだが、リダが興味を持っていると気付くと今回の役割を任されることとなった。

 彼の信頼を得てきていると当時は嬉しく思ったのだが、こうも手厳しい総評を受けた直後では素直に喜べない。

「……とりあえず、あとはこの人たちを連れて行けば依頼は完了ですか」

「そうなるな。全員生きたまま拘束できたわけだし、仕事としては申し分ないレベルか」

 感慨に浸っていたリダとは違い、ガルドは見事な手際で転がっている荒くれ者を縛りつけていく。そうした点でもリダとガルドの間にはまだまだ大きな差があるようだ。それを自覚しているので、リダもガルドに対してあまり口答えはできない。

「……さすがにちょっと多いな。リオナ、手伝ってくれるか」

「ええ、もちろん」

 ガルドがリオナに協力を要請しているのに気付く。言われてみれば確かに、彼らを倒してそれで依頼が済んだわけではないのだ。

「あの、僕も」

「いや、リオナも手伝ってくれてるしすぐ終わる。制圧はお前一人に任せたわけだし、このくらいは仕事しないとな」

「……そうですか」

 それは単純な子ども扱いではなく、リダを労って休息させようという一言のようだ。そう気遣わせてしまうほどには体力を浪費しているとリダも自覚しており、大人しくその作業を見守ることにした。


「……あれ?」

 周囲を見回してみたリダは、不意に一冊の本が落ちていることに気付いた。

 多少は人の通る道なので、ここを通った誰かが落としてしまったのだろう。あるいは強盗団が誰かから奪ったものかもしれないが、いずれにせよ近くに持ち主らしき人の姿はない。

 興味を引かれて拾い上げてみると、思った以上に丁寧な装丁を施された本であることが分かった。稀覯本(きこうぼん)に分類されるほど重厚ではないものの、それなりに価値のある品であることは間違いない。

 ――なくした人、きっと今も探してるでしょうね……。

 何とか持ち主に返してあげたい。そう考え立ち、リダはとりあえずその本を持っていくことにした。ガルドが反対するかもしれないが構うものかと鼻を鳴らし、金で箔押しされた表題に目を通す。

「これ、ずいぶん古い文字ですね。えーと……」

 表題はリダやガルドが普段用いているものよりもかなり古い時代の文字で綴られている。エディカを追いかける旅に出るよりも前、姉弟の故郷で学んだことのある文字で、リダにも何とか読むことができる言語だ。

 昔の貴重な本である可能性が一層高くなり、是が非でも届けてあげなければという使命感がリダの中に燃え上がり始める。そして期待に胸を膨らませながら、リダは拙いながらもタイトルを解読して読み上げた。


「……『天使』?」

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