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ぼくらの天使  作者: 半導体
二章
37/56

36話 ひと時のまどろみのなかで

『私の考えが甘かった。それは確かだ』

 自虐的に吐き捨てたキプリは、重い足取りで窓に歩み寄って外に視線を向けた。

『今回の一件、長はどのようにお考えですか』

 会話の相手である側近の男は、キプリの感情的な行動には全く反応せずに彼女の意向の確認を求める。彼女の私情には口を挟まないという意志がそこに見え隠れしており、二人の関係を言葉よりもわかりやすく表していた。

『おそらく、エルクの言っていた迫害が形になって現れたんだろうね。里の位置自体は知らないみたいだったから、たぶんこの騒動は突発的なものなんだろうけど。もし今回のことで里が見つかっていたら大変なことになっていたよ』

 自身の意見を述べ連ねていくキプリにエルクたちと会話をしていた時の子供らしさは無く、冷静に事態の動きを推察する指導者の顔つきになっている。

 それだけ、今回の事件がキプリや蜘蛛族にとって深刻な内容なのだ。

『その点で言えば、私に行くなと忠告してくれたことには感謝しないといけないね』

 シオリが襲われたと聞いた瞬間は、キプリも迷わず助けに向かうつもりでいた。何の打算もなく、ただシオリを助けたいという純粋な感情に従って。

 それを引き留めたのは、キプリのすぐそこにいる側近の男の言葉である。それによってキプリは『里長』としての自分を思い出し、個人的な感情を黙殺することができたのだ。

『結果を見れば、あの判断は正しかったってことになるかな。メフィが聞いたらまた怒り出すかもしれないけど』

『だとしても、それが事実です。あそこで誰かが姿を見られていれば、確実に里の存在を勘付かれたことでしょう』

 キプリを始めとする蜘蛛族がシオリを襲った人間と接触しなかったからこそ、里の存在がバレずに済んだのだ。人間であるエルクたちだけで交戦してシオリを救出することにも成功するという、ある意味での最上の結果となったのはほとんど奇跡と言って差し支えないだろう。

『運が良かった――とは言えないか。そうだとしても、運がよかったのは私じゃなくてシオリだろうし』

 今も絶対安静を強いられているエルクのことを思い返し、キプリは運という要素で全て纏めるのをやめた。

 誰かの運が良かったのではなく、彼が尽力した末に勝ち取った結果であることは明らかだ。それを把握した上で偶然を理由とするのは彼に対する侮辱となる。

『いつも今回みたいに全部が上手くいくとは限らないからね。それ相応の体制を整える必要があるっていうのが、今回のことではっきりと分かったよ。なんか、決心がついた』

『それは、つまり』

『里の防備を強化しよう。私たちを脅かす存在が明らかになった以上、今までみたいに甘い考えのままではいけない』

 強い決意を込めて断言するキプリ。

 人間との和解を望んでいたキプリにしてみれば、人間を拒絶するこの決断は不本意であることに違いはない。しかし、民が危機に晒される可能性のあるこの状況でそんなことを言っている余裕は無いのだ。

 この判断は、人間と接触して和解できる可能性をキプリ自ら潰したということと同義である。

 一族の代表者としては最善の選択であり、キプリ個人としては最悪の選択だった。

『勇気あるご決断、感謝いたします』

 キプリの葛藤を察知したのか、側近の男が深々と頭を下げた。ただそれも、外の景色に集中しようとしているキプリには届かない。

『具体的な計画は後日、代表者を集めて話し合おう。こんな事件があった直後だ、誰も反対はしないだろうね』

 誰かに反対してほしいという本音をにじませつつ、キプリはあくまで里長として沈着な態度を貫き通す。視線は窓の外へ固定したままで、側近の男に表情を見せようとはしない。そのため、彼女がどんな表情でそこに立っているのかを男が知ることはできなかった。

 お互いに話すべきことがなくなり、暫時の沈黙が挟まる。

『確かに、人間の中には未だに私たちに対する差別の感情が残ってる』

 不意に語り出したのはキプリの方だ。

『私たちは人間と距離を置く必要がある。私たちにとっても、人間にとってもまだまだ時間がいるって痛感したよ』

 それまでの里長であることを保った悠然たる姿ではなく、キプリという個人として言葉を紡いでいく。

 様々な意味で、エルクたちによって人間と蜘蛛族を結ぶ今の関係が明らかになった。今後、里の近くにやって来る人間はもちろん、山に踏み入る人間全体も念入りに監視することになるだろう。

『でも同時に知ることができたんだ。人間の中にはそうした輩だけでなく、エルクたちのような優しい人間もいるってことを』

 吹っ切れたように明るい調子で独白し、キプリは軽い身のこなしで男へと振り返る。

 そして力強い笑みを湛えながら、『キプリ』としての信念を堂々と宣言してみせた。

『だから私は――やっぱり人間を信じることにするよ』





 崖とみまごうほどの山肌に沿って木製の細い足場が組まれている。蜘蛛族の糸も利用して頑丈に造られているようで、少しばかり早足になって歩いても足場が揺れたり軋んだりすることは無かった。

「これだけでも充分面白いと思うんだけどなー。毎日見てるとやっぱり慣れちゃうのかな」

 メフィが手すりから体を乗り出し、興味深そうに支柱を眺めている。エルクのいた建物を出てからまだそれほど進んでいないが、早くも彼女の好奇心は大いに刺激され始めているようだ。

「メ、メフィさん、気を付けてくださいね」

「大丈夫だってば」

 心配そうなシューラをよそに、メフィは延々と続く足場の先まで視線を巡らせていく。


 格子のように組まれた木の支柱が描く複雑な直線の交差は、メフィでなくとも思わず見とれてしまうような美しさがある。埋め尽くすほど張り巡らされているわけではなく、最低限の構築で力を効率よく分散させているらしい。一見すると単純に積み重ねただけのようなそれは、よく観察してみれば精密な計算によって形成されていることが分かる。

 外界には存在しない建築技術であり、好奇心旺盛なメフィの欲求を満たすには充分だったようだ。

「でもホントにすごいです。きっと、木材をどう重ねれば丈夫になるのかもちゃんと考えられているんでしょうね」

「外じゃ山に何かを建てようとは考えないからね、普通は」

 それだけ、蜘蛛族の持つ土地は極端に限られてしまっているということなのだろう。彼らも好きでこんな過酷な土地に定住しているわけではないのだ。

 平地がほとんどないという土地条件によってこうした建築技法を編み出さざるを得なかった、というのが実際のところだろうか。

「やっぱり『知る』って大切ね。何も知らないでいるより色々なことが見えるようになるし」

 手すりから降りたメフィが感慨深げに溜息をつく。

 単に興味を引かれた建造物を眺めていただけだが、そこから感じ取れたものは決して少なくない。今まで漠然と捉えていた蜘蛛族の生活の実態だけでなく、彼らの技術力の高さや逞しさも同時に汲み取ることができる。

「もっと奥まで行ってみよう。これはいろんな発見がありそう」

 彼らのことをもっと知りたい。その単純にして重要な欲求に従うように、メフィは足取りを軽くして歩き始めた。一寸反応が遅れたシューラも慌ててその後に従う。

「ほ、ホントにほどほどにしましょうね? 何かあったらキプリさんにもご迷惑がかかりますし」

「分かってるってば。邪魔になっちゃったらこうして見て回ってる意味がないからね」

 なおも不安そうにするシューラにそう言いながら笑うメフィ。彼女は自分の感情に正直に行動するが、同時に自分の立場や周囲の状況もしっかりと把握して様々なことを判断しているようだ。

「ほら、行こう? もっといろんなことが分かれば、きっと蜘蛛族の人とも仲良くなれるよ」

「あ……そう、そうですよね」

 メフィの言葉を聞き、未だ不安をぬぐい切れていない様子だったシューラの表情にも安堵が表れる。

 あまりに緊張感のないメフィの振る舞いに少なからず戸惑いを覚えていたのだろう。彼女がきちんと考えて行動していると分かり、落ち着けないままメフィの挙動を気にしていたシューラも安心して胸をなでおろした。

「わあっ、ほらほらシューラ! あそこに畑みたいのがあるよ! ちょっと見に行ってみよう!」

「ああ、待ってくださいよぅ」

 足場の続く先に新たな標準を発見したメフィが突然走り出す。

 やはり反応の遅れたシューラは困った表情をしながらも、どこか楽しそうな微笑を浮かべて彼女の後をついて行った。


「あっそういえば」

「きゃっ」

 走り出したメフィがいきなりその足を止める。彼女について走っていたシューラは、その勢いのままメフィの背中に激突してしまう。

「ひ、ひどいですよメフィさん」

「ゴメンゴメン。ちょっと思い出したことがあってさ」

「思い出したこと、ですか?」

 ぶつけた鼻をさすりながらシューラが尋ねかける。メフィはそんな彼女の方へ振り返ると、悪戯を思いついた子供のような表情でシューラの肩に手を置いてきた。背筋を冷たいものが這っていく感覚に襲われたシューラは、思わず体をビクリと震わせてしまう。

「なっ、なんですか?」

「せっかくだし、シューラにも教えてあげる。あのね――――」

 妙に艶めかしい雰囲気をまとったメフィが、顔を近づけてシューラにそっと耳打ちをする。

 それを聞いた瞬間、シューラはわずかに目を見開いた。

「……それ、ホントですか?」

「ホントだよ。どう? 考えるだけでニヤニヤしちゃうでしょ」

 肩をポンポンと軽く叩いて手をおろしたメフィは、言葉通り底意地の悪そうな微笑を浮かべている。普段ならば嫌な予感を覚えて警戒するところだろう。

「そう、ですね。ニヤニヤしちゃいますね」

 だが話を聞いたシューラは、メフィにつられるようにして楽しげに笑って見せた。





 ゆっくり休もうと睡眠をとることにしたエルクだったが、深く寝入ることができなかったようだ。

 目を覚まして外の様子を見ると、目を閉じてからあまり時間が経過していないことが分かった。眠り自体も浅いものだったようで、体の重くだるい感覚が残ってしまっている。

 最近上手く寝付けなくなっていることや、時折走る腕の痛みなどもその一因だろう。単に明るい時間の就寝に慣れていないせいでもある。眠気を感じなくなったことで、膨大に余った時間を寝て過ごすことも難しくなってしまった。

 部屋の中にあるのは現在使用している二脚のベッドくらいで、装飾品の類も一切置いていない。見ていて興味を引くものなど何もなく、窓が離れているせいで外の景色も面白みがない程度に小さく収まってしまっている。

 寝る前の会話からシオリに声をかける気分にもなれず、いよいよすることがなくなってエルクは肩を落としてため息をついた。

 変化のない空間で時の流れを実感できず、ゆっくりとした自分の心臓の音までもが耳に聞こえてきている。大広間のように鳴子の一つでも取り付けてあれば、まだ精神的に楽だったかもしれない。

 誰か話し相手がほしい。メフィかシューラでも帰ってきてくれないだろうかという、自分でもあり得ないと思える願望をつい抱いてしまう。

 その為だろうか、エルクの耳は少しずつ部屋に近づいてくる足音を敏感に聞き取った。

 思わず視線を向けると同時に扉が静かに開く。

『あれ、起きてたんだ。することないから寝てると思ってたよ』

「あ、キプリさん」

 部屋に戻ってきたキプリは、目を覚ましているエルクに気がついて軽く手を挙げた。

 想像していなかった人物が戻ってきたわけだが、今のエルクにとっては喜ばしい登場である。

「そちらの仕事は終わったんですか?」

『今日のところはね。細かいことは、もっと人を集めて話し合って決めないといけないから』

 扉のすぐ横にもたれかかってキプリが苦笑する。里長といえども、あらゆる決定権をその身一つで背負っているわけではないらしい。

『とりあえずエルクの言った通りになるのは間違いなさそうだけど』

「というと?」

『里の警備のことだよ。里の近辺からヒューク山全体まで、防衛機能と制度の充実を図ることになると思う』

「やっぱりそうなりますか」

 おおよその予想はできていた話だ。同族が里の近くで襲われたとなれば、周辺の地域において警戒を強めるのは当然だろう。特に驚くこともなくエルクはすんなりと納得する。

「わざわざそれを伝えに来てくれたんですか?」

『いやいや、そうじゃない。あっちの用事はこれでひと段落ついたし、落ち着いたようだったらそろそろシオリの父親について聞こうと思ってね。それに、どうせシオリとは会話できなくて暇だっただろうし』

 エルクの様子を見ながらキプリがウインクをして見せた。悪戯っぽい笑顔はいかにも挑戦的だったが、図星だったエルクは何も反論できない。

「……その話はシオリが起きている時の方がいいのでは」

 隣のベッドで毛布に潜り込んでいるシオリの方を見やる。エルクが一度眠る前の体勢から動いていないので、彼女も寝てしまっているようだ。

「このためだけに起こすのも可哀想ですし」

『確かにね。まあでも大丈夫だよ。ここまでの話はちゃんと聞いてたみたいだから』

「え?」

 意味を測り兼ねて訊き返したエルクにキプリは言葉を返さず、追い詰めるような足取りでシオリのベッドにゆっくり近づいていく。

『寝たふりっていうのはむしろ暇を助長しないかな、シオリ?』

 腕を組み、ほくそ笑みながらシオリを見下ろす。

 少しだけ時間を置き、微妙な表情をしたシオリがのそりと体を起こした。

「あ……起きてたんだ」

「…………」

 声をかけた途端に真っ赤な顔で睨み付けられる。その心中を察し、エルクはそれ以上触れないことにした。

『そういうところの忍耐はあるよね、お父さんに似て』

『里長、イジワル』

『やだな、そんなに褒めたってお茶請けくらいしか出ないよ』

「お茶がないのにお茶請けって……」

 キプリが状況を楽しんでいるのは明らかだったが、エルクにもシオリにも非難する余力は残っていない。できることといえば、その楽観思考を何も言わずに呆れることだけだ。

『私のことはいいから。でもシオリ、彼から話を聞きたいならシオリからもちゃんとお願いするのが筋じゃない?』

『それは、そうだけど』

 だが指摘された点はシオリも気にしていたらしい。キプリを非難するような視線から一転、気まずそうに目を逸らして唇を尖らせている。

 しかし自身の中で納得ができたのか、すぐに表情を引き締めてエルクに向き直った。

『エルク、ま、前は、ゴメン』

「前? って……シオリの家の時の?」

 こくこくと小さく頷くシオリ。幼い子供のような仕草ではあるものの、申し訳なさそうにしている様子は彼女が心から謝罪していることを窺わせる。

 初めて会った時と比べ、彼女の中で確実に何かが変わりつつあるようだ。

『改めて、お願い。パパのこと、教えて』

 脅迫とは違う、明らかに柔らかい物腰で尋ねかけられる。言葉数こそ最低限だが、彼女が本気でエルクからの話を聞きたがっていることは痛いほどに伝わってきた。

 彼女の瞳がじっとエルクを見据える。そこに人間に対する嫌悪や自身の逃避などは一切なく、ひたむきに父親のことを知ろうとする子供の姿があった。

「……うん。確かに、話すなら今がちょうどいいのかもしれない」

 これ以上先延ばしにする必要はない。彼女の決意と期待に、今ここで応えよう。

 その思いの下、エルクは静かに語りだす。


「どこから話したらいいかな……僕たちがここを目指すきっかけをくれたのがシオリのお父さんだったんだよね」

 レクタリアで一人の男性に出会った時のことを思い返していく。

 それほど長い時間会っていたわけではないものの、シオリとキプリに伝えておくべきことは多い。キプリにとっても里から離れて音信不通の同族であり、シオリに至っては長らく別れたままの父親に関することである。エルクにとっては些細なことでも、彼女にとっては喉から手が出るほど貴重な情報なのだろう。

「シオリにはもう話してあったっけ。お父さんに頼まれて、シオリに宛てた手紙とペンダントを届けることになってね。実際に会ったのはその時だけなんだけど」

『どこ、どこにいたの?』

『シオリ、そんな慌てないで』

 体調も気にかけずに身を乗り出したシオリをキプリが抑える。はやる気持ちを抑えきれないようだ。

 無理もないだろう。五年も会っておらず、これまで安否も確かめられなかった肉親のことを教えられているのだ。シオリの家では邪魔が入って話しそびれたこともあり、一刻も早く聞きたいという彼女の渇望は非常に大きいものとなっているだろう。

 そんな彼女に遠回しな表現は酷だ。そう考え、エルクは焦らさずストレートにその情報を伝えることにした。

「僕たちがお父さんと会ったのは、レクタリアっていう街」

『レクタリア?』

「この山の南の方にある、昔の遺跡をそのまま街にしましたって感じのところ。歩いて何日かで着けるくらい近いところにあるよ」

「……」

 目を大きく見開いてシオリが硬直する。彼女の心にレクタリアの文字が刻みこまれた音が、エルクの耳にまで聞こえてくるかのようだった。

 最も知りたかったことを聞けたためか、その直後に黙り込んで俯いてしまう。これだけでは様々な疑問が残されたままとなるため、キプリが代行して質問を続ける。

『どうしてエルクたちに頼んだのかな。彼も人間を快く思ってなかったはずだし、それに人間に捕まって外界に連れて行かれたのならなおさら人間を信用しなさそうなものだけど』

「それは僕もよく分からないんです。ただ、少し言葉を交わして『信用に値すると判断した』とは言われました」

『ああ、なるほど』

 会話をした、という部分でキプリが納得したように頷いた。それほど説得するようなことを言っただろうか、とエルクは首を傾げる。もっともそれは今の議題ではないので深くは考えないことにした。

『問題は、そんな大切なものをどうして君たちに託さなければならなかったのかって点。そもそも彼が会話をしようとしたってこと自体が意外だよ。それはつまり、彼がどうしても人間と言葉を交わさなきゃいけないような状態に陥っていると捉えていいのかな』

「はい……彼は病気にかかってしまったようで、自力では身動きが取れない状態でした」

「!」

 何か考え事をしていたシオリが驚いた様子で顔を上げた。

 彼女の言いたいことは聞かずとも分かるので、それより先にエルクから続きを口にする。

『病気だって?』

「どういう病気なのは聞いていません。人間の医者では治療できない、蜘蛛族特有の病気だったみたいです」

『そ、そんな』

 青ざめた顔のシオリが絶望をにじませた声で呟いた。不用意に話し過ぎたとエルクは反省し、彼女を安心させるべく慌てて事の顛末を追加して伝える。

「あ、えっと、大丈夫。シューラがその病気の直し方を知ってて、僕たちで薬を作って渡したから。治療にはしばらくかかるみたいだったけど、もう心配ないってお父さんも言ってたよ」

「……」

 治療はされていると知り、ショックを受けていた様子のシオリも胸をなでおろす。ただ、病気にかかっているという事実の分はどうしても落ち込んでしまうようだ。

 本心では、すぐにでも父親の下へ向かって看病したいと願っているだろう。しかし、外界の危険を踏まえてこれまで通り里で帰りを待つ方が堅実とも考えられる。

 彼女がどうするつもりなのか気になっていたエルクは、思い切って直接訊ねてみることにした。

「シオリは、怪我が治った後はどうするの? お父さんに会いに行くの?」

『分からない』

 既に結論を出しているだろうと考えていたエルクにとって、それはいささか意外な答えだった。

『パパには会いたい。でも、人間が怖い』

「そっか……」

『もう、あんなのは嫌』

 彼女は先日、外界の人間によってもう少しで攫われるという体験をした。黒服の連中とどのようなやり取りがあったかエルクは知らないが、捕まっていた際に涙を流すシオリをエルクは目撃している。それほどに恐ろしい思いをしたというのは想像に難くなく、そのことを忘れられるほどの時間も経っていない。

 そんな今の彼女に、すぐに決断を迫るのは酷だろう。

「……辛い時は、僕たちも力になるよ。大したことはできないかもしれないけど」

「……」

 ぎこちなく笑ってみせると、シオリもわずかに微笑み返してきた。エルクなりの精いっぱいの気遣いは、どうやら汲み取ってもらえたようだ。

『考える時間はたくさんあるさ。今は二人とも、怪我を治すのに専念しないとね』

 キプリが安堵した様子でシオリの頭を撫でた。

 子ども扱いされたと思ったのか、はにかんでいたシオリがキプリを見上げてふくれっ面になる。だが薄く頬を染めているので、それほど悪い気はしないらしい。

『しかしあれだね。一連の話を踏まえると、一つどうしても気になることがある』

 シオリの頭に手を置いたまま、キプリがエルクに向かって話を振ってきた。

「気になること、ですか」

『そう。彼を連れ去っていった人間のことなんだけどね』

 キプリが空いている手を頬に添えて難しそうな顔になる。

『自力で動けないほどの病気のシオリの父親に会ったってことは、誰か外の人間が彼を看病していたってことになるよね? 彼が蜘蛛族だと知ってたかどうかは別にして』

「ええ、はい。その人も僕たちと同じように、蜘蛛族という存在そのものを知らなかったみたいです」

 異種族について研究していたので知っていたとも言えるが、シオリの父親との会話での態度から実在するところまでは確信していなかったのだろう。どちらにしても、彼女が蜘蛛族を差別していたという可能性はほとんど無い。

『そこなんだよ。エルクたちやその人間みたいに差別そのものから知らない人間と、徹底的に迫害しようとする人間。この二種類の人間が存在するってことは、どうも人間の世界の方でも穏やかじゃない構図が組み上がってる気がするよ。少なくとも、人間っていう一括りに収まらないのは間違いないね』

 冷静に情報を分析・整理していくキプリに、エルクは思わず息を呑んだ。

 限られた情報から事実を見つけ出していく推察力には目を見張るものがある。彼女が只者ではないというのは分かっていたことだが、こうして高い能力を見せつけられると改めて彼女が里長であることを認識させられてしまう。

 彼女の推測は確かに的を射ている。誰もが異種族を迫害しているという事実はなく、そもそもその存在自体を知らない人が多い。黒服の男たちのような人間が異種族を弾圧している一方で、アドネッセのように彼らと共存している例もある。

 黒服の男は自身をテロ集団の一員だと名乗った。詳しい関係性は分かっていないが、あの場でテロリストと名乗るからにはまったく無関係ということもないだろう。

 まだ推測の域を出ないが、あのテロ集団こそが異種族迫害の中枢である可能性も十分にありうる。キプリが示唆しているのは、おそらくこのテロ集団のことだろう。

 襲われていた際のシオリの様子を思い出し、エルクはテロ集団に対する怒りを沸々と再燃させた。メフィほど彼らに固執しているわけではないが、それでも彼らのことを考えると不快な気分になる。

『そのあたりのこと、知っていることで構わないから教えてもらえないかな』

「……はい。彼らは、僕たちにとっても色々とある相手ですから」

 キプリの問いかけに、エルクは大きくはっきりと頷いた。

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