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ぼくらの天使  作者: 半導体
二章
36/56

35話 変化

 正方形にかたどられたその部屋は、藁を編みこんだような奇妙な板で床が敷き詰められていた。同方向に揃えられた藁の模様が平行になるよう板が整然と並んでおり、乾燥した植物の匂いがほのかに鼻に届く。

 特別に大きく造られた部屋ではないはずだが、どの部屋にもあるようなテーブルや椅子といった調度品が置かれていないためか実際以上に広く感じられる。薄い紙で蝋燭を囲った独特な照明器具が四隅から室内を照らし、この一室だけが異国につながっているのではないかと錯覚させる。

 何度見ても慣れることのない不可思議な空間に、立ち入った男はしばし息を呑んで見とれてしまった。

「報告か?」

 部屋の奥から響いた言葉で、男の意識が現実に引き戻される。

「は、はい。先日の、ヒューク山における作戦の結果を報告に参りました」

「そうか」

 部屋の奥に一つの影が鎮座している。藁の板の上で正座をし、報告しに来た男に背を向けているようだ。屈強な体格を誇る長い白髪の男性であることは分かるのだが、照明の光が充分行き届いていないためにそれ以上のことは判断できない。

 影は無言のまま男の報告を待っているようだ。その意図に気付き、男は慌てて手にした書類の束をめくり始めた。

「おおむね成功したようです。こちらから接触した後、『奴ら』が何らかの活動した様子は確認できませんでした。最初に目撃された二人組の他に増援がいる様子もなく、その二人もすぐにヒューク山近辺から離れたようです」

「ふむ」

 言葉少なに影が納得を示す。その短い一言にも巨大な重圧感が含まれており、男は全身の肌が焦げるような感覚を覚えつつさらに報告を続けた。

「ですがその際、予期せぬ事態が起きていたとのこと」

「ほう?」

 わずかに興味を抱いたのか、声の調子が変わる。

「奇妙な子供たちがその場にいたそうなのです」

「子供……?」

「はい。どうやら黒服の二人組の片側と交戦し、退けたようで」

 手元の資料をめくっていき、細密に記載された当時の出来事を読み上げていく。そうして文章に集中しなければ、男は部屋の奥の影の存在感にとても耐えられないと感じていた。

 しばらくの沈黙が挟まる。最低限報告すべきことは伝えたので、あとは影からの指示を待たなければならない。

「……その子供の特徴は?」

「はい。具体的な内容につきましては後ほど、まとめた資料をお渡しします」

「うむ、頼む」

 そこまで確認すると、影がゆっくりと立ち上がった。思わず姿勢を正した男に、影から事務的な言葉が浴びせられる。

「ご苦労。下がっていいぞ」

「は、はい」

 影が男の方を向いたようだが、それを直視できる勇気など男は持っていない。慌てて深々と一礼をした男は、相手の顔を見ることなく逃げるように退室してしまった。

「ふむ……」

 一人となった影は、何かを思案するように顎をさする。

 そして誰も聞いていないと知りつつ、あえて率直な疑問を口にした。

「……私は、そこまで恐れられるようなことをしたか?」






『絶対安静だよ、二人とも』

 キプリから通達されたそれは、ある意味誰もが予測できていただろう。

「だってさ、エルク」

「聞こえてたよ……」

 皮肉めいた視線を向けるメフィに、ベッドに横になっているエルクは上手い反論ができずに顔を逸らした。自分を運んでくれたのも彼女なので、あまり偉そうなことは言えない。

「シオリさんもですよ。もう無茶したらダメですからね」

「……」

 エルクの隣のベッドにいるシオリも、シューラから咎められてエルクと同じ表情をしている。何も言わないが、考えていることは同じだろう。


 現在エルクは、キプリの用意した部屋に寝かされている。当然ながら、一連の事件で負った怪我の治療のためだ。ほとんど腕の傷とはいえ、かなりの血液を失ってしまった影響は決して小さくない。

 一命は取り留めたものの、迂闊に動くこともままならない状態となってしまったのだ。当時のことを鑑みれば、今こうして生きているだけで幸運なのかもしれないが。

『完治するまでは動かないようにね。傷が開いたら今度こそ死ぬかもしれないよ』

 キプリからもそう釘を刺されれば、エルクとしても諦めてしばらく世話になるしかなかった。

「エルクさん、せっかくですからゆっくり休んでくださいね」

「うん、ありがとう」

「早く治さないと置いてっちゃうから」

「あのね……」

 未だ心配そうにしているのはシューラだけで、命に別条がないと知ったメフィはすっかり普段通りの彼女に戻ってしまっている。物理的に何かを仕掛けてくることはないが、その分言葉の攻撃に容赦がない。逃げることも叶わないので、全快するまでは大人しく聞き入れるしかなさそうだ。

『まあ、シオリを助けてくれたことは本当に感謝してるよ。私たちだけではどうしようもなかったことだから』

 エルクたちのやり取りを笑いながら眺めつつも、キプリは真面目な様子で謝辞を伝えてきた。シオリ捜索の際は自ら動くことのできなかった彼女だが、それを今も気にしているのかもしれない。

「仕方ないですよ。指導者に万が一のことがあったら、蜘蛛族全体が危機に晒されることになるわけですから」

 エルクたちとキプリは置かれている立場が違う。過酷な環境で暮らす蜘蛛族には、なおさら彼女のような人物を欠かすことはできないはずだ。

 最終的にエルクの手当てまで行ってくれているので、エルクとしてはキプリも充分できることをしてくれたと考えている。少なくとも彼女を非難するつもりは毛頭ない。

「だから気にしないでください。もうその話は無しの方向で」

「……私も、あの時はちょっと言い過ぎた。ごめんなさい」

 当時キプリに激昂していたメフィも頭を下げる。彼女もまた、そうした立場の違いを受け入れて理解したらしい。

 メフィに謝られたキプリは少しだけ驚いた顔をした。そう言われたことが意外だったようだ。

『ああ、本当に優しいんだね、君たちは。ありがとう』

 感慨深そうにそう呟き、彼女も深く頭を下げた。


「キプリさん、エルクさんの怪我はどのくらいで治りますか?」

 会話が一区切りついたところで、それまでシオリの容体を気にしていたシューラがおずおずと手を挙げた。エルクに呆れた眼差しを向けていたメフィも、それを一時中断してそちらの会話に耳を傾ける。

 エルクの怪我の具合は、エルクたちが出発できる日付をそのまま左右する。エルクの容体そのものを抜きにしても、大体の目安くらいは把握しておきたい事項だ。

 問いかけられたキプリはエルクの傷を大まかに眺めまわし、少し考え込みながらもおよその日数を提示した。

『うーん、一週間はかかるかな? 本人の回復力にもよるけど』

「一週間、ですか」

 複雑な表情でシューラが復唱する。

 怪我の度合いから見ればかなり早いレベルだが、足止めの期間と考えると少々長く感じられる時間だ。急ぐ旅ではないので深刻に考え込む必要はないのがせめてもの救いだろうか。

「一週間かあ。それまでずっとここにいるのもヒマね」

 メフィが退屈そうに背伸びをする。既に彼女の思考は一週間の間の退屈しのぎに移行しているようだ。

「僕はずっとここから動けないんだけど」

「怪我人だから当たり前でしょ」

「仰る通りです……」

 ハッキリと断言され項垂れるエルク。一週間ベッドに束縛されるとなれば、気の滅入らない人間はそういないだろう。

 そんなエルクをよそに、メフィはある意味当然の結論へ至ろうとしていた。

「キプリ、里に出ちゃダメかな?」

『里に?』

「うん。せっかく蜘蛛族の里まで来たっていうのに、まだどこも見て回れてないんだもん。出発する前に少しくらい散策してみたいと思って。シューラも一緒に来るよね?」

「えぇっ、わ、私もですか!? うう、は、はい、ご一緒します……」

 勢いに押されて頷いてしまうシューラ。こういう時、彼女はどうしてもメフィに逆らえないようだ。

「このままこの建物から出ないで過ごすなんてつまらないじゃない。そんな退屈な一週間なんてゴメンよ」

『里もそこまで面白いところとは思えないけど』

「そんなことないよ? 私にとっては、蜘蛛族の人たちの場所ってだけでワクワクできるし。あ、もちろんお仕事とかの邪魔はしないつもりだけどね」

 あくまで自分の意見を主軸に話をするメフィ。爛々と自分の希望を述べていく彼女は、しかし自分の言葉の意味するところもしっかりと理解しているようだった。

 蜘蛛族にとって人間は忌避の対象となっている。キプリのように先入観を捨てて接してくれれば問題はないのだが、蜘蛛族の誰もがそうであるとは考えにくい。人間であるメフィがそんな蜘蛛族の中を歩いていれば、当然ながら幾ばくかの危険が伴うことになるだろう。

 それを把握した上で、メフィは里を見学したいと言い出したのだ。

「いや、やめといたほうが……」

「エルクは黙ってて」

 本心から心配しての忠告だったが、今のエルクには発言権すら与えられないらしい。

『うーん、難しい要望だね』

 さすがのキプリもすぐに判断することはできないようだ。困ったように笑いながら腕を組んで思案を始める。

『シオリを助けたっていう話は蜘蛛族の間にも広まっているみたい。だから、以前みたいにみんなピリピリはしていない、と思うけど』

 言葉を濁すキプリ。突拍子もない提案に少なからず困惑しているのが分かる。

『個人の感情までは私も把握しきれないから、絶対安全とは言い切れないけど。本当に大丈夫? 私も一緒についていこうか?』

「いいよ、そこまでしなくても。勝手に見て回りたいだけだし、キプリにも仕事があるでしょ? だいじょーぶ、危ないと思ったらすぐに逃げるから」

 そういう問題ではないとエルクは突っ込みたかったが、嬉々とした表情で理想を語るメフィに意見をする勇気は持っていなかった。一週間どころではない時間をベッドで過ごすのは色々な意味で避けなければならない。

「……」

 キプリが悩んでいるのは傍目のエルクにもよく分かった。メフィとシューラの身の危険に直接かかわる決定なので当然だろう。

 やがて決意が付いたらしいキプリは、相変わらずの苦笑交じりの笑顔だった。

『ダメって言っても聞かないでしょ?』

「うん」

 即答するメフィ。なぜそこまで自信満々なのかは彼女以外の誰にも分からない。

『本当に、他の人を刺激しないように気を付けてね?』

「分かってるってば」

『もう、仕方ないね。私からも話は伝えておくから、自由に見て回っていいよ』

「やった! キプリ、ありがとう!」

 明確に了解を得られた途端、メフィは眩しいほどの笑顔を浮かべて喜びを表現した。

 計算なのか天然なのか、その笑顔を見ていると彼女のどんな無茶も「仕方ない」の一言で片づけてしまえる。単に可愛らしいだけではない、どこか憎めないような不思議な魅力に溢れているのだ。

 苦笑いを顔に湛えたままキプリが溜息を一つつく。それは諦めというよりも、そうしたメフィらしさを受け入れた証のようなものなのかもしれない。

「じゃ、行ってくるね!」

『えっ』

 そしてメフィの突然の宣言にキプリは驚きを露わにする。

「ホントにありがとね」

『ちょっと、私はまだ』

 確かに見て回っていいとキプリは言った。しかしそれは、里の住人に話を通しておくという前提の上での是認だ。当たり前だが、今はそんな話など全く伝わっていないだろう。

 慌てて引き留めようとした時にはメフィは既に駆け出しており、制止の手が虚しく空を切る。

「ほらシューラ、早く!」

「え、えええ!? ひゃああぁぁぁ!」

 走り出しながらぼんやりとしていたシューラの手首を掴んだ。いきなりのことでシューラは抵抗もままならないままメフィに引っ張られていく。

「す、すみませんエルクさんキプリさん! 失礼しま――」

 シューラの言葉は、勢いよく閉じられた扉によって最後まで聞きとることができなかった。


「……」

 気まずい沈黙が場を包む。

『エルク、きっと苦労してるんだろうね』

「……分かってくれますか」

 呆然としながらのキプリの同情に、エルクもまた苦笑を持って返した。




『それじゃあ、私もそろそろ行くよ。あの二人のことをできるだけ伝えておかないといけないし。くれぐれも外出しようとは思わないようにね』

「分かってますよ」

 メフィたちが退室してからしばらくして、キプリもその足を室外へと向けた。里長としての仕事も当然あるはずなので、いつまでもここに滞在しているわけにはいかないだろう。誰かがつきっきりで看病しなければならない訳でもないので、エルクは彼女を引き留めるようなことはしなかった。

 パタン、と軽い音がして扉が閉まる。

 それにより、エルクは音の消失した世界に取り残された気分になった。

「……ふぅ」

 ため息をつき、起こしていた体をベッドに倒れこませる。頭が柔らかい枕に受け止められ、その重みでわずかに沈み込んだ。

 騒々しい時間だったが、何も変化のない退屈な時間よりはましだろう。いなくなってみると、やはり傍にメフィやシューラがいないというのはどうしても落ち着かないのだ。

 彼女たちに依存していたつもりはなかった。だがこうして一人になると、心にぽっかりと穴が開いたような虚しさを覚えてしまう。そうした意味では、やはり彼女たちに依存している部分があるのかもしれない。

 ただ、それについて考察する意味がないとエルクは分かっていた。

 何を考えようとも、今ここに彼女たちがいないという事実は変わらない。メフィの興奮した様子から察するに、少なくとも日が暮れるまでは帰ってこないだろう。

 それまでぼんやりと過ごすのもなかなかに苦痛なので、エルクはしばらく眠ってしまおうとそのまま目を瞑る。


『エルク』

 その直後、思わぬところから呼びかけがあった。

 隣にいるシオリだ。

『いい?』

「え、うん。いいけど」

 メフィやキプリがいる間、彼女は一言も何かを喋ろうとはしなかった。もともと自分から積極的に話しかける性格ではないと分かっていたエルクは、無理に彼女を会話に巻き込むこともないと考えてそっとしておいたのだ。

 それだけに、ここでシオリの方から話しかけられたことは意外に感じていた。

「急にどうしたの? あ、お父さんのこと教える約束だったっけ」

『そ、それも、だけど』

 里に来る前の約束を思い出してエルクから問いかけてみるが、どうやら今のシオリは別のことを考えていたようだ。

 あれほど渇望していた父親の話より優先したいことというのがエルクには思いつかない。

 寝ていた体を起こしてシオリの方を見ると、非常に話しにくそうに眉尻を下げている彼女と目が合った。それに気づいて慌てて視線を逸らすシオリは、なぜか頬がうっすらと赤みがかって見える。

『パパのことは、ちゃんと、落ち着いてから』

「なるほど。じゃあ今の用事は?」

『そ、その』

 糸を介しても分かる、戸惑うシオリの心情。口から発していないはずの言葉で口ごもっているのは、適切な単語を見つけられずにいるからだろうか。

 急かしても仕方がないので、彼女の中で整理がつくまでエルクは黙って待つことにした。

 やがて、消え入りそうなか細い声で一言。

『ありが、とう』


 どう言葉を返していいか分からず、しばらく口を噤む。

「えっと……何に、対して?」

 もっと気の利いた言葉もあっただろう。言った傍からエルクは自分の発言を後悔する。

 だがそれに対するシオリの返答もまた、愚直なまでに分かりやすいものだった。

『パパのこと。それから、助けてくれたこと』

 エルクに横顔を向けたまま、シオリは呟くように説明を続けていく。素直にお礼を言うことに対して照れがあったようで、エルクたちを詰問しようとした時よりもはるかに声量が少ない。

「いやそんな、気にしなくていいよ。当然のことだと思うし」

 誰かを助けに行くのに理由は必要ない。エルクにとって当たり前のこの信条は、なぜか他人には理解されないことが多いようだ。

『でも』

「この腕だって、シオリのせいで怪我したわけじゃないよ。悪いのは全部あの黒い奴らだから」

『でも、違う!』

「……」

『エルクたちは人間なのに! あたしたちとは違うのに!』

「シオリ……」

『なんで? なんであたしなんかの、ために』

 ――ああ、そうか。

 そこまで聞いて、エルクはようやく彼女が何に納得できずにいたのか理解した。

 彼女にとって、人間とは『そういう存在』なのだ。

 自分たちを見下し、自分たちが嫌悪する存在。そして何より、自分の父親を奪い去った憎き存在。

 そんな人間であるエルクたちが、動けなくなるほどの怪我をしてまで自分を助けてくれた。彼女がどれほど人間を憎んでいるのかを知ることはできないが、それまでの彼女の価値観を大きく揺さぶるほどの衝撃を受けたのは間違いないだろう。

 その衝撃は、彼女にとってはショックなものだったかもしれない。

 里でも孤立しているという彼女は、人間に対する憎悪によって独りぼっちの自分を支えていたのだ。その支えを失いそうになって、今はどうしていいのか分からなくなっている。

 それでもシオリは、エルクに「ありがとう」と言ってくれた。エルクが自分を助けに来たことを認め、それに対して素直に感謝の意を表したのだ。

 エルクにとって、これほど嬉しいことはない。

「……シオリの思っている通り、人間にも悪い奴はたくさんいると思う」

 彼女を落ち着かせるべく、エルクは懸命に言葉を探し出して紡いでいく。

「むしろ、悪い人の方が多いかもしれない。人間の社会を見てきた僕もそう思ってる」

「……」

「それでも……シオリは、僕たちのことを認めてくれた。胸を張って仲良くなったって言えるくらいにはならなかったけど、『友だちになろう』って言ったメフィの手を取ってくれた時は、僕も嬉しかったよ」

「!」

 一瞬で顔が真っ赤になったシオリが口をパクパクと動かす。その時のことを思い出したようで、猛烈な勢いで恥ずかしがっているのがよく分かった。

「理由っぽいのなんて、強いて挙げるとしてもそれくらいだよ。シオリが人間を嫌いっていうのも知ってるけど、だからって僕たちにシオリを嫌うつもりはないし」

『り、理由になってない』

「うん。だからもともと理由なんてないんだよ。僕にとってシオリはシオリだし、たぶんメフィやシューラも同じように考えてると思う。蜘蛛族とか人間とか、そういうのを気にしたことなんてないからね。助けたいから助けた――そういう感じかな」

『そんなの、よく分からない』

 混乱した様子でシオリが首を振る。彼女自身の中でも、人間に対する新たな評価が生まれ始めているのだろう。

 それを認めたくないからこそ、彼女はこうしてエルクの言葉を頑なに否定しようとするのだ。

 それを覆せるなどと奢るつもりはない。彼女に大きな影響を与えられるなどと意気込むつもりもない。

 エルクはただ、彼女がそうした一面を見せてくれたことが嬉しかったのだ。

「人間のことを信じて、っていうのは虫が良すぎるだろうけどさ。でも、これだけは言わせて」

 メフィの手を取った時の彼女を、エルクにありがとうと言った時の彼女を思い返す。

「シオリ……僕たちの方こそ、本当にありがとう」

 自分たちを受け入れてくれた彼女に向けて、エルクは心からの感謝を口にした。



「――――!」

 一瞬だけ半泣きの表情を見せたシオリは、それを誤魔化すように勢いよく毛布に潜り込んで背を向けてしまった。

 糸の交信も遮断され、意思の疎通をこれ以上図ることは難しいだろう。たとえ口が利けたとしても、今の状況で彼女がエルクと会話をするとは考えにくい。

 ただ、言いたいことは言えた。エルクにとってはそれだけで充分だった。

 体力を回復した後、彼女がどうするのつもりなのかはハッキリしていない。これまで通り父の帰りを待ち続けるのか、里を離れて自ら父親に会いに行くのか。

 全ては彼女自身が決めることだ。それ以上は介入するまいと心に誓ったエルクは、改めてしばしの睡眠に身を委ねることにした。

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