34話 交錯
ざわり、と空間が揺らいだ。
風が吹いたわけでも、鳥や獣が飛び出したわけでもない。だが男がその一言を放った瞬間、確かにこの場を占める空気は変貌を遂げていた。
「テロリスト……」
怨嗟を込めた瞳で男を睨みつけるメフィ。奥歯を噛みしめる音がエルクにまで聞こえた。
テロリスト――エルクとメフィの故郷である、レダーコールを崩壊させたとされる謎の一派だ。エルクとメフィがこの旅に出た目的でもある。
その目的や規模もほとんど判明しておらず、個人で追跡するにはあまりにも情報が足りない。意気込むメフィに対し、エルクはあまりテロ集団を追うことに現実味を感じていなかった。
そのテロリストの一人が、今、目の前にいる。
「ナイフは、人を傷つける道具だ」
何の前触れもなく、男は悠然と両手を広げて語り始めた。四人からの殺気を一身に受けてもまるで動じていない。
「無論、他人を怪我させる以外にも使い道はあるだろう。だがしかし、ナイフを表す本質として『武器』という項目を外すことはできない」
既に身構えていて真剣に耳を傾けていないエルクたちを前に、まるで彼らが聴衆であるかのように男は独白を続ける。
「時に悲哀を、時に憤怒を生み出す悲しき道具だ。この世に闘争というものが存在しなかったとすれば、この悲しき人の傀儡ははたして存在しえたのだろうか」
顔に浮かんだ狂笑が見る間に凶悪さを増していく。通常ならば無視されているだろう言葉の羅列は、男が攻勢に転じる瞬間をエルクに分からなくさせていた。
「だからこそ、俺は感謝しなければならない。ナイフという一つの究極点を生み出した闘争というシステムを! そして同時に誓おう、そうして生み出されたナイフを、下品な使い方などで辱めたりはしないと!」
ネジの外れたような言葉に力がこもり始める。それに比例して男の殺気が膨れ上がり、緊張感は否が応でも高まっていく。いつ襲い掛かってくるのか読めず、エルクは集中を切らさずにナイフを構えた。
「……ハッ」
興奮が最高潮に達しようかというところで、男が両手を下ろしてゆらりと体を傾ける。
その僅かな動作が、開戦の合図となった。
男が一気に加速してエルクに迫る。
「うっ!」
首筋を狙って放たれた一閃をナイフで受け止める。刃の触れ合った瞬間、爆発を思わせる火花が七色に輝いて散った。
想像以上の力がナイフから伝わり、エルクは改めて相手が相当の実力者であることを悟る。
「くっ……」
そのままナイフ同士での奇妙な鍔迫り合いが続く。お互い片手で得物を握っているせいか微かに震えており、この均衡がいつ崩れるか当人同士でも全く分からない。
「メフィ、シューラ! 今のうちに早く!」
「え、あ」
後方で傍観している三人に大声で指示を出す。刹那の出来事に呆気にとられていたらしい彼女たちは、その声でようやく我に返ったようだ。
「シオリを連れてここから離れて!」
「行かせると思うのか?」
割って入った男の言葉で三人の動きが止まる。
「俺が一人だけでここに来ているとは限らないだろう。他の仲間に見つかればそれまでだ」
男の挑発に反論することができず、エルクは唇を噛みしめた。
他にも敵がいることはエルクたち自身も確認している。この男が戻ってきたのだから、もう一人が近くにいる可能性は決して低くない。
「エルクさん……」
「……ここで見つかるよりマシだよ。いいから!」
「そう焦るな。じっくり見ていってからでもいいだろう? 目の前で、仲間が切り刻まれていく様を」
「最低……!」
メフィがいきり立つが、結局のところ何もできないことに変わりはない。彼女やシューラ、負傷したシオリが介入できるような相手でないことは誰もが理解していた。
「それに、逃げられるとこちらとしても困るからな。目撃者は多い方がいい」
「何が言いたい」
意味深な呟きにエルクが訊き返すが、男はそれに無言で答える。そして代わりに、狂気を僅かに取り払った笑顔で別の情報を口にした。
「まあ実際、あの三人をここから逃がすのは利口じゃない。俺の仲間は厄介な二人組を相手にしてて、こっちに来る余裕なんざないだろうからな。迂闊に動けば、逆にそこに鉢合わせする可能性もあるってことだ。ついでに言うなら、俺は人質を取ったりするような楽しめない真似はしない」
ベラベラと自身についての情報を明かしていく男の意図がまるで見えない。だがその言葉に嘘は感じられず、メフィとシューラも逃走する気概を削がれてしまったようだ。
「……やっぱり、エルクを置いて行けない」
「加勢できないのが残念なくらいです」
それはこの場に留まる建前ではなく、嘘偽りのない彼女たちの本心なのだろう。
自身の思惑通りとなった男は大きなリアクションをとることもなく、彼女たちを一瞥しただけで再びエルクとの交戦に意識を戻してきた。
「仲間とはいいものだな。無論この状況では足枷になる可能性もあるが……それでも、俺はお前が羨ましい」
その時の言葉には、皮肉などではない――ただ純粋にエルクのことを羨んでいる、そんな感情が含まれていた。
「……」
エルクが何か言おうと口を開きかけたが、ナイフに更なる力をかけてきたためにその余裕もなくなってしまう。
「だが、重要なのはそこじゃない。今の俺たちにとって重要なのは……俺とお前が今こうして刃を交えている事、それだけだ。この瞬間だけは仕事も仲間も関係ない。蜘蛛族の確保は、決着をつけてからゆっくりするとしよう」
「……そんなこと、させない」
勝手な言い分を黙って聞いていたエルクも負けじとナイフを押し返す。再び力関係が均衡し、状態がふりだしに戻る。
だが実際には、傍目にも分かるほど二人の間には優劣が生じ始めていた。
未だに笑みを崩さない男と、歯を食いしばってそれと渡り合っているエルク。どちらが優位に立っているかは一目瞭然だ。
「ぐっ」
短い呻き声と共に、ナイフを握るエルクの腕から鮮やかな色の血が飛び散った。
「エルク!」
「エルクさん!」
エルクの異変に気付いた二人が悲鳴交じりに叫ぶ。
エルクの腕には、まるで格子を描くように大小数え切れない程の裂傷が生じていた。筋に沿って血液が流れ出し、袖口を端から赤黒く変色させていく。
男の攻撃を受けたわけではない。男のナイフに血や脂は付着しておらず、今も新品同様の輝きを保っている。
「エルク、やっぱり」
「あの時の傷が……」
エルクはここに来るまでに、二度も蜘蛛族の糸で縛られた腕を力ずくで開放している。その影響をエルク自身も特に意識はしていなかったが、無茶をした代償は確かにエルクの体躯を蝕んでいたようだ。
「何があったか知らないが、その傷でよくナイフを握っていられるな。痛みも尋常ではないだろう」
本気で心配するような男の言葉にもエルクは答えない。
ただ息を荒げながら、敵意を込めた視線を男に向けていた。
状況は圧倒的に悪い。
腕の傷、非戦闘員の存在、敵の更なる戦力。冷静に考えるまでもなく、撃退よりも逃走の算段を立て始めるのが普通だろう。
しかし、逃げることは許されない。蜘蛛族からの応援も期待できない。
もはや覚悟を決める他にないのだ。
「絶対に、シオリに手出しはさせない!」
傷が開くのも構わず、更に力を増してナイフを押し出した。それに伴ってナイフの切っ先が男に近づく。
「ほお」
だが男は楽しそうに鼻を鳴らすと、エルクと競うように力を上乗せしてきた。
「ううっ……!?」
「それなりに腕が立つようだな。傷の存在が悔やまれる」
今度はエルクを凌駕するほど強く、力の矛先が一気にエルクへと傾く。対抗しようにも、電流のような痛みでこれ以上は腕に力が入らない。
このままではまずい。
そう感じたエルクは力勝負を捨て、押し込んでいたナイフと共に体を手前に引いた。
「!」
かなりの力をかけていた男は急な変化に対応できず、反動で前のめりになる。
決定的なその隙を逃さず、エルクは躊躇うことなく男に切りかかった。咄嗟に身をよじって直撃を避けた男は、素早く後退してエルクと距離を取る。
深手は与えられなかったが、その脇腹にはしっかりとエルクの一撃の痕が刻まれていた。
「なるほど……」
傷口に触れ、手についた血を確認して男が呟く。
なおも男の顔から笑みは消えず、心なしか先刻よりも興奮の度合いが増しているようにも思える。あまりに場違いな態度に、エルクは底の知れない薄気味悪いものを感じた。
「っ!」
言葉を話す暇も惜しいのか、無言になった男が再びエルクに肉薄する。
振り下ろされる刃。軌道は的確にエルクの急所を狙い澄ましている。
力を逃がすようにナイフを構えてその斬撃を受け流す。だが流れるように連続して繰り出された刺突がエルクの腕を掠めた。
腕に新たな傷が増えたことも気にせず、エルクは男の懐まで飛び込んでいく。ナイフが突き出されたために生じた死角だ。
身を低くした姿勢から肩を目掛けてナイフを突き上げる。
直後に響いたのは、澄んだ金属音。
男はいつの間にかナイフを逆の手に持ち替えており、エルクの一撃はそのナイフによって寸前で受け止められていた。
「っとと、危ない危ない」
反撃が来る前にすぐさま飛び退って男と距離を置く。追撃するつもりはなかったようで、男がすぐさま再接近してくることはなかった。
「あう、惜しいっ」
観戦しているメフィが悔しそうに唸る。
エルクもまた、先刻の攻撃は通ったと半ば確信していた。腕よりも近くで放たれた一撃を見切るなど、常人の反射神経ではありえない。
しかし現実に、男はその攻撃を止めて見せたのだ。言葉や行動のどこをとって見ても、頭の常識だけで眼前の男を測ることは難しいだろう。
もはや腕の痛みも感じておらず、ただ目の前の倒すべき敵に神経の全てを注いでいる。それでいて頭は驚くほど冷静に、男を屠る手段を模索し続けていた。
「……ふぅっ」
息を吐き出し、次の一瞬に備える。男もナイフを構えたまま呼吸を整えているようだ。
皮肉なことに、その瞬間の二人の呼吸だけは見事なまでにシンクロしていた。
男の足が地を蹴る。同時にエルクも駆け出し、二人の距離が即座にゼロになる。
加速した両者が接触した瞬間、大気を震わすほどの轟音が爆ぜた。加速の勢いが加わった衝撃で、何かが爆発したと思うほどの衝撃と爆音を醸し出したのだ。
常人ならばナイフを取り落とす威力の激突。エルクもナイフを握る手に痺れが走ったが、男は全く怯むことなく攻勢に入っていた。
至近距離からエルクの体めがけて一閃が放たれる。まともに受け止めれば刀身が折れると判断し、エルクはナイフを斜めに構えてそれをかわす。
「守ってばかりじゃ勝てないぞ!」
攻撃の勢いに合わせて男が愉快そうに叫んだ。
一撃をやり過ごすと、間髪をいれずに次の一撃が襲いかかる。軌道も変則的で充分に先読みすることができず、エルクに反撃の機会を与えない。
受ければ即死の銀の煌きが連続して繰り出される。エルクは紙一重のところでそれらを捌いていくが、一撃ごとに少しずつ腕にダメージが蓄積していく。エルクと男の間には、単純な腕力においても圧倒的な差があるようだ。
(このままじゃ確実に負ける……!)
連撃の合間を見て再び男から離れ、打開策を思案するエルク。息は完全にあがっており、言葉を口にする余力さえもなくなっていた。
(かといって力比べも勝ち目は薄い……どうする……?)
エルクが頭を働かせている間も、追い詰めるようにして男がにじり寄ってきている。既にいつでも攻め始められる間合いであり、一瞬たりとも気が抜けない。
何のリスクもなしに倒せる相手ではない――そう覚悟を決めたエルクは、ナイフを上段に持ち直して男に向かい駆け出した。
「ハハッ! 玉砕覚悟か?」
楽しげに笑いながら迎え撃つようにナイフを構える男。それでも構わずにエルクはナイフを振り下ろす。
今度は一切の回避がない、正面同士のぶつかり合い。先刻のような鍔迫り合いになると、見ていた三人はもちろん当事者である男もそう予想していただろう。
だが――実際の結果は違っていた。
高らかに響く金属音。刃同士が接触した証でもあるその音は、しかし先刻のものとは明らかに別物だった。
振り下ろされたエルクのナイフは力を拮抗させることなく、振り上げられた男のナイフによって上空高く弾き上げられてしまったのだ。
「なっ……!?」
驚愕したのは男の方だった。
再び力勝負に入ると考えていた男は、エルクに対抗できるだけの力でぶつかっていっていた。そう確信していたからこそ、空振りになれば大きな隙になるだけの威力をナイフに込めて放ったのだ。
だがエルクは、自身のナイフに力を加えることすらしていなかった。男のナイフに歯向かう姿勢を捨て、自らのナイフを『弾き飛ばさせた』のだ。
鍔迫り合いのつもりでいた力の余剰で男のナイフが高々と振り上げられる。
ナイフを捨てたエルクは男に急接近しており、存在しないナイフを振り下ろした態勢から男の顎に向けて痛烈な肘打ちを放った。
「がっ……」
衝撃で男の体がわずかに浮かぶ。脳を直接揺さぶられて大きくのけぞった男は完全に無防備な状態となる。
エルクは肘打ちの勢いを殺さないまま体を半回転させた。そして男に背を向けた形から、渾身の回し蹴りを男の腹に叩き込んだ。
「――――っ!」
まともに衝撃を受けた男の体が勢いよく吹き飛ぶ。そして一本の巨木に叩きつけられ、血の塊を吐きながら根元付近に力無く転がった。
「…………」
事態の変遷についていけず、傍観していた三人はしばらく無言で呆けてしまう。
「勝っ……た……?」
やがて吹き飛んで動かなくなった男の意味することを理解し、それぞれの顔に満面の笑顔を浮かべた。
「や……やった……! やったぁ!」
「す、すごいです! ホントにすごいです!」
「あ、ありがと……」
男が起き上がってこないのを確認してから、エルクは歓喜にわくメフィとシューラに顔を向ける。じっとこちらを凝視しているシオリは、これまで見せてこなかったほどはっきりと驚いているのが表情で分かった。
その姿を認めるなり、エルクは条件反射のように彼女に一つの懸念事項を口にした。
「ええと、シオリ、大丈夫? 怪我とかしてない?」
純粋に心配してかけた言葉だったのだが、それを聞いたシオリはますます目を見開いて驚愕を露わにした。何か妙なことを言っただろうかと首を傾げたエルクに、メフィからその理由が明かされる。
「今のエルクの方がよっぽど重傷でしょ! 人の心配してる場合じゃないから!」
「ああ……まあね。でもシオリのことも心配で……ねえ、何もされなかった?」
「……」
重ねて問いかけられ、シオリは信じられないといった顔のままコクリと頷いた。
「そっか、よかった……うぅっ」
それを確認した途端、エルクの全身に疲労と激痛が巡り始める。集中が切れたことで、忘れていた全身のダメージが改めて実感できるようになってしまったようだ。咄嗟に駆け寄ったメフィによって支えられ、なんとか倒れずに踏みとどまった。
「あ、ありがと」
「それはいいんだけど……」
腕の傷に触らないようにしながら、メフィが何か言いにくそうに言葉を濁す。
「……死んだの?」
倒れ伏したまま動かない男を見つめ、不安そうに疑問を口にした。
「いや、たぶん……気を失ってるだけ、だと思う。あれくらいで死ぬようには、思えなかった」
「そ、そっか!」
それを聞き、メフィはどこかホッとした様子で頷く。
本当ならばすぐに縛り上げるなりすべきだったのだが、回し蹴りを放った時点でエルクにそれ以上の体力は残っていなかった。今も話をするのがやっとの状態であり、気を緩めると意識が飛んでしまいそうになる。
「じゃあ、今のうちに何とかしないといけないわけね」
「うん……もう戦える力も残ってないし、次に襲われたらどうしようもない」
隙を作るためとはいえ、ナイフもなくしてしまった。回し蹴りをくらわせた際に男もナイフを落としていたが、それで五分になったと考えるのは甘いだろう。
加えて、男は自分に仲間がいることも明かしていた。向こうの事情で援軍としては来ないと言っていたが、いつまでも別行動ということは考えにくい。あまり長くこの場に留まれば、この男と合流しようとした新手の襲撃を受けることになる。
「あいつを縛っちゃう?」
「そうしたいけど……むしろこの場を早めに離れた方がいいかも」
「里まで逃げるんですね。確かに、下手に手を出すよりは安全かもしれません」
エルクの提案にシューラも賛成の意を示す。
エルクとメフィの旅の目的を考えれば、テロリストであるこの男を取り逃がすのはやはりもったいない。しかし、捕縛できる充分な状態でない時に無理をしては手痛い反撃を受ける可能性もある。
人事不承の人物が二人いるだけでもまずい状況であるのに、これ以上リスクを増やすのは危険極まりない。
「とにかく急がないと……イテテ」
「エルク一人じゃ歩けないでしょ! 私が付き添うから」
シオリはシューラが、エルクはメフィが補助をする形で里の方角を向く一行。歩くペースは遅いが、それを気にしている余裕はない。
「おい、起きろ」
出しかけた足が、止まった。
「んん……ああ、すまない」
全身から冷たい汗が吹き出し、全員の心を一瞬にして絶望に染め上げる。
後方から聞こえてくる、冷めた雰囲気の男の声。二つのうちの片方は初めて聞く声色で、もう一方の語り口はつい先刻まで聞かされていたものと酷似していた。
「口の中に血の味がする……」
「彼らに手ひどくやられたようだな。お前がそこまでなるなんて珍しい」
「たまにはこういうこともあるさ……それが戦いというものだからな」
もはや戦闘態勢すら取れない状況で、支えているメフィと共にエルクはゆっくりと振り返る。
「よお。……もう走って逃げることもできなさそうだな」
そこで彼らが見たのは――ある意味彼らの想像通りの、形となって現れた『絶望』そのものだった。
全身が黒に染まった二人の男。背丈も似通っており、並んで立っていても見分けがつかない。片方が奇妙な言葉遣いをしてもう一人に呆れられている点で、なんとか区別することができる。
ただし、その差を意識する必要はないだろう。どちらもエルクたちにとっての『敵』であることに違いはないのだから。
「そんな……!」
「早すぎます……」
シオリとエルクを庇うように、それぞれシューラとメフィが前に立ち塞がる。もっとも、その程度のことは悪あがきにすらならないだろうが。
メフィに守られる位置にいるエルクも、今度こそダメだと感じてある種の覚悟を決めた。
そんな四人を見て何を考えているのか、二人の男は淡白な表情で言葉を交わしている。
「で、どうするつもりだ、この状況」
「そうだな……俺はもう少し遊んで行こうと思う。率直に言わせてもらうと、気持ちが高ぶりすぎて制御しきれない。少し発散しておきたい」
黒い声で恐ろしいことを言いながら男の一人がエルクに焦点を絞ってきた。声からしてエルクと戦った男だと分かるが、その素振りからは気を失うほどのダメージを全く感じさせない。
「ナイフはどこかに落としたようだな……仕方ない、諦めるか」
どこかに転がっているであろうナイフを探そうとはせず、男がゆっくりとエルクに近づいてくる。瞬時に距離を詰めないのは、エルクがすでに戦える状態にないと知っているからだろうか。
エルクの前に立つメフィも、男の放つ殺意に呑まれて体が震え始めた。まるで狼を前にした羊のようで、もはや噛み千切られるのを待つだけの存在となっている。
「いや、待て」
メフィと数メートルほどの距離になったところで、もう一人の男が唐突に呼び止めた。
「それ以上は、仕事の範疇を超える」
「ああ、だからここからは俺の個人的な趣味ってことで――」
受け答えの途中で男は口を閉じ、なぜか周囲をキョロキョロと見回し始めた。
「……いや、そうだな。やめておこうか」
そして盛大に溜息をつき、エルクとメフィに背を向ける。そして仲間の傍まで戻ると、うっすらと狂気の残滓を感じられる笑みを浮かべてエルクに指を突きつけてきた。
「今日は俺の負けのようだ。本当はもっと遊びたかったが、相棒はこういうところに厳しいからな」
「一言余計だ。それに、目的は果たしただろう」
「……ああ。達成感の薄い感じではあるが」
「それはどういう……」
二人だけで通じ合っている会話にシューラが眉をひそめるが、当然ながら回答は返ってこない。
「そろそろ退散するとしよう。少年、お前とはまたどこかで会えるといいな」
最後にエルクのことを一瞥すると、二人の男は風のように木々の間を駆け抜け――すぐにその姿は見えなくなった。
男たちの気配を感じなくなっても、四人はしばらく動くことができなかった。
彼らの持つ禍々しい殺気。それは極悪非道の悪党が持つ覇気というよりも、小動物を笑いながら踏み潰す子供のような気味の悪さが際立っていた。
だがその結果として、下手に暴力を行使されるよりも深く恐怖を刷り込まれてしまったのだ。ただの力だけでない分、精神的な抑止力はより強いものとなっている。
「……里に、戻ろう」
時間を動かし始めたのはエルクだった。
「ひとまず、一件落着で、いい、のかな」
「そ、そうね」
「あいつらがいないなら、急がなくていいし……シオリを、休ま、せ……」
「エルク!」
意識の途切れたエルクの体重がメフィにのしかかった。腕の出血は今も収まっておらず、メフィの服までも黒いシミを広げつつある。
「エルクも早く治療しないと……シューラ、急ごう!」
「は、はい!」
血の気が失せて青くなったエルクの顔を見て、メフィは泣きそうになりながら里に向かって足を早めて歩き出した。