表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼくらの天使  作者: 半導体
二章
33/56

32話 消えない傷

 シオリの心は憤りが支配していた。

 自分でもこれほど露骨に激情に突き動かされたことに驚いていたが、それでも後悔はしていない。

 ほんの数十分前、キプリとエルクたちの間で交わされたやりとり。

 それを聞いているうちに、自身の内に秘めた感情の堤防が音を立てて崩れ去ったのだ。決定打となったのは、やはりエルクの何気なく放った『あの一言』だろう。

『――そちらから外に出て情報収集をした方が――』

 頭の中が真っ白になったようだった。

 蜘蛛族がどんな心境で僻地に隠れ暮らしているのか、それを全く鑑みていない発言のように聞こえた。外界にいた人間だから知らないのも仕方がない、と考えても納得できるはずはなく、心の奥からドロドロした溶岩のような感情が湧き上がってくる。

 気がつけばエルクに罵声をぶつけており、キプリによって談合の場から追い出されてしまった。

 その判断を間違っているとは考えていない。自分の存在が話し合いの場で障害になるというのは、怒りで我を忘れた姿を見れば誰でもそう思うだろう。

 だからといって、彼らの話をそう簡単に諦められるわけではない。里の周辺を見回っているシオリにとっても把握しておきたい事柄は多く、もっと広い観点から見て蜘蛛族が現状どんな立ち位置なのかも関心がある。

 そして何より――父親の所在と、父親を奪っていった人間たちのことは何としても聞いておきたい情報だ。

(あとでキプリが教えてくれるかな……その前に、あの人間たちが話してくれるって言ってたっけ)

 会談の場での、そして自宅でのメフィの言葉を思い返す。

 彼女の言葉に嘘はなかった。状況もそうだが、その時の彼女の顔が嘘をついているものでなかったのは克明に覚えている。おそらく、本心から自分のことを心配して声をかけてくれたのだろう。

 その気遣いは素直にありがたいものであったし、彼女や仲間に対して嫌悪感を抱くことは無くなっている。無神経な発言に対する苛立ちと、人間への忌避は別物だ。

 しかしそれでも、彼らの事を全面的には信用していない自分に気付いていた。

 単に信じられないのではなく、信じてはいけないという自己暗示によって。

(あたし最低だ……彼らに悪意がないことくらい分かってるのに、人間っていう記号だけ見て他のものを見ようとしてない)

 いくら気にかけられても、どれほど優しくされても、彼らが人間であるという一点が深い溝となって間に横たわっている。彼らが人間でさえなければ何の問題もなく仲良くなれただろう。

 そこまで自覚しても、やはり人間を受け入れることができない。

 人間全てが悪人という訳ではないと、シオリも教えてもらったのに。

 そんな自分自身がひどく卑劣な存在に感じられ、シオリは惨めな気分になってがっくりとうなだれた。


 すぐ傍まで迫っている脅威には、欠片も気がつかないまま。




『忘れちゃいけないのは、私たち蜘蛛族は声を持たない種族ってこと』

 シオリにまつわる話も早々に切り上げ、真面目な目つきになったキプリが人差し指を立てて語りだした。話を聞いているエルクたちは、長椅子に並んで座り姿勢を正している。

『だから、どんなに周囲に溶け込もうとしても蜘蛛族であることを隠し続けるのは難しい。会話の場に立たされただけでそうだと分かってしまうからね』

「それが外界に出向こうとしない理由ですか」

『それだけじゃないけどね。明らかに人間とは違うって分かるから、他の種族よりも差別の影響を強く受けたっていうのは事実だよ』

 糸による伝達のおかげで会話は何の問題もなく行えるが、頭に語りかけてきているようなそれは口から発せられた声とは明らかに別物だ。言葉に合わせて口を動かしても、言葉が口から発せられていないというのはすぐさま気づかれてしまうだろう。

 シオリの父親が『深刻な問題』とまで称したのは、決して誇張ではなかったということだ。

『まあ私も、他の種族のことにそこまで詳しいわけじゃないけどね。もし私たちほど露骨な特徴を持ってないなら、今も人間に紛れて暮らしている人もいるかもしれない』

「……」

 シューラが微妙な表情をしてキプリの言葉に苦笑を見せる。キプリに隠し立てする理由はないが、話に割って入ってまで伝える必要もないので今は黙っていることにしたようだ。

『それはとにかく、そういう理由もあって蜘蛛族の方から人の世界に入っていくのはできないってことさ。もしもっと追いつめられていたら仕方なく出て行ったかもしれないけど、そうなる前に君たちが来てくれて助かったよ』

「私たち、タイミングが良かったってことですか?」

「僕らにとってはむしろ悪かったような気が……まあそれはいいとして」

 エルクにとっては厄介事に巻き込まれたという印象の方が強い。事情を知った以上協力は惜しまないつもりだが、行く先々で面倒な事件や騒動に関わってしまう運の悪さに対して意味もなく悪態をつきたくなってしまう。

「聞きたいのは『外の世界のこと』ですよね? ちょっと抽象的すぎて、まず何から話すべきか分からないんですけど」

『うん。知っていることは全部訊いておきたいところだけど――そうだね。この山の近くの人間の、最近の動向から聞かせてもらおうかな』

 朗らかな様子のまま、しかしキプリの声は冷静に現状を把握しようとする一族の代表者らしさに溢れている。その姿からは、多くの人を惹きつけるカリスマ性のようなものが感じられた。

「最近の動向というと?」

『ヒューク山に対してどんなアプローチをとっているのかってことかな。本格的に開拓しようとしているのか、ほとんど誰も近づこうとさえしていないのか』

「どんなアプローチと言われても……それほど大きく動いてはいなかったような」

 山に登ろうとする人物の姿は多く見られた。ただしそれはあくまで登山を目的としたものであり、蜘蛛族の存在を把握している人間はいたかどうかも怪しいところだ。

「あ、でも殺伐とした雰囲気はありましたよ」

「武器とか、治療用具とか、そういうのばっかりだったね」

「ああ、そういえば」

 シューラの言葉で、麓の集落に立ち寄った際の事を思い出す。

 山にバケモノが出るということで、武器や医療品の売買が活発に行われていた。その原因であるシオリに人間を殺すつもりはなかったようなので、今になってみれば過剰な準備態勢のようにも感じられる。

 とはいえそんな事情を彼らが知っているはずもなく、おそらくは今も登山を希望する人たちによって麓は賑わっているのだろう。

『なるほど、シオリは上手く隠れられているわけだね。聞く限りだと、里が発見される可能性もゼロじゃなさそうだけど』

「主要な場所に監視を配置すれば対処は可能だと思います。あの急斜面なら、シオリのように手を出さなくとも人間に引き返させる手段はいくらでもあるでしょう」

『まあね。里に通じる道は限られてくるし、そんなに難しい事じゃない』

 この場所で暮らしている蜘蛛族の方が、この環境に関してエルクたちよりも豊富な知識を持っているだろう。自衛の手段にまでエルクたちが口を挟む必要はない。

「あまり里の外にまで範囲を広めない方が良いと思いますよ。山頂に向かうだけなら里が発見されることもないと思いますし、下手に手出しして今のように武装されても面倒でしょう」

 麓で騒ぎになっているのは、おそらくシオリ一人によるものだろう。そこに人員を割く必要がないことは、現状を把握している人間として伝えておかなければならない。

 それを告げたところ、キプリの表情がわずかに曇った。

『シオリのことだね?』

「……ええ」

 キプリにもエルクと同じ認識があったようだ。エルクは疑問を留めておけなくなり、意を決して口を開く。

「あの、一つだけ聞かせてください」

 未だに整理のつかない頭の中から、慎重に言葉を模索していく。

 シオリと出会ってからずっと感じ続けていた『違和感』。その理由を、エルクは今になってはっきりと理解した。

「どうしてシオリは里の外まで見回りをしているんですか?」

「…………」

「もし、里の外まで警戒する必要を感じていたとしても……彼女一人だけがその役を務めているというのは妙でしょう。他に蜘蛛族はいないようでしたし、あまりに効率が悪すぎる」

 訊いていいものなのか、言ってしまってからもまだ判断がつかない。

 誰かに命じられたのか、それとも自分の意志で動いているのか。もし後者であるならば、これは彼女が語りたがらなかったデリケートな部分に直接関わってくる可能性もある。

 しかし、言葉として伝えてしまった以上、中途半端に引き返すわけにはいかない。

「どうして彼女一人にあそこまで……」

『見回りを申し出たのはシオリの方だ。もっと言ってしまえば、私が許可をする前に彼女から行動を始めた』

 毅然とした態度で語り始めるキプリ。どこか寂しそうに目を細め、シオリの出て行った扉に視線を向けている。

『警備のため、って本人は言ったけどね。それだけで里の外まで見回っているわけじゃないだろうさ』

「そんな……他にどんな理由が?」

 当然の疑問をメフィが訊ねるが、キプリはそこで少し会話の間を空けた。困った様子で眉根を寄せ、言葉を探しているように手を胸元でくるくると回している。

『あの子はね、父親の帰りを待っているんだ』

「!」

 突然現れた父親というフレーズに、エルクのみならずメフィとシューラも目を丸くした。

 シオリが沈黙を貫き通した彼女自身の過去。図らずも、エルクたちは先刻聞きそびれた話題を蒸し返してしまったことになる。

「父親って、その、外界に連れて行かれた……」

『ん、シオリから聞いたの?』

「と言うか、僕たちはその為にここまで来たんですけど」

『そうなんだ。ひょっとして外であの子の父親に――あ、いや、その話はあの子がいる時にしようか』

 第三者だけで交わす内容ではないと気づき、キプリが詮索をやめて本題に話を戻す。

『知っている通り、あの子の父親は外界で人間に捕まった。親に甘えたい盛りの年頃の事だ。それこそ、体を引きちぎられるような思いだったろうね』

 やりきれない思いにとらわれ、三人は小さく息を吐いた。その当時の彼女がどんな心境になったのか、正確に推し量ることはできない。

 シオリの父は、外界に出て五年経つと言っていた。それほどの時間を、シオリはたった一人で過ごしてきたのだ。彼女の激昂の意味が見えたエルクは、不用意だった自身の発言を改めて後悔した。

『いつか帰ってくると信じて、ああやって毎日様子を見に行っているんだ。焦る気持ちを抑えられずに外にまで足を向けてしまうんだろうね』

「どうして……どうして止めないんですか? シオリさん、体中傷だらけにして一人で頑張っているのに」

『止めたさ。けど、あの子は父親譲りの頑固者でね。誰の言うことも聞こうとしなかった』

 納得がいかない様子で抗議するシューラに、キプリもまた悔しそうに顔を歪ませた。彼女もシオリを止められなかったことを気に病んでいるのだろう。

『里が見つかるかもしれないってみんな心配して、それも無視して突っ走っちゃったから、あの子、里でもすっかり嫌われ者になっちゃってね』

「そんな……」

『何とかしないといけないのは分かってる。けど、あの子の方も私たちと関わろうとしないからちゃんと手助けしてあげられなくてね』

 淡々と語ってはいるものの、キプリの顔には苦悶の感情がありありと表れている。それ以上はエルクたちも何も言えず、ただ黙って時間が流れていくのを感じていた。


『オッケー、山の近くの事はだいぶ分かった。ありがとう』

 キプリが手をパチンと鳴らし、気まずくなっていた空気に一区切りをつける。わざとらしさの目立つ動作だったが、そのおかげでエルクも気持ちに切り替えを付けることができた。

『聞いた感じだと、里の場所はまだバレてないみたいだね』

「そうですね。山に登ろうとしていた人に、蜘蛛族が目的らしい人はいませんでしたから」

「そんなの見て分かるの?」

「いや、まあ断言はできないけどさ」

 首を傾げるメフィにぶっきらぼうに返す。

 メフィの疑問ももっともだが、確証はないというのはキプリも承知の上で聞いているはずだ。それを裏付けるように、キプリが「いいからいいから」と言うようにメフィを手でたしなめた。

『まあ本当に気がかりなのは「どこまで来ているか」より、「どのくらい迫害されているか」なんだけどね。差別がなくなっている所までは望めなくても、人間側に多少なりとも意識の変化があるんじゃないかって期待してるんだ』

「意識の変化、ですか」

『相変わらず徹底的な排他主義なのか、近くにはいてほしくないって程度まで薄まっているのかってことかな。まだまだ根強く反感意識が残っているようなら私の意見の撤回はもちろん、シオリにも言って聞かせる必要があるかもしれない』

 重要な案件であるはずのそれを、キプリは明日の天気でも語るかのようにあっさりと言ってのけた。余裕を感じさせる微笑まで浮かべており、話題の深刻さに全くそぐわない。

 それはおそらく、自身の危惧する『最悪の場合』がありえないと確信しているからだろう。

「迫害は存在しているようです。ただ……ほとんどの人は、蜘蛛族という存在そのものを知らないんじゃないでしょうか。正直なところ、僕達もつい最近になって知ったばかりなんです」

『へえ』

 さも意外そうに唸るキプリだが、その返答を予想していたのは態度から見て間違いない。里から出ていないはずの彼女がなぜ予測できたのか疑問に思っていると、心情を汲み取ったらしいキプリの方から解答が言い渡された。

『まあ、人間がみんなそういう意識を持っているとは考えなかったよ。もしそうだとしたら、君たちだってその意識を持って私たちと接していてもおかしくないからね。君たちの態度からそれはないだろうって思ったのさ』

「確かにそうですけど、不安はなかったんですか?」

『全くない訳はないさ。でも、君たちがそういう奴らとは違うって、ここまで話していれば誰だってわかるよ。人見知りの激しいシオリまで君たちを拒絶しなかったんだから』

「……なるほど」

 キプリの語る根拠を聞き、エルクは納得すると同時に感心していた。

 登場からして度肝を抜いてくれたキプリという女性。破天荒で自由奔放で、子供のような人という印象を抱いていた。

 しかし、それだけが彼女の全てではなかった。

 あくまで子供っぽい一面を持っているというだけで、蜘蛛族という一つの種族をまとめ上げるだけの器量を同時に持ち合わせているのだ。

 その事実を受け入れたエルクは――彼女の語った『人間と蜘蛛族の共存』が、決して絵空事に終わることはないと確信した。

「……改めて、あなたがすごい人だと見せつけられた気がします」

『あはは、褒めてもお茶くらいしか出ないよ?』

「あ、出るのね」

 冗談っぽく笑って見せているが、褒められてまんざらでもない様子だ。そうした何気ない仕草の一つ一つも含めて、彼女は蜘蛛族の人々から代表者として認められたのだろう。

 ここに来れてよかった。エルクはふと、そんなことを考えていた。



『長!』

 部屋の入り口から一人の男が飛び込んできた。唐突な出来事により、和んでいた室内が一気に緊迫した空気に支配される。

 男は切羽詰まったような険しい表情をしており、キプリも表情から余裕を消し去った。さらに彼女はその男の登場の意味することを分かっているらしく、男が語るよりも先にその事実を口にした。

『シオリに、何かあったんだね?』

『はい。普段のように里の外まで向かっていたのですが、突然現れた二人組の黒い服の人間に襲われ……そのまま、捕まってしまったようです』

「シオリが!?」

 真っ先に反応したのはメフィだ。叫びながら勢いよく立ち上がり、手が縛られていることも忘れて走り出そうとする。当然思い通りに動けるはずはなく、キプリの糸によってあっさりと引き留められてしまった。

「離して! シオリを、シオリを助けないと!」

『今の君が行って何になる? それにこれは私たちの問題。君たちに頼るわけにはいかないよ』

 あくまで冷静にそう告げるキプリは、しかしかなり焦っているようにも見受けられる。少なくとも拘束されたままのメフィが救出の手助けになるはずがないので、エルクは彼女の判断に素直に感謝した。ある程度冷静さを取り戻したメフィもそれに従って大人しくなる。

『あの二人組、もしやこの子供たちの後をつけてきたのでは? でなければ、里に近い場所で襲われる理由がみつかりません』

 報告しながら、男が怨嗟の籠った目でエルクたちの事を一瞥した。シオリの事も相まって、エルクたちの事を快く思っていないのだろう。今しがたの発言も、まるで三人にあてつけるような言い草に聞こえた。

『うん。状況を見るに、その可能性もありそうだね』

「ち、違います! 私たち、そんな人たちの事なんて知りません!」

『それは分かってるよ。ただ、君たちがその二人組に利用されたってことも有り得るよね。私たちはその可能性も視野に入れているってことだから』

「そんな……」

 シューラが必死に否定をすると、キプリはすんなりそれを受け入れてくれた。しかし同時に、三人に責任がない訳ではないことも通達していた。

 キプリはエルクたちの事を疑っていないようだが、同時に蜘蛛族の仲間の事も信じているのだ。当たり前のようなことだが、男の向けてくる視線が三人に突き刺さってくる。

『すでに連絡を回して捜索に当たらせています。しかし、あまり里から離れられると――』

『うん、うん。分かってる。それを私が責めることはできない』

 男が言葉の末尾を濁らせたことに、エルクはえも言われぬ不安を覚えた。

 背筋が寒くなるほどのその不安は、キプリの理想に感銘を受けたエルクには受け入れがたい結末を予感させた。

 そしてその予感は、次に放たれたキプリの言葉で確信へと変わる。

『無理に助けようとして他の人が危険に晒されたら本末転倒だよ。その時は、可哀想だけど諦めよう』


「ちょっと! それってシオリを見捨てるってこと!?」

 怒りを爆発させたメフィがキプリに詰め寄ろうとして、寸前で男に取り押さえられた。乱暴に地面に組み伏せられ、それでもメフィは顔をあげてキプリを睨み続けている。

「メフィさん!」

「ふざけないで! ずっと独りだったシオリを、ずっと頑張ってきたシオリを、アンタたちはそうやって簡単に見捨てるの!?」

 今にも噛みつきにかかりそうなメフィは、男にしっかり押さえられていて動けないようだ。

『分かってる! 私も最善を尽くすつもりだから、メフィも落ち着いて!』

「……っ!」

 キプリもまた追いつめられていることを悟り、メフィは歯がゆそうにしながらも自身を抑えこむ。ここでキプリを非難してもシオリが助かるわけではないと、無理やり自分を納得させたようだ。

 それでもシオリの身を案じる気持ちは変わらないようで、しっかりと押さえこまれたままなおもそわそわと落ち着きなくしている。

「キプリさんは探しに行かないんですか?」

『人間が関与していると分かっているのに、長が直接向かう訳がないだろう』

 シューラに対しては男から非道な解説が入る。

『いざとなれば私も行くつもりだったけど』

『なりません。長に万一のことがあっては、里全体の危機に繋がります』

 それは至極当然とも言える対応だ。彼の言葉に偏見や蔑視といったものは含まれておらず、疑いようもなく理にかなった意見だと言える。

「…………」

 それでもやはり、シューラは涙目になってキプリから目を逸らしてしまった。



「……シオリの襲われたところまで、案内してください」

 不自然なまでに落ち着き払った声。

そのためか、騒然とした中でも全員がその言葉を聞き届けた。

「エルク……」

「エルクさん?」

 沈黙したままだったエルクがゆっくりと立ち上がり、外へ向かって歩いて行く。あまりに堂々としたその様にしばらく全員が硬直するが、最初に我に返ったキプリが慌てて呼び止めた。

『待って。腕を縛られたままで何をするつもり? それに、これは私たちの問題であって』

「そんなことを言ってる場合ですか」

 ピシャリと言い放ち、キプリを一瞬で黙らせる。

 そして全員が見ている中、後ろ手に縛られた腕に力を籠め――頑丈に縛られていた糸を力ずくで引きちぎった。

「!」

 その場の全員が絶句する。

 力任せに解放したため、エルクの手首には糸による無数の裂傷が生じており、そこからドクドクと血液が流れ出ていく。シオリの際に付いた怪我と合わせて、両腕は既に無残な姿になっているだろう。

 すさまじい痛みに腕がバラバラになったような錯覚に陥るが、エルクは不思議とそれを遠いもののように感じていた。

「僕たちのせいでシオリが捕まったのなら……なおさら、放ってなんかおけません」

「……」

「案内してください。大したことはできませんが……僕も、全力でお手伝いします」

 平然とした調子で告げるエルクに、キプリからの反論はなかった。



 キプリは、自分にできる事をできる限りしようとしていた。

 なら自分も、彼女の覚悟を無下にするようなことはできない。異種族の迫害を不当だと考えるならば、自分も何か行動をしなければならないのだ。ただ見ているだけでは何も変わらない。

 ――今、自分にできる事をしよう。

 その決意を胸に秘め、エルクは自由になった手で外への扉を開いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ