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ぼくらの天使  作者: 半導体
二章
30/56

29話 蜘蛛の里へ(後)

 太い幹の木々がいくつも天を目指し、そこから広がる枝葉が空を覆っている。しかし、かなりの急勾配であるために下方の木に視線を向けると自然に見下ろす形となる。

「ひっ!」

 ガラ、という小さい音と共に小石が急斜面を転がり落ちていく。そこに足を乗せかけていたシューラは、震えながらその足をゆっくりと引き戻した。

「あ、う、うぅあ……」

 恐怖で言葉もままならないようだ。目の前で移ろうとしていた足場が崩れたのだから無理もないだろう。

『糸で支えてる。大丈夫』

「慌てないようにね。慎重に進めば行けるから」

 先行したメフィと少女がシューラを誘導する。独力で歩くことのできない少女だが、糸での補助は不安定なシューラの体をしっかりと支えられているらしい。

「これじゃほとんど崖だね。普通なら専用の装備が必要になるくらい」

「つまり、あれよね? 戻る時もこうやって手伝ってもらわないと帰れないよね?」

 不安げに問いかけるメフィに対し、エルクは何も返事できない。

 今は帰り道の事まで考える余裕などないのだ。蜘蛛族の里に辿り着くことさえこの有様であり、目の前の難問だけで精一杯という次第である。

「あの子に会えてよかった……これは僕らだけじゃ無理だった」

「次はエルクだよー。ほら、早く」

「う、うん」

 少女との出会いに心中で感謝しながら、エルクはメフィたちに追いついたシューラの姿を確認した。今しがた彼女が苦戦していた悪路を、今度はエルクが渡る番なのだ。

「それじゃ、お願い」

「…………」

 少女に合図を送ると、頷いた彼女がエルクに向けて手をかざす。そうやって体に糸を繋いでいるようなのだが、エルクの方に巻きつかれたような感覚はない。蜘蛛族の糸はエルクの想像を超えた汎用性と利便性を兼ね備えているようだ。

「エルクー、足滑らせないでよ」

「分かってるってば」

 急かすメフィには惑わされず、自分も油断をしてはならないと目の前の足場に意識を集中させる。

 数少ない足場は苔むした岩や崩れかけの崖ばかりで、蜘蛛族以外を拒絶するかのような過酷な環境だ。ここを通らずとも山頂へは向かえるので、よほどのことがない限り一般人が近づくことはないと思われる。

 まさしく自然の要塞。里の発見を恐れているとしても、糸を操る蜘蛛族にとって防衛はさほど難しくないだろう。少なくともこの環境でまともに動ける人間はいない。

(なんでだろう、違和感が……)

 どこか釈然としないのだが、その理由がエルク自身でもよく分からない。

 ただ一つはっきりと言えるのは、その『何か』がなければ今の状況にはなり得ていないということだ。

(隠れ住んでるんだから厳しい場所なのは不思議じゃないのに)

 思案を巡らせながら次の足場へ飛び移る。

 着地の直後、湿った苔を踏んだエルクは勢い良く足を滑らせた。

「わあぁ!?」

「あ、危ない!」

 バランスを失ったエルクの体が足場から零れ落ちていく。近くに掴まれるものもなく、そのまま重力に従って落下を始めた。

「…………!」

「っ!」

 表情を歪めながら少女が糸を引き上げる。それによりエルクの体は足場から飛び出した位置で止まった。

「びっ……ビックリしたぁ」

「心臓が、止まるかと……」

 メフィとシューラが先の足場で腰を抜かしているのが見えた。申し訳ないと思いつつも、糸に支えられている状態では自由に動くこともできない。

『集中して。危ない』

「ご、ごめん……」

 恨めし気な少女に対してエルクは小さくなることしかできなかった。自身の不注意が招いた失態であり、弁解の余地はない。

 いろいろ考えるのは里に到着してからの方がよさそうだ。そう身に染みて実感したエルクは、心もとない足場の連続する山道を見上げて表情を引き締めなおす。


「エルクはバカね」

 三人に追いついたエルクにまずかけられたのはメフィの罵声だった。

「ビックリさせないで下さいよ……私、まだ足が震えてますよ」

 シューラも珍しく責めるような口調だ。相応の事をしたので仕方ないのだが。

「ホントにごめん……あれは全面的に僕が悪かったです」

 思わず敬語になってしまうほどの気迫が二人から溢れている。ただし責めたてるような眼差しではなく、エルクの身を心から案じるが故の非難であることはよく分かった。

「で、無事だったから許すとして……ねえ、里まであとどのくらいあるの?」

「…………」

 糾弾を切り上げたメフィが話題の矛先を目的地へと変えた。話を振られた少女は周囲をいくらか見渡して現在位置を確認する。

『もう少し』

「そっか、よかった。あとちょっとだけよろしくね、えーと……あ、名前」

 まだ彼女の名前を知らないと気づいたメフィが名乗りを求めた。それなりに一緒に行動してきたので、名前を尋ねるのも不躾ではないだろう。

「…………」

「えと、名前は……」

『次。もう行く』

 追及から逃れるようにして次の足場を確保に向かう少女。露骨に自己紹介を避けられ、メフィは軽くショックを受けたようだ。

「メフィ、合図してるよ」

「うう……名前くらい教えてくれたって」

「ほら、オーバーに落ち込んでないで。後ろつかえてるんだから」

「わっ、分かってるわよ」

 いくらか大袈裟なリアクションであるのは自覚していたようだ。

 少女にはエルクたちと仲良くなるつもりがないのだろう。それが蜘蛛族共通の価値観だとしたら先が思いやられるが、それよりもエルクは別の可能性の方が浮かんできて仕方がない。

「そんな偶然あるのかなぁ」

「どうかしました?」

「いや、独り言」

 確信は持てないのでシューラの疑問は適当にはぐらかし、視線を山の上部へと向ける。余計な事を考えていると、また先刻と同じ失態を晒しかねない。

 淡い緑と立ち並ぶ木々の溢れる道なき行路は、まだまだ先まで続いているようだ。






「俺にはこのナイフが血に染まって見える……」

「オレにはお前がバカに見える。どう見ても新品だろうが」

 真っ黒なマントに全身を包んだ見るからに怪しい男が二人、露店の前でナイフを物色していた。背格好や声色は似通っているものの、マントのせいでそれ以上の事は何も判断できない。

「聞こえる……聞こえるぞ! 血の渇きを訴えるこの刃の嘆きの叫びが!」

「新品だって言ってるだろ……店に対する嫌がらせか?」

 いかにも堅気の人間ではない物々しい外観ではあるのだが、ネジの外れた会話が全てを台無しにしてしまっている。声をかけたくなくなる、という観点ではどちらも変わらないのだが。

「そもそも、今回ナイフは必要ないだろ。殺しの仕事じゃないんだからよ」

「……クルトに問う」

「なんだよ」

「果たしてナイフは、真に殺生のみを生業とする武具であると言えるのか? それはお前の知るナイフの一側面にすぎないという可能性を、お前は否定し得るのか?」

「いや、さっき血の渇きがどうこう言ってたのはお前じゃ」

「英雄は言った! その刃に悪意はない。真に悪とするはナイフを握る人間であると! ならば俺もその言葉に従うまでだ!」

「オレはお前に対する殺意に満ち溢れてるぞ、ハイド」

 クルトと呼ばれた男が声を震わせて静かに呟く。明確な殺気を感じさせる言葉に、ハイドと呼ばれた男も流石に口を噤んだ。

 相手が沈黙したことを確認し、短い溜息をついてからクルトは口を開いた。

「いいか、お前がそのナイフを買おうとしてるのは分かった。だが、仕事を理由にして購入を正当化しようってのは違うだろうが」

「……」

「回りくどい言い回しはいらねえから、正直にお前の気持ちを言ってみろ」

「新しいナイフが欲しくなった」

「よろしい」

 クルトが頷いて見せると、ハイドは大きくガッツポーズをしてから店主に件のナイフを渡した。一連のやり取りを見ていた店主は、会話の内容についても一切詮索をせずに精算を済ませた。

 色々な意味で、彼らと深く関わらない方がいいのは店主以外でも一目瞭然だっただろう。


「で……新しいナイフで、今回は何をやらかすんだ?」

 店から離れ、通りを歩き始めて数分。呆れ顔のクルトは、今回の『仕事』に不安を覚え始めながら一応の確認を取ることにしていた。買ったばかりのナイフで、相方が何をしでかすか全く予想がつかなかったからだ。

 隣を歩くハイドは、新しい玩具を買ってもらった子供のようにナイフを太陽に掲げたりしてその刃に見とれている。彼にとってナイフは、まさしく子供のそれと変わらない感覚なのかもしれない。

「クルトも分かっているはずだ。ナイフでする事なんて、一つしかないだろう」

「何度も言うが、殺しの仕事じゃないからな」

 幾度となく繰り返した言葉を投げかけるクルト。ナイフに夢中になっている彼に届いているのか……そう心配した矢先、唐突にクルトと向かい合う形でハイドが立ち止まった。

「分かっている。だが、殺すだけがナイフじゃない」

「……さっきと言ってることが矛盾してないか?」

「言っただろう、俺は英雄の言葉に従うと」

 それまでとは違い、極端に冷静な口調になったハイドが笑う。

「英雄の言う『真の悪』に、俺はなってやるさ」

 その一言は――冗談でも比喩でもない、ハイドという男の真実が現れていた。

 彼の言葉の力を感じ取ったクルトは、額ににじんできた一粒の冷や汗に気付かないフリをして精一杯の虚勢を張って見せた。

「ったく、バカのくせに……いや、バカだからこそ俺なんかよりよっぽどタチが悪いな、お前は」


 彼らの歩く先には、シダ大陸有数の霊山――ヒューク山が静かにそびえている。






 永遠に続くかのような樹木の迷宮に、唐突な変化が訪れた。

「あっ」

 最初に気が付いて反応したのはメフィだ。

 久しぶりに見るような広めの平地が視界に入り、少女の誘導もそちらへと向かっている。それだけならばさほど気にとまることでもなかったのだが、山肌をくり抜いたような形でそこに家屋が存在していたのだ。

「あれって家よね?」

「僕にもそう見えるよ」

 人間とはだいぶ違う様式ではあるものの、生活の痕跡が見られるそこは誰の目にも住居であることが分かる。

「つまり、里に入ったんですか?」

「…………」

 シューラの問いかけに少女は答えず、件の足場に向かって糸を送る。そしてメフィに支えてもらいながらゆっくりと足場に向かって進んでいく。

「他の蜘蛛族の人は見当たらないね」

「というより、この一軒以外はどこも森ばっかりですよ?」

 シューラに指摘されて見渡してみるが、相変わらず緑の生い茂る山中の景色ばかりで確かに集落とは考えにくい。この一軒家のほうが周囲から浮いているのだ。

『早く』

 少女に催促され、急いで二人の待つ平地へと向かう。それなりに足場がしっかりしており、先刻のように踏み外してしまうようなことはなかった。

「……これは」

 間近でその家を見上げたエルクは、思わずそんな一言を漏らしてしまう。

 その家は、エルクの想像していたよりもはるかに古めかしいものだった。より正確に言えば、エルクがこれまで見たどんな家よりも傷みきっていた。

 風雨に晒されて黄土色になっている壁を見ても、それが木材なのかレンガなのかさえはっきり判別できない。盛んに生長したツタが壁をよじ登り、その痛々しい姿を少しでも隠そうとしているかのようだ。

 いくつか取り付けられている窓には本物の蜘蛛の巣がいくつも見え隠れし、長く開け放たれていないというのがよく分かる。二階建てであるのが窓の配置でわかるが、二階はおろか一階の窓さえ使われた形跡のあるものが見当たらない。

 打ち捨てられた廃墟――そのままであれば、エルクの解釈はそれで決定していただろう。

『入って』

 呆然としていたエルクに、少女の淡白な一言が寄せられた。

『ここ、あたしの家』

「えっ」

 驚愕のあまり声が漏れてしまう。

 流石に失礼な感想が伝わってしまったらしく、少女が不機嫌そうに眉をひそめる。それでも咎めることはせず、毅然とした態度で目の前の自宅を見据えている。

『先に入ってる。ついて来て』

「へ? あ、あれ?」

 少女がそういうと同時に、建物に注目していたメフィが困惑の言葉を漏らした。

 突然、少女がメフィから離れて一人で歩き始めたのだ。体力が回復したのかとも思われたが、どうやら家と体を糸で結びつけてなんとか自立移動をしているらしい。

 少女はそのまま、エルクたちの様子を気にかけつつ家の中へ姿を消してしまった。

 取り残された三人はすぐに行動に移れず、しばし硬直する。

「あの子の家、なんだ」

「なんていうか……ボロボロね」

 言葉を選ばないメフィの感想も否定ができない。少女の家であることはもちろん、現在使われているということ自体も容易には信じられなかった。

「とりあえずお邪魔しましょうよ。あの子、待ってますよ」

「そうだね。ここから先もあの子がいないと進めそうにないし」

 更に奥地に向かおうにも、人の足だけで渡れる足場が見当たらない。言われた通り、今は彼女について行く他にないだろう。わざわざ彼女の自宅にあがりこむ必要もないように思えたが、待たせても悪いのでひとまず少女について行くことにした。

「お邪魔しまーす」

 玄関をくぐると、まず埃の匂いが鼻についた。

 最初の部屋に置かれていたのは、テーブルと椅子、そしてベッドくらいだろうか。飾り気のあるインテリアは全く無く、単調な色彩の部屋は生活感をあまり感じられない。

 テーブルとベッドにかろうじて使ったらしい跡が見える程度で、中を覗いてみても人が暮らしているとは思えない劣悪な環境だ。

「素朴な雰囲気のお家ですね」

 シューラが二人とは違った感想を述べる。彼女は素でそう思っているかもしれないので突っ込んではいけないのだろう。

『こっち』

 少女が家の奥まで手招きしてきた。

 それなりに大きな家であるらしく、奥には更にいくつかの部屋の存在が確認できる。彼女一人が生活するには広すぎるほどであり、手入れの充分行き届いていない理由の一つはそこにあるのかもしれない。

「ねえ、ちょっと待って」

 どんどん奥に連れ込もうとする少女をメフィが呼び止めた。それを受けた少女は背を向けたまま立ち止まる。

「ひょっとしておもてなしとかしてくれようとしてる? だとしたら嬉しいんだけど、私たちと一緒にいて嫌な思いしてないかな」

「……」

「人間、嫌いなんでしょ? それなのに家にまで上がらせてもらっちゃって……だから、どうしても気になるなーって思って」

『そうじゃない』

 メフィの言葉を遮り、少女がゆっくりと踵を返す。

 そして全員が部屋に入っていることを確認して、なにかを決意するかのように小さく頷く。

『あたしは、知りたいだけ』

 直後、部屋の唯一の入り口である扉が乱暴な音を立てて閉まった。

「!?」

 驚いたシューラが扉を開こうとするが、固く閉じられた扉はびくともしない。それが少女によるものだと全員がすぐに気づき、視線が彼女へと集中する。

「ちょっと、これはどういう……うわっ」

「きゃっ」

 状況を確認しようとしたところ、三人の体が微動だにしなくなってしまった。扉と共に三人の行動も糸で拘束されてしまったようだ。

「う、動けないよ!?」

「またこれか……あ、イテテ」

 緊縛する力に躊躇はなく、体にめり込んで痛みが走っていく。山から追い出そうとしていた初対面の際とは違い、本気でこちらを痛めつけることも厭わないような顔つきになっている。

 これまで淡々としていた様子から一変、暗く重い影をその身に宿したように映った。

『話してもらう。パパのこと、知ってるだけぜんぶ』

「ぱ、パパ?」

「え、ええっと、どういうことですか?」

 束縛に抵抗しながらメフィとシューラが質問を続ける。それは本心からの疑問ではなく、急変した現状に対する焦燥を誤魔化そうしているだけのようだ。

 そんな間に合わせの質問にも、少女は律儀に答えを返す。

『あなたたちが探していたのは、あたし』

 自身の胸に手を当て、緊迫した表情に強い決意を抱いている。

『シオリは、あたしのこと。あなたたちが会ったのは、あたしのパパ』

 糸の声から感情を消し去り、少女――シオリは氷のような視線で三人を睨みつけた。

「ええぇ!?」

 目を丸くしたメフィが叫び、のけ反ろうとして糸に阻まれる。ごく僅かでも体が動かないのは、それだけ糸が全身を余裕なく縛りつけているからだろう。

「もっと早く言ってよ! なんで今まで黙ってたの?」

「それらしい素振りはあったと思うけど……」

「え、そうなんですか」

 エルクも最初から疑っていたわけではないが、シオリの態度も分かりやすい部分がそれなりにあった。本人なら名乗り出るだろうと考えていたため、エルクの方から追及はしなかったが。

「だから、わざわざここまで僕たちを連れてきた理由が分からないんだよね。手紙とペンダントだって、途中で手に入れるチャンスはたくさんあったはずなのに」

「エルクの言ってることがさっぱり理解できない」

「あ、そう……」

 メフィには後で個別に説明をする必要があるようだ。

『訊きたいことがたくさんあった。それだけ』

「ああ……お父さんの事知りたいんだったね」

 具体性のほとんどない説明だったが、エルクはその言葉だけで納得した。

 人間を信用していないからこそ、自宅という『自分のフィールド』の選択は間違っていない。地の利はもちろんのこと、蜘蛛族である彼女ならばこうして自由を奪うことも容易くなる。

 だからこそ、現状のような『脅迫』が彼女の選択肢として存在しても不思議ではない。

「訊いてくれればいつでも話したのに……って言っても信じてもらえないか」

 ここまでする必要性が無いというのは、エルクの本心を知っているからこそ出せる結論だ。エルクを信用していないシオリにとって、これが最も確実かつ正確な情報を得られる手段だったのだろう。

 早い話が、シオリはどうしても父親の安否を確かめたかったのだ。

『白状して。パパは今どこにいるの? 無事でいるの?』

 絶対零度だった眼差しに、子供らしさの残る幼い光が灯る。不安と期待の混在するそこには、彼女の父を愛する気持ちが溢れているかのようだ。

「やっぱり悪い子じゃなかったね」

「……?」

 かみ合わない返答にシオリが眉をひそめる。

 メフィとシューラも腑に落ちなさそうな顔をしており、エルクの意図を正確には理解してもらえなかったようだ。

「エルクさん。今の状況、分かってますか?」

「そりゃまあ。でも、彼女だってお父さんの無事を確かめようと一生懸命なんだよ。手段はちょっと乱暴かもしれないけど……身内のことを心配するのは間違った事じゃない」

「それはそうですけど……」

「だから安心したんだ。ちゃんと届けられるか心配だったから」

 彼らの事情をエルクたちは知らない。なぜ二人が離れ離れになったのか、シオリは長く会っていない父親をどう思っているのか、不安になる要素はいくらでもあった。状況によっては渡すのを躊躇っていたかもしれない。

 父親について言及するシオリの姿は、そんなエルクの懸念を吹き飛ばすには十分すぎるほど純粋だった。

「僕たちも詳しくは知らないけどね。分かる限りはできるだけ答えるよ」

 体を全く動かせない状態のまま微笑みかける。

「……っ!?」

 それを受けたシオリは、これまでにないほど困惑して見せた。糸での対話も忘れ、目をぐるぐる回して今しがたの言葉を咀嚼しているようだ。

「っていうか、その前に渡すもの渡しちゃったほうがいいんじゃないの?」

「そうですよ。元々はそれが目的だったわけですし」

「あ、そうだね」

 女子二人から指摘され、エルクは約束の品を取り出そうとする。だが当然ながら、動きを封じられている状態では上着のポケットに手が届かない。

「あのー、できればこの拘束を解いてもらえると……」

「っ!!」

 黙っていたシオリが過剰反応して糸を引き絞る。やはり解放してくれそうな雰囲気ではなさそうだ。

「不審だったかなぁ、やっぱり」

『信じない。人間なんて、あたしは信じない!』

 強い語調で断言され、三人はそろって返す言葉を見失ってしまう。こうした偏見については全員が把握していた事であり、一朝一夕には解消できないことも分かっている。

「……!」

 感情的になりすぎたと自覚したのか、すぐにシオリは冷静さを取り戻してエルクたちを睨み直す。それでも先刻の発言を撤回しようとはせず、いくらか不機嫌になっているのが表情から伝わってきた。

『ホントのことだけ言って。ウソついたら、山に捨てる』

「今さらっと怖いこと言いませんでした?」

 念を押しながらではあるが、ようやくシオリの側もエルクたちの言葉に耳を傾ける準備ができたようだ。

 彼女としても複雑な心境だろう。人間を信用はできないが、その人間からしか父親の情報を得られないのだ。善意のつもりで話をしたとして、いったいどこまでが事実として彼女に届くだろうか。

 脅迫を試みたのは、情報の信憑性を高める狙いもあったのかもしれない。

「話の前にこの糸を何とかしてほしいんだけど」

『逃げたら困る。このまま』

「逃げるって言ったって、この家の周りを私たちだけで移動するなんて無理よ?」

『それでも』

 人間嫌いの彼女にとって、これが最大の妥協点なのだろう。手紙とペンダントの受け渡しは後回しにするしかないようだ。

「えーっとそれじゃあ、何から話せばいいかな」

 エルクもまたその待遇に折り合いをつけ、本題を切り出すべく口を開く。


 それと同時に、耳障りな音を立てて家の玄関が乱暴に叩かれた。

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