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ぼくらの天使  作者: 半導体
序章
3/56

2話 うしろの声

 雨量は瞬く間に増え、今はまるで洪水の中にいるかのような有様だ。当然ながら、その中にいたエルクとメフィはすっかり濡れ鼠と化してしまっていた。

 おまけに視界が悪く、隊商探しも困難な状態となっている。二人も既に目的を変更しており、道の脇の巨木の下でひとまずの雨宿りをしていた。


 枝葉の間から水滴が滴り落ち、満足に雨をしのぐ事もできない。無いよりマシだからとメフィが半ば強制的にエルクを引き留め、現状に至る。

「うわー、びっしょびしょ。体に張り付いてくるよ」

 上着をつまんで引っ張り、エルクが溜息混じりに笑った。

 あまり薄い生地ではなく、耐水性もある程度は持っている素材で作られている。それでも、ここまで異常な降水量は流石に耐えられなかったようだ。木に立てかけるように置いたボロボロのリュックも、中身まで水浸しになってしまっている。



「ねぇエルク、ちょっと後ろ向いてて」

 服がぬれて気持ち悪そうにしていたメフィが、唐突にそんな事を言い出した。

「どうかしたの?」

「上を脱ぐのよ。このままじゃ風邪ひいちゃうもん」

「あ……ああ、そういうこと」

 恥ずかしそうにしているメフィにつられ、エルクも顔が赤くなる。気が利かなかったと自身を反省し、エルクは言われた通り背中を向けた。

「これでいい?」

「ん、ありがと」

 お礼を簡潔に言い、メフィがずぶ濡れの服を脱ぎ始めた。もちろんエルクは直視などしていないが、体に張り付いた服を脱ごうと動いているのは見なくとも分かってしまう。

「よい、しょ……と」

「…………」

 しばらくして水気を含んだ衣擦れの音が聞こえ始め、エルクは身が凍りついた。

 すぐ後ろではメフィが着替えの真っ最中だ。後ろを向いてはいるが、居心地が悪いことこの上ない。

「あ、えっと……メフィ?」

 首を固定し、絶対に振り返らないようにしながら口を動かす。

「なに?」

「その、僕、木の向こう側に行ってるよ」

「え? ちょ、ちょっと」

「そのほうがメフィも安心して着替えられるよね? 終わったら呼んで」

 早口に言いきったエルクは、メフィの返事を待たずに歩き始めた。横の木はそこまで大きくないが、間に挟めば仕切りとするには十分な太さがある。

「待ってよ!」

「うわ!?」

 追いかけてきたメフィが、焦ったような声とともにエルクの腕を掴んでいた。急ぎ足だった上に不意を疲れたため、エルクの身体が後ろによろける。

「な、何?」

「そのほうが安心? そんなわけないでしょ! 私のそば……ううん、せめて見える所にいて!」

「……メフィ?」

 あまりに強い口調に気圧され、エルクは思わず後ろを向く。メフィは服を半分脱ぎかけていたが、それを気にする様子は見受けられなかった。強がってはいるものの、孤独に押しつぶされそうになっているのが見て取れる。

「い、一緒にいたほうが……安心に、決まってるじゃない」

 メフィの手は、小刻みに震えていた。

「…………」

 何も言い返せず、エルクは黙って俯いた。


 分かっているはずだった。メフィは故郷の滅亡を目の当たりにし、共に旅に出た幼馴染以外に頼れる人間がいなくなってしまったのだ。不安になり、独りになるのを極端に恐れても無理はない精神状態になっている。

 そしてエルクも、メフィと同じ境遇なのだ。彼女の気持ちに共感できる部分も多い。だからこそ、迂闊な行動に出てしまったことがひどく悔まれた。

「ごめん」

「あ……その、謝らなくていいよ。私もちょっとわがままだった」

「そんなことないよ。僕だって、きっと……」

 エルクも分かっていた。自分もまた、独りには耐えられないのだと。

 言葉は途中で切れたものの、メフィには伝わったようだ。未だに震えている手を、エルクからそっと離した。




 手ごろな高さの枝に二着の上着が干され、袖や裾からしきりに水滴が落ちていく。上からは葉っぱで集められた雨粒が降ってきているので、雨自体がやまない限り乾く事はないだろう。

「雷、鳴らなくなったね」

「もうすぐやむかなぁ」

 エルクとメフィは、背中あわせになって巨木の根に腰をおろしている。どちらも上半身に衣類をまとっておらず、相手のほうを見ないようにしている。

 決して離れようとはせず、かといって恋人同士のようにぴったりとくっついているわけでもない、微妙な距離。その間を保ちながら、それぞれが相手の存在を背中で感じ取っている。

 たった二人だけの、切り離された空間。確かにそこにいる『もう一人』は、二人に少しばかりの安らぎを与えていた。


 暴れるようだった雨は落ち着きを見せつつあり、穏やかな雨音が耳を伝って全身へと染み渡っていく。水が葉で弾み、幹を伝い、土に染み込んでいくまで、全てが聴き取れるかのようだ。

「静かだね」

「うん……」

 感慨深げにメフィが呟き、エルクがそれに同意する。

 それきり会話もなくなり、雨の降りしきる静寂が辺りを包み込む。二人とも自然に目を閉じ、単調な雨音に耳を傾けた。

「…………」

「…………」



 引き延ばされた時間が、ゆっくりと流れていく。



「…………、?」

 唐突に、メフィが眉をひそめた。

「エルク……気付いた?」

「……うん」

 エルクも頷く。既に目は明けており、表情は苦虫を噛み潰したようなものになっている。メフィも同様の表情をしており、どちらも同じ事に気が付いているようだ。

「メフィ、服取って」

「え? あ、うん」

 振り向かないままエルクが後ろ向きに服を指さす。干してある服はメフィの正面につりさげられていた。メフィは一瞬戸惑ったが、すぐ言われた通りに服を取りに行った。

「ねえ……まだ濡れてるよ?」

「分かってる」

 肩越しに服を渡されるなり、エルクはすぐさまそれを着込んだ。当然ながら全く乾いておらず、体に張り付く様子も干す前と変わっていない。

 しばらくはエルクの背中を見つめていたメフィだったが、呆れたように溜息をひとつつくと、彼に続いて自分の服を身に着けることにした。

「メフィはどう思う?」

 ずれて張り付いた部分を気にしながらエルクが問いかける。

「少なくとも隊商の人じゃないよね。……あとは、追手とか」

 それに対するメフィの返答は、どこか怯えているような、気迫のないものだった。

 二人が気付いたのは、人の声。

 まるで呻くような声が、雨の音に混じって聞こえてきたのだ。それも、二人のいる巨木のすぐ反対側から。

「追手……って、何の? それはないんじゃないかな」

 苦笑しつつも、エルクは油断せず声の出所へ気を配っている。急に服を着たのは、そちらの様子を見に行くためである。

 一方、エルクに苦笑されたのが気に食わなかったのか、メフィが頬を膨らませていた。不機嫌モードに逆戻りしてしまったようだ。

「あるわよ! 私、レダーコールで武器持った奴に追い回されたのよ?」

「……え?」

 突然の暴露に、エルクが目を丸くして振り返る。自己の世界に入って説明しているメフィは、エルクの反応には気づいていない。

「途中で気を失っちゃったから詳しくは分からないけど……レダーコールがあんなことになったのは絶対あいつらのせいよ!」

「あ……そう、なんだ……」

「……エルクは見てないの?」

「あ、それが、すぐに気を失っちゃったみたいで」

 はぐらかすような物言いにメフィは疑問を抱いたようだが、追及はやめて何者かの方向に意識を傾けた。今の最優先事項は木の向こう側の人物だ。

「ま、それでも追手ではないと思うよ。一人みたいだし、誰かを探してるふうでもないし」

「じゃあ他に考えられる可能性は?」

「そうだなぁ……僕ら以外の生き残りじゃない」

 あまり期待をした様子のないエルクの声。メフィに表情を見せないように、幹に張り付いて木の裏側の状況を窺っている。メフィはそんなエルクの態度のほうが気になったようだが、口に出して尋ねることはしなかった。

「……もしそうなら、一緒に連れてく?」

「どうしようか」

 現在の二人は、ひとまず落ち着くために隣の街を目指している最中だ。それ以後の事も含めて、他は何も考えていない。考える余裕がない、と言った方がいいかもしれない。

 そんな状態で新たに同行者を増やすのは、双方にとって良い結果とならない可能性のほうが高い。もちろん隣の街につくまでの間だけ共に行動するなど、一時的であればそうとも限らないのだが。

 エルクは問いに答えず、大きく横に伸びる根に飛び乗った。そこで何かを思いついたように振り返り、ついてきていたメフィと目を合わせる。

「少し様子を見てくるから、メフィはここで……」

「?」

「じゃなくて、僕から離れないようにね」

「……勿論よ」

 エルクが手を差し伸べると、メフィは一瞬だけ笑い、嬉しそうにその手をとった。



「何か見える?」

「うーん、まだ何も……」

 下方を見つめながらエルクが首を振る。今もまだ先刻の呻き声が聞こえてきており、大体の位置まで把握することが可能だ。だが生い茂る草の丈が思いの外長く、人の姿らしきものは捉える事ができない。

「降りてみようか」

 根の上からの偵察を諦め、反対側へ降り立つエルク。メフィもすぐ後を追い、列になって歩き始めた。慎重になって歩みが非常に遅いのは二人共の事で、草を踏みしめる度に動きを止め、周囲の様子を確かめている。

 ただ、エルクは何かを警戒してではなく、メフィを気遣ってそれを行っているようだ。

「も、もうちょっと早く行ってよ」

「どんどん行っちゃおうか?」

「……っ! い、イジワル!」

 メフィはエルクにしっかりとついてきている。やはり不安なのだろうが、もう少し素直でもいいのではないかとエルクは思わないでもない。

 少し歩いてみて分かったのは、草や木の根がエルクの考えている以上に複雑に伸びているということだった。服を干していた向こう側とはまるで様子が違い、誰かが横になっているとその姿は簡単に隠されてしまいそうだ。近づいてみてこの探しにくさなのだから、根の上からなど見つけられるはずがない。

「……あ、また」

 再び声が聞こえる。かなり近く、それこそ目の前から聞こえているかのようなのに、その姿を見つけられない。

 これ以上進むと、逆に声から離れていってしまう。そう判断したエルクは、周辺を丹念に捜索し始めた。足元に注意を払いながら歩いていると、メフィもそれに律儀についてくる。

「躓きやすいから気をつけてね」

「分かってるわよ……ひゃっ!?」

「って、メフィ!」

 メフィが突然素っ頓狂な声を上げ、思い切り顔面から倒れこんでしまった。エルクの言ったそばから突き出ていた根に足を取られたらしい。幸いにも顔の着地点は草地だったようだが、またしても体が汚れてしまったのは間違いないだろう。

「だ、大丈夫?」

「もぅ、最悪……あ、え?」

 半泣きで立ちあがろうとしていたメフィが、草の中へ視線を向けて動きを止めた。一瞬だけ訳の分からないような顔をしてから、それがみるみる青ざめていく。

「メフィ?」

「エルク……そ、そこ……!」

 メフィの指さした方へ、エルクも視線を向ける。くまなく探しているつもりだったので半信半疑だったのだが、草の下から姿を現した人の姿を認めるとエルクも呼吸が止まりそうになった。


 そこには、草と根に守られるように横たわる少女の姿があった。

お読みいただいてありがとうございます。

気まぐれに更新させていただきます。大学の講義の関係から、恐らく更新は土日か水曜になるとおもいます。それも気まぐれで変化する気がしますが。

かなり気の長いプロットにしたので、いくらか更新されてからまとめて読んだ方がいいかもしれません。

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