28話 蜘蛛の里へ(前)
「彼女がシオリって人について知ってるって?」
シューラからの報告を聞いたエルクは思わず眉をひそめた。
「はい。どのくらい仲がいいのかは分かりませんけど、ご存じなのは間違いないです」
「それは願ってもない話だけど……よく教えてくれたね?」
「あ、いえ、直接聞いたわけじゃないんです。名前に反応したので、そうじゃないかって思っただけで……」
「うーん、確かに可能性はあるだろうけど」
シューラを疑うわけではないが、根拠にして行動するには不安が残る。もう一つ確信に至るきっかけが無い限り、彼女に直接問いただしたりはしないほうがいいだろう。
いずれにせよ、彼女が話したがらない以上無理に訊くのは可哀想だというのがエルクの結論だった。
「ひとまず体力は回復してきたみたいだね、でもあの様子だと、まだ一人で動き回るのは難しいんじゃないかな」
「……明日もここから動かないんですか?」
「支えてあげれば歩くくらいは大丈夫かも。彼女が蜘蛛族の里まで案内してくれれば理想的だけど、僕たちに触られるのも嫌がってるしなー……」
エルクやメフィとは、会話どころか目も合わせようとしない。特に協力する理由もない現状で彼女に案内を期待するのは難しいだろう。
「何とか心を開いてくれないでしょうか……」
「誰もがシューラみたいには切り替えられないんだよ。迫害されている側は特にね……今日はもう寝よう、疲れたでしょ」
簡素な就寝器具を取り出しながら、エルクは諦めたような力の無い溜息をついた。
すでに時間は深夜にまで及んでおり、エルクの置いたいくつかのランタンが森の中を不気味に照らしあげている。灯りの淡いオレンジ色が木々を塗り潰す闇色の中で孤立して輝き、暖かな光でありながら閉塞感を覚えさせられてしまう。
「……」
「怖い?」
「いえ、そうじゃないんですけど……なんだか、変な感じです」
シューラの瞳がエルクを、そしてランタンの前でノートに何か書いているメフィを見る。
「怖いはずなんですけど、エルクさんとメフィさんが一緒にいるって思うとホッとするんです。不思議ですよね」
「なんか……照れる」
背中のあたりがむずかゆくなり、熱くなった顔を手で仰ぐエルク。頼られているというのは嬉しくもあるが、やはり気恥ずかしいものがある。真顔でエルクを見つめている様子から、シューラは本心からそう思っているのだろう。
「……ランタン、いくつかは点けたままにしておいたほうがいいよね」
「そうですね。真っ暗だと危ないですからね」
苦し紛れの言葉に対してもシューラは素直に頷く。
もはや何も言えなくなったエルクは、ただ黙って就寝の準備を進めることにした。
「…………」
全員が寝静まったのを見計らい、少女はゆっくりと体を起こす。
点けたままのランタンのおかげで、月明かりの差し込まない状況でも三人の様子がよく確認できる。一か所に纏まり、少女ともやや距離を詰めて丸くなっているようだ。
彼らの傍らには猛獣除けの鈴が提げられ、少女のすぐ傍にも同じ物が取りつけてられていて音を発している。食事の後始末なども獣をおびき寄せないよう工夫を凝らしており、野宿に関する相応の知識は備えているようだ。
「…………」
悪人ではないかもしれないが、油断のならない相手。それが少女の下した三人の評価だった。
特に、片腕だけで自身を引き落としたエルクに向けた警戒は強い。人間そのものに対する不信も加わり、必要以上に近づくまいという決心は強くなる一方だ。寝首をかかれはしないかと神経を尖らせるのも過ぎた心配とは言い切れないだろう。
まだ体力は戻っておらず、独りでの行動は危険が伴う。夜が明けて三人がどうするつもりなのかもよく分からない。今後の行動が予測できないからこそ、安易に判断を下すことは躊躇われてしまう。
「…………」
右腕に巻かれた包帯の端に視線を落とす。
自分の手当てをした。それが、少女にとって何よりも理解できないことだった。
彼らを襲撃したのは紛れもない事実だ。命を奪うつもりこそなかったものの、多少は怪我をさせても構わないと考えていた。
そんな相手を助けようとするだろうか。何か裏があるのではと勘ぐってみても、彼らの決定的なメリットとなり得る事項は思い当たらない。蜘蛛族に近づくためだとしても、その場にとどまって手負いの子供を介抱するより効率のいい方法はいくらでもある。
「…………」
彼らの純然たる好意――一瞬だけ浮かんだその可能性を、少女はすぐさま打ち消した。
人間を信用してはいけない。人間は卑劣な存在であり、親しくなってはいけない。
幼い頃の誓いを思い出し、少女は改めて気を引き締め直す。
長年貫いてきたスタンスを今さら崩すつもりはない。だからこそ、彼らとあまり関わるべきではないと結論づける。
「…………」
それでも、やはり少女の心の奥には釈然としない何かが依然として残っていた。
自身の意志が揺れ動いているのは少女も自覚している。それが分かっていたところで解消できるわけでもなく、結局はその場の流れに身を任せるしかないのだ。自分自身のことがどうにもならないもどかしさが、少女の苛立ちをより一層かきたてる。
少女にとって、このまま彼らの世話になり続けるのは苦痛以外の何物でもない。しかし同時に、安易に彼らとの離別を決意できない理由もあるのだ。
「……」
彼らとの出会いはある種の運命と呼べるのかもしれない――それが下らない考えだと気づいて軽く自嘲すると、少女はゆっくりと浅い眠りに落ちていった。
エルクが目を覚ました時、森は深い霧に包まれていた。
一面を水に溶かしこんだような淡い乳白色が広がり、起き上がったばかりの肌にひんやりとした冷気が触れる。ほのかなランタンの灯りが霧の中に霞んで見える様は幻想的な妖しさがあり、現実とは違う世界に迷い込んでしまったかのようだ。
昨夜から一変した周囲を見回しながら立ちあがる。霧の存在を考慮しても少し薄暗いので、夜が明けてからあまり時間は経っていないようだ。当然のことながら、メフィとシューラの二人は気持ちよさそうに眠っていて起きそうにない。
「うーん、最近妙に朝が早くなったような……」
眠りが浅くなったのだろうか、とエルクは表情を曇らせる。
ここ数日、目が覚める時間帯が極端に早朝へ寄っているのだ。実害はないものの、二人が起きるまでの空いた時間をいつもうまく潰せずにいる。
この霧では景色を眺めることもできない。暇つぶしの手をまた一つ奪われ、エルクはとりあえず手荷物の整理をすることにした。
「……って、あれ。ここに置いといたはずなのに」
枕元にあったはずのリュックが見当たらない。寝ながら蹴飛ばしたりしてしまっただろうかと周囲を見渡し――
「…………」
両手でリュックを持ち上げて硬直している少女と目が合った。
体を起こした姿勢でリュックを眺めまわしていたようだ。蜘蛛族にとってリュックは物珍しいのかもしれない、という解釈は無理があるだろう。
「んーっと」
「……!」
エルクが口を開いた途端に少女が反応を見せる。後ろめたいことをしている、という自覚はあるらしい。
「そんなにビクビクしなくても」
「……!」
「いや、だからって威嚇されるのもちょっとね……」
気を許してもらえるほどの交流はまだない。拒絶の姿勢もある程度は仕方がないと割り切れるが、これほど極端だと対応に困ってしまう。
「…………」
しばらく動かなかった少女だが、唐突に持っていたリュックを突き出してきた。返す、という意思表示だろう。
「あ、ありがとう」
「…………」
リュックを受け取るなり、少女はそっぽを向いてしまった。
受け取ったリュックを見回してみるが、漁ったような形跡はない。あくまで手に持って眺めていただけらしい。その行為に意味があるかどうかは別として、彼女の意図を察したエルクは少女にそっと声をかけた。
「あのさ、もしかして……探そうとしたの?」
「っ!」
何を、とまでは言わずとも彼女には伝わっているだろう。大袈裟な反応を見る限り当たりのようだ。
蜘蛛族の男性から預かっている手紙とペンダント。彼の娘であれば是が非でも欲しがるであろう品であり、当人以外でも他人に持たせておきたくないと考えて不思議ではない。
「あー、ごめん。大切なものだからさ、服の内ポケットにしまってあるんだよ。そのリュックだとダメになっちゃうかもしれないし」
「…………」
少女の注意がエルクの上着に向けられる。しまってある辺りを軽く叩いて見せると、恨めしげだった少女の緯線にわずかな変化があった。
「渡しておいた方がいいかな」
「…………」
しばらく間を置いてから首を横に振る。
「そう? 僕が持ってるより安心できない?」
「…………」
「そこまで嫌がるなら無理にとは言わないけど……」
リュックを手に取って探そうとするほど気にかけているのに、そこで拒否する理由がエルクにはよく分からなかった。まだ一人では動けない状態で受け取っても仕方ないというのもあるかもしれないが。
無理に渡そうとしても絶対に受け取らないだろう。そう判断し、上着にかけていた手を下ろした。
それを眺めている少女は、どこか落ち着かない様子で指を捏ねくり回している。
「どうかした?」
「…………」
何か言いたそうにしているように見え、エルクは彼女からの発言を催促してみた。だが、顔を背けたままエルクと向き合おうとしない。
シューラとはいくらか言葉を交わしたらしいが、やはり人間相手に会話をするつもりはないのだろう。そう考え、エルクは彼女との意思疎通を諦めてリュックへ意識を向ける。
『怒らないの?』
少女から呼び止められたのはその直後だった。
驚いて顔を向けると、少女が顔を逸らしたままエルクの様子を窺っているのが見えた。それまでエルクを近づけまいとしていた様子から一転、怯える子犬のように震えながらエルクの言葉を待っている。
「怒るって、何を?」
『荷物、触ってたこと』
どうやら、勝手にリュックをいじっていたことを気にしているようだ。
その行為が背徳的と知っていてなお、どうしても預かっているものを見つけ出したかったのだろう。動機が許される理由にはなり得ないが、それを差し引いてもエルクに彼女を責めるつもりはない。
「触ってただけだし。それに、君の気持ちも少しは理解できるからね」
『何か盗んでたかもしれない』
「それはないよ」
「!」
この一言には流石に面食らったのか、少女は唖然とした表情をエルクに向けてきた。
『そんなことない』
「自分が一番わかってると思うけどなあ」
『手紙とペンダント、盗むつもりだった』
「いやいや、本気で中身を漁ろうとしてたらリュックを持ち上げたりはしないでしょ」
「……」
図星らしい少女が沈黙する。
エルクのリュックは上から開くオーソドックスなタイプであり、当たり前だが中を覗くのに持ち上げる必要はない。彼女がリュックを持ち上げていたのは、後ろめたさから中身を物色できず、なんとか外側から見つけ出せないかと思案していたのだろう。
「もし見つけられてたとしても、そこまで優しい人が盗みを働くなんて思えなくてね」
「……」
思ったままを告げたエルクに、少女は訝しげな視線を向けてきた。
『お人好し?』
「あはは……うん、よく言われる。あんまりおせっかい焼くから、いつか絶対痛い目見るって呆れられてばっかりでね」
一緒に旅をしている幼馴染には今なお言われ続けており、同伴者がいる以上は改善すべきだと自分自身でも感じている。根っからの性格に起因しているらしく、彼女からは変わっていないと評価されているが。
「行き過ぎると迷惑になるって分かってるつもりなんだけどね……。やっぱり、迷惑だったかな? 人間の僕たちと関わりたくなかった?」
前日から不安に感じていた事を恐る恐る確認する。今更な質問ではあるが、メフィとシューラまで巻き込んで余計な世話ばかり焼いていてはいけないという思いも大きくなりつつあるのだ。
『最初は、そうだった』
「最初はって、じゃあ今は……」
『認めたわけじゃない。ただ、』
「ただ?」
「…………」
言葉を途中で区切り黙り込んでしまう少女。何を言いかけていたのか、瞳にはそれまでなかった強い光が宿っている。
何かを決意したような、そんな輝きのようにエルクには映った。
「んあ? おはよー、エルク」
起きてきたメフィが現状を確認し、間の抜けた挨拶を口にする。少女が起きていることに対しては大きな反応を見せない。
「ん、おはよう。シューラはまだ寝てるの?」
「たぶん。あ、おはよー」
「…………」
メフィに声をかけられた少女は黙ってそっぽを向いてしまった。訊きたかったことは体よくかわされてしまったらしい。
今から追求するのもしつこく思われるだろう。そう考え、エルクはこれからの事に話題をシフトすることにした。
「シューラが起きたら朝ごはんの準備しようか」
「ん、賛成。ちなみにメニューは?」
「うーん……パンにハムでも乗せようか。朝から重いものは食べにくいし」
「やった! エルク分かってるじゃない」
上機嫌になったメフィを見て、朝食はパン派というメフィの発言を思い返す。一度の食事の献立だけでここまで喜べるというのはある意味で羨ましくなるほどだ。
「…………」
「む……そ、それはそれとして」
少女の視線に気づいたメフィが咳払いをして冷静さを取り戻す。
「結局、これからどうするの?」
「何を?」
「今日の予定。しばらくはここで待機ってことでオッケー?」
どうやらメフィも今後の行動についてエルクと同じ見解を持っているようだ。話が早いとばかりにその意見を肯定する。
「うん。この子が一人で動けるようになるまでは移動できないよね」
『余計なお世話』
「う……」
すかさず入った少女からの指摘にエルクは言葉を失う。正論ではあるのだが、このまま置き去りにしないというのは三人の共通意見だ。
「……いや、せめて君が里に帰れるようになるまでは一緒に居させてほしいよ。怪我させた一端を担ってるわけだし」
「そうそう。あ、里まで案内してくれるんだったら連れて行ってあげることもできると思うけど」
「…………」
すぐに否定するかと思われたが、少女は何かを考え込むように俯いてしまった。
この短い間に意見が変わるようなことがあっただろうか。それを考え始めたエルクは、そこで初めて少女の変化に気付いた。
先刻までとはエルクたちに対する「構え」が違う。単に敵として警戒しているだけでなく、獲物を前にした捕食者のような殺気が彼女からにじみ出ているのだ。
『分かった』
その一言までの長い静寂は、和やかになりつつあった場の空気を一変させるには充分な時間だった。
『案内する』
ある種の決意を感じさせる表情で、少女はエルクたちと向かい合う。
『蜘蛛族の、あたしたちの里へ』
それはまるで――文字通り蜘蛛の巣へと誘い込むような、不気味なほど冷たい誘惑のように感じられた。
「なぜ、二人と限定したのでしょうか」
長い廊下を歩く老人の横に、若い男がついて歩き始めた。両者ともデザインの共通する青い制服を纏っており、同一の組織に身を置いていることが分かる。
「『奴ら』の存在を想定すれば、より人員を要するかと思いましたが」
「焦るな」
老人の短い一言で男は委縮して黙り込んだ。
「急ぐ必要はない。今はまだ……そう、見定めるべき時期だ」
「見定める、ですか」
「『奴ら』がこの機にどう動くのか……それを確かめる意味で、二人という数字は妥当であり最上級の答えだろう」
「つまり、今回の件については成否を問わないということでしょうか」
男の質問に老人は答えない。
口を噤んだまま老人は足を止め、廊下の片側に張られた巨大な窓から外へ視線を映した。
「我らだけではない、全ての人間の命運がかかっているのだ。目先の事ばかりに気を取られていては、いずれ取り返しのつかないことになる」
「はい」
「だからこそ、我らは誰よりも冷静に事態を見極めなければならない。そのために生まれたのが『世界委員会』なのだから」
「おっしゃる通りです」
男が力強く頷く。その返答に一切の迷いはなく、老人の発言に対して心から敬意を表しているのが分かる。
再び歩き出した老人に男も続く。
そして彼らが去った後、廊下は再び静寂に包まれた。
調理の過程で火を使ったわけでもなく、その朝食は料理と呼ぶにはあまりに簡潔すぎる品だ。それでも旅の面々には好評のようで、メフィは二度もおかわりを要求してきた上にエルクより先に完食してしまっている。
「あの、エルクさん」
エルクの耳元で、シューラが声をひそめて囁いてきた。
「あの子、急に気が変わったみたいですけど……何があったんですか?」
「それが僕にもよく……」
二人の視線が少女へと向けられる。それには気づいた上で無視するつもりなのか、少女は二人から若干ずれた方向に視線を向けてこちらの様子を窺っているようだ。
彼女が蜘蛛族の里までの案内を申し出てくれたことは、シューラにも起きて間もなく伝えてある。出発の準備も整えてあり、食事が済めばすぐにでも動き出すことが可能だ。
「考えが変わるきっかけみたいなことはありました?」
「……思いつかないなあ。今朝の話もそこまで突飛なものじゃなかったよ」
「分かってくれた……というわけではなさそうですね」
「うん。あ……そういえば、今朝話をした時からちょっと様子が変わったようには感じたかな。いい方向って雰囲気じゃないけど」
彼女の敵意には明確な変化があった。それと彼女の心変わりにどれほど関わりがあるかは分からないが、全く無関係ということはないだろう。
「何か思うところができたのかもしれないね。あるいは、里の場所を知られて構わないような手段を思いついたとか」
「こ、怖いこと言わないで下さいよ」
「ごめんごめん。でも、あの子が悪い子じゃないのはシューラもよく分かってるでしょ」
「そんな簡単に割り切れるものなんでしょうか……」
不安そうなシューラをよそに、エルクはパンの最後のひとかけらを口に放り込む。
エルクにとって彼女の思惑と彼女への信頼は関係のないものであり、何を企んでいたとしても彼女を疑うつもりはない。エルクの中ですでに彼女は信用できる人物として認識されており、彼女の申し出を受けるのに弊害となるものは何もなかったのだ。
例えそれが罠であったとしても、悪意を持って陥れようとしたのではないと『信じて』いる。
「でも今度こそ命の保障はないかもしれないんだよね……それはさすがに心配だよ」
そういう観点で、メフィとシューラを連れていることがどうしても気がかりになってしまうのだが。
「二人を巻き込んでまでする事じゃなかったかもしれないね……考えが甘かったかな、ごめん」
「……大丈夫、だと思います。エルクさんが信じているなら、私もあの子を信じます」
怯えていたようだったシューラから、エルクの予想していなかったそんな言葉が返ってきた。
「それに、何かあったとしても、私たちはエルクさんがいればへっちゃらですから」
「…………」
「エルクさん? 顔がトマトみたいになってますけど、大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込んできたシューラに対し、エルクは思わず顔を逸らしてしまった。
その発言に他意がないのはキョトンとした彼女の表情からよく分かる。だからこそ、異性との付き合いに慣れていないエルクにはどう対処していいか分からないのだ。
「風邪でもひいたんでしょうか……山の気温は変わりやすいって言いますし、野宿の時に体が冷えてしまったのかもしれないですね」
「いや、変わりやすいのは気温じゃなくて天候だと思うけど……」
突っ込みを入れることで、エルクは瞬間的な緊張から解放される。
それがメフィとシューラの偽りない本心だと分かっていても、やはり面と向かって言われて平然とはしていられない。メフィはそうしたことを積極的に口にする性格ではないので、これまでに免疫ができるきっかけはなかった。
「なんか、シューラと一緒になってからドキッとさせられることが増えた気がするよ」
「……それ、喜んでいいんですか?」
何でも隠さず打ち明けてくれるシューラだからこその変化と言えるだろう。それが良いか悪いかまでは明言できないが。
「二人ともどうしたの? 早く食べて出発しようよ」
「あ、はい!」
待ちきれなくなったらしいメフィが声をかけてきた。まだパンを少し残してたシューラは、それを急いで口に運んでからすぐに立ち上がる。
「ほら、エルクも」
「う、うん」
エルクは彼女ほどすぐに気持ちを切り替えられず、やるせない緊迫感を引きずったままゆっくりと立ち上がって出発の支度を整え始めた。
「…………」
無関心を装っていた少女は、気が付けば三人の様子に釘付けになっていた。
彼らは自分にない何かを持っている。それが何であるかははっきりしないものの、それに対して羨望の感情を持っていると自覚した時、エルクたちから目が離せなくなってしまったのだ。
(なんでかな……胸が、苦しい)
ズキリと痛んだ部分を押さえつけ、感傷を心の奥にしまいこむ。これからしようとしている事を想像すると、些細なことで後ろ向きになっている余裕などないのだ。
「…………」
少女はもう一度気を引き締め直し、自分自身を隠すように心の仮面をそっとかぶり直した。