24話 そして彼女は微笑む
緑色の丘を風が吹き抜けていった。
柔らかい日差しを受けて大地が淡く輝き、風に合わせて静かにざわめく。頂を見上げた先には色鮮やかな蒼空が広がり、綿を押し固めたような雲が風に流れることなく座り込んでいる。
それ以外は何もない、見渡す限りの草原。
穏やかな風が頬を撫でる。温度も湿度もなく、わずかに残る清涼感が心地よい。一切の苦痛を取り払ったような開放感が全身を駆け巡っていく。
人目もはばからずに走りだしたくなるようなその場所に、エルクは一人で立ち尽くしていた。
(ここはどこだ……? こんなところ、僕は知らない)
辺りを見回すが、やはりエルクの記憶と一致する情景ではない。どこを向いても草葉と空ばかりが映り、強く印象に残る場所ではないように感じられる。
しかしエルクは、目の前に広がる風景に不思議な感情を抱いていた。
(知らない、はずなのに……なんでこんなに、懐かしいんだろう)
こみ上げてくるものを抑え込むように胸を押さえる。
見覚えのないはずのその景色に、エルクは心が締め付けられるような感覚に陥った。ずっと昔に置き忘れてきてしまったような、そんな儚さを孕んだ郷愁が琴線に響く。
その正体も分からないまま、エルクはそこが『大切な場所』であると確信した。
周囲を見回していると、丘の上に立つ一人の人物に気付いた。
つばの広い真っ白な帽子に真っ白なワンピースを身に着けており、女性であることが窺える。帽子は風で飛ばないように手で押さえ、長いスカートを優雅にはためかせながらエルクのことを見下ろしている。
エルクから彼女の元までは少し距離があり、表情まではよく確認できない。
にもかかわらず、エルクには彼女が自分に向けて薄く微笑んだように見えた。
彼女に呼ばれているような気がしたエルクは、何ともなくつま先をそちらへと向ける。青空をバックに佇む純白の女性は、この世のあらゆる穢れを取り払ったかのように気高く美しい姿に映った。
一歩、踏み出す。それに呼応して女性もエルクに体を向ける。そのわずかな仕草の中に、エルクは見覚えのある影を見た気がした。
(……誰だろう)
ゆっくりとした足取りが少しずつ早く、そして駆け足になっていく。
どこまでも続く新緑の世界に包まれ、いくら足を動かしても近づいていく実感が得られない。すぐ近くにいるように見える女性の存在が、ひどく遠いもののように感じられる。
いつまでもたどり着かないことにもどかしさを感じながら、それでもエルクは立ち止まろうとしなかった。
彼女に会いたい。会って話をしたい。
エルクを突き動かすのは、理由も分からないそんな一つの思い。
他には何も考えられず、がむしゃらに女性に向かって走り続ける。
不意に女性が手を差し出した。それと同時に、今まで全く進まなかったエルクの体が軽くなり、宙に浮かぶようにして急速に女性との距離を縮めていく。
それはまるで、女性の方がエルクを呼び寄せているかのようだった。
そのままでは女性を飛び越えてしまいそうな勢いだったが、エルクの思い描く通りに減速し、女性の少し手前でふわりと着地をする。
女性までの距離はあと数歩。差し出していた手を下した女性は、再び帽子を押さえてエルクに顔を向けている。表情の確認もできそうな距離だが、帽子の影になってまだ確認することができない。眩しいほど光輝いている丘の中で、それは意図的に隠しているかのような不自然な暗がりだった。
一呼吸置き、一歩ずつ確実に女性に歩み寄っていく。
焦って近づくと、この世界もろとも彼女の存在が崩れ去ってしまうのではないか。そう感じてしまうほど彼女の存在は淡く、そして儚い。
(綺麗だ……)
会話のできるギリギリの距離でエルクは立ち止まった。それ以上近づくことはどうしてもできなかったのだ。
女性は何も言わず、帽子から手を離して後ろ手に組んだ。清楚で大人びているようであり、どこか子供らしさも感じさせる不思議な魅力が感じられる。
こちらの言葉を待っている。何も言われなかったが、エルクはなんとなくそんな気がしていた。
「ずっと、あなたに会いたかった――そんな気がします」
しばらく考えてから、奇妙な言葉が口をついて出た。
挨拶や自己紹介など、初対面の相手に対してかけるべき言葉はもっと他にあるはずだ。言ってしまってからエルクは、自分の顔が紅潮するのを感じた。
その言葉を女性はどのように受け取ったのだろうか。何も反応を返さないために窺い知ることができない。
風が止み、たおやかにたなびいていたスカートが大人しくなる。ざわめいていた草原も音を消し去り、世界から二人が切り離されたような錯覚に陥ってしまう。
世界が薄らいできている。世界が消滅しようとしている。
エルクの全身の感覚がそう告げていた。
「私も、同じ気持ちだったかもしれない」
静寂に満ちた中で、そっと呟かれたそれはよく聞きとることができた。
落ち着いた印象の大人の声。聞き覚えがある気がするのに、それらしい記憶は蘇ってこない。とても大切な人であるということだけが分かり、エルクをいっそう悲しくさせる。
「エルク……会いたかった」
そして女性は、それまで顔を覆うように被っていた帽子を頭から下ろした。
「あ……」
煌めく日の光に女性の顔が照らされた。それまで影になっていて見えなかった部分がエルクの目に飛び込んでくる。
「メフィ――?」
女性の顔は、エルクの幼馴染である少女そのものだった。
「う、んん」
短く呻いてから、エルクは重い体をゆっくりと起こした。そうするとまず最初に、昨晩の野営の名残である焚き火の跡が視界に入る。
その傍で寄り添いあって眠っているメフィとシューラの姿を認め、エルクはここが現実であることを確認した。
先刻まで夢を見ていたはずなのだが、内容をよく思い出せない。胸が苦しくなるような切なさが残っているのだが、やはり思い出すことはできなかった。
空を見上げると、まだ薄暗い中に点々と星が瞬いている。どうやら少しばかり早く起きすぎてしまったようだ。二度寝をしようにも、疲労が取れているためすっかり目が冴えてしまっている。頭は驚くほど覚醒しており、眠るのは諦めるしかないだろう。
二人を起こさないよう、極力音をたてずに立ち上がる。かといって今のうちにしておきたいことがあるわけでもないので、手近にあった程よい大きさの岩に腰かけ、辺りを眺めながら時間を潰すことにした。
空の彼方にうっすらと見える朱色の輝きはエルクの周辺まで届いていない。かろうじて物の形を判別できる程度で、世界のほとんどは未だ闇の中に沈んでしまっている。
道の両脇に生える木々は北上するにつれてより高く、鬱蒼と茂るようになった。レクタリア周辺までは広大な印象のあった街道も、林立する樹木によって視界が制限されてだいぶ狭くなったように感じられてしまう。闇に覆われた枝葉は四方からエルクを囲い込み、まるで押し潰そうと迫ってきているかのようだ。
レダーコール近郊での解放感を知っているエルクにとって、それはいささか窮屈でもある空間だった。
それでも、地上を覆っている空はかつて故郷で見ていたものと何も変わっていない。
点々と撒かれている星も、煌々と広がる澄み切った蒼も、かつてのそれと同じなのだと実感できる。この雄大な空と比べてしまえば、相当な距離のように感じているここまでの道のりもごくわずかなものなのだろう。
自分がひどく矮小な存在に感じられ、空虚感がエルクの心をよぎっていく。それと同時に、無限のようにも感じられる広大な世界を想像して思いを馳せた。
「エルク?」
名前を呼ばれ、ぼんやりとしたまま振り返る。
好き放題に寝癖の跳ねまわっているメフィが欠伸まじりに近寄ってきていた。頭の上の惨事は気にする様子もなく、岩に腰をおろしているエルクを寝ぼけ眼で見つめている。
「起こしちゃった? おはよう」
「早すぎるわよ。何してたの、まだ日も昇ってないのに」
特に断りも入れず、エルクを押し出すようにしてメフィも岩に座り込む。図々しいなどと指摘したりはせず、エルクは自ら岩の半分を彼女に明け渡した。
「いや、なんでか目が覚めちゃっただけ」
「ふぅん。で、空を見てたんだ」
エルクの言葉に誘われるようにメフィが群青色の空を仰ぐ。
岩が小さいため、二人の肩はぴったりと触れ合っている。ついさっきまで眠っていたせいか、メフィの体はひんやりと冷たい。じっとしているのが苦手なのか、岩につくことのできないエルクの側の手が居場所のない様子でもじもじしている。
そのままでは落ち着かなさそうだったので、エルクは自らの手を重ねて優しく握りしめた。
「!」
驚いた様子でエルクに顔を向ける。嫌がられたとも思えたが、振りほどいて拒絶してくるようなことはなかった。何も言わないまま、すぐに視線を空に戻す。
そしてメフィも、エルクの手を握り返してきた。
「ねえエルク、旅にはもう慣れた?」
世界が少しずつ明るんできた頃に、メフィが早朝の沈黙を破って口を開いた。
「急にどうしたの?」
「レダーコールを出てだいぶ経ったし、そろそろ何か不満も溜まってきた頃かなーって思って。あ、無ければ無いで別にいいんだけど」
ニコニコと笑いながら妙に饒舌なメフィ。悪意は感じられないものの、どういった意図でそんなことを言い出したのか読み取ることができない。
返事を渋っても機嫌を損ねるだけなので、エルクは邪推をやめて素直に返答することにした。
「これと言ってあるわけじゃないよ。まだそんなに遠くまで来たわけじゃないしね」
「そっか」
メフィの返事はひどく素っ気ないもので、エルクにはその時のメフィがひどく落ち込んだように見えた。
持ち前の明るさから笑顔を保っているように見えるが、エルクにはその表情が上辺だけのものであると分かる。
「ねえ、エルク。少しだけでいいから、何も言わないで私の話を聞いて」
だからこそ、彼女からのその提案がひどく恐ろしく感じられた。
エルクの思い悩んでいることに心当たりがあるようだ。そうであった場合を仮定しての『話を聞いてほしい』なのだろう。
「思い違いだったらごめん。でもあの、あのね? もし辛いこととかあったら、独りで抱え込まないでね。私でもシューラでもいいから、できるだけ私たちにも教えて欲しいの」
「う、うん。何かあったらすぐ話すようにはしてるけど」
「そうじゃないのよ。エルクが黙っておいた方がいいかなーって感じたことも、なんとか私たちに聞かせてもらいたいなっていう意味」
エルクが何か隠していると確信しているかのように、メフィの言葉は休むことなく語られていく。
「エルクが辛いのを和らげられるとか、少しでも共有してあげられればとか、そんな自惚れてるつもりはないよ。エルクがどうして苦しんでるのか、それすら分かってあげられないかもしれない」
虚勢を張って取り繕っていた空っぽの元気が、メフィの表側から少しずつ剥がれ落ちる。
「でも、でもね。それでも何もしないでいるなんてイヤなの。知らないままでいたら、いつか絶対後悔するもん。もし、できることなんて何一つなかったとしても」
必死な様子の彼女に、エルクは言葉を返すことができない。
「だから、お願いだから、私たちを独りにしないで。いつだってエルクと一緒にいるんだから、離れていったりしないで」
全てが剥がれた後に残っていたのは、メフィの抱える途方もない不安だった。
今の彼女に対してどう接すればよいのか、エルクは見当が付けられない。これまでにメフィはもちろん、誰からもそんなことを言われた経験はないのだ。
メフィが変わってしまったわけではない。もちろん平和な日々を過ごしてた頃と比べれば彼女にも変化はあるのだが、こんなことを尋ねられるというのは彼女だけに原因があるわけではないだろう。
何よりも変わってしまったのは他でもない、エルク自身なのだ。
それを自覚しているからこそ、メフィの言葉を聞き流すことができない。
「……努力、するよ」
口にできたのはそれだけだった。
素直な肯定でなかったためか、メフィの表情はやはり浮かないままだ。彼女の不安を解消してやりたいと感じつつ、それでもエルクは全てを打ち明ける気になれずにいる。
それが本当に正しいのか、判断をつけることができないために。
「やっぱり、言いにくいことなんだ」
悲しそうに呟き、メフィの手がエルクから離れる。いつの間にか彼女の体温に慣れていた肌が外気に触れ、その温度差で手の甲がわずかに粟立った。
「その、ごめん」
「やめて、謝らないで」
顔を背けるように岩から立ち上がり、シューラの眠っている方向へと歩き始めるメフィ。
「……少し、一人にさせて」
それだけを言い残し、エルクとの会話を完全に打ち切ってしまった。
またしても怒らせてしまったようだ。しかし、これまでの場合とは怒りの方向が明らかに違う。むしろ、深く傷ついた時のような物憂げな感情を漂わせていたようにも感じられる。
怒らせるようなことをしたという自覚はあるが、彼女の様子が普段と違う理由はよく分からなかった。
メフィにも何か思うところがあるのだろう。
それ以外、今のエルクに出せる結論は存在しない。
全ては自分に非があると理解しながら、それでもどうすることもせずにいるのだから。
彼女は何も知らない。それだけでは到底納得しきれない、辛辣な自己嫌悪がエルクの心を暗色に染め上げていく。
エルクに声の届かない辺りまで離れたところで、ようやくメフィは立ち止まった。
走ったわけでもないのに呼吸が苦しくなり、胸を押さえてうずくまってしまう。
「エルクの、バカ」
口に出してみても感情の昂ぶりはまるで収まらない。ズキズキと胸の奥が痛み、無力感に顔をあげられなくなる。
「なんで何も話してくれないのよ」
その憤りを、エルク本人にぶつけようという気はメフィには無かった。
本当に許せないのは、何もすることができずにいる自分自身なのだ。エルクが何かを隠していると分かっていながら、彼自身から話してくれなければどうしていいのかさえ分からない。
無力な自分自身こそ、メフィにとって忌むべき対象なのだ。
『エルクさん、誰かが傷つかないように何かを隠そうと嘘をついて、その嘘を独りっきりで背負いこんでいるみたいで――』
かつてのシューラの言葉が脳裏に蘇る。
「……そう、なのかな」
長く一緒に生活していたメフィにも彼の嘘には気づけなかった。旅に出る以前と以降を比べても、エルクの行動に不審な点は思い当たらない。
物心ついた頃から一緒に遊んで、彼のことは何でも分かったつもりでいた。お互いに何でも気兼ねなく話し合ってきたつもりでいたメフィは、エルクも自分と同じ考えであると信じて疑わなかった。
だからこそ、エルクが自分に隠し事をしていたという事実がメフィにはショックだったのだ。
「エルク、私にできることはないの? 傍にいるだけなんて、そんなの辛すぎるよ……」
その事実を知ったメフィの心に湧き上がってきた感情は、怒りではなく悲しみだった。
「エルクのバカァ……」
もう一度不満の声を漏らすと、メフィは虚しさに誘われて空を仰ぐ。
明るんできた空は、いつの間にか夜が明けていることをメフィに知らしめていた。
「はふっ」
とろとろのお粥を一口。余分な調味料はほとんど入れておらず、少量振り掛けた塩昆布の味が口の中に広がる。
溶かしたご飯粒に代わり塩昆布が程よい食感を生み出していて、珍しい材料を用いたわけでもないただのお粥がまるで別の料理のようだ。シンプルでありながら決して単調ではなく、最後まで癖のないさっぱりとした味わいがさらなる食欲をかきたてていく。
ゆっくりと喉に下したシューラは、軽く息をついて感慨に浸った。
手にしたお椀にはまだたっぷりとお粥が注がれており、霧のような湯気の中で白く輝いているように見える。とても野営での食事とは思えない出来栄えなのは、レクタリアでの準備とエルクの料理技術の賜物だろう。
「……?」
やや高揚した気分で顔を上げたシューラは、向かいで繰り広げられているエルクとメフィのやり取りを聞いて首を傾げた。
「朝はずっとパンだったから、お粥って新鮮であんまり慣れないなあ」
「ああ、そっか。パンも用意しておけばよかったね」
「あ、ううん、そういう意味で言ったんじゃないんだけど」
一見するといつも通りのやり取りのようにも見える。メフィの快活な様子などは何も変わっていない。
問題はエルクの方だ。彼も平静を装ってはいるが、メフィへの態度が普段と違う。今の場面でも、これまでのエルクなら「贅沢言わないの」などと説教をしていたはずだ。シューラの目には、彼がメフィに対して萎縮しているような感情を持っているように見えた。
「あの、エルクさん」
「ん、どうかした? もしかしてお粥は口に合わなかったかな」
「い、いえ! とんでもないです、すごくおいしいです」
「それはよかった。火傷には気をつけてね」
「は、はい……」
直接訊き出そうとしたのだが、エルクにうまくはぐらかされてしまった。
シューラには普段のように接してくれるので、彼自身に心境の変化があったわけではないようだ。見た限り、エルクとメフィの間での問題だと推測できる。
メフィとの間で何かあったのだとすれば、これ以上はシューラが探りを入れていい部分ではない。そう自身に言い聞かせ、シューラは気を取り直すようにお粥を口に含んだ。
じんわりと口内に広がっていく塩の辛味が、シューラに居心地の悪さを噛みしめさせていく。
「昨日はだいぶ歩いたけど、あとどのくらい?」
器に残ったお粥をまとめてかきこみ、メフィが頬にご飯粒を張り付けたままそう尋ねた。エルクが無言で自分の同じ個所を指でつついて見せると、慌ててつまみ取って口に運ぶ。
「うーん、元々目的地がはっきりしてないから何とも言いにくいんだけど」
食事の後片付けを始めながらエルクが渋い顔をした。
目的地であるヒューク山は、進んでいる道の先に確かに見えている。壁のような山脈がいくつも横に連なっており、目を引くほど頭の出ている山ではない。ただし、突き上げられた剣のように切り立った姿は畏怖の対象とするには充分な威厳を放っている。
視線を霊山に向け、そのまま数秒。
「うん……麓までであと三日はかかるかな」
「ええぇ、そんなに!?」
その返答は予想外だったのか、メフィがオーバーに驚いて見せる。
目で見るだけでも、ヒューク山までの距離がまだかなりあるというのは分かりやすい。相当遠いらしく、山全体が青色じみたシルエットのように映る。当然のことながら、蜘蛛族の集落を目視できるような位置ではない。
「しかも、山に着いたら蜘蛛の人たちを探さなきゃいけないんでしょ? ってことは、もっと時間がかかるかもしれないってことで……」
彼女は何日で済ませるつもりだったのだろう、とエルクに疑問符が浮かぶ。エルク一人の判断で蜘蛛族の男性の頼みを受け入れてしまったので、彼女に予備知識が無いのを責めることはできないのだが。
「まあ、このまま山に入るつもりはないよ。山の手前にちょっとした集落みたいなのがあるらしいから、そこで態勢を整え直すつもりでいるんだけど」
「なんだ、よかった。こんな状態で山登りなんて冗談じゃないわよ」
「そうだよね」
メフィの不満をエルクも否定しない。
レクタリアで済ませた支度は、あくまで山麓までの道のりにおける野営などの準備だ。目的地の位置が不明瞭である以上、生半可な装備では命取りになりかねない。かといってレクタリアでそこまで身を固めると、今度は荷物が重くなりすぎてしまう。
「それじゃ、そろそろ出発しよ? やっぱりこういうのは早いほうがいいよね」
「あ、うん。食べた後始末だけするからちょっと待ってて」
立ち上がったメフィを呼び止め、エルクが野営の片付けを始める。元からそれほど荷物を広げていたわけではないので、最低限の小道具をまとめるくらいしかすることはない。
「あの、何かお手伝いできることは」
「ん、大丈夫だよシューラ。すぐ済むから」
一緒に作業に取り掛かろうとするシューラにそう断りを入れ、焚火の跡を適当に踏み慣らしていく。
その際にシューラがひどく寂しそうにしているようにも見えたが、一瞬のことでほとんど気には止まらなかった。