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ぼくらの天使  作者: 半導体
一章
19/56

18話 兆し

 ベッドの端に腰かけ、そこで横になる人物へ薄く微笑みかける。

 返事はもとから期待していない。ただ、安らかな寝息さえ聞こえてくればそれでよかった。心地よく眠っているのだと、そう信じられればそれでよかった。

 聞こえてくるのは、大地を震わせるような荒い呼吸。苦痛を滲ませる表情が彼の穏やかでない現状を伝えている。


 深い失意に呑まれながらも、女性は信じていた。

 彼が、いつか必ず快復すると。






 過酷な追走劇から一夜が明け、エルクが目を覚した時にはメフィとシューラが既に朝食を済ませていた。しかも脚に筋肉痛が残っており、歩くたびに太腿がつりそうになる。それだけ前日の運動が限界を超えていたということだろう。

「あ、おはようエルク。昨日はお疲れ様」

「あ、うん、おはよう」

 エルクに気付いたメフィがまずねぎらいの言葉をかけてきた。それが意外だったエルクは返事がぎこちなくなってしまう。エルクの経験では、これまでメフィにそういった言葉をかけてもらったことはなかったのだ。

 何も言わないだけで、彼女の体にも疲労が残っているのかもしれない。あるいは彼女自身の心境が変化したとも考えられる。いずれにしても、今の自分はかつてと同じ境遇にいないことを改めて実感させられてしまう。

 これから自分たちはどうなっていくのか、そんな不安がエルクの胸中で(くすぶ)り始める。

「……エルクさん?」

 シューラの呼びかけがエルクを現実に引き戻した。

「どうかしましたか?」

「え……別に、何でもないよ」

 心の乱れが挙動に表れていたようだ。心配そうにエルクに視線を向けるシューラへわざと大袈裟に笑いながら、エルクは自身の内面を覆い直した。

 シューラはなおも眉尻を下げているが、エルクが何を懸念しているかまでは分からないだろう。

「二人ともご飯は食べ終わってるみたいだし、もう出発して大丈夫だよね」

 いつも通りの表情を心がけ、エルクは出かける身支度を始めた。もっとも、上着を着て手荷物のリュックを背負うだけなので大したことはしないのだが。

「エルクは何も食べてないじゃない」

「少しでも食べておいた方がいいですよ」

 メフィとシューラがエルクの体調を気遣ってくる。

 やはり彼女たちも体力が回復したわけではないのだろう。昨日で最も運動量の多かったのがエルクだと分かっているからこそ、余計にエルクが無理をしていると感じてしまうのかもしれない。

「平気だよ、そんなに疲れてないから。僕のせいで時間を取らせたくないし」

 ここまで分かりやすい嘘もないだろうと、言った本人であるエルクもそう感じていた。

 体重をかける度に脚に鈍痛が走り、思わずよろけそうになる。言葉にこそしないが、傍から見ても脚が回復していないというのは理解できるだろう。こんな状態の人間を疲れていないと考える者はまずいない。

「時間とか気にしなくていいわよ。エルクはそういうこと気にしすぎ」

「私たち、待ちますから。だからエルクさん、お願いですから無茶はしないでください」

 説得を試みる二人の顔が、エルクの目にはいつになく哀しそうに映った。

「…………、分かった」

 二人の心遣いを無下にする気にもなれず、エルクはそれ以上の抵抗をやめて背負いかけたリュックを下ろした。






「病気、よくならないわね」

 横になったままの男性に声をかける。目は覚ましているのだが、やはり呼吸は荒いままで、自身を気にかけている女性への反応は見られない。

 しばらく男性を見つめていた女性は、彼の枕元に置いている薬の瓶へ視線を移した。

 彼の症状に効くと聞いた薬草を煎じたもので、茶葉のような濃い緑色をしている。彼を助けてから数日飲ませ続けているのだが、それらしい効果は全く表れないままその量はかなり減ってきてしまっていた。このまま飲み続ければ一週間経たずに底をついてしまうだろう。

「大丈夫よ、ギルドに依頼しておいたから」

 返事がないと分かりつつ、女性はそう言って笑って見せる。男性は一瞬だけ女性に目を向けたが、すぐに目を瞑ってしまった。

 彼を助けてから看病を続けているが、全く快復の兆しが見えないまま時間だけが過ぎていく。どうすれば彼の症状は良くなるのか、いくら調べても答えが見つからない。

 彼を救うことはできないのか。女性は、自身の限界にもどかしさを感じていた。




「ねえエルク、今回の依頼ってどんな内容?」

「……確認してないの?」

 依頼主の家の前まで来て、メフィが唐突に疑問を口にしてきた。あまりに基本的な質問にエルクは思わず訊ね返してしまう。怪訝そうな顔をされ、メフィは恥ずかしそうにしながら唇を尖らせた。

「うー……エルクが知ってれば一応問題ないでしょ」

「でも無関係じゃないんだから、概要くらいは把握しておこうよ」

 接触場所や報酬などはエルク一人が知っていれば十分でも、依頼をエルク一人でこなすわけではない。少しでいいので事前に分かっておいてほしいと思うのだが、彼女にそこまで求めるのも悪いかと思いあまり強くは言わないようにしている。

 それでも、ここまで自覚のない態度を取られては苦言を呈したくなるというものだ。

「薬の材料を持ってきてほしいっていう依頼だよ。詳しい話は直接会ってから教えてくれるってさ」

「……ここが、その人のお宅ですか?」

「うん。普段はずっと家にいるからいつ来てもいいって書いてあったけど……」

 いざドアを前にすると、不在なのではないかと不安になってくる。ここまで来て引き返すわけにもいかないので、後ろ向きな気持ちを押し込めてドアに近付く。

 ノックを二回して反応を待つと、すぐに一人の女性が出てきた。

 明るいブラウンの髪はボサボサで、服装もシワが多くお世辞にもおしゃれとは言えない。整った顔立ちでエルクから見ても綺麗な人なのだが、少しやつれている姿はかなり疲弊していることを窺わせる。

「……どちら様?」

 発せられた声にも張りがなかった。

「えっと、ギルドの者です」

 上着を開いてバッジを見せる。女性はそれを見て僅かに目を見開き、それから弱々しく微笑んで見せた。

「まあ、もう来てくれたの。嬉しいわ」


「こんなかわいい子たちが来てくれるなんて、あのギルドも変わったわね」

 通されたソファに座る三人。メフィは自分の家であるかのようにくつろぎ、逆にシューラは体を硬直させて座っており、二人の性格の差を顕著に表している。

 エルクはシューラほど固くなってはいないものの、初対面の人の家なので粗相(そそう)のないよう姿勢を正してじっとしている。

「お姉さんって学者さん?」

 背もたれに頭を乗せたメフィが後ろの本棚を眺めてそう訊ねた。

 棚には分厚い本が何冊も並んでおり、ただ趣味で集めているわけではないというのが窺える。よく見回してみれば、同様の本を収めた本棚は部屋を取り囲むようにして幾つも並んでいるのが分かった。

 返答を聞きたがっているのはメフィだけだったのだが、女性は律儀に答えようとしてくれているようだ。

「……まあ、学者の端くれみたいなものね。分野でいえば民俗学を……まあ、かじるくらいだけど」

 女性は少し照れながらもそう肯定をした。

「民俗学、ですか」

「ええ、やってみると奥が深くて――と、話すと長くなるからやめておきましょう」

 おそらく本心から民俗学が好きなのだろう。語りだすと止まらなくなるので自制した、といった様子だ。依頼を優先すべきエルクたちにとってはありがたい判断力である。

「薬の材料、というお話でしたよね」

 エルクが早速依頼の話題を持ち出す。本題に入り、リラックスしていたメフィも居住まいを正した。

「何かご病気なんですか? あまり具合が悪いようには見えませんが」

「あ、ごめんなさい。病気なのは私じゃないの」

「じゃあ、お姉さんの家族とか?」

 悪意なく尋ねるメフィに対し、女性は困ったように首を振った。

「この間……ほら、レダーコールの事件があったじゃない? あれの次の日に会ったばかりの人なの。今は奥の部屋で寝かせているわ」

 簡単な説明とともに女性が部屋の奥のドアへ視線を送った。当たり前だが現在の部屋からその姿は見えず、どのような人物なのか確かめることはできない。

「何の病気か分からなくて……表れてる症状に効く薬草を飲ませても効果が見えてこないの。お医者さんに診せても原因が分からないって言われるし、病気のせいか何も喋らないし……今回頼んだ薬も、本当に効き目があるのか確証はないのよ」

 悲しげに目を伏せる女性に、エルクとメフィは返す言葉をすぐに思いつけなかった。その人物のことを本気で助けたいという気持ちはよく伝わってきていて、それだけに治療がうまくいかない辛さも分かってしまう。

 ギルドのメンバーとして来ている以上、本来ならば依頼主の事情に介入するのは喜ばしくない。それでもエルクは、損得勘定抜きにこの人の手助けをしたいと思い始めていた。

「とりあえず指定の材料を探してきます。それでもし効果がないようでしたら、僕たちも――」

「あ、あの」

 未だ緊張で体をこわばらせているシューラが、何か言いたげな目で小さく手を挙げた。それに気付いた女性がシューラへと耳を傾ける。

「何か?」

「その人と……二人きりで、あの、会わせて、もらえませんか?」

「二人きり?」

 さすがに女性も奇妙な注文だと思ったようだ。シューラの双眸をじっと見つめ、質問の意図を表情から読み取ろうとしている。

「二人きりって、どうして?」

「……」

 女性の疑問には答えず、シューラがエルクに視線を向けてきた。どうやら自分ではうまく説明できないので、エルクに言い訳をしてもらいたいようだ。

 もちろん、シューラがその人物と二人きりで会いたがる理由などエルクは知らない。ただ単に興味本位で会ってみようとしているのであればエルクも協力するつもりはなかった。

 シューラは、その人物と会って『何か』を確かめようとしている。しかもその『何か』は、エルクたちとも無関係ではない。

 そんな意図を感じ取ったエルクは、まず女性の疑問を解決するべく一芝居うつことにした。

「すみません。彼女、医術を学んでいる学生なんですよ」

「え、そうなの?」

「ちゃんとした治療はできませんけど、依頼を受けた時から興味を持っていたようで、病状だけでも診ておきたいらしいんです。だよね?」

「え? あ……は、はい」

 エルクの解釈は間違っていなかったようで、突然のフリでもシューラは頷いて肯定した。

「……」

 メフィが度肝を抜かれたような形相でエルクのことを凝視してきたが、エルクは気づかないフリをした。咄嗟に考えついた嘘なので驚くのも仕方のないことだろう。

 後の説明が面倒になると予想される。それ以前に、メフィが空気を読んで黙認してくれるかどうかが最大の懸念事項だ。

「そうだったの。で、二人きりになりたい理由は?」

「診ている所を他の人に見られたくないみたいなんですよ。不都合があるようでしたら諦めますが」

「それは彼次第だから私は何とも言えないけど……」

 納得はしたが、それでも女性は了承していいか迷っているようだ。ついさっき会ったばかりの子供を信じろと言う方が無理な話だろう。

「うーん……大丈夫なの? まだ勉強の途中なんでしょ?」

「あ……それは、大丈夫です。その、診るだけ、ですから」

「後学のため、ってこと? ちゃんとしたお医者さんでも分からなかった病気なのよ」

 女性がなおも半信半疑で質問を重ねてきた。よく知らない人間と病気の人物を二人きりにするのは抵抗があるのだと分かる。

 どう理由を取り繕おうかエルクが首を捻ると、じっと座っていたメフィが突然立ち上がって口を開いた。

「シューラはすごい優秀だもん。心配いらないよ」

「優秀?」

「少し人見知りだけど、誰よりも勉強家なの。いろんな病気を直接自分の目で見て知識を増やそうと頑張ってるのよ。治すことはできないかもしれないけど、その努力は絶対に嘘じゃない」

「…………そう」

 メフィの説得を聞き、女性の心はようやく決まったようだ。

「分かったわ、あなたに協力する。シューラさんだったわね、こっちよ」

「あ、はい」

 シューラを手招きし、女性は奥の部屋へと歩き始めた。慌ててそれに続くシューラはエルクとメフィのことを気にしているようだったが、すぐに女性について隣の部屋へ入って姿が見えなくなる。


「……なんであんな嘘ついたの?」

 ドアが閉まるのを見計らい、メフィが不信を露わにしてエルクを睨み下げてきた。立ち上がっているせいで威圧感は普段より強い。

「それは……シューラがどうしても病気の人と会いたいみたいだったから」

「アイコンタクトってやつ? 知らない間にずいぶん仲良くなったみたいね」

 頬を膨らませてそっぽを向いてしまうメフィ。まったく自覚のないまま、エルクはまたしても彼女を怒らせてしまったようだ。しかもまだ機嫌を損ねた原因が思い当たらない。

「メフィだって便乗してくれたでしょ」

「それは……エルクのことだから、何か考えがあるんだろうなって思って……」

 言葉が濁ってよく聞き取れなかったが、どうやら先刻の懸念はいらぬ心配であったらしい。

 彼女は彼女なりに考えがあって動いているのだ。何でもかんでもエルクが気を揉む必要など最初からなかったのかもしれない。

「そっか、ありがとう。メフィのおかげで助かったよ」

「そ、そう?」

 エルクに褒められ、メフィはまんざらでもない様子だ。だが恥ずかしさのほうが勝ったのか、すぐさま会話の内容を別の話題へとシフトさせた。

「でも、シューラはどうしてそこまで熱心に会いたがってたのよ? 何か聞いてないの?」

「んー、これは僕の想像なんだけどね」

 シューラの様子を顧みながらエルクが顎に手を当てる。

「たぶん、その病気の人って――」

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