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ぼくらの天使  作者: 半導体
一章
18/56

17話 風に任せて

 かなり速いペースで走るエルクの前方には、逃走を続けている因縁の犬の姿が伺える。二人の言っていた通り、立ち止まって頻繁に周囲の状況を確認するようになったようだ。最大の武器である嗅覚を抑制することには成功しているらしい。

 それでもなかなか思い通りには動いてくれない。

 頻繁に道を曲がって視界から逃れようとするなど、逃亡手段にますます磨きがかかったようだ。だが流石に体力の限界なのか、エルクとの距離は少しずつ詰まってきている。

(この先でメフィとシューラが待ってる……上手くいってくれ)

 誘い込むことには成功したので、あとは待ち伏せている二人が何とかしてくれることを祈るしかない。挟み撃ちはこれまでも何度か試みたが、ことごとくが失敗に終わっている。これについては解決策が見つかっておらず、現状では犬の体力切れに賭けるしかない。

「……いた!」

 道の先にシューラとメフィの姿が確認できた。メフィが網を構えており、このまま事が運べば捕まえられる可能性は十分あるだろう。

 さらに後方ではシューラがケージを持って事の成り行きを見守っている。捕獲に直接は関わらないが、自分にできることをしようという彼女の気持ちの表れなのかもしれない。

「メフィ! また跳び上がったりしないでよ!」

 大声で注意を促すと、メフィはムッとして頷いたようだった。

 犬もようやく二人の存在に気付いたようで、その足取りが迷い始めた。エルクとの距離を確認し、そして道の両方向に注意を払いながらゆっくりと立ち止まる。以前の挟み撃ちの際と反応が違うのは、それぞれの居場所を臭いで特定できていないからだろうか。

 エルクも走るのをやめ、きょろきょろと両サイドを確認する犬を見つめる。

 ここで慌ててしまえば隙を突かれて逃げられてしまう。ここからはより一層集中して挑まなければならない。

 勝負は一瞬で決まる。


「メフィ、行くよ!」

「うん!」

 掛け声とともにエルクが一気に距離を詰める。気付いた犬が反対側に走りだす。

 やや遅れてメフィも走り出し、網を持つ手に力を込める。両側に抜け出せる路地は無く、犬はうろたえてその場に立ち止まった。

「っぇやぁ!」

 大きく横薙ぎにふるわれる網。今回は軌道に死角が無く、間近にいたエルクの目にも見事に捕獲したように見えた。

「え」

「あっ!」

 ほぼ同時に二人が声を上げる。

 犬は網の枠に乗り、その勢いと自らの脚力を利用してメフィの後方へ思い切り飛び出したのだ。

 網のスピードも加わった犬のジャンプ力はその身体を持ち上げ、全員が見上げる形となるほどの高度を現実のものとした。

 犬は空中で脚をばたつかせているので、あちらもかなり慌てているようだ。着地してしまえばそのまま再び逃走を始めるだろうが。

「ウソ!?」

「まずい!」

 また逃げられてしまう。そう分かっていても、追いつめて捕獲するつもりだったエルクとメフィは体がすぐに反応できない。また失敗か、とエルクが拳を握りしめる。

「だめぇっ!」

 悲痛な叫び声はどうやらシューラの発したもののようだ。エルクもメフィもその声に驚き、体を固まらせてそちらに視線をやった。

 遠巻きに見つめていたシューラがケージを放り出し、空中の犬を見据えて走り出していた。足がふらふらでスピードもないが、犬の着地点には二人よりも近い。

「シューラ! そんな、大丈夫なの!?」

「へいき、ですっ! 捕まえ、ます!」

 犬が少しずつ落ちてくるが、まだシューラとの間は広く開いている。着地する前にキャッチしなければ、今のシューラにはまず捕まえられないだろう。

 倒れてしまいそうになりながら、それでも犬の後を懸命に追いかけるシューラ。彼女からすさまじい執念のようなものを感じたエルクは、思わず制止の言葉をかけてしまいそうになるのを何とか飲み込んだ。

 犬が地上に迫る。まだシューラとは距離がある。

「っ……届いてっ!」

 両手をいっぱいに伸ばしたまま、シューラは着地寸前の犬めがけて飛び込んだ。

「きゃあぁぁっ!」

 地面と激突したらしく、シューラの悲鳴と犬の短い吠声(はいせい)が同時に響いた。飛び込んだ勢いでシューラの姿は物影に隠れてしまい、エルクとメフィからは見えなくなってしまう。

 そして見えなくなった直後、何かにぶつかったような鈍い音が聞こえた。

「だ、大丈夫!?」

「シューラ、しっかり!」

 二人して顔をひきつらせて叫ぶ。

 彼女がかなり無理をして走り出していたのは明らかで、上手く着地できたとも思えない。今の鈍い音は頭をぶつけたのではないだろうか。

 犬の事など頭から消し飛び、エルクはただシューラの無事を確認しようと慌てて駆け寄る。


「ひぅ……ひゃ、あ」

 気の抜けるような喘ぎ声が聞こえ、エルクは急がせていた足を止めた。

「あ、やぁっ……」

 メフィにも聞こえているようで、同じように訝しげな表情をしてエルクと顔を合わせる。密やかに発せられるその声は意味を持ち合わておらず、まるで喃語のようだ。

 考えるまでもなく、声の主はシューラだろう。だが、こんな奇妙な声を発するというのは何があったのだろうか。

 焦燥感が空振りしたエルクは、自分でもよく分からない気分のまま嬌声(きょうせい)の流れてくる物影を覗き込んだ。すぐ隣でメフィも同時にそこでの様子を確認しにかかる。

「ひゃっ……あんっ、くすぐったいですよぅ」

 シューラが仰向けに倒れたまま両手で犬をしっかりと抱きしめていた。そんなシューラの頬を、抱えられたままの犬がしきりに舐めている。尻尾を盛んに振り、喜んでいるかのような様子だ。変な声を発していたのは舐められてくすぐったかったせいらしい。

「……大丈夫?」

「あ、エルクさん、メフィさん」

 エルクが声をかけると、シューラはようやく二人が駆け付けていることに気付いたようだ。二人に顔を見せるようにして犬をしっかり抱え直し、心から嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「あの……この子」

 控えめながらも喜びを前面に押し出すシューラ。既に逃げる気がないのか、犬はシューラにされるままとなっている。

「つ、捕まえ、ました」

「……う、うん。やったね」

 見れば分かる、と口にするのは無粋な気がしたのでやめておいた。これほど歓喜を露わにしているのだから、わざわざ水を差す必要はないだろう。

「すごい、すごいよシューラ!」

 そんなエルクの後ろでメフィが目を輝かせて感動を口に出していた。

「そ、そうですか?」

「そうよ! さんざん苦労させられてきたじゃない!」

 不敵に微笑みながらメフィが犬の頭を撫でる。乱暴な手つきだったが、犬が嫌がる様子はなかった。

「この子、遊びたかっただけなんだと思います。いっぱい走り回って、私たちと追いかけっこして」

「そんな易しいものじゃなかった気もするけどね」

 街中を必死になって追いかけ回したこの二日間が楽なものであったとは言えない。犬にとっては遊びのようなものだったかもしれないが、ここまで体を酷使したのはエルクの人生の中で初めての事だ。他の二人にしても、会話がままならないほどの息切れを起こしておいて楽な依頼だったとは思わないだろう。

「何はともあれ、これで無事に解決したってことよね?」

 犬にちょっかいを出していたメフィが顔を上げ、エルクに向けて首を傾げる。そのくらい彼女でも分かりそうなものだが、他の人間の口からそうだと聞きたいのかもしれない。

「うん。お疲れ様、メフィ、シューラ」

 おそらく二人が望んでいるであろう言葉を口にすると、やはりメフィは満足そうに微笑んで見せた。


「犬に傷もないみたいだし。けっこうスマートに成功したんじゃない?」

「うん。まあ、問題があるとすれば――」

 言葉を区切りながらエルクは周囲に視線を配り、それからそこに漂っている臭いを感じて苦笑いを浮かべた。

「お酢の臭いが……ね」





「酸っぱい臭いがします」

 のんびりとガルドの隣を歩いていたリダが口を尖らせてそう言った。それはもちろんガルドの鼻にもかかってきていて、指摘されるまでもなく何事か気にしていたところだ。

「これはお酢の匂いですね。しかもそこそこ高いやつです」

「分かるのかよ。……ずいぶんご立腹のようだが」

「当然です! これ、お酢を街中で振りまいたんですよ! もったいない!」

 どうやら食べ物を粗末にしたことに対して怒っているらしい。普段から食にこだわりを持っているリダならば当然の心構えと言ったところか。なかなか強烈な臭いなのでガルドもあまり快くは感じていないものの、ただの悪戯で撒いたとも考えにくいのでそこまで腹は立てていない。

「仕方ない事情があったんだろ」

「それでも、お酢じゃなくていいじゃないですか……お酢は魚介類のカルパッチョにもよく合うのに」

「どれだけピンポイントな使用例だよ……と、そんなことはどうでもよかった」

 リダと違い、ガルドは食料に対してそこまで神経質ではないのだ。今現在、もっと気にすべき事柄はいくらでも列挙することができる。

 まだ機嫌の悪いリダの頭に手を置き、くしゃくしゃと雑にかき回した。

「お前の姉貴、最近までこの街にいたみたいだな」

「そうなんですか!?」

 撫でられながらリダが目を丸くする。エディカに関する話は今日に会った依頼人にも訊いたが、彼もまた知らない名前だと首を横に振っていたのだ。

「でも、あの人は知らないって……」

「ああ、まあな」

 言葉通りに受け取ればその反応は普通だろう。人を信じることしか知らない分、リダもまだまだ子供なのだとガルドは再確認した。

「気付かなかったか。あの人、嘘ついてたんだぞ」

「え!?」

 よほど意外だったのか、普段見せないような面白い顔をするリダ。今は比較的真面目な話をしているので茶化すのはやめておくことにした。

「ああ、別に俺たちに意地悪しようとしたわけじゃない。あれは多分……誰かに口止めされていたクチだろうな」

「口止め……まさか、姉さんに?」

「順当に考えるとそうなるか」

「そんな、なん――」

 さらに質問を重ねようとしたリダの口をガルドが塞いだ。

「それ以上は俺に訊いても仕方ないだろ? エディカがどんな考えか、俺が何を言っても俺の予測でしかない。今は今できることをするだけだ。そうだろ?」

 リダはすぐには納得しかねたようだったが、事実を飲み込んだのか言葉を発さずに頷いた。そこそこの付き合いの中で、ガルドの言葉に多少の信頼は置いているのだろう。

「でも、それだと今はこの街にいないってことになりますよね。だったらすぐにでも出発したほうがいいんじゃないですか?」

「どっちに行ったかまでは分からないし、まだ情報を集める必要があるだろうな。それでも駄目だったらまた考えよう」

 レクタリアから近い街も八方にある。崩壊したレダーコールを除いても、せめて方角くらいは限定しないと探しようがない。

「なんにせよ、今日は休もう。お前だってそろそろ腹減ってきた頃だろ」

「あ、はい。流石ガルド、よく分かってますね」

「そりゃ長く付き合ってるからな」

 毎日食事時に言われていれば頃合いが掴めてくるというものだ。

 最近ではガルドもそれに合わせて空腹を感じるようになってきている。こういうものも適応力と言うのだろうか、とガルドは下らないことを考えていた。

「今日は何にする?」

「んー、魚介類のカルパッチョがいいです」

「こんなに臭うのにか」

「こんなに臭うからですよ」

 既にリダの目は夕食の席に並ぶ魚の切り身と貝を見ているようだ。

 こうなってしまえば、異論を唱えたところでリダの耳にはまず入らない。そういった点も併せて適応しているガルドは、何も言わずに食事処へと向かい始めた。

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