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ぼくらの天使  作者: 半導体
一章
16/56

15話 風に吹かれて

 やや風が強いのか、窓ガラスが震えて鈍い音を奏でている。外の植物が揺れてざわめいており、他の音はあまり聞こえてこない。

「兄さん、入るわよ」

 声をかけながらリオナが部屋の扉を開けた。

 入室するなり、リオナは部屋のベッドへと歩み寄った。室内が妙に整頓されている事に気付いたが、兄を叩き起こすのが目的なのでそれほど意識はしない。

「もうみんな起きてるわよ。あとは兄さんだけなんだから早く来て」

 ベッドの膨らみに向けて呼びかけるが、全く反応が無いどころかピクリとも動かない。普段であれば何かしら返事をするのだが、前日のカモミールがよほど効いたのだろうか。

「……ねえ、早く起きてってば」

 眉を吊り上げ、掛け布団の裾を掴む。語調を強くしたにもかかわらず、まだニールは目を覚ますつもりがないようだ。元々朝には弱い方だったが、ここまで起床の気配がないというのは珍しい。

 そのまましばし様子を窺う。その間に起き上がったりはしないかと期待してみたものの、丸まった布団は微動だにしない。まるでそこには誰もいないかのようだ。

 いよいよリオナは苛立ちを抑えられなくなり、勢いに任せて掴んだ掛け布団を思い切り放り上げた。

「もうっ! さっさと起きな……さ?」

 毛布の下に縮こまっていたのは、人に似せようとしたかのように丸められたタオルだった。

  そこでニールが横になっていると信じて疑っていなかったリオナは、予想外の事態に理解が追い付かず、毛布を剥がした態勢のまま硬直してしまう。そのリオナに、投げられて宙を舞っていた毛布がパサリと被さった。


「ニールさんがいらっしゃらない?」

「うん。どこに行ってるか知らないけど、一言くらい声をかけてくれたっていいのに」

 パンを齧りながらリオナが愚痴をこぼす。

 部屋にいないことを確認した後、リオナは屋敷中まで捜索範囲を広げてニールの姿を探した。流石に外ではないだろうと踏んで庭は探していないが、どこにもニールの姿は無かった。

「ファルさんは何か聞いてないの?」

「ええ、何も……今朝に様子を見に行った際にいらっしゃらなかったのですが、御不浄だと思いまして」

「そうなの? 朝ご飯も食べた様子はないし……」

 リオナの感情が憤怒から困惑へと変わる。そして少しずつ、何かがおかしいことに気付き始めていた。

「まさか、街に行ったりしたんじゃ」

「それは無いと思いますけど……どれだけ危険かニールさんも分かっていらっしゃると思いますし」

 植物族の実情をよく把握しているファルがすぐさま否定する。それはもちろんリオナも分かっていることだが、現状を顧みるとどうしても断言ができなくなってしまう。

「私……ちょっと探しに行ってくる」

「ダメです! リオナさんにとっても危険であることは変わりませんよ!」

 立ち上がり駆け出そうとしてファルに腕を掴まれて引きとめられてしまう。言葉づかいは丁寧だが、リオナを掴む力に手加減は無い。

 振り払おうとしかけたリオナは、すぐに落ち着きを取り戻してその場に立ちすくんだ。

「そう、よね……。でも、現に兄さんは屋敷のどこにもいないわけだし」

 リオナの言葉から余裕がなくなっていく。

 これまで些事として見逃してきた様々な変化がリオナに不安を積み上げている。得体は知れないものの、想像もしたくないような『何か』が起こっているというのは肌で感じることができた。

「もしこの後も戻られないようでしたら、ギルドに行く時に探してみます」

「なら、私は畑の近くを探して――」

「その必要はないわ」

 ハーブのビンを片手に持ったアドネッセが二人の話を遮った。

「アドネッセさん?」

 朝の紅茶用のタイムを取りに行っていたので、彼女は今しがたのやりとりを聞いていないはずだ。それなのに、まるで全てを理解しているかのような表情をしている。普段の優しい雰囲気とはまるで違う、心の凍りついたような冷徹な容貌に感じられた。

「必要ないって、どういうことですか?」

 問いただす自分の声が震えていることにリオナは気付く。口では訊ねているのに、本心ではその答えを訊きたがっていない。それほどに嫌な予感がリオナの中に渦巻いている。

「リオナ……辛いかもしれないけど、聞いて。ニールが、あなたの兄が、どんな決意を抱えていたのか」

「…………っ」

 まだ何も聞いていないにも関わらず、リオナの背中をうすら寒いものが通り抜けていった。






「エルク! そっちに行ったよ!」

 メフィの叫声(きょうせい)が飛ぶ。

「分かった、すぐに捕まえて……速い!?」

 エルクの悲鳴に近い声の直後、盛大に転げる音が通り中に響きわたった。それに続き、嘲笑うかのような小型犬の鳴き声が遠ざかっていく。

「エルクさん、大丈夫ですか?」

「いたた……僕は平気だけど、犬は……?」

「んー、見事に逃げられちゃったみたいね」

 よろよろと立ち上がるエルクの傍にシューラとメフィが駆け寄る。エルクは小動物用のカゴを、メフィは大きな虫取り網を、シューラは犬用の餌を手にしており、誰が見ても彼らが何をしているのか一発で分かるだろう。


 逃げた犬を探してほしい。

 あまりにありがちで平和的な依頼。だからこそ大丈夫だろうと考えてエルクがこの依頼を受けたのは前日の事だ。

 犬をナメていた、というのもエルクは否定できない。目標を見つけるのはそう難しくなかったものの、俊敏性の高い犬相手に大苦戦を強いられている。前日に続き挑戦二日目となる現在も、あまり戦況は芳しくない。

「あんなに速く走れるんだね……」

「餌には見向きもしませんでしたよ」

 どうやら相手の犬はかなり頭がいいらしく、エルクたちの作戦をこれまで何度も突破されている。飼い犬である以上乱暴に扱うわけにもいかないので、いかに手際よく捕獲できるかが重要なポイントだ。

「でも、今日は少しだけ僕らに有利だよ」

「そうなの?」

 余裕を見せるエルクにメフィが眉をひそめる。そこを突風が吹き抜けていき、三人の髪を大きく乱して行った。

「今日は風が強いからね」

「風、ですか?」

 シューラが疑問を素直に口にする。吹きやまない風で袖やスカートがたなびいているが、特に気にしてはいないようだ。

 この日は朝から強風が吹き荒れており、唸るような低い音が絶えず耳に届いている。ざわめく木々の音もそこそこ大きく、ともすれば不安を煽られやすい雰囲気と言えるだろう。

「風で臭いが散らされてるから、昨日よりは動きを悟られにくいと思うんだ」

「あぁー……そういえば、犬の嗅覚って人間よりずっとすごいんだってね」

「そんなにすごいんですか? でもそれだと、風くらいじゃ意味が無いような気もしますけど」

「確かに希望的観測ではあるけどね。ただ、風上か風下かが分かるから攻める方向を決めやすいっていうのはあるよ」

 風下にいると臭いが伝わりにくく、臭いに敏感な動物相手でも接近が容易になる。狩猟などの場面では重要視されている点だ。素人が模倣してどこまで通用するかは不明だが、多少なりとも効果が望めるかもしれない。

「そーねぇ……当てにするには心もとないけど、目安にするくらいならいいかな?」

「そうですね。それじゃ、もういちど追い込むところから始めましょうか」

「そうだね」



 小さな起伏が連続する道を目的の犬が歩いている。周囲に人間の姿は見当たらないので、今はあまり警戒していないようだ。悠々と散歩をしている姿は妙に勇ましい。

「ヤバいわね……」

「何が? そろそろ移動するから、作戦通りにね」

「分かりました。お互い頑張りましょう」

 最後に軽くアイコンタクトを交わし、各自のポジションへと移動を始める。今の風はエルクたちが風下となっているので、立てた作戦を実行するには都合がいい。

「さて」

 追い込むのはエルクの仕事だ。二人の張りこむ場所へ犬を誘導しなければならない。

 前日からこの役回りを続けているのだが、明らかに損な役回りだ。もちろんメフィやシューラに走り回らせるのはどうかと思うが、このままでは進展のないままいたずらに体力を消費してしまう。

「上手くいきますようにっと」

 思いつく手段は試してみようと考えた結果の一つが、今エルクの持っているビンだ。液体が入っており、満タンよりやや目減りしている。

 その場にいくらか振りまきながら、エルクは犬の反対側へ回り込もうと走り出した。


 全力で走る犬。小型犬とはいえ、人間よりも走りやすい体の構造をしているだけはあるようだ。エルクも気張って走っているものの、犬との距離が見る間に広がっていく。

 だが、二人の構えている場所へは向かっているので失敗ではない。このまま上手くいけば二人が犬を捕まえて依頼完了となる。

 もちろん、そう簡単にいかないからこそ二日もかかっているわけだが。

「二人とも、行ったよ!」

 大声で叫ぶ。通行人の注目を集めてしまっても気にしない。

「オッケー、任せて!」

 メフィの返事が戻ってくる。それと同時に、網を構える彼女の姿が視界に映った。犬もようやくそれに気付いたようだが、風向きのせいか反応が遅く、既にメフィの射程範囲内にいる。

「捕まえたぁっ!」

「メフィ、跳びすぎ!」

 思い切り飛び上がり、同時に振り上げられる網。

 本人は分かっていないかもしれないが、どう考えても隙だらけだ。遠方から見ていたエルクには、跳び上がったメフィの下を潜り抜ける犬がバッチリ確認できた。

「ひゃあっ! こっちに来ました!」

「シューラごめん!」

 メフィの謝罪も慌てているシューラには聞こえていないだろう。突っ込んできた犬に向かって手を広げるが、犬に完全に見切られている。

「つ、捕まえ……ひゃうぅ!」

 不意を突かれたシューラに捕まえられるはずもなく、フェイントをかけてひるんだ彼女の横を犬がするりとすり抜けて行った。その反動でシューラがしりもちをついてしまう。

 三人が完全に遊ばれている。そう表現できるほど犬の方が何枚も上手(うわて)のようだ。

「こうなったら本気でいくよ!」

 メフィが憤慨した様子で後を追い始める。今まで本気じゃなかったのか、と突っ込んではいけないのだろう。網を振り回しながら疾走する様は確かに本気であることが伝わってくるが、周囲の迷惑になっていることは気にしないのだろうか。

「シューラ、立てる?」

 ようやく追いついたエルクはまずシューラに手を差し出す。犬の行方も気がかりなのだが、彼女を放ったまま追跡するのは流石にできなかった。

「は、はい。それより、犬を……っ」

 転んだ時についたのか、掌にすりむいた跡がある。エルクの手を掴んで立ち上がる際に一瞬だけ表情をひきつらせ、すぐに恥ずかしそうに笑って見せた。

「大丈夫?」

「はい、大丈夫です。それより、今はメフィさんを追いかけましょう」

「うん……バイ菌が入るといけないから、水で洗っておいた方がいいよ」

「大丈夫ですってば。早くしないと見失っちゃいますよ」

「……そうだね」

 怪我を気にする様子もなく走り出すシューラ。エルクもすぐにそれに続く。


 短いやりとりだったが、シューラの放つ言葉をエルクは意外に感じていた。

 シューラの雰囲気が明らかに変化しているのだ。

 以前はエルクやメフィに対してもどこかオドオドしていたのだが、今はエルクに対して陰日向のない態度で接してくれている。彼女がエルクたちとの間に敷いていた厚い壁が少しずつ取り払われ、今はその存在をほとんど意識することがない。

 リオナと二ールに会ったことが何かのきっかけになったのだろうか。エルクは気になりつつも必要以上の詮索は失礼だと考え、打ち解けてくれたのならそれでいいかと納得することにした。

 何より、今は犬を捕まえなければならない。

 一刻も早く依頼を解決できることを願い、ビンを握る手に力を込めた。

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