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ぼくらの天使  作者: 半導体
一章
15/56

14話 ある苦悩と決意

 部屋の中にカモミールの香りが充満しており、その香りだけで気持ちが落ち着いてくる。カモミールは安眠の薬とも言われているので、この気分のままであれば心地良い眠りが望めるだろう。

「もう少しだけ待って頂戴ね」

 アドネッセが丁寧な手つきでお茶を注いでいく。その隣ではファルがテーブルを拭き、リオナは棚に並べられたハーブのビンを並べ替えている。ラベルを確認しながらいくつかのビンを見比べているので、種類ごとに整頓しているのだろう。

「あれ? アドネッセさん、レモングラスが少なくなってますよ」

「あらそう? それじゃあ、また依頼を出しておかないといけないわね」

 アドネッセが呟くと、何か言う前に全て心得ているファルがニッコリと頷いた。ギルドに依頼を出しに行くのは、今は彼女の役目なのだ。

「どのくらい残っているかしら」

「そうですねー、毎日使って三日分くらいでしょうか」

「じゃあ……ファル、二週間分でお願いするわ」

「分かりました」

 指示を受けたファルが手帳を取り出してメモを取る。


 それぞれが仕事をする様子を、ニールは何も言わずに眺めていた。

 彼女たちの仕事を手伝おうとしても、手は足りていると断られてしまう。確かにどれも二人がかりで取りかかる仕事ではないだろうが、ニール一人だけがすることもなく疎外感を覚える結果となってしまっている。

 他意はないのだろう。だが、どうしても一つの疑念がニールの胸中にこびりついて離れない。


『ポジティブなのはいいことなんだけど、正直兄としてはあんまり頼りにならないわね』

 脳内で何度も反芻(はんすう)される言葉。

『やっぱり妹としては兄さんがもうちょっと頑張ってくれればって思ってしまうわ』

 思い返す度にニールを固く縛りつける言葉。


 ――耳に入ることが無ければ、ここまで思い悩むこともなかったのだろうか。

 しかし、知らずにいる自分を想像するだけで吐き気を催してくる。知ることができたからこそ、こうして悩むことができるのだ。

 逃げ出したくなるほどに苦しいが、それでも後悔はしていない。

 きっとこれが、自分を変える為の一歩なのだろう。そう考えれば恐怖は無い。


「兄さん?」

 眼前に現れたリオナの声でニールは我に返った。いつも通りの仏頂面で睨みつける彼女は、どうやら本当に不機嫌気味のようだ。

「リ、リオナ?」

「お茶の準備ができたんだってば。さっきから言ってるでしょ?」

「あ、うん。ごめん」

 見ると、アドネッセとファルが心配そうにニールの事を見つめている。それほど周囲が見えなくなっていたようだ。

「まったく……みんなが働いてるのに、兄さんはなんで見てるだけなのよ」

「……ごめんよ、ちょっと考え事してたんだ」

 ジト目のリオナをかわし、アドネッセの方へと逃れる。カップを用意して待っているアドネッセはニールのことがまだ気になるようだ。

「疲れているのかしら? これを飲んだら、今日は早く休んだ方がいいかもしれないわね」

「……そうします」

 差し出されたカップを手に取り、一口啜る。なおもアドネッセの気遣いの眼差しを感じるが、ニールは敢えて気付かないフリをしてやり過ごす。

 カップを口から離すと同時に、青リンゴのような香りが鼻を抜けていく。

 体中に染み渡るようなその爽やかな香りも、今のニールにはひどく遠いもののように感じられた。






 オレンジの街灯が夕暮れの大通りを照らし、朝とは異なる幻想的な街の顔を見せている。

 古い石壁が淡く照らされて憂いを帯びたように浮かび上がり、そこに立つ者に向けて一抹の(わび)しさをよぎらせていく。長い時代を孕んだ街の姿は、まるでそこにいる人々を見守っているかのようだ。

「あ」

「わぷっ」

 ガルドが前触れなく足を止めると、後ろを歩いていたリダが止まり切れずにぶつかってきた。背骨に直撃したらしく、涙目で後ずさりながら鼻の頭をさすっている。

「急に立ち止まるのは卑怯ですよぅ」

「なんで卑怯なのかは分からんが、すまん。今のは俺が悪かった」

「うぅ……それで、どうかしたんですか?」

「いや、ちょっと思い出したことがあってな」

 言い訳をしながら自らのこめかみに指を当てる。

「知り合いがこの街に来てるかもしれないんだ。ファルって名前の女性なんだが」

 ガルドの記憶に残っているのは、幸せそうな様子で自らの近況報告をしてくる彼女の姿。

 真っ白な髪が印象的な、清楚な女性だった。最後に会ったのはおよそ一年ほど前の事だ。その時に、夫の実家へ長期滞在することになったという話を聞いていた。あまり頻繁には会わないのでほとんど気にとめていなかったのだが、このタイミングで彼女の事が急に思い出されたのだ。

「彼女か、彼女の身内の人からエディカについて聞ける……かもしれない、って思っただけさ」

「なるほど、そうですか」

 朝と違い、リダはそれほど喜んだ様子を見せない。

 先ほど解決した依頼の差出人にもエディカについて訊ねてみたところ、どこかで聞いた気がするが思い出せないと首を捻られた。結果として分かったのは、エディカがこの街にいたことがあるということだけだった。手掛かりを得られると期待していたリダにしてみれば、落胆せざるを得ない結果だったと言える。

 もとより砂漠で米粒を探すような方法だ。リダの反応が芳しくないのは、それを自覚したからだろう。それでもこれしか方法を思いつかないので、地道に続けていくしかない。

「連絡はとれるんですか?」

「そうだな……最低でも数日はかかる。それに、もうこの街を離れたかもしれない。期待させたみたいで悪いが、そこまで当てにはできないだろうな」

「……じゃあもう少し依頼を受けて回って、その後にまだここにいるようなら会いに行ってみましょうか」

「ああ……」

 自虐的に笑うリダ。気丈に振舞うその姿が、傍にいるガルドにとって何より心苦しい。

 この小さな胸の内に、どれだけの不安が渦巻いているのだろうか。こんな幼い子供一人が背負うにはいささか重すぎるのではないだろうか。

 何を考えても、現状に変化はない。ガルドにその苦痛を肩代わりすることはできない。できるのは、ただリダの姉探しを協力することだけだ。

「今日はもう休もう。リダも疲れただろ」

「お腹ペコペコです」

 リダが笑ったまま腹部を撫でた。落ち込んでいても胃袋は正直なようで、ガルドも僅かに気持ちが楽になる。

 依頼をこなしたので、多くはないが報酬が入っている。今日くらいは美味しいものを食べさせてやろうと気持ちを立て直し、ガルドは地図を広げて最寄りの食事処を探し始めた。

 暖かな街灯の煌めきが二人の顔を照らす。

 陽は沈み、街は夜に染まろうとしている。






 屋敷全体の照明が落とされ、物の形は窓から入る月光によってなんとか把握することができる。満月は少し過ぎているが、それでも明かりを灯さずに移動する分には困らない。廊下にはカーペットが敷かれているので、足音もほとんどしないだろう。

「…………」

 僅かな音さえも発しないよう、ニールは細心の注意を払って扉を開いた。そして顔だけを出し、左右を確認して誰の姿もないことを確認する。当たり前と言えば当たり前だが、もう全員が就寝してしまっているのだろう。

 不気味に静まり返る長い廊下。ニールは一切の躊躇いなく、その廊下に出て静かに扉を閉めた。


 勿論ニールも、普段はこんな時間まで起きていたりはしない。それどころか、自身の部屋を出ることなどこれまで考えたこともなかった。

 今の彼を突き動かしているのは、一つの決意。

 ニール自身、幼稚な見栄の産物でしかないと分かっているちっぽけな決意。

 十人いれば十人が否定するであろう、くだらない決意。

 だがその決意が、彼にとっては何よりも重い。


 感情を押し殺したまま、静粛かつ素早く屋敷内を移動する。堅い決意によってニールの足は休まず動かされていたが、エントランスホールでその足が止まった。

 玄関の正面に、人影が佇んでいるのだ。

「どこへ行くつもりなのかしら」

 アドネッセだ。

 普段のおおらかな笑顔ではない。かといって怒っているわけでもなく、石のように固くした表情で唖然としているニールに視線を向けている。

「こんな時間に外出なんて、植物族でなくても危険よ」

「……気付かれてましたか」

「あなたとの付き合いも長いもの。何か悩んでいるようだったから」

 悩んでいることが分かったとしても、それで深夜に抜け出すまで察知するというのはなかなかできるものではない。それだけ、アドネッセはニールの苦悩を深く読み取ったのだろう。

「ニール、何がそこまであなたを追い詰めたの?」

「……すみません、アドネッセさん。畑の管理もちゃんとしないままで」

「そんなことはいいのよ。まず、出ていこうと思い立った理由を聞かせて頂戴」

 僅かに震えるアドネッセの声を聞き、ニールの決意が揺らぎそうになる。これまで以上に彼女たちに迷惑をかけるのだと痛感しつつも、やはり考えを改めようとは思わない。

 表情を変えないだけで、アドネッセもニールの事を心配しているのだろう。でなければ、いつ来るとも分からないニールを玄関前で待ち伏せるなどそうはできない。これまで数えきれないほどお世話になったことも含めて、彼女の思いやりがニールの最深部まで突き刺さってくる。

 話そうかどうかしばらく迷ったニールだったが、伝えておこうと決心し重い口を開いた。

「僕は、…………僕は、自分を変えたいんですよ」

「自分を?」

「端的に言えば、自分に自信を持てるようになりたい、とでも言うんでしょうか」

 まだアドネッセはよく分かっていないようだ。ちゃんと説明できていないとニールも自覚しているので、そのまま言葉を続ける。

「ただのワガママだって、自分でも分かってます。でも、この一回だけ、ワガママを認めてほしいんです」

 二人で過ごした時間の、様々な場面がフラッシュバックする。


 リオナは、大人が見ても優等生と認めるほどよくできた子供だった。

 それほど比較されることはなかったものの、何でもそつなくこなしてしまう彼女の陰に、二ールはどうしても隠れがちになっていた。

 それを気にしたのか、リオナは積極的にニールとともに行動したがった。彼女はニールにも自分同様の能力を求めていたらしく、遊び一つでも必ず兄を巻き込み、そして自分と同じ事を兄にもやらせようとしたのだ。ニールもその気持ちに応えようと必死についていこうとしたが、これまで一度として彼女の理想に叶ったことはなかった。

 ただ早く生まれたというだけで、彼女より秀でた部分は一つもない。事あるごとに彼女の足を引っ張り続けてきた。逆に、ニールの失敗をリオナがフォローするという場面も少なくなかった。お互いに成長した現在もその関係は変わっていない。

 そうしてリオナの出した評価が、あの言葉である。悪気はなかったのだろうが、まぎれもない彼女の本心だ。

 それを聞いた瞬間、これまで気がつかないようにしていた現実を目の前に突き付けられたかのような空虚感に襲われた。


「リオナは僕のこと、兄として頼りないと感じているようです。僕自身もそれを否定はしません。これまで、ずっとリオナに頼って生きてきたようなものですから」

 表面上は何も気にしていないように振舞ってきた。その姿がどう映ったかまでは分からないが、好意的に受け止められてはいない。

「どんなものでもいい、誰かを支えられるような強さが欲しい。でもリオナと一緒にいる限り、僕はどうしてもあいつに甘えてしまうんです」

「リオナはそう思ってはいないわ」

「だとしても、このままだとリオナに迷惑をかけ続ける人生になってしまうと思うんです。例えリオナがそれを許したとしても、僕自身が許せないんですよ」

 無意識に声が大きくなっており、エントランスに僅かな余韻が響いた。ニールはハッとして口を押さえ、閉鎖的な沈黙がエントランスに訪れる。

 かなりの間を空けて、アドネッセが小さな溜息を洩らした。

「……もし、あなたの身に何かあったら」

 ニールの眼は見ていない。

「あの子はとても悲しむわ。私やファルよりも、ずっと深く」

 彼女が見ているのは、『もしも』の先のリオナの姿だろう。

 ニールは言葉を詰まらせた。ニールもリオナを悲しませたくて飛び出そうとしているのではない。自分が無事に帰ってこられなかったとすれば、どれだけ残酷な傷をリオナに押しつけることになるのだろうか。それだけは絶対にあってはならない。

 だが、胸中に蠢く自己嫌悪は自制しきれないほどにまで膨らんでいる。

 何も知らなければ抑え込んだままでいられたその欲求は、リオナの本心を聞いてしまったがために大きく成長してしまったのだ。自身に誓った決意は、無視できるほど小さなものではない。

「……このまま妹に支えられて自堕落に生きていくより、一人の兄として妹が誇りにできるような男になりたいんです」

「それはただの驕りよ。家族にも黙って家を飛び出す兄を、リオナが誇りに思うかしら」

「自己満足と解釈してもらって構いません。ただ、それでも僕は……もう誰かについて行くだけの生き方は嫌なんです」

 このまま今まで通りの生活を続けていて、リオナの手を引けるような兄になれるのだろうか。

 どんなに可能性を広げてみても、リオナに手を引かれている姿ばかりがニールの頭に浮かぶ。そしておそらく、それらはまず間違いなく的中しているだろう。

「許してくださいとは言いません。ただ、どうかこの一瞬だけ、僕のワガママを見逃してください――お願いします」

 深々と頭を下げた。

 目に映るのはエントランスのカーペットのみとなり、アドネッセの様子が窺えなくなる。彼女がどんな顔をして頭を下げて自分を見ているのか、ニールの視界には映らない。




 どれだけの時間そうしていたのだろうか。

「顔を上げて、ニール」

 アドネッセに促され、ニールは再び顔を上げた。

 そして視界に入ったのは、アドネッセが持っている古めかしい本。

「これを持っていきなさい」

 どんな感情も封じ込めていたアドネッセの顔に、寂しさを漂わせた笑顔が張り付いていた。

 無理に作っているのは一目瞭然で、普段のように接していて安心できるような雰囲気はない。それでもニールは、そうして見せてくれる笑顔がありがたく感じられた。

「これは?」

 本を手渡され、ニールはどう扱えばいいか迷い首をかしげる。内容を確認しようとめくってみると、どのページも真っ白であることが分かった。

「お守り、のようなものかしら。大した物ではないけどね」

「何も書かれてませんけど……」

「日記帳だもの。日記やスケッチに使ってもいいし、何も書かなくてもかまわないからね。ただ、いつも持ち歩くようにしてもらえれば私も安心できるから」

「……分かりました。大切にします」

 これもアドネッセの気休めなのかもしれない。持っているだけでこれほど安心できるのだから、かなりの存在意義があると言えるが。

「いい、ニール」

 本を懐に収めたところで、アドネッセが神妙な面持ちになってニールのことを真っ直ぐに見据えていた。

「命だけは大事にしなさい。あなたは一人でないこと、忘れては駄目よ」

「はい」

 長い旅路には、ただでさえ危険が伴う。ニールが植物族である点を加味すれば、おのずと危機に晒される頻度も増えてくることになるだろう。それを覚悟したうえで、こうして屋敷を飛び出そうとしているのだが。

「では……行って、きます」

 アドネッセが引き留めたそうにしているのは気付かないようにして、ニールは玄関の扉を重々しく開いた。

 すぐ目の前には、何も見えない闇が広がっている。


 深夜の暗黒へ見えなくなっていく『家族』へ、アドネッセは小さく見送りの言葉を贈った。

「……いってらっしゃい」

 その言葉を彼に向けることは、これから当分ないのだと感じながら。

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