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ぼくらの天使  作者: 半導体
一章
13/56

12話 談笑のハーブ

 夕食を終えた頃には、外は完全に闇に閉ざされてしまっていた。街灯が立ち並んでいるとはいえ、年頃の女の子二人を連れて歩くには向かない危険な状況になっている。

 既に諦めたことではあるが、エルクはどうしても泊めてもらうことへの抵抗を払い切れずにいた。


「これは何のお茶なんですか?」

「ローズティーよ。バラの香りがするでしょう?」

 どれだけの種類があるのか、アドネッセのお茶の香りは淹れる度に違うものになっている。そのため、飽きることなくお茶を味わうことができるようだ。

 手際良くアドネッセがカップにお茶を注いでいく。そこへ、真っ白な髪の女性――ファルが部屋に入ってきた。

「あら。お義母様、私もお手伝いいたしましょうか?」

「こちらは大丈夫よ。キッチンにクッキーがあるから、取ってきてもらえるかしら」

「分かりました。少々お待ちください」

 長い紺色のスカートをふわりと翻すと、軽い足取りで再び部屋を出ていく。エルクには心なしか彼女が上機嫌になっているように見えた。

「あの人……」

「ファルのことかしら?」

「ええ。こちらの使用人の方でしょうか」

 なんとなく違うことは分かっている。しかし、他にどう形容すべきか思いつかなかったのだ。些細なこととはいえ、分からないことをそのままにしておくのは気持ちが悪い。

「あの格好ではそう思うのも無理はないわね。自分からよく働いてくれるから、ますます使用人のように見えてしまうのかしら」

 紺のジャンパースカートといい、白いブラウスといい、使用人以外でそんな服装をする理由は思いつかない。アドネッセも同意見らしいので、エルクの偏見ということはないだろう。

「彼女は、私の息子の結婚相手……彼女から見れば、私は姑ということになるのかしら。以前はずっと遠くに暮らしていたのだけど、最近はここで一緒に生活しているのよ」

「なるほど。それで、相手の方は……」

「仕事が忙しいみたいで、一人で以前の街にいるようね。ファルにこちらへ来るよう勧めたのは彼なの。きっと、普段ファルを一人きりにしていると思ったのでしょうね」

 アドネッセは肩をすくめて苦笑いした。

 ファルについて語る様子を見る限り、二人はかなり良い仲であることが伺える。他人であるエルクが余計な気を遣う必要はなさそうだ。

「お待たせしました。これでよろしいですか?」

 ほどなくして、クッキーを取りに行っていたファルが戻ってきた。渋い緑色の缶を手に持っているのは、おそらくアドネッセの頼んだクッキーだろう。

「そうそう、ありがとう。ファルも一息ついて、こちらでお茶でもどうかしら」

「そうですね……それでは、ありがたく頂くことにいたしますわ」

 礼儀正しくお辞儀をするファル。エルクにとってはアドネッセもかなり気品あふれる人間に感じられたのだが、ファルは彼女よりもさらに礼節や言葉遣いが丁寧になった印象だ。かといって必要以上に堅苦しくなったりもせず、部外者であるエルクたちを快く受け入れてくれている。

「さあ、エルクさんもどうぞ」

「はい、いただきます」

 バラの香りの紅茶を受け取り、エルクはそれを一口だけ含んだ。優しい香りが鼻を抜け、心に安らぎを与えていく。

「明日はセージの摘み取りをしようと思っているの。もし手が空いたら、ファルも手伝ってもらえないかしら?」

「もちろん構いませんよ。では、農作業用のブーツを用意しておきますね」

 お互いに気兼ねなく会話を弾ませるアドネッセとファルを眺めながら、エルクはカップを置いて小さく息を吐いた。

(家族、かぁ……)

 その胸の内に、僅かな虚しさを隠して。



 カップに注がれたお茶を一気に飲み干すと、リオナはその表情いっぱいに不服を露わにした。

「あのエルクって子、なんであんなに強いのよ? 私だって少しは腕に自信あったのに、あそこまであっさり負けるなんて納得できないわ」

「そ、そんなこと言わないでください……」

 テーブルに片肘をつき、唇を尖らせるリオナ。そんな彼女にどう対応していいか分からないのか、シューラがその隣でしどろもどろになっている。あからさまに不機嫌なリオナの顔は若干赤色がかっており、まるでアルコールを摂取したかのような豹変ぶりだ。

「落ち込むわ……これでも自分の身くらい守れると思ってたのに」

「エルクは特別よ。と言っても、人間離れしたくらい強いわけじゃないけどね」

 そう答えたのは、アドネッセからお茶のおかわりをもらって戻ってきたメフィだ。よほどお茶が気に入ったのか、かなりのハイペースで飲み進めている。

「昔からケンカだけは強くてねー。本人は暴力が嫌いみたいだけど、いじめっ子みたいなのはよく追い払ってもらってたわ」

 たはは、と恥ずかしそうに笑う。明言はしないが、そのいじめの対象は彼女だったのだろう。

「……メフィとエルクは付き合い長いのかしら」

「小さい時から一緒に遊んでたよ。今は私が誘って、一緒に旅してるところ」

「幼馴染ってトコかしら。じゃあ、シューラはなんでその二人と一緒にいるの?」

「わっ、私ですか?」

 自分に振られると思っていなかったのか、シューラが驚いて跳び上がった。手にしていたカップを取り落としそうになり、慌てて持ち手を握り直している。

「私たちがアドネッセさんと暮らしている理由は聞いたでしょ? じゃあシューラはどうしてメフィ達と旅してるのか、教えてくれたっていいじゃない」

「正論ではあるけどね」

 メフィがリオナに同意する。

 味方がいないと悟り、シューラが困惑してオドオドし始めた。話そうか話すまいか迷っているようだったが、教えても問題ないと判断したのか、震わせながらその口を開いた。

「最初は、エルクさんたちの事も怖かったんです。お二人と会う前、色々とありまして……」

「……シューラもそうだったのね」

 何かを共有したのか、リオナが哀しげに頷く。その応対はメフィも気になったが、この重い雰囲気の中で気軽に問いかけられるほど彼女も無神経ではない。

「確か、故郷に帰るまで独りでいるのが怖いからついて行こうって決めたんだよね?」

 代わりにメフィは、シューラが話しやすいよう相槌を打つことにしたようだ。

「はい。メフィさんにも話しましたっけ」

「エルクから聞いたのよ。だってシューラったら、朝になって急に一緒に行くって言い出すんだもん」

 シューラが同伴の意志を表明したのはエルクだけで、メフィは直接聞いていない。一夜明けていきなり意見を変えられれば、当然何かあったのか気になるだろう。

 なるほど、とシューラが納得した横で、今度はリオナが腑に落ちない様子で眉をひそめていた。

「それだけ、じゃないでしょ? いくら独りが怖いって言っても、二人は人間なのよ? もちろん二人が『奴ら』とは違うっていうのは私も分かってるけど、初対面でそこまで信頼できるとはとても思えないわ」

「……確かに、そうですけど」

 植物族は人間に差別されている。もしシューラも何かしらの仕打ちを受けていたとすれば、人間を信じられなくなっていてもおかしくはないのだ。ましてや初対面時の怯えようを鑑みれば、彼女が人間に対してどんなイメージを抱いていたかおのずと分かってしまう。

「それに独りが怖いって言うんなら、私たちと一緒の方がいいんじゃない? エルクもメフィも、私たちのことはまだよく分かってないのよ。里の場所も知らないだろうし……まさか、教えたりしてないわよね」

「いえ……掟の通り、里の場所は話していません」

「掟、かぁ。だから話そうとしなかったのね」

 納得したメフィが手をポンと叩いた。出会った当初、自分について語りたがらなかった理由は概ねそこにあるのだろう。だが、そこは今は重要でないのでメフィはすぐに口をつぐんだ。

「まあ私たちはしばらくここから動くつもりないから帰るのは遅くなるだろうけど……同じ種族の私たちといる方が安心できるって思うのよ、私は。それを無下にしてまでエルクたちについていく理由は何なの?」

「独りが怖いっていうのも事実なんですけど……それだけじゃないんです。その……エルクさんが、嘘をついているって気付いて」

「嘘?」

 リオナとメフィの声が重なる。それほど、彼女の発言は二人の予想を上回るものだった。

 二人の声に対しコクリと頷いたシューラは、さらに言葉を続けていく。

「色々お話をして、ここまで一緒に行動してきて、エルクさんの事が少しずつ分かってきたんです」

「…………」

「エルクさんは優柔不断で、人に流されやすくて、ちょっと口が悪い時があって、でも、いつも私たちの事を真剣に考えてくれて……すごく優しいんです――哀しくなるくらい」

「激しく同意するわ」

 メフィが苦笑まじりに同調する。

「でも、エルクさん……そうやって周りに気を遣って、それで自分に嘘をついているみたいなんです。誰かが傷つかないように何かを隠そうと嘘をついて、その嘘を独りっきりで背負いこんでいるみたいな……あの、たぶん、ですけど」

「自分に嘘、ねぇ」

「それで、私……エルクさんの力になりたいんです。何を内緒にしてるのかも分からないんですけど……このままじゃ、エルクさんが自分に押し潰されてしまいそうで、見ていられなくて」

 エルクのどんな姿を想像したのか、今にも泣きそうな顔でシューラが俯く。

「私、エルクさんみたいに腕力もありませんし、メフィさんほどの行動力もありません。それでも……何か自分にできることを見つけたいんです。私の事を受け入れてくれた、お返しをしたいんです」

「シューラ……」

「エルクさんが……心配なんです」

 そこでシューラの言葉が完全に途切れた。慣れない一人語りに疲れたのか、それ以上何かを口にする余力が残っていないのか。おそらくはその両方だろうが、リオナもメフィもそれ以上の説明を求めたりはしなかった。今の言葉で、彼女の意志は十分伝わったのだ。

「あなたの気持ちは分かったわ」

 リオナがシューラのカサを優しく撫でた。シューラは一瞬だけビクリと反応したが、何も言わずにされるがままになっている。頬が紅潮しているのは照れているからだろうか。

「きっと今頃、『シューラは同族のリオナたちと一緒にいた方が彼女の為になるんじゃないか』とか考えてるわよ。シューラもそう思うでしょ?」

 メフィがにこやかにシューラの背中を叩く。

「……かもしれませんね」

 案外当たっているかもしれないその予想に、シューラはおかしそうに笑って見せた。

「でも、これからも一緒に来るんでしょ?」

「はい」

「彼の意見は無視なの?」

 リオナが口元を隠しているのは、笑っているのを必死に堪えているのだろう。紛らわす為に出たようなその質問に、メフィの悪戯っぽい元気がより勢いづいた。

「シューラが押し通したら絶対逆らえないよ、エルクは。流されやすい性格だもん」

「そっか」

 リオナが納得したように頷く。そしてすぐに、抑えきれなくなった笑いが溢れ出した。



「っくし!」

「あら、風邪ですか?」

「ですかね……? 急に鼻がムズムズして」



「そういえば全然話聞けてないんだけど、二ールってどんな人なの?」

 メフィがリオナの兄について遠慮なく質問をぶつける。

 メフィとシューラが二ールと顔を合わせたのは畑と、夕食時の数十分だけだ。畑での話はほとんど二ールは口を挟んでおらず、夕食の際の二ールはさっさと食べ終わって姿を消してしまった。

 結果として、彼の話をほとんど聞けていないという状態になってしまっている。明日には別れることになるのだから、メフィとしても彼の話を少しは聞いておきたくなったのだろう。

 リオナは二ールの名前を聞いた途端、一瞬だけ複雑そうな表情になった。それから数秒の間を置き、怒りと呆れの混ざったような顔になる。

「兄さんがどんな人かって……一言で表すなら、いい加減な人よ」

「うわ、バッサリ切り捨てたね」

「ちょっとねぇ、能天気と言うか、緊張感に欠けてるのよね。ポジティブなのはいいことなんだけど、正直兄としてはあんまり頼りにならないわね。もうちょっと兄らしいところを見せてほしいと思ってはいるんだけど」

 リオナの口調が少しずつ変化してきている。いかにも絡みづらそうなそれは、エルクの強さについて愚痴をこぼしていた時のものと似ている。

「私だって分かってるわよ? 誰にだって得手不得手はあるの。兄さんの場合、自分に課題を課すことが苦手なのね。でもそれじゃ、これから先の世の中を生きていけないじゃない」

「リ、リオナさん、どうかしましたか?」

「兄さんったら、自分の事ばっかりで……私だって、兄さんを頼りたくなる時があるのよ。けど兄さんがアレじゃ、頼るに頼れないじゃない。私だって一人で多少の事はできるけど、やっぱり妹としては兄さんがもうちょっと頑張ってくれればって思ってしまうわ」

 既にシューラの言葉も耳に入っていない。素面なのは間違いないはずだが、これでは泥酔しているのと何が違うというのか。

「……私、ひょっとして地雷踏んだ?」

 シューラはその問いに答えず、暴走するリオナの事をただ呆然と見つめていた。


「…………」



 エルクが時間をかけて一杯のお茶を飲み切った頃には、アドネッセもファルも眠気に襲われ始めているようだった。時計を見て、普段なら自分も起きていられそうにない時間となっている事に気付く。

 それまで全く気付かなかった事にエルクは驚いていたが、同時に自分が時間を忘れるほど楽しんでいた事も意外に感じていた。

「あら、もうこんな時間」

 ファルも現在の時刻を確認したようで、慌てた様子で椅子から立ち上がる。

「アドネッセさん、そろそろ片付けましょうか。エルクさんたちももう眠いでしょうし」

「そうね。それじゃあこちらの片付けはしておくから、部屋の準備をしておいてもらえるかしら」

「分かりました」

 軽く頭を下げると、ファルはそそくさと自分の食器をまとめ始めた。名残惜しそうにも見えたが、人当たりのよさそうな笑顔を貼り付けてそれを隠そうとしているような印象だ。

「では、準備が済みましたらお呼びします。それまで少々お待ちくださいね」

「あ、はい」

 丁寧に応対され、返事が思わず上擦ってしまう。恥ずかしさが瞬時にこみあげてきたが、ファルは気にした様子もなく部屋を出ていった。

「こんな遅くまでごめんなさいね。もう眠いでしょう?」

 全員分の食器をひとつにまとめながらアドネッセが謝罪をした。だが、むしろ彼女の方がエルクよりも眠そうに見える。

「それが……お話に夢中だったのか、あんまり……」

「あら、そうなの? でも楽しんでもらえたようで嬉しいわ。明日も早いでしょうし、部屋の準備ができたらすぐに休みなさい」

「そうさせてもらいます。色々とお世話していただいて、本当に感謝しています」

「気にしないで。しっかり眠って、また明日からギルドの依頼を頑張って頂戴ね」

「はい!」

 ねぎらいの言葉を受け、エルクは力強く頷いた。

「それじゃあ、私もこのクッキーを片付けてくるわね」


 明日から先は、また何があるか分からない綱渡りの毎日が待っている。メフィとともにテロ集団を追いかけ、シューラの故郷を探し、生きていくためにギルドの依頼をこなしていかなければならない。

 どこまで生きていられるかも分からない危機的な状況が、終わりも見えないほど長く続いているのだ。

 それでも。

 この夜だけは、何も考えずにぐっすり眠ろう。

 クッキーの缶をしまいに行くアドネッセの背中を見つめながら、エルクはなんとなくそんな事を考えていた。

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