土の声が聞こえる令嬢は、心無い婚約者に愛想を尽かしました
単話です。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
「はは、土いじりの才能とは、実に令嬢らしいことだ」
夜会の広間に、グレアム・ヴォルツの笑い声が響いた。取り巻きの令嬢たちが、扇の陰でくすくすと追従する。
子爵令嬢のロゼッタ・アーレンスは、その視線を正面から受け止めながら、静かに目を伏せた。
(また、この話題ですのね)
ロゼッタには、生まれつき、土や作物の「元気さ」が淡い光の濃淡として視える力があった。豊かな土は金色に、痩せた土は灰色に近く見える。幼い頃、その話を無邪気に口にしたところ、両親でさえ困った顔をした。貴族の令嬢が持つには、あまりにも地味で、あまりにも「庶民的」な力だったから。
「農地の様子が視えるとは、まるで農夫の娘のようだ。私の婚約者がそのような力を持っているというだけで、正直、肩身が狭い」
「グレアム様ったら、面白いことをおっしゃいますのね」
周囲の令嬢たちがまた笑う。ロゼッタは、いつものように微笑みの角度を保つことしかできなかった。反論したところで、余計に嘲笑を誘うだけだと分かっていたから。
「本当に、何の役にも立たない力ですこと」
誰かがそう囁くのが聞こえた。
(そうかもしれませんわね)
この六年間、婚約者から向けられ続けた言葉が、いつの間にかロゼッタ自身の中にも根を張っていた。
*
その来訪者が屋敷を訪れたのは、夜会から数日後のことだった。
「突然の訪問、申し訳ない。私はディーンと申します。隣国レーヴェから参りました、辺境伯です」
日に焼けた肌に、実直そうな琥珀色の瞳。着崩れひとつない礼装だが、その所作にはどこか飾らない実直さがあった。
「アーレンス子爵令嬢の力について耳にし、無理を承知でお願いに上がりました」
「私の、力……ですか」
ロゼッタは思わず身構えた。また揶揄われるのだろうか、という警戒が先に立つ。
「私の領地は、ここ数年、作物がまともに育たない。あらゆる手を尽くしましたが、原因すら掴めずにいます。もし本当に、土地の状態が視えるのであれば――どうか、力を貸していただけないだろうか」
深々と頭を下げるディーンに、ロゼッタは戸惑った。こんな風に、真正面から自分の力を必要とされたことなど、一度もなかったから。
「……分かりました。お力になれるかは分かりませんが、見させていただきます」
用意された領地の地図と、持ち帰られた土の見本を前に、ロゼッタは静かに目を閉じた。淡い光の流れが、瞼の裏に広がっていく。
「この一帯の土は、痩せているというより……養分の流れそのものが、途中で堰き止められているように視えます。恐らく、数年前に掘られた用水路の位置が原因かと」
「――なんですって」
ディーンが息を呑んだ。
「用水路のせいで、地下の水脈が乱れて、周辺の土まで痩せさせているのだと思います。水路の位置を、こちらの高台の側に少しずらすことができれば、流れは戻るはずです」
「……信じられない。うちの学者たちが何年も掴めなかった原因を、こうもあっさりと」
ディーンは地図とロゼッタの顔を、何度も交互に見た。
「アーレンス嬢。これは、国を救う力だ。決して、地味な力などではない」
まっすぐな瞳で、迷いなくそう告げられる。
ロゼッタは、しばらく声が出せなかった。誰かにここまで真正面から、自分の力を認められたのは初めてだった。
顔を上げると、ディーンはまだこちらをまっすぐに見つめていた。その眼差しに、なぜか頬が熱くなる。
(役に立たない、わけではなかったんですのね)
胸の奥で、何かが静かに解けていくのを感じた。
*
それから半月後、再び開かれた夜会の場で、グレアムはいつもの調子でロゼッタに絡んできた。
「聞いたぞ、隣国の田舎領主に呼ばれて、土いじりの相談に乗ったそうだな」
「ええ、その通りですわ」
「はは、次は何だ。今度は隣国から感謝状でも届くのか?」
周囲がまた笑う。だが、その声が以前ほど大きく響かないことに、ロゼッタは気づいた。
「なあロゼッタ。君のような令嬢と婚約していることが、私にとってどれほどの重荷か分かるか? 私は、いつだって婚約破棄してもいいんだぞ?」
いつもならば、そこで俯いていた。だが今日は違った。
胸の奥で、ほんの一瞬だけ迷いがよぎる。それでも、脳裏に浮かんだのはディーンの真っ直ぐな瞳だった。
(あの方は、わたくしの力を「国を救う力だ」と言ってくださった)
その言葉を思い出した途端、迷いは静かに消えていった。ロゼッタは背筋を伸ばし、ドレスの裾をつまんで、完璧な礼をとった。
「よろしいのですか? でしたら、婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
広間が、一瞬だけ静まり返った。
「……は?」
「グレアム様は、いつも私の力を、みっともない、役に立たないとおっしゃっていましたわね。でしたら、その役に立たない女を婚約者に置いておく理由も、ございませんでしょう?」
淡々と告げるロゼッタの声は、驚くほど落ち着いていた。
「じょ、冗談に決まっているだろう」
「わたくしは、本気ですわ」
もう、震える必要はなかった。誰にどう嘲笑われようと、自分の力の価値を、ロゼッタ自身がもう疑っていなかったから。
周囲のざわめきの中、遠くから静かにこちらを見つめる視線に、ロゼッタは気づいた。ディーンだった。彼は小さく、けれど確かに頷いてみせた。
その日のうちに、婚約解消の手続きは進められることになった。
半年後。
ロゼッタはレーヴェの地を訪れていた。ディーンの領地には、あの日視た通りの位置に新しい用水路が引かれ、痩せていた土地には、青々とした作物が育ち始めていた。
「見てくれ、ロゼッタ。君のおかげだ」
誇らしげに畑を示すディーンの隣で、ロゼッタは目を細めた。金色の光が、地面いっぱいに満ちているのが視える。
「これから先も、この力を使わせていただけますか」
「もちろんだ。むしろ、これからもずっと――君の力を、隣で見ていたい」
少し照れたように告げるディーンに、ロゼッタは静かに微笑んだ。
土の声が聞こえるこの力は、地味でも、みっともなくもない。誰かの土地を、誰かの明日を、確かに実らせる力だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
見下されてきたヒロインが、自分を認めてくれる相手と出会い、堂々と一歩を踏み出す話を書いてみました。地味な力も、見る人が見れば宝物になる、そんな話を楽しんでいただけたら嬉しいです。




