兄さまはいつもステキです
「同盟だと」
「シュパーニエンが信用できるか」
武官のみならず文官からも少年を非難する言葉が飛び交う。
「静かに」
一年前の議場と違い、クリスティーナの堂々とした態度に一斉に場がしずまる。弓の鍛錬と背負った立場の重さが、彼女に以前とは比べ物にならない威厳を与えていた。
イタリアーナは北の大陸の南端から突き出た半島国家であり、長靴のような形の半島を本土として近隣にキプロスはじめ大小無数の島々を国土として抱えていた。
当然、それらの領土を維持するために海運と海軍が発達している。
シュパーニエンはイタリアーナと同じ北の大陸の南側の半島国家であるが、西に突き出るような形になっている。
イタリアーナと逆に大陸への陸路が発達した陸運と陸軍国家である。
トルティーアと同じ侵略国家でもあり、イタリアーナとはこれまで幾度となく矛を交えていた。
「ですが、背に腹はかえられないでしょう。トルティーアが西進の野望を露にした以上、シュパーニエンにとっても国家の一大事なのは確か」
「我らの次は、シュパーニエンです。それにトルティーアの海賊には、シュパーニエンの貿易船も少なくない被害に遭っています」
「だが使者は誰が……」
「良くて拘束、下手をすればその場で首をはねられることもありうるのだぞ」
その言葉に、場の多くの者が尻込みする。
国同士の同盟ともなれば一文官が出向くわけにもいかない。国家の重鎮とも言える人間が使者として発たねばならない。
誰もが場をうかがう中で、少年の手が挙がった。細身の体格とは裏腹に長年剣をふるってきた者にふさわしく、指の付け根に剣だこが露わになっている。
「僕が行きましょう」
これまで、会議を見守ることに徹していたクリスティーナ女王が顔色を変えた。
「女王陛下の従兄弟にして、将軍たる僕ならば問題ないでしょう」
「パウロ!」
それまでの堂々とした態度が嘘だったかのように、クリスティーナが悲痛な声を上げた。その手は隣に座るパウロの腕を固く握りしめている。
「王位継承権のある人間は、王家にはわたくしとあなたの二人しか残っていないのに」
パウロは微笑をたたえながらクリスティーナの手をほどき、穏やかに告げた。
「僕だからこそ赴く価値がある。この同盟にどれだけ真剣かを伝えるのに、百の言葉より雄弁に語るでしょう。それに」
パウロは腰に差した剣の柄を軽く叩きながら言った。鞘に刻まれた獅子は、王家の紋章。
「シュパーニエンには、知ったる者も多くいる。剣で語り合った仲です」
冗談とも本気ともとれる言葉に、クリスティーナをのぞく文官武官が苦笑いした。
議論の止まった議場にどこから飛んできたのか蝿が一匹飛んでくる。
イタリアーナの首都シッタ・デ・マーリは海に囲まれ、宮殿は木々に囲まれているから虫も多い。本来は虫が議場に入らないように下男下女が追い払っておくのだが……
花に引き寄せられるミツバチのように、蠅は羽音をたてながらクリスティーナに近づいてくる。
背後に控える付き人のヨハンネを手で押しとどめ、パウロの手が柄にかけられた。
刹那の間の後、羽音はぴたりとやむ。
その代わりに口元から肛門まで一刀両断にされた蠅が、議場の床に墜ちていった。
「クリスティーナに近づくな」
抜く手も見せずふるわれたパウロの剣には、蚊の体液の一滴も付着していなかった。
宮殿のバルコニーに、周囲を囲む木々を涼やかな海風がざわめかせる音が聞こえてくる。
空には海を銀色に染め上げる満月と、月が穏やかに照らし出すシッタ・デ・マーリの街並み。
夜間の転落防止のために海に注ぎ込む川沿いに灯されている明かりが、この位置からでもよく見えた。
「結局、にいさまに赴いてもらうことになりましたね」
「そうだね、クリス」
夜着に身を包んだクリスティーナとパウロは、木々の欄干ぞいにバルコニーの上をゆっくりと歩く。
軽く手を触れ合わせたり、髪をいじったりとじゃれ合う。
幼いころはお互いの髪質の違いでよくケンカになっていた。
ゆったりとした作りの夜着を海風が揺らし、そのたびにお互いの服がはためいた。
パウロはクリスティーナの従兄弟であり、クリスティーナの母の妹の子にあたる。
国王が女系であるイタリアーナでは、十年前に前王が他界して年若いクリスティーナが後を継ぐことになった。
即位時に不安の声は聞かれたものの、代々仕える文官武官がサポートしてくれたため今では大きな問題もなく国政を取り仕切ることができていた。
「にいさま」
欄干に手をかけながらクリスティーナが漏らす。
弱音と不安の入り混じった声音。議場では、臣下の前では決して許されない行為。
「この国は、イタリアーナは、どうなるのでしょう?」
クリスティーナが即位して以来九年、大きな事件は幸運にも発生していなかった。
シュパーニエンと国境沿いで幾度か小競り合いはあったが、引き分けに終わり死者もなく、捕虜にした騎士の身代金を支払い合うだけで終わった。
東方の大国トルティーアとも、お互いの首都にさえお互いの交易船が錨を下ろすほどの付き合いがあった。
イタリアーナの毛織物やレース生地、北の山脈越しの国からもたらされる鉄製品。
トルティーアの絨毯や香辛料。
これらの交易でシュパーニエンよりもトルティーアに近いという地理的な優位を活かし、イタリアーナは富を築いてきた。
だがそういった姿勢は、熱心なディオス教信者やシュパーニエンからは煙たがられることも多い。守銭奴、異教徒に与する者、という形で。
批判を浴びながらも享受していた平和と豊かな日々は、一年前のあの日に終わってしまった。
「綺麗ですね…… にいさま」
クリスティーナはあらためて夜の街を見下ろした。潮の香りのする夜風が暖かみのある金髪をなびかせる。髪越しに視線を上方へとむければ満月と星々の明かり。
下方へ向ければ川沿いと繁華街の灯りが、うっすらと家々の形を浮かび上がらせていた。
コンスタンティノーポリが落ちても星の巡りは変わらず、人の営みも変わらない。
現実から乖離したかのような光景が、かえってクリスティーナを不安にさせた。
そんな従妹の姿を見て、パウロはそっと彼女を抱き寄せる。一国の女王は逆らうことなく、従兄の腕に身を任せた。
「心配しないで。必ず…… 必ず、いい知らせを持って帰るから」
「はい…… お待ちしております、にいさま」
パウロはそっと、指先をクリスティーナに差し出す。
一国の女王はそれを、何のためらいもなく口に含んだ。
ちゅぱ、ちゅぱ。
煽情的な水音がバルコニーに響く。
クリスティーナは膝立ちになって一心不乱にパウロの指先をしゃぶった。
髪をかき上げ、熱に浮かされた目でパウロの爪にたまった垢を、節くれだった関節を、肌に浮かんでいた汗をなめとっていく。
汗と肌の味が口腔内に送り込まれるたびに、クリスティーナの下腹部は疼く。
胸当てにもレースを重ねたドレスにも隠されていない、布一枚の夜着に覆われただけの胸元が激しく上下する。
パウロはそんな従妹をただ優しく見守っていた。
クリスティーナの身体が雷に打たれたかのようにびくっ、びくっと震える。歯がパウロの指先に食い込むが表情一つ変えない。
「あはあ…… にいさまの指、いつ味わってもステキです……」




