巨乳の王女様
暖かみのある色合いの金髪に、凪いだ海のように澄み切った瞳。
雲一つない蒼天から降り注ぐ陽光の下。
レースを幾重にも重ねたドレスを身にまとった少女が、木漏れ日の下でお茶を楽しんでいた。
船を利用した交易が盛んなこのイタリアーナ王国では、東の国の名産である茶葉も絶えることがない。そしてティーポットから注がれる琥珀色の液体を受けるのは、北の国の名産の陶磁器。
海を臨む小高い丘の上に建てられた宮殿の庭の一角からは、港町でもある首都シッタ・デ・マーリの様子がよく見渡せた。
白い帆をいっぱいに膨らませて外洋に乗り出す帆船に、港に入る帆船を縄で引っ張って誘導するガレー船。
石をくみ上げて作られた波止場に横付けされた帆船からは渡し板がかけられ、船員や荷物がさかんにはき出されていく。
波止場から走っていって船員に抱き着くのは、彼の息子だろうか。
笑顔で息子を肩車した船員が懐から取り出した木彫りのおもちゃを手渡すと、息子は肩の上で大はしゃぎだ。
「みんな、幸せそう……」
民の笑顔を愛おしそうに見つめながら、少女はメイド服をまとった付き人が差し出した焼き菓子を優雅に口に運んだ。
彼女こそがイタリアーナ王国の女王、クリスティーナ・ファルネーゼ。十六歳という若さだった。
「さすがですね、女王陛下。私なんてこの位置からじゃ人が豆粒っすよ」
付き人のヨハンネが愚痴るが、クリスティーナは気分を害した風もなく聞き流す。
ヨハンネはいつの間にかクリスティーナと同席し、王族に献上された菓子をパクパクと摘まんでいた。
ヨハンネはクリスティーナより一歳年下。そばかすが浮いているものの、愛嬌を体現したかのような丸い瞳は可愛らしい。
黒みがかったセミロングの髪はところどころが跳ね、彼女の快活さを現すかのようだ。
身分の貴賤にかかわらず分け隔てなく接するクリスティーナは、年若い君主でありながら大勢に慕われていた。
「ねえ、ヨハンネ」
「なんっすか、女王陛下?」
「わたくし、この街が好き。暖かな潮風も、街の活気も、行き交う人々の笑顔も」
ヨハンネはおべっかを使わず、クリスティーナと同じように街を眺めていた。
「ずっと、ずっとこんな穏やかな時が続けばいいのに」
だが海を眺めていたクリスティーナが突如目を見開き、ドレスの裾をひるがえしながら腰を上げた。
その表情は別人のように鋭く真剣で、ヨハンネにも緊張が伝わってくる。
「あの船に掲げられた深紅の旗…… 緊急事態よ」
ヨハンネが腕をひさしにして眼下の海を再度見下ろす。港に入ろうとしていた他の船は、座礁や衝突の危険がありながら深紅の旗を掲げた船に道を空けていた。
クリスティーナが到着した議場は既に騒然としていた。
王女の席の後ろ、上座に当たる位置には、ディオス教の聖人を描いたイコンとともに十字架が掲げられている。
クリスティーナは右手の指で自らの額、へそ、左肩、右肩を順に軽く触れて十字を切ると着席した。
左に居並ぶ武官からも、右に居並ぶ文官からも喧々諤々の議論が交わされている。
だがヨハンネを従えたクリスティーナが数十人が座れる巨大な円卓の上座に着くと、一応の落ち着きを取り戻した。
一国の主という立場がつちかった威厳に加え、弓を引くことで得た立ち居振る舞いの美しさは万人に畏怖の念を抱かせる。
だがそれに加えてクリスティーナの美しさに皆見惚れていた。
イタリアーナ王国の名産であるレースをふんだんにあしらったドレスが彼女の魅力をいっそう引き立てている。
肘から先はレースの重ねが薄く、黒を基調とした生地からうっすらと彼女の白い肌が透けて見える。二の腕から胴体にかけてはレースを厚く重ねてあるために透けることはないが、胸元はひだを重ねるようなデザインになっており、腹部に下るにつれてそのひだのボリュームが急激に小さくなり、腰のくびれさえもわかるほどだ。
弓を引く際は胸当てに包まれている豊満な胸の形が強調されている。
「では、時間もありません。議論を前に進めましょう」
だが凛とした女王の一言で、居並ぶ重臣たちの表情に真剣さが戻る。
「東方の大国、トルティーア帝国の手によりコンスタンティノーポリが陥落しました」
武官のその一言に、議場は再び騒然となる。
コンスタンティノーポリとは、西の聖地ヴァティカーノと並ぶ東の聖地。
国の宗教である『ディオス教』の教義の違いから西方とは袂を分かっていたが、かつては北の大陸の東側一体を領有する大国グレイチャの首都だった。
だがグレイチャの東方、『タンジュ教』を奉ずる大国トルティーアの侵攻により徐々に領土を失い、最近はコンスタンティノーポリとその周辺を残すのみとなっていた。
だがコンスタンティノーポリは三重の城壁と北と東を海に守られた要塞。
トルティーアが十万の大軍を繰り出しても、一万程度の防衛軍で幾度となく退けてきた。
その奇跡は神の恩寵とさえ呼ばれ、ディオス教の権威を高めるのに役立ってきたのだが……
「そんな…… コンスタンティノーポリが」
「神の都とさえ称された要塞が……」
「神ディオスは、我らを見捨てたもうたのか」
教義は違っても奉ずる神は同じ。その場にいた司教たちはあるものは慟哭し、ある者は天を仰いだ。
「コンスタンティノーポリが落ちたとなると……」
「イタリアーナ居住区の住民は無事か」
「貿易の一大拠点だぞ。港はどうなった」
「防衛軍には傭兵として我が国からも騎士が参加していたはず……」
教義の違いから敵視されているとはいえ、コンスタンティノーポリはイタリアーナやその他各国が入港料と引き換えに居住区を置いて自国民を住まわせ、貿易の拠点としていた。
「全滅です」
その一言に議場は水を打ったかのように静まり返る。
「ほぼすべての住民が奴隷とされ、財産は奪われました。逆らった者や奴隷となることを拒んだ者は、老若男女の区別なくその場で殺されています」
武官は声を震わせながら報告書を読み上げた。
次の瞬間、議場から慟哭の声が上がった。ある者は使者を悼み、あるものは泣き叫ぶ。またある者は怒りをあらわにして復讐を叫んだ。
「静かに。それよりも今どうするべきかを決めねば」
文官のトップである宰相の一喝にも、冷静でいられるものはいなかった。
失われた多くの財産は、国家予算の何倍の損害となったのだろうか。
国家を支える貴重な人的資源がどれだけ失われたのだろうか。
自分たちの親族や友人は無事なのか。
コンスタンティノーポリから船でおよそひと月の距離にあるこのイタリアーナへ攻め込まれるのか。
これ以上の犠牲は避けるべきという和平案と、弱腰では調子づかせるという開戦案で議論が伯仲する。
「みんな、静かに、静かに…… 落ち着いて」
女王であるクリスティーナの声にも議論の声は止まらない。玉座から必死に声を張り上げるものの、並み居る重臣たちを制するには至らない。
それを後ろに控えるヨハンネと、武官の中でもとりわけ若い少年は歯がゆそうに見ていた。
他の文官や武官より頭一つは身長が低く、年のころはクリスティーナと同じくらいの十代後半。王家の紋章が刻まれた甲冑に身を固め、鞘に獅子の紋章が刻まれた幅広の剣を腰に差していた。
金色の癖っ毛と切れ長の瞳が印象的で、体つきは筋肉はついているものの細身。
「静かに。どんな時も大切なのは、臨機応変な対応ですぞ。とりあえず休憩し、各自頭を冷やすように!」
まだ十六歳の女王に代わり、ひげが真っ白な宰相が場を取り仕切っていく。




