7ページ目 菫さんとアメフト部の大騒動 前編
それはカラッとよく晴れた、天気のよい日曜日だった。まだ4月なので過ごしやすく、特に屋外スポーツの部活にとっては練習日和と言ってもいいだろう。今日はアメフト部が大きなグラウンドを使う日だ。
今年からキャプテンに就任した寛斗はいち早く到着し、まずは着替えのため部室に入っていく。
「あ、菊地さん。おはようございます」
「ひっ、寛斗……おはよ」
寛斗が着替え始めた時、とある3年生が入ってきたのでいつも通り挨拶をした。するとその先輩、菊地純太は引き攣った笑顔で歯切れの悪い返事をする。
「は……早過ぎねぇか?」
「そうですかね?まぁ今年からキャプテンですし早めに行った方がいいかと。菊地さんだって早いじゃないですか」
「何だよ〜、せっかく俺が1番乗りかと思ったのに」
「菊地さんも1番乗り狙いだったんですね〜」
練習は9時からだが、只今8時過ぎだ。部室の中は寛斗と純太の2人しかいない。純太は苦笑いして自分のロッカーへと向かう。寛斗もつられて笑いながら、再びロッカーの中に視線を移す。
「あっ、菊地さん。前の練…………!?」
寛斗が別の話題を振ろうと振り向いた時だった。
大きな青痣が、寛斗の目に飛び込んできた。それは後ろを向く純太の背中から脇腹にかけて、くっきりと残っている。寛斗は話そうとしたことを一瞬で忘れ去り、思わず黙り込んでしまう。
(何コレ?……どうしたらここまでデカい痣になるんだよ?)
暫く見ていると、寛斗の視線に気付いたのか純太はくるっと振り向いた。その瞬間、純太は一気に顔色が悪くなる。何事か気になる寛斗はとりあえず訊いてみることにした。
「どうしたんですか?それ…」
「あ、あぁ…こないだ寝転んで筋トレしてたらダンベル落としちゃって」
寛斗はその状況を頭に浮かべ、思わず身震いした。
「えー、痛すぎますって!そりゃこんな痣できますよ」
「いや〜、最悪だったよ。寛斗も気をつけろよ。てかお前まだ細いじゃん。もっと筋肉つけた方がいいぞ」
「ちゃんとやってますよ〜」
確かに寛斗は他のアメフト部員達や、同じ3組で自他共に認める筋肉バカの成一と比べると少しばかり細身ではある。それでもガッチリとタックルできる程、筋力はついている。それでも寛斗は「まだまだかぁ〜」と思いながら、しっかりとした腕をさする。その間にも、純太はあっという間に着替えを済ませた。
「じゃ、ちょっとランニングでもしてくるよ」
「あっ、はーい」
そう言うと、純太はひと足先に部室を後にした。彼がドアを閉めた直後、寛斗は大きなくしゃみをした。ここ最近は気候こそ良いものの、花粉の飛散量がピークで、寛斗のような花粉症持ちにとっては辛い時期である。部活中はマスクが出来ないため、薬を飲んだのにも関わらずこんな有様だ。
寛斗は柔らかな高級ティッシュを取り出して鼻を拭うと、それを捨てるべくゴミ箱の蓋を開けるなり……再び目を疑った。
「!!」
★
「う〜ん……」
あれから週が明け、2回目の新聞委員会の日がやってきた。委員長の暁が砂を噛むような表情で、うっすら割れた顎に親指と人差し指をつけて唸っている。菫のスマホの画面を見ながら。
(まぁそんなこったろうと思ったけど)
こんなリアクションをされるのは、菫にとっても最早予想通りだ。恐らく彼の期待したネタではないから。
「…宮西君にとってはこれが面白いの?こんな只の猫の写真で」
全くと言っていいほど予想通りの返答であったが、菫は正直イラっとした。言い方が嫌味ったらしいうえ、これでも珍しい光景だと思って持ち込んだものだ。なので菫も負けじと食い下がる。
「…でも珍しいですよね?こんなハート柄の猫ちゃん。私初めて見たんですけど?」
もちろん菫は暁よりも9歳年上だが、生徒としては暁の方が先輩なので敬語で話す。そんなこと知る由もないであろう暁は、まさか言い返してくるとは思わなかったようで、たじろいでいる。
菫があの時撮ったのは…背中にハート柄のような白い模様のある、茶色と白のぶち猫である。これは珍しいと思ってシャッターを切ったのだ。
「ぼ、僕だって初めて見るけど、こんなの新聞に載せても対して面白くもないだろ」
暁はたじろぎながらも真っ向から反論する。だが、琴葉が横から入って菫を援護射撃する。
「そうですかね?普通の新聞とかニュースでも動物ネタ結構ありますよ?どこかの動物園で赤ちゃん産まれたとか、視聴者のペットの投稿とか」
「ほら〜、琴葉ちゃんもそう言ってますし」
「いやでも…」
暁VS.菫と琴葉で言い合っていると、周りには他の委員達も寄っている。彼らも菫が持ち込んだ猫の写真を覗き込む。
「可愛い〜」
「確かに珍しいじゃん」
「俺もこんな柄初めて見たわ〜」
すると、暁と違い他の委員は肯定的な意見を述べる。しかもほぼ全員が、「可愛い」やら「癒される」と感想を言っている有様だ。
「つーか悪い噂だけじゃなくてこういう記事も書いた方がいいんじゃねーの」
ある委員に至っては、わざと暁に聞こえるようにこう言った。これに対し、暁は不服そうな顔で暫く黙った後、大きなため息をついた。この「只の猫の写真」がまさかこんなにウケるなんて、暁には想定外だったのだろう。
「…まぁ皆が面白いと思うんなら載せてやってもいいけど?端っこの方ならね」
「ありがとうございます」
それでもこれだけウケが良ければ無碍に扱うことは出来ないと、暁は判断したようだ。渋々だったものの何とか採用され、菫はニッコリ笑顔を見せて暁に礼を言った。そうとなればコンピュータ室の自分の席に戻り、記事を書くのに早速取り掛かる。
なお、琴葉が持ち込んだネタはあっけなく不採用となった。それは凜の靴箱にラブレターがぎっしり詰まっている様子の写真である。暁曰く、「別に珍しい光景でも何でもない」から。
とは言ったものの、凜がモテるから嫉妬しているのではないか…と他の委員から実しやかに囁かれていた。
★
『公ヶ谷タイムズ』第1号が完成したのは、その2日後。あとは新聞を学校掲示板に貼るだけだ。
その前に、暁が完成した新聞をひと足お先に見せてくれるらしい。新聞委員達はあまり乗り気でないが、とりあえず覗いてみるようだ。
「思ったよりも早く出来たのね〜」
「委員長速筆だからね〜。そういえば……」
菫と琴葉はお喋りしながら、他の委員同様に新聞のお披露目を一応待っている。そこで琴葉は何か思い出したようで……
「委員長、今回はとっておきの記事があるから急ピッチで書いたとか言ってたわね」
「……なんか嫌な予感がするわ」
早くも菫は恐れをなし、琴葉も浮かない顔をしている。そもそも生徒や教師の不祥事ばかりをすっぱ抜いている新聞で、それを主導しているのは暁である。そんな彼が嬉々として持ち込んだものだから……委員達の間には不穏な空気が漂っている。
そんな中、遂に暁が足取りも軽やかにコンピュータ室に入ってきた。
「はい、お待たせしました!今回の『公ヶ谷タイムズ』はこちらです!」
別に待ってないけど……という空気だが、暁はやはり気にしていない。そして早速できたての新聞をホワイトボードに貼り出した。
『公ヶ谷タイムズ』が貼り出された瞬間……戦慄が走った。
「…………嘘……でしょ?」
「……え……これヤバくない!?」
当然、菫も琴葉も言葉を失った。と同時に菫はやっぱりこの高校でもあるのか……と思い知らされる。今いる3組でそんな光景を見たことがないからだ。
もちろん他の委員もショックを受けている。ある委員に至っては教師に報告するのか職員室に向かおうとしたが、暁は「待て!」と言って止める。
「今言わなくたっていいじゃないか。どうせ明日この新聞が貼られるんだし、きっと大騒動になる。教師達だってこんなのが出たら黙ってるわけないだろ……」
委員達の反応が期待通りだったのか、暁はクククとほくそ笑む。菫と琴葉含む他の委員達は、誰も逆らえない。何せ寄付金をうんと出している親がいて、刃向かったらどうなるかわからないからだ。
そんな委員達の気も知らず、暁はやけにウキウキしながら新聞をもう一度丸める。
「さぁ、あとはこの新聞を貼るだけだ!皆で掲示板へ急ごう!」
★
翌る日の朝、菫が浮かない顔で登校すると……案の定、まるで有名人がいるレベルの大きな人だかりができていた。学校掲示板前、というよりも公ヶ谷タイムズ第1号の前に。生徒達のリアクションは様々で、「サイテー」などと眉を顰める者、集団でヒソヒソ話をする者、只々驚き呆れてポカーンと突っ立っている者もいる。
(あーあ、やっぱりそうなるわ…。これじゃ委員長の思う壺ね)
問題の記事はというと……『激撮!A君が殴る蹴るの暴行 被害者は一方的にボコボコにされ… 3年生同士でいじめ発生か』と書かれていた。もちろんその証拠写真もしっかり載っている。この写真を見る限りでは確かに暴行を受けている人物は一切無抵抗だ。
一応2人の目は黒い線で隠され、名前も隠されているが、まるで意味がない。3年生は容易に特定し、「あれ安樂君と菊地君だよね?」とハッキリ実名を口にしている者までいる。
当然、隅に追いやられている菫の記事について語る者は誰一人いない。
「あっ、すー様!」
人だかりの中からお馴染みの声で呼ばれ、菫はその声の主を探す。するとその中からめぐるに遥に沙希と、いつもの女子3人組が出てきて駆け寄ってきた。
「おはよう」
「ちょっ、見た?アレ!」
「今年1発目からやばくね?いじめって…」
「どう見てもガッツリ殴られてるよね…」
めぐる、沙希、遥も開口一番この一面トップ記事について口々に言うので、菫は「あ〜…」とだけ呟いた。それと同時に、この新聞を張り出している時の暁の様子を思い出す。
「昨日、委員長がやけにウキウキしてたのよ。どんなスクープ持ってきたのかしらって思ったら…」
「コレだったってことね」
菫の話に遥が相槌を打った後で、めぐると沙希がつい先程仕入れたばかりの続報を口にする。
「しかもさぁ、周りの人らが言ってたけど…あの2人どっちもアメフト部らしいよ」
「あ〜、皆言ってたな。しかもクラスは違うってよ」
「えっ、本当!?アメフト部って……」
その事実を知ったと同時に菫は手で口を覆い、頭にはあるクラスメイトの顔が浮かんだ。アメフト部員 で2年3組の人物と言えば……
「あー、きよみーか…」
「大丈夫かな?しかも今年からキャプテンだったよね?」
「いやでもキャプテンつったって2年だし相手は3年だぜ?あんまり注意とか出来んっしょ」
菫が考えていることを察したのか、めぐる達は寛斗の話を始めた。いつも一緒にいる友達であるので3人ともかなり心配そうだ。周りを見回したところ当の本人はおらず、まだ登校していないのだろう。寛斗がこれを見たらどんな反応になるのだろうか……
(あれ?アメフト部と言えば……)
よくよく考えると……菫の頭に浮かんだ人物がもう一人いる。2年3組とアメフト部、いずれにも関連する人物が。それもキャプテンである寛斗以上に重要人物のはずだ。こんなことが発覚した以上、方々から矢面に立たされるのは不可避であろう。しかし……本人はその性格からしてこんなことを忌み嫌うはずだ。
(ちょっと……大丈夫なのかしら?杉谷君……)
菫がそう思っていた時、男子生徒の大きな怒号が飛んできた。
「…おい!何だよコレは!!」
今までざわついていた学校掲示板前が一気にシーンと静まり返る。それだけでなく、そこにいる大勢の生徒達の背筋が凍りついて皆青い顔になっている。もちろん菫達もだ。
何故なら……その加害者とされる人物が来たからだ。彼は掲示板の最前列へ猛スピードで向かい、人を殴ったり蹴っている自分が写っている記事を食い入るように見つめた。と、そこに絶妙なタイミングで筆者が歩いてくる。
「おはよう、安樂君。早速見てくれたんだね、なかなかいい記事だろう?」
(ちょっ!委員長!?)
全く空気を読まずに話しかけるどころか、命知らずな質問までしたので、菫は頭の中で突っ込まざるを得なかった。他の生徒達もそう思ったのかドン引きした表情になったり唖然呆然としている。
当の安樂崇矢はというと……当然のことながら怒りでワナワナと震え、暁の前に行くなり凄い剣幕で彼の胸倉を掴んだ。周りからは「キャー」と悲鳴まで上がる。
2人の体格差は歴然で、崇矢がアメフト部員らしく筋骨隆々なのに対し、どう見ても暁は骨と皮だけにしか見えない。にも関わらず、暁は一切動じないどころか余裕そうに笑みすら浮かべている。
「…ふざけんな!!クソ新聞にデマなんか書くんじゃねーよボケ!!」
「デマ?どこがだよ?君が虐めてるところバッチリ写ってるじゃないか」
胸倉を掴まれているのにも関わらず、暁は新聞を指差して取り乱すことなく冷静にあしらう。余計に鼻につくのか、崇矢はますます目を釣り上げ歯を食いしばり更に強い力で掴む。
「うるせぇうるせぇうるせぇ!!適当なこと書きやがって!」
「適当?だから…」
「ああ確かに俺は菊地を殴ったし蹴ったよ?ただ……自業自得なんだよアイツは!!」
「え?」
あっさり事実だと認めたと思いきや……。しんと静まっていた掲示板前周辺が再びザワザワし始める。周りの生徒達は理解が追いついていないようだ。暁もここに来て疑問符がついている様子である。そんな微妙な空気の中、崇矢は大きく息を吸ってから理由を自白した。
「アイツは、菊地は……俺の彼女を寝取りやがったんだよ!!だから制裁してやったんだ!!」
★
再び辺りは騒然となった。「えーっ!?」「マジ!?」「嘘でしょ!?」などと驚きの声がどこからともなく上がる。暁ですら流石に動揺した表情を見せ、「どういうこと?」と続報を書くためなのか前のめりになっている。
「………………」
正門の門柱と塀に隠れ、掲示板前の騒ぎを人知れず眺めている生徒が1人いる。他の生徒達が彼には目もくれず続々と正門を通過する中、ある男子生徒が唯一彼に気付いて声を掛けた。
「菊地さん!おはよーございます」
「…………」
「…菊地さん?」
前の日曜の朝と同じように、寛斗は挨拶をしたが……あの時と違って純太は黙ったまま。そればかりか様子が明らかにおかしい。門柱に置かれた手はガクガク震えている……というよりも彼のほぼ全身が震えている。
「どっか具合でも悪……」
身を案じた寛斗がグッと距離を詰め、肩を叩くと……
「!!!」
振り向いた純太の顔は真っ青で、その目は涙で潤み今にも泣きそうなほどだ。驚いた寛斗が思わず肩から手を離して後退りすると、純太はその隙をついて全速力で走り出した。
「あっ!菊地さん!!」
必死で呼び止めるも虚しく、純太の姿はどんどん小さくなりやがて見えなくなった。全く訳がわからない寛斗は右手を伸ばしたまま呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。我に帰ったのは、「コラー!静かにしろ!」と、騒ぎを聞いて駆けつけた生徒指導の教師の怒号が耳に入った時だった。
(そういえば、さっきからずっとうるさいな…)
漸く学校掲示板前の騒動に気が付き、寛斗は急いで向かう。教師が来たおかげで、今となってはチラホラ程度の生徒しかいない。そればかりか崇矢と暁の姿もない。ほんの少し前に2人とも指導室に連れ出されたからだ。
寛斗は張り出されている公ヶ谷タイムズを目の当たりにし……言葉を失った。その顔はいつもよく見る笑顔とは打って変わって、ショックなのか悲しいのか怒っているのか…いずれともとれる何とも複雑な表情だ。
そんな彼の様子に、菫はもちろん普段から一緒にいるめぐる、遥、沙希ですら容易く声をかけられず、ただ見守ることしかできなかった。




