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35ページ目 菫さんと忘れ難き大切な記憶 前編


 今から約80年前――


 静かな夜、街中にけたたましいサイレンの音が突如響き渡る。それを聞き、家屋にいた周辺の住民達は一斉に外へ飛び出していく。暗い夜空には無数の光が漂っているが、それは星ではなく……飛行機のライトだ。


 程なくして、鳴り響く音はサイレンから爆音へと変わる。空に漂う爆撃機から鉄の塊のようなものが落ちると同時に、その真下の家屋は無惨にも破壊され、赤い炎と黒い煙に包まれる。


「お姉ちゃーん!」


「スエ子!早く!」


 街中がどんどん火の海と化していく中、逃げ惑う住民の中に7歳ぐらいの少女もいる。その少女はつい先ほどまで姉と手を繋いで逃げていたが、ふとした拍子に離れてしまった。それでも少女は姉を見逃さず、その背中を必死に追いかけている。

 

 しかし……無常にも爆弾の魔の手は近くまで迫り、少女から十数メートル先に爆弾が落ちる。大音量で響く爆音に驚いた少女は蹴躓いて転んでしまう。彼女は膝小僧に怪我を負い、その場に座り込んで泣き出してしまった。

 前を走る姉は妹が転んだことに気付かず、暫くの間そのまま走り続けた。だが、爆音に混じった微かな泣き声を聞き取り、振り向く。すぐそこに妹がおらず姉は愕然とするが、少し離れたところに泣いている妹の姿を見つける。


「スエ子!!ちょっと待って!お姉ちゃん行くから……」


 妹に向かって必死に叫びながら、スエ子の姉は踵を返す。ここから先は妹をおぶって逃げよう。防空壕まではあと少しだから、これぐらいなら私でもできる。


 姉がそう思っていた矢先だった。




「!!……お姉ちゃーーーん!!」




 自分に向かって一目散に走る姉のすぐ目の前に……爆弾が落ちた。耳をつんざくような爆発音と共に、姉の体はゴムマリのように跳ねてそのまま吹き飛ばされ、見えなくなった。











「今日からお世話になります、公ヶ谷高校2年3組です。よろしくお願い致します!」


 介護体験をさせてもらう、「わかしおホーム」に到着した4班の面々ははじめに挨拶をした。班長らしく菫が音頭を取るのに合わせ、他の班員達も深々と頭を下げる。

 菫達を出迎えたのは、白シャツに黒いスラックス姿で恰幅の良い中年男性と、紺のポロシャツにベージュのチノパンを着て眼鏡をかけた青年の2人組だ。


「やぁ、はじめまして。短い間ですが、こちらこそよろしくお願いしますよ。私は施設長の岩本(いわもと)と申します。こちらは介護部主任の福田(ふくだ)です」


「福田です。よろしくお願いします」


 岩本がにこやかに挨拶を返す一方、福田はなぜか目を泳がせながら挨拶をする。まるで始業式の時の杉谷と同じように。そして菫達6班の面々もそれぞれ自己紹介をした。



 挨拶もそこそこに、早速4班の介護体験は幕を開けた。まずは車椅子を押したり歩行介助、及び入所者の話し相手から始まる。この「わかしおホーム」の隣には病院が併設されており、診察を終えた入居者は病院と施設の間の通用口を通って自分の部屋へと戻る。通用口の扉の前までは病院の看護師が入所者に付き添ってくれるが、施設内に入ってからは職員が付き添わなければならない。

 

「あらまぁ、高校生さん?ありがとねぇ〜」


「いえいえ。何階まで行きましょう?」


「3階まで行ってちょうだい」


 菫はある老婆の車椅子を押して、言われた通り3階へと向かう。その後ろでは聡太郎が手摺を持って伝い歩きする別の老婆に付き添う。


「し、失礼します……」


 聡太郎が照れ臭そうに老婆の腕を取ると、彼女は嬉しそうに笑う。またその老婆は何か言おうとしていたが、もごもご話すので聡太郎にはイマイチ聞き取れなかったが、恐らく礼を言ったのだろう。


「今日はどうしてここに……?」


「介護体験させてもらってるんです。高校の行事で。今日から明後日まで私達いますので、よろしくお願いします」


「あらあら〜、こちらこそよろしくね〜」


 菫が押している車椅子に乗る老婆は比較的しっかりしているようで、自然と話も弾む。一方、聡太郎と一緒に歩く老婆はあまり上手く話せないようだ。菫が3階まで向かう途中でも、様々な介護レベルの老人を見かける。同じように車椅子に乗る老人もいれば、杖をついて歩く者や、反対に寝たきりなのかスライディングボードに乗っている者もいる。


(本当に色んな介護度の人がいるのね……。この方はまだ大丈夫だけど、中には意思疎通を取りづらい人だっているでしょうね。そもそも介護そのものが重労働だし、入居者さんと話すからコミュ力だって要る。

 それに一人一人に合わせた介護が必要だし、入居者さんの名前だって全員覚えなきゃいけない。

 なのに給料安いってよく聞くわよね……全くどうしてなのかしら?)


 ぼんやりとそんなことを考えているうちに、菫と老婆の乗ったエレベーターは3階に辿り着く。ドアが開くと同時に、主任の福田が入所者の部屋へと入って行くのが見えた。その後ろ姿を見ながら、菫はこう思った。


(主任なんてもっと大変よね…………福田君)






 一方、2階のリビング兼食堂では――


「ウチの娘ったら全然会いに来てくれないのよ〜。全く薄情なんだから」


「そうなんですね。娘さんもお忙しいから会いたくてもなかなか会えないのかもしれないですよ。

 ウチの両親も仕事で色んなところを飛び回ってるんでなかなか会えないんです」


 寛斗が持ち前のコミュニケーション能力を活かし、老人達と話を弾ませている。右隣に座っている老婆に話し掛けられたかと思うと、今度は左隣の老婆も寛斗に絡んでくる。


「アンタ清宮君って言うの?あの清宮財閥と同じじゃないか」


「……あはは、そうなんです〜」


 つい受け流してしまい、寛斗は清宮財閥とは無関係だと誤魔化してしまう。もしそこの息子だとバレたら面倒なことになるのを危惧して。

 しかしその老婆はそれ以上は突っ込まず、また別の話を始めた。


「アンタ……うちのお父さんにちょっと似てるね」


「えっ、本当ですか?お父さんって……旦那さんですかね?」


「ああ、若い頃にね。仕事ばっかりして家のことは放ったらかしだったけど……いざ亡くなると寂しいもんだねぇ」


「そうですね……」


「まぁ私もそろそろそっちに行くんだろうけど」


「いやいや……まだまだ先ですよ」



 3階のリビング兼食堂には龍星がいて、寛斗以上に老婆達に囲まれている。


「アンタいい男だねぇ〜」


「おっとこ前ねぇ〜」


「3日間だけと言わずずーっといてくれたらいいのに〜」


 ハートの目をしている老婆達に囲まれた龍星は満更でもないようだ。そんな龍星はノリノリで彼女達に甘い言葉をかける。


「いや〜、僕だってずーっといたいですよ。皆さんみたいな綺麗なお姉様達とね」


 恐らく龍星の思惑通り、老婆達はキャー!と黄色い声をあげてうっとりした目を彼に向ける。

 

(……何なのよアレは!?やってることホストと同じじゃん)


 盛り上がっている龍星達を、英玲奈は別の老爺の話し相手をしながら冷ややかな視線で見ている。が、その隙に老爺の手が胸へと伸び……英玲奈は咄嗟によけた。


「……中山さ〜ん、何してくるんですか〜?」


「へっへっへ……お前さんはいい体しとるのぉ……」


「なーかーやーまーさーん!」


 英玲奈は思わず苦笑いをしたが……もちろん目は笑っていない。その様子を見かねてか、2人の間に割り込むようにして、福田が中山に話しかけた。


「よかったら私とお話しましょうね〜。水谷さんはあっちの掃除を手伝ってくれるかな?」


「はーい!」


 福田の指示通りに英玲奈は席を立ち、去って行った。その後ろ姿を中山は残念そうに眺め、「男は嫌いじゃ……」と呟いて渋々福田と話していた。




 その頃、千穂はまた別の老婆の歩行介助をしている。老婆がカラオケをしたいと言ったので、部屋から出て一緒に向かっているところである。


「ここってカラオケがあるんですね〜」


「そうなのよ〜。私、歌うの大好きだから」


「ふふふ、私もですよ〜。部活も軽音部ですし」


「け……けいおん?」


「あ、歌ったりギター弾いたりするんです」


 まさかこんなに年の離れた老婆と趣味が合うと思わず、千穂は自然とニヤけながら彼女に合わせてゆっくりと歩く。途中で迷ったものの何とかカラオケ室に着いたが……ドアはきっちり閉まっていて、そこからはBGMと歌声が聞こえてくる。


「あ……先客いますね」


「いいのよ、そのまま入っちゃって」


 千穂は言われるがまま入ると……別の老爺がこぶしをきかせ、美声を披露している。その歌を聞いた千穂は……


「あ!この曲私知ってますよ。『上を向いて歩こう』ですよね?」


 思わずそう言うと、老婆は驚いた表情を見せた。


「えっ!?知ってるの……?」


「はい。有名ですし時々テレビでも流れて……」


「おや、山田さんじゃないか」


 老婆と千穂が話している間に曲が終わり、歌っていた老爺は2人の存在に気が付いた。


「今日もいい喉してるわねぇ、石原さん」


「いや〜、まだまだじゃよ。練習しないとならんからなぁ、明後日のために」


「明後日?」


 老爺もとい石原が意味深に「明後日」と言うのが気になり、千穂は思わず聞き返した。すると、石原と山田は2人で顔を見合わせて笑いながら答えた。


「明後日はね……カラオケ大会があるのよ」


「そのためにみっちり練習してるんじゃ」


「へぇー!楽しそうですね!」


 この2人と同様に、歌うことが好きな千穂は目を輝かせた。



 そうこうしている間に時間はあっという間に経ち、すぐに午後になった。福田から昼休憩に行ってもいいと言われ、菫達4班の面々は職員用の食堂に向かった。

 

 皆がお弁当を食べ終わった時、菫は透明なテイクアウト容器を鞄から取り出した。それをテーブルに置いておずおずと差し出す。


「これ……よかったら……」


 容器の中には……胡麻団子が6個、入っている。それを見た他の班員達の顔がパッと明るくなる。


「えっ!胡麻団子じゃん!ありがとう、菫ちゃん」


「すー様ありがとう!」


「いただきまーす!」


「遠慮なく頂くぜ」


 千穂と寛斗が開口一番に礼を言い、英玲奈と龍星に至っては早速頬張る。その一方で、少し前に胡麻団子が食べたいと言ったはずの聡太郎だけは面食らっている。


「……貰っていいのか?」


「もちろんよ」


 菫に即答され、聡太郎もおずおずと手を伸ばす。胡麻団子を口にした班員達は皆美味しそうに食べている。


「美味し〜い!」


「菫ちゃん、もしかして作ってくれたの?」


「ううん、661来来のよ」


「661来来!?わざわざ買ってきてくれたの?」


「そうよ。……私のせいで胡麻団子作れなかったからこれぐらいは……」


 言いづらそうにゴニョゴニョ話す菫だったが、寛斗は「なーんだそんなこと!」と笑い飛ばしてくれた。そもそも菫を庇った千穂はもちろん、あれほど菫を責めていた龍星や英玲奈も今となっては気にしていないようだ。そして聡太郎も「やっぱり661のは美味いな……」と言いながら平らげた。

 ここで寛斗は恥ずかしそうにおずおずと別の話を切り出した。


「あ、あの……胡麻団子で思い出したけど……やっぱり俺、砂糖じゃなくて塩持ってきてたわ」


「……今更?」


「言われなくてもわかるぜ〜。あれだけしょっぱかったんだから」


 改めて口を割った寛斗だったが、英玲奈と龍星の反応は薄く、残りの3人も「あ〜」と納得するだけだ。


「後で家政婦さんに聞いたら塩だって……。ほぼ同じ入れ物に入ってたし」


「まぁベタな間違いよね……今度からお砂糖は黒糖にしてもらったら?」


「あ!そうじゃん!すー様頭いい!」


「いや入れ物にラベルつけたらいいじゃ〜ん」


 菫が編み出した名案に、寛斗は目を輝かせる一方で千穂はツッコミを入れた。




 昼休憩も終わりに近づき、体験に戻る前に菫はトイレに寄ってから、入所者のいる食堂兼リビングに戻る。午後からは排泄介助や入浴介助の見学を控えており、菫は改めて気を引き締める。

 廊下を歩いていると……見覚えのある紺のポロシャツの後ろ姿が菫の目に入った。よく見るとその人物はやはり眼鏡を掛けている。バレないように目で追うと、彼は倉庫へと入っていくので……菫はその背中を追いかけ、一旦閉まった倉庫の扉をノックする。


「はーい」


 そう言われたので、菫は遠慮なくドアを開けて中に入った。そこには案の定、福田が立っていた。介護用のオムツから掃除用具に、恐らくレクで使うゲームの用品までもがしまってあるので、倉庫内は思いの外広い。しかし、福田以外は誰もいない。


「あ゛っ……み、宮西さん……」


 菫と目があった福田は一瞬ぎょっとし、今日初めて会った時のように目を泳がせる。それだけでなく、言葉がつっかえてしまう。

 そんな福田の気持ちを知ってか知らずか、菫は倉庫の中は自分達以外に誰もいないのをいいことに、ニヤリと笑いかける。




「……久しぶりね、福田君。主任になるまで出世してたのね」


「……ビックリしたよ、宮西さん。まぁ杉ちゃんから話は聞いてたけどさ……」




 そう、主任もとい福田(ふくだ)優樹(ゆうき)も小学校から中学まで菫と全く同じの元同級生である。杉谷と同様に。その杉谷と福田は今でも付き合いがあるらしく、福田はこの介護体験で菫が来ることも杉谷から事前に聞かされていたという。


「いや〜、福田君の勤務先がまさかここだったなんてね。よかったわ、杉谷君が私が来ることちゃんと伝えてくれてて」


「そうだね〜……って!どうして宮西さんが高校生に……?確かに源ちゃんから聞いたけどまさか本当に来るなんて……」


 涼しい顔で一方的に話す菫だが、福田は信じられないとでも言いたげに目を白黒させている。


「あら、そこは杉谷君から聞いてないの?私高校中退してるからやり直したくて……」


「だからってこんな普通の高校に……?高卒認定取れば済む話だよな?」


「まぁそうだけど……私今仕事なくて時間あるし、せっかくなら高校生活謳歌したいから。幸い今のところクラスの皆にはバレてないわ、私が27歳ってこと。もちろん一緒に来てる班の皆もね(本当は一人だけバレてるけど……)」


 何も知らない福田に二度目の高校生活を送っている理由を話すが、福田はイマイチ釈然としないらしく茫然と話を聞くだけだ。そんな状態に構わず、菫は更に話を続ける。


「まぁそういう訳だから、くれぐれも私の秘密は厳守してね、福田君。杉谷君も今のところしっかり守ってくれてるし」


「あ、そうなんだ……」


 煮え切らない返事をする福田に、菫はビシッと釘を刺す。


「そうなんだじゃなくて、ちゃんと「ハイ」って言うの!もし私の「秘密」を暴露しようものなら……それ相応の対応をさせてもらうからね!」


「そ、それ相応って……」


「福田君……昔リコーダーこっそり舐めてたでしょ?クラス一可愛い子の!」


 ニヤリと悪い笑みを浮かべた菫に、遠い遠い昔の過ちを掘り返され……福田はショックを受けすぐに血の気が引いた。そればかりか顔には冷や汗が何すじも垂れている。これで思惑通りになり、菫は未だに悪い笑顔を見せながら福田の肩をポンと叩く。


「じゃ、そういうことで……。明日も明後日もよろしくお願いしますね、主任!」


 最後にそれだけ伝えると、菫は倉庫を後にしてドアを丁寧に閉めた。これで杉谷と同じく福田にも牽制できたので、菫にとっては一安心だ。なお、幸い福田以外の職員に知り合いはいない。

 思わず菫は足取りを軽くして廊下を歩いていると……


「返しなさいヨォ!!」

「!?」


 後ろからいきなり老婆の怒号が聞こえ、菫は思わず立ち止まって振り向いた。



 廊下にいるのは……歩行器を持っている老婆と、彼女の前で困惑している職員の2人。菫からは老婆の表情は見えないが、ここまで怒号を飛ばしているのだからかなりご立腹のようだ。


「だーかーらー、言ってるだろ!アイツが私のお金を盗んだんだよ!」


「よーこーざーわーさーん!ちょっとこっちで調べますから……」


「今すぐ調べろよッ!こっちは金取られてるんだぞ!!」


(……え?ま、まさか……窃盗!?)


 最初こそ菫は耳を疑った。が、すぐに冷静になる。事前学習で認知症について学んでいたことを思い出したからだ。


(もしかしたら……認知症なのかしら?この方も……)


 ネットで調べたところ、物を盗まれたなどと被害妄想したり、怒りっぽくなったりすると確かにあった。それを踏まえると合点がいく。


(他にも認知症っぽい人は何人かいたけど、せいぜいその辺を歩き回ったり、ご飯食べたのに食べてないって言ったり、亡くなった旦那さんを呼んだりってとこだったわね。……ここまで酷く怒る人もいるのね)

 

 横澤と呼ばれた老婆のあまりの怒りように菫は圧倒され、認知症になったらこうなるのか……と恐怖すら感じる。それでも菫はどうなるのかと目が離せず、戻ることを忘れて老婆と職員の様子を見守っている。

 その間にも老婆は目の前にいる職員に感情のまま怒りをぶつけている。


「だからアイツに返せって言ってんだろォ!」


「私から言っておきますから……」


「そうじゃないんだよォ!いいから早くあのバカ男を呼んでこい!こっちはお金がなくなってるんだよ!」


(……これはちょっとまずくなってきたわね。そろそろ福田君……じゃなくて主任を呼んだ方がいいかしら?)

 

 更に怒りをヒートアップさせる老婆に、菫は危機感を覚えて踵を返し、先程福田と話した倉庫へと向かう。が、ちょうどその時、倉庫のドアからオムツの袋を手に持った福田が出てきた。


「あっ、福田主任!」


「ど、どうしたの?宮西さん……」


 またしてもわかりやすく声が裏返る福田だったが、今の菫にはそんなことはどうでもよい。菫は必死に横澤と職員の方を指差す。


「あの横澤さんて方がお怒りなんです!」


「あっ……。あの人は横澤スエ子さんっていう人でね、重度の認知症なんだよな……。全く……困ったもんだよ。時々叩いてくるし……」


 福田はスエ子について説明すると顔を曇らせ、ため息をつく。主任ですらこの表情なのだから、一般の職員が輪にかけて手を焼いていることは想像に難くない。現に、今対応している職員もかなり困っているのが菫でも見て取れる。

 そうしている間にスエ子は痺れを切らしたようで……


「もういい!警察呼んでやるッ!」


「あっ!ちょっと!後で通報しますからっ……」


「うるさい!!」


「痛っ!」


 通報するべく、服のポケットから携帯を取り出した。慌てて携帯に手を伸ばして止めようとする職員だが、その手はスエ子に叩かれた。それでも虚偽通報を止めようとする職員に、スエ子は容赦なくど突き散らす。

 それを見た福田はもちろん、菫も2人の元へ駆けつける。本来は部外者である菫だが、流石にこれには指を咥えて見る訳にもいかず。


「よ・こ・ざ・わ・さん!!」


「叩いちゃダメですよ〜」


 曇らせた顔を一瞬で営業スマイルに変え、福田がスエ子に話しかける。それと同時に菫も笑顔を作りながら、またも職員の手を叩こうとした皺くちゃの手を両手でそっと握る。


 すると……




「…………!!」


 


 先程までの激怒ぶりはどこへやら……スエ子はまるで別人のように黙り込む。


「あ、あの……、……私達で何とかしますから!きっとお金も見つかりますよ!だから……叩かないでください」


 何とか言葉を選びながら、菫はスエ子に言い聞かせる。その対応で大丈夫だと判断したのか、福田はうんうんと頷く。怒られていた職員も安堵のため息をつく。

 もちろん、菫も安堵した。スエ子はもうすっかり興奮も醒めて落ち着いたと認識していた。


 が、それも束の間……




(……え?なんか……震えてる?もしかしてエアコン効きすぎてて寒いのかしら?


 それにこのお婆ちゃん……


 さっきから私のことじーっと見てない?


 しかも……


 泣きそうなんだけど!)




 菫が未だに握っている皺くちゃの手は……いつの間にかガクガク震え出していた。それだけでなく……スエ子の様子が先程と比べてもどう見てもおかしい。手を握られた時からずっと菫のことを凝視しているうえ、その目は涙で潤んでいる。


(わ、私……な、何か悪いこと……)


 そう思いながら菫が首を傾げたその時……




「!!??」




 スエ子は突如菫にガバッと抱きついてきた。もちろん菫は訳がわからず、抱きつかれたまま固まってしまう。この27年間生きてきて抱きつかれた経験こそあるものの、全く見ず知らずの人物から抱きつかれるなんて当然初めてのことだ。しかも、スエ子は菫に抱きつきながら嗚咽し、大粒の涙を流している。

 

「あっ、すー様いたいた…………え?」


 なかなか戻ってこない菫を探しに来たのか、寛斗は菫の元へ向かうも……この状況を目の当たりにしてすぐさま面食らって立ち止まる。それどころか主任の福田やスエ子に叩かれた職員も理解に苦しみ、茫然と眺めるとこしかできない。


 スエ子は暫く菫の肩の辺りで啜り泣いた後、こう呟いた。




「……ずっと会いたかったよォ、…………スミ子姉ちゃあん……」



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