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28ページ目 菫さんと杉谷先生の奮闘記 前編


 梅雨らしいジメジメした空気に、濃い灰色の雲が空を覆っている。早い話が今にも雨が降りそうだ。

 そんな空の下で、菫と琴葉は困惑している。


「なぁ宮西さん……何とかしてよ」


 二人の目の前にいるのは、2-3担任の杉谷だ。すっかり困り果てた様子でため息をつく。そんな杉谷に、そもそも受け持ちでない琴葉はもちろん、菫もため息をついたうえ……かなり迷惑そうな顔になる。それでも埒があがないので菫は杉谷を叱咤する。


「何とかしてって……自分のクラスの生徒でしょ!

 担任の杉谷君が何とかしなさいよ!何で一生徒の私に頼るわけ?」


 一瞬怯む杉谷だったが、何とか菫に言い返す。


「だ、だって……宮西さんは皆より…」


「10個年上だからって?悪いけど私も皆と同じで勉強して青春するために学校行ってるの!なんで杉谷君がすべきことをやらなきゃいけないのよ!」


「そうだけど……俺が何を言ってもダメなんだよ!授業も誰も聞いちゃいねーし、注意しても反抗しやがるし。……なんで俺にはこう味方が誰もいねーんだよー!!」


 杉谷は溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように、大きな声で愚痴った。

 そんな杉谷に琴葉は困惑し、菫はハッキリ言う。


「まぁ舐められてるのよ、杉谷君は」


「うん、そうね」


「!!!」


 菫はおろか琴葉にまで言われ……杉谷はショックで石のように固まってしまう。


「だってあんなにタメ口利かれて、授業聞いてもらってない先生って杉谷君ぐらいよ?他の先生の授業は皆あそこまでうるさくないし……」


 タメ口を使うのは親しみやすいから……と信じてやまなかった杉谷は一気に現実を突きつけられ、呆然とする。


「うちの担任の小笠原先生も言ってたわよ。杉谷先生は頼りにならんって。まだ1組の若竹先生の方がマシらしいわよ〜」


「………………」


 そればかりか生徒どころか同僚からも頼りにされてないと琴葉から思い知らされ、杉谷は力なく立ち尽くす。それでも菫は杉谷に打開案を一つ、提案する。


「あ、うちのクラスの皆人質にして学校に立て籠れば?」


「銃持って「俺の授業を聞かない皆さんには、人質になってもらいます」って?」


「そんな3年α組みたいなことできるかよ!」


 本気でアドバイスしてくれない菫と、話に乗っかる琴葉にツッコんだ後、杉谷はガックリ項垂れる。




 なぜ屋上にこの三人がいるのかと言うと、菫と琴葉が屋上にいたところに杉谷が気分転換に入ってきたからだ。二人に会うなり、杉谷は菫に「どうしても相談したいことがある」と持ちかけた。琴葉も同席しているが、菫の実年齢を知っているからいいとして。もちろん、菫は全く乗り気でないどころか嫌な予感すらした。断るつもりだったが、琴葉も話ぐらい聞いてあげたら?と言うので、渋々話を聞いていたのだ。


 相談内容は案の定、杉谷の授業が学級崩壊気味であることだった。いや、最近は授業だけでない。朝のSHRの時間ですらダベっている者が複数人いる有様だ。


「全くもう……他の奴はいいとして……まさかあの清宮があんなこと言うなんて……」


 杉谷は落ち込んだ様子で頭を抱えながら口走る。菫もあの授業を思い出して、遠い目で「あー……」と呟く。もちろんクラスが違うので、琴葉は不思議そうな顔をする。


「何があったの? 菫ちゃん」



 それは今日の3時間目のことだった。いつものように教室に入った杉谷だったが……


「昨日の『火曜でも夜更かし』見たー?」


「見た見たー!」


「また全身青色のオッサン出てたなー」


「あとお父さんだけ無視するワンちゃんも可愛かった」


 教室内が……とっても騒がしい。めぐるのグループはもちろん、他の生徒達も会話に花を咲かせており、黙っている生徒の方が少数派である。


「み、皆……Please stand up……」


 杉谷が弱々しく号令をかけると……3組一同は渋々席を立つ。だが、皆あくびをするわ「たりー」と言うわ、面倒臭そうな顔はするわと真面目にやっているように見えない。

 

 そして授業開始の号令が終わり次第、すぐにお喋りが再開される。授業が始まってもアハハハハ!と笑い声がひっきりなしに聞こえてくる。もちろん杉谷が面白いことを言っている訳ではないし、生徒達も杉谷の話が面白くて笑っているのではない。

 要するに、ほぼ全員私語に夢中で誰も杉谷の話を聞いていない。


「コラっ!静かにしろっ!」


 杉谷は注意するも、「はいはーい」などと適当に返事し一旦は静かになるも、数分で元通りになるだけだ。真二や知輝に至っては野次まで飛ばしてくる。


「お杉こそうるせー!」


「ひっこめー」


(クソッ……ふざけやがって……)


 杉谷はイライラしてつい唇を噛んでしまう。

 そのイライラの矛先はうるさい生徒だけでなく、居眠りや他のことをしている生徒にも当然向けられる。


「吉田!寝るんじゃねぇ!起きろ!」


 和馬が机に突っ伏して寝ていたので、杉谷はゆすって起こす。顔を上げる和馬だったが、「何だようっせーな…」とだけ言って大あくびをした。

 その前の席の幸輔はと言うと、一見教科書こそ開いているものの……


「矢澤ぁ!今授業中だぞ!」


 怒号を上げながら杉谷が教科書を奪い取ると……幸輔は焼きそばパンにかぶりついていた。当然、教室内はどっと笑いに包まれる。今時の子も早弁するのね……と菫が思ったのは言うまでもない。


「早弁なんかしやがって……やる気あんのか?せっかく学校来てるんなら真面目にやれよ!」


 杉谷はブチギレながら注意し机をバンと叩いた。幸輔は口の中のパンを飲み込んでから舌打ちする。

 この時ばかりは3組一同も流石に黙っていた。


 が……




「……どの口が言ってんだよ」




 冷たい声で呟いたのは、それまで野次を飛ばしていた真二や知輝ではない。ましてや居眠りしていた和馬や早弁していた幸輔でもない。むしろその彼らも驚いた様子で声の聞こえた方を凝視している。

 当然、杉谷もまさかの人物によるまさかの発言に面食らい、二の句が告げずにいる。




「…………き、清宮……今なんて……?」





 寛斗がこう言った理由を、菫も杉谷も重々わかっている。琴葉も「あ〜」と言って納得している。それを踏まえて、菫は再び話を切り出す。


「でも清宮君だったら言われても仕方ないわよ。

 ……アメフト部のいじめ放置したからでしょ」


「うっ……それはもう過ぎたことじゃ……」


 ズバリと言われ狼狽える杉谷に、菫はまたしてもガツンと言う。


「過ぎたことがどうとか関係ないの!もし杉谷君がいじめられててあんな対応されちゃ……恨むでしょ!

 清宮君、あの先輩のこと凄く尊敬しててどうしても助けたかったのよ。だから本来杉谷君がやるべきことも全部やってくれてたの」


「…………」


 琴葉がうんうんと頷いて耳を傾ける中、杉谷は返す言葉がなく沈んだ顔で黙り込んだ。それでも構わずに菫は話を続ける。


「ていうか……よくクビにならなかったわね。普通なら辞めさせられてもおかしくないんじゃないの?」


「…………理事長にも校長にも言われたよ。本来ならクビだって。

 でも……それだけはやめてくださいって土下座したんだ。俺が仕事なくなったらダメだから……」


「……土下座!? そこまでしたんですか?」


 杉谷は少し考え込んだ後、力なく言った。杉谷がまさか土下座するとは思わず、琴葉は驚いて聞き返す。

 菫は今までと違い、ただならぬ雰囲気を感じた。杉谷の表情もさることながら、わざわざ土下座までするほどだ。ただクビになるのが嫌、という訳でなく何かのっぴきならない事情があるのかと思う。


「……どういうこと?」

 

 菫が訊くと、杉谷は沈んだ顔のままため息をついてから語り始めた。


「実は……少し前にうちの親父が倒れたんだ。脳梗塞で」


「え?」


「命だけは助かったんだけど……親父は仕事辞めたし、今うちで稼いでるのは俺だけなんだ。母さんも一日中介護で忙しくて働けなくて……」


「そうだったの……!」


「それは……大変ですね」


 まさかそんな事情があったとは知らず、菫と琴葉は驚きを隠せない。そこまで聞くと、杉谷があのいじめ問題で杜撰な対応をした理由も、何となく見えてきた。


「もしかして……杉谷君も介護してたの?」


 菫がそう訊くと、杉谷はうんざりした表情で頷いた。やはりと思った菫だったが……


「だからって……いじめを放っといていい理由にはならないわよ?」


 釘を刺され、杉谷は再び返す言葉が出ずに俯く。


「……そうだよな〜。栗山先生にもカオルンにも言われたよ」


 どうやら、やはり杉谷が怒られたのは理事長と校長だけではなかったようだ。

 ただ……今の杉谷は以前のように弁解したり開き直ったりする様子もなく、「そうだよな〜」と非を認めている。なので、菫と琴葉には少なからず杉谷が反省の色を示しているように見えなくもない。


「まぁ一度なくなった信頼を取り戻すのって難しいのよ。しっかり謝って反省して、もう二度と同じことを繰り返さないようにするしかないんじゃないかしら?」


「よく言いますもんね、信頼をなくすのは簡単で取り戻すのは難しいって」


「だよなー……」


 なんで同級生、ましてや教師相手にこんな誰にでもわかるようなことを教えなきゃいけないのよ……と思いながら菫は渋々アドバイスし、琴葉も同調する。


「それと……」


 話し込んでいるうちに次の授業の時間が迫ってきたので、菫は最後にこれだけ言っておくことにした。


「杉谷君、味方がいないって言ってたけど……味方が欲しいんならまず自分が誰かの味方にならないと。杉谷君だって味方にするんなら自分の味方になってくれる人がいいでしょ?

 で、味方になってくれるような先生なら……授業もしっかり聞いてくれるんじゃないかしら?」


 そう言うと、菫は琴葉に「次の授業始まるから行こ行こ」と言って、二人で屋上を後にした。


「流石神説教ねー! 菫ちゃん」


「いやいや当然のこと言っただけよ。てか神説教って……ドラマじゃないんだから」


 屋上の階段を降りながら、琴葉は菫の肩を叩きながら褒めちぎっていた。




「自分が誰かの味方になる……か」


 二人がいなくなった後、杉谷はそう呟いた。それと同時に……




「流石だな。……そう思ったろ?」




「!!?」


 後ろから低い声が聞こえ、杉谷はビクッとして咄嗟に振り向いた。



 その日の夕方、杉谷は再び理事長室に呼び出された。今度は一体何なんだ……と戦々恐々としながら震える手でドアをノックする。


「……お疲れ様です。話って何ですか?」


 真っ赤なスーツを着た新庄は、杉谷が訊くなり「ああ」と返事し、なぜかニッコリと笑みを浮かべる。


「杉谷先生……私に何か言うことあるんじゃないの?」


 笑顔でいきなりそう切り出した新庄だったが……それとは裏腹に杉谷は顔が真っ青になった。同時に冷や汗までダラダラ垂れてくる。


(り、理事長笑顔だけど……逆に怖い!! ま、まさか……バレたのか!?アレが……)


「……?」


 なぜ杉谷がこんなにビクビクしている理由がわからず、新庄は笑顔からどんどん怪訝な顔へと変わっていく。そんな空気に耐えられず……杉谷はついに白状することにした。


「す……すみませんでした!……学校内でタバコ吸って……どうしても我慢できなかったんです!」


 潔く自白し、頭を深々と下げた杉谷だったが……


「……は?」


 新庄は唖然とするだけだった。




 それから杉谷が新庄にこっ酷く怒られたのは言うまでもない。とんだ藪蛇になってしまった杉谷はげっそりしているところで、新庄は漸く本題を思い出した。


「あ、そうそう。私が話したかったことなんだけど……杉谷先生、今とっても大変なのよね?」


「……へ?」


「……お父さん、倒れたんでしょう?」


「!!」

 

 杉谷は動揺する。その話は教師では2人を除いて誰にもしていなかったはずだ。余計な口を出されるのが嫌だったから。


「り、理事長!どうしてそれを……?」


「聞いたわよ〜、栗山先生とカオルンから!どうしてもっと早く言ってくれないのよ〜」


「そ、そういう話はちょっと……」


「その割にはさっさと帰ってたじゃなーい。

 だから授業の準備する時間とか、生徒と向き合う時間も中々取れなかったんでしょ?

 そういうのはちゃんと報告しなさいよ、はいコレ」


 そう言いながら新庄が杉谷に渡したものは、とある介護施設のパンフレットだ。


「こ、これ……」


「お父さんにいかがかと思ってね。ここの施設、私の知り合いが経営してるの。つい最近までいっぱいだったんだけど、空きができたらしいのよ」


「で、でも……親父は家にいたいって……」


「お父さんの気持ちを優先したいのはわかるけど……このままじゃ先生もお母さんも共倒れになるわよ?ここはお父さん説得してみたらどうかしら?」


 それでも首を縦に振らない杉谷に、新庄は痺れを切らしたように机をバンと叩き、真剣な眼差しを向ける。


「もし何回言ってもダメなら私に言ってちょうだい!私も説得するから!」


「……!!」


 杉谷は一瞬だけポカーンとしたものの、すぐにジーンと来た。まさか自分のようなダメ教師なんかのために、ここまで考えてくれているなんて……。

 それまで自分に厳しかった新庄の優しさに、杉谷は心を揺さぶられ、より深々と頭を下げた。




「……ありがとうございます!!」




 その週末、早速杉谷は両親を連れて新庄が紹介してくれた施設へ見学に足を運んだ。杉谷と母はその施設を気に入ったものの……やはり父は案の定、家にいたいとごねる。

 このままじゃ理事長呼び出し決定かと杉谷は思ったものの……施設長とケアマネージャーの説得により、父は案外すんなりと入所を決めた。どうやらケアマネージャーの女性が父の好みのタイプだったらしく、杉谷が胸を撫で下ろす横で、母が険しい顔をしていたのは言うまでもない。



 週明け、杉谷は出勤するなり栗山と中村、そして新庄に頭を下げに行き、休憩時間には菫と琴葉にもその顛末を報告した。


「あら!よかったじゃない」


「これで先生の仕事に専念できますねー」


「本当それだよ!母さんも新しいパート探すってさ」


 先週と同じく屋上で話している三人だったが、そこに……コツコツと足音が聞こえてきた。

 まさか先客がいるなんて!と皆ビクッとし、恐る恐る足音のした方向を向くと……




「で、今から心を入れ替えるってことか?」


 


 そこにいたのは……凜だった。


「あっ、生田目か……」


「な、生田目君!!」


 驚く菫をよそに、杉谷はなぜかほっとした様子を見せる。一方、彼に振られた経験のある琴葉は気まずそうに目を逸らす。三者三様の反応に構わず、凜は話を続ける。


「前言ったろ。俺、高いとこが好きだって。それにしてもアンタら元々知り合いだったんだな。よく考えたら同い年だし。あと有薗も」


「…………まぁ私は菫ちゃんのこと前から知ってるから」


 琴葉は凜と目を合わせないまま、小声で言った。


「…………私そんなこと言ったかしら?もしや……」


 そう言いながら、菫は杉谷に鋭い眼光を向ける。確かに凜に年齢のことはバレているが、杉谷と同級生であることや琴葉と知り合いであることまでは言った記憶がないからだ。

 すると案の定、杉谷は汗をタラタラ流しながら、菫に向けてパンと音を立てて手を合わせる。


「ごめん宮西さん!実は前に屋上で話聞いて貰ってた時に生田目もいたみたいで……」


「えっ!そうだったの……まぁ生田目君なら全然いいけど」


「いつの間に……」


 菫が涼しい顔をする一方、琴葉はポカーンと口を開ける。そして今度は杉谷が動揺した様子で訴える。


「それよりビックリしたのは俺の方だよ!まさか生田目が知ってるなんて!」


「まぁバレちゃったのよ、色々あって」


 菫と杉谷が言い合う横で琴葉が頷く中、凜は横から口を挟む。


「まぁせいぜい頑張れよ。皆杉谷のこと舐め腐ってるから大変だろうな……俺もそうだけど」


(なんて毒気たっぷりなエール……生田目君らしいわね)


 言ってる側から生意気な口を叩く凜に、三人は苦笑いする。

 が、杉谷は昨日までとは違い……


「……こら生田目。せめて面と向かっては「先生」って呼びなさい」


「へーい」


「へーいじゃなくて、はい!」


 しっかりと注意した。それを見た菫と琴葉は凜の相変わらずな態度に思わず笑ってしまうも、それでも注意した杉谷に拍手をした。


「杉谷君、その調子よ!あとは注意するだけじゃなくて、褒める時は褒めて、悩みがあれば聞いて。担任たるもの生徒皆の味方にならなきゃね」


「そうですよ! うちの担任の小笠原先生だって私達の話しっかり聞いてくれますから」


 菫と琴葉が笑顔でエールを送った側から……凜は耳の痛い話を切り出す。


「まぁ他の奴はいいとして、そう簡単には許してくれねぇだろな……寛斗は。今も相当怒ってるし」


「……そうよね。まぁ地道に頑張るしかないわね……」


 凜と菫からそう言われ、杉谷は顔を曇らせた。



 その次の授業が終わり、杉谷は別のクラスの授業を終え職員室へと向かう。次の時間は空きコマなので急ぐ必要はなく、杉谷は廊下をゆっくり歩いて戻っている。

 すると、ある生徒が前から歩いてくる。


「おっ、松本じゃないか!」


「お杉じゃねーか…………ッ!いででで」


「だから面と向かっては先生って……どうした?」


 凜同様に注意しようとしたところ……成一は膝を押さえて痛がり出した。


「朝から膝が痛えんだよ……たぶん筋トレのやり過ぎだろなー」


「松本はいつも頑張ってるからなぁ。昨日はどれくらいやってたんだ?」


 成一はきょとんとする。これまではすれ違っても挨拶しかせず、特に雑談しようともしなかった杉谷が珍しく向こうから絡んできたのだから。

 とりあえず成一は昨日のことを思い出しながら答える。


「え、えーっと……スクワット100回にランジ50回に……あとマシンも……」


「いくら何でもやり過ぎだろ!」


 呆れ返った杉谷は、成一に正しい筋トレについてアドバイスする。


「いいか、筋肉を休ませるのも筋トレのうちだぞ!やり過ぎは怪我の元だしオーバートレーニング症候群になる。……まさか食事制限とかもしてるんじゃねーだろうな!?」


 図星だったらしく、成一はギクリとした。


「と……鶏肉と卵ばっかり食べてるっす。あとプロテインと……」


「…………」


 杉谷は頭を抱えため息をついた後、今度は食事についてもアドバイスした。


「それもやり過ぎだって!ちゃんとバランスよく食べないと。特に糖質はエネルギー源になるんだからちゃんと摂らないと逆に筋肉が減るし低血糖になるんだから!それに重度の低血糖になったら最悪……死ぬぞ!」


 ガーン!とでも言うかのように、成一は大ショックを受けた。流石に言い過ぎたかと思い、杉谷は慌ててフォローする。


「ま、まぁこれから気をつければ大丈夫だよ。あと膝はカオルンから湿布でも貰ってきなさい

(よかったぁ、昔筋トレしてた経験が役に立ったぜ……)」


 それだけ言うと、杉谷は職員室へと去っていった。


 一方、成一は暫くショックから立ち直れず、その場に立ち尽くしていた。そして納得いかない様子で歯を食いしばる。


(そ……そんな訳ねぇだろ!マッチョルさんの動画ではとにかくタンパク質!って……)


 そう思いながら成一はスマホを取り出し、調べてみた結果……愕然とした。


(……え?ガチじゃん……お杉が言ってたこと)



 別の休憩時間の時には、花恋が浮かない顔をしていた。彼女は窓枠に頬杖をつき、窓の外を眺めながら大きなため息をついている。

 今までならスルーしていたところだが、杉谷は花恋を見逃さずに立ち止まり、声をかける。


「伊藤じゃないか。何黄昏れてるんだよ、悩みでもあるのか?」

「……杉ちゃんには関係ないでしょ〜」


 窓の外を眺めたまま花恋は言い返すも、杉谷は諦めない。


「関係なくなんかないよ。担任たるもの、自分のクラスの生徒が悩んでたら放っておけないからな。勉強のことはもちろん、それ以外のことでも……」


 そう言うと、花恋はすぐに振り向いて得意の上目遣いにウルウル目と困り顔で、杉谷に視線を向ける。


「杉ちゃん、本当ぉ〜??」


「ああ。杉ちゃんじゃなくて先……」


「花恋ねぇ〜、好きな人がいるのぉ。でもその人彼女持ちなの。

 だから彼女さんと別れさせて花恋と付き合って欲しいなぁ〜って。花恋の方が可愛いしぃ〜」


「…………」


 杉谷は絶句した。それと同時に可愛い顔してえげつないことを考えやがる……とも思う。花恋の視線の先にいるのは校舎へと歩いているイケメンで有名な先輩で、どうやら先程からこの先輩を眺めていたらしい。

 杉谷は苦笑いするも、とりあえず相談に乗る。


「伊藤……いくら好きでも略奪はダメだ。もし仮に伊藤に靡いて付き合えたとしても、また別の女に取られるぞ。

 どうしてもどうしても付き合いたいんなら……別れるまで待つべきだな。待ってられないんなら新しい恋をするのも手だし」


 真面目にアドバイスする杉谷とは裏腹に、花恋は納得いかない様子で頬を膨らませていた。




 また別の休憩時間では、珍しくオリビアが沈んだ顔をしていたので、杉谷はやはり声をかけてみた。


「実は私……泳げねだ〜。だすけ水泳の時間本当嫌だべ……」


「えっ、確かもう水泳始まってるんだろ?それまでは……」


「お腹痛ぐでずっと見学してらったべ」


「よーし!先生に任せてくれ」


 杉谷はオリビアの悩みを聞いた後、すぐに体育教師の森本に相談し、次の女子の水泳は初心者向けの内容にすると約束してもらった。




 そして3組本日最後の授業である6時間目は……英語だ。



 やはり杉谷が教室に入っても教室はうるさいまま、こんな調子で授業が始まるのも昨日と同じだ。

 しかし……杉谷はこれから起こることを妄想し、人知れずニヤけている。


(グフフ……こうして騒いでいられるのも今のうちだけだぞ……)


 杉谷が不敵な笑みを浮かべているのに気付いている生徒は二名。菫と凜だ。


(杉谷君……何企んでるのかしら?)


(一体何するつもりだ……?)


 挨拶を終え全員が着席すると同時に、杉谷は音を立てて手を3回叩く。そして白黒のプリントを1枚見せびらかす。




「はい皆!今日はテストをするぞ!!」




 流石にこれには全員一気に黙った。思惑通りになりほくそ笑む杉谷だったが……


「えー!抜き打ちかよ!」


「卑怯だぞー!」


「酷〜い!」


「サイテー!」


「くそったれ〜」


 程なくして案の定罵声が飛び交った。だが、これも杉谷にとってはもちろん想定内だ。余裕な顔で「はいはい皆静かにー」と言ってその場を鎮め、悪い笑顔を見せながら告げる。


「なぁに、大したことないぞ!中間でも期末でもない、昨日俺が夜なべして作ったただのテストだ。

 誰にでも簡単に解けるはずだぜ?……昨日までの俺の授業をしっかり聞いていればな〜」


 ほぼ全員、しっかり聞いていないので返す言葉がなく黙り込んだ。険しい顔や悔しそうな顔で杉谷を睨む者もいれば、この世の終わりのような顔をしている者もいる。

 その中で菫はクスリと笑い、凜は無表情のまま黙っている。


(なかなかやるわね……杉谷君)


(なるほど……そういう手で来たか)




 突如始まった抜き打ちテストは20分で終わり、残りの約30分は普通の授業に充てられた。

 やはり生徒達には抜き打ちテストがショックだったのか、はたまた授業を聞かなかったことを反省したのか教室内は昨日よりも心なしか静かだ。特に昨日まで騒いでいた者は見事に全員浮かない顔をしている。きっと碌にできなかったのだろう。


 そんな中でも、懲りずに授業を聞かない者がいない訳ではなく……。


「ちょっと……今川!」


 杉谷が教科書を読んでいる側から寝息が聞こえたかと思うと……萌が机に突っ伏していた。杉谷はすぐに萌の席へ向かい、机をバンバン叩く。


「いーまーがーわー!起きろ!!」


「おーい、起きれー」


「起ぎるべ〜」


 隣の席の日向に声を掛けられ、後ろの席のオリビアに背中を叩かれ……萌は漸く目を覚ます。


「……ん〜?」


「おっ、起きたな。じゃあ今川、このページの文を読みなさい」


「……え?」


「ここだよここ!」


「あ…………As a child, I loved……」


 見るからに寝起きな様子に全員が爆笑する中、萌は渋々立ち上がってまだ眠たそうに教科書を読む。


 そのすぐ後にも……性懲りも無く今度は話し声が杉谷の耳に入った。杉谷は待ってましたと言わんばかりに、声の主を早速指名する。


「なーらーまー!」


「……へ?」


「34ページの問1をやりなさい!」


「ちょちょちょ!ちょっと待って!!」


 今の今まで杉谷に背を向け、貴大と喋っていた真二は慌てて机に向かう。そして無駄話をしていた者がもう1人いたので、杉谷は続けて指名する。


「問2は……堀!」


「ええ〜!!」


 やはり後ろの席の成一と喋っていた知輝は当てられるなり嫌そうな顔をする。そればかりか、知輝は口答えまでしてくる。


「何だよ〜、お杉のくせに生意気だぞ!抜き打ちテストまでしやがって!」


「ほーう……」

 

 そう言われた杉谷は怒る訳でもなく悲しむ訳でもなく……またも悪い笑みを浮かべている。知輝は逆に怖く思い、ここにきて表情が変わる。


「堀ぃ……君なんかよりも小学生の方が口答えしないし、授業もしっかり聞いてるぞ。

 そんな小学生以下の奴が女子にモテる訳ねぇんだよ!」


「!!!」


 知輝は大ショックを受け、席に座ったまま茫然自失となった。それとは裏腹に、他の皆は笑うかうんうんと頷いている。


(あーあ、堀君大丈夫かしら。それにしても杉谷君……すごい飛ばしてるじゃない。正直ここまで変わるとは思わなかったわ……)


 菫が知輝を心配し杉谷に関心している間も、勢いは止まらず……杉谷は次に幸輔の席のすぐ側へと向かう。


「矢澤ぁ〜、今日は何食ってんだ?」


 杉谷がまたしても幸輔から教科書を奪うと……今度はパンではなく、漫画が出てきた。やはり舌打ちをする幸輔をよそに、それを見た菫は思わず声が出そうになり、咄嗟に両手で口を押さえた。




(!!……『弱小哀歌ベースボーイズ』じゃない!!矢澤君……読んでるのね!)





 それから2日後……3組一同の杉谷への態度は早くも変わり始めていた。英語の授業はもちろん、朝のSHRでも無駄口を叩く生徒は減少し、かなり静かになった。居眠りしたり違うことをする生徒もほとんどいない。

 

 それだけでなく、ここ最近で杉谷にアドバイスを貰った生徒も変わってきている。

 成一はあの後湿布こそ貼っていたものの、今はもう痛くなさそうだし、弁当にも白飯を入れてきている。花恋もあの日以来想い人の話はせず、好きな男性アイドルの話ばかりしている。

 

 そしてオリビアはこの日水泳があったのにも関わらず、上機嫌だった。どうやら森本は今日の水泳は「おさらい」と称して顔に水をつけるところから始め、隣のクラスの水泳部の女子にも協力を仰いで、オリビアにみっちり泳ぎを教えていたようだ。そのおかげでオリビアは少し泳げるようになったらしい。


 また、教室ではめぐると彩矢音も杉谷について話していた。


「いや〜、やっぱ言ってみるもんだな!」


「どうせ杉ちゃんのことだからあんま期待してなかったけどねー」


「……杉谷先生がどうしたの?」


 何のことか気になった菫は、2人に聞いてみることにした。


「あっ、すー様。うちのバスケ部って楽しくワイワイやれてるんだけど緩くてさぁ……」


「練習中もダラダラ喋ってるし挨拶もテキトーだし……弱いんだからもっとちゃんとしろって思ってたよね、めめちゃん」


「だからダメ元で杉ちゃんに相談したんだよな〜。そしたら……今日の朝ミーティングして「練習中は私語禁止、挨拶はちゃんとすること」って決まったんだよ!」


「そーそー!私達から顧問に何を言っても無駄だったのにね」


 どうやら杉谷がバスケ部顧問に直談判してくれたらしく、菫は驚いた。今までの杉谷ならこういう揉め事になりかねない案件はとことん避けてきたはずだ。ましてや杉谷は直接関係ないバスケ部であるのに。

 それでもめぐると彩矢音はまだまだ不安なのか苦笑いする。


「……まぁいつまで続くかわかんねぇけど」


「それな。でもまさか杉ちゃんが動いてくれるなんてね〜!見直しちゃった」


「ほんとそれ!杉ちゃん案外頼りになるじゃんって」


 この2人にとっても杉谷への見る目がいい意味で変わったようで、菫は安堵したが……。


「………………」


 そんなめぐる、彩矢音、菫のすぐ横を、寛斗は複雑な表情で通り過ぎた。






 一方、職員室にて――


「うちの子は人の物盗むような子じゃないのよ!何度言ったらわかるの!?」


 授業を終えて戻ってきた杉谷は、職員室に入るなり愕然とした。1人の中年女性が教職員に対して詰め寄っているからだ。しかも相当お怒りの様子である。恐らく生徒の誰かの母かと思われるが、杉谷はこの女性に見覚えがない。

 

「お、小笠原先生……モンペか?」


 杉谷は近くにいた5組担任の小笠原にこっそり聞いてみた。すると小笠原はやれやれと言った表情でため息をついてから、この女性について説明する。


「ああ、この方は去年退学処分になった生徒のお母さんですよ。未だに時々来られるんです」

「マジか……」

「杉谷先生は今年からなんでまだ知らなかったですよね。……あっ、でも……」




 女性の怒号を聞きつけ、職員室前には生徒数名も野次馬の如く駆けつけている。その中には2-3の生徒の姿もある。


「うわぁ……凄いね。あの子がゆかちゃんのお金盗ったってのに……、ねぇ」


 そう言う千穂の隣で……優香子は真っ青な顔で呆然と立ち尽くしていた。


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