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22ページ目 菫さんのまさかの相合傘

 

 菫は昇降口のドアの前で呆然と立ち尽くし、思わずため息をついた。


「あちゃ〜〜〜……」


 透明なドア越しに見える景色はあいにくの雨模様。しかもなかなか強い雨のようで、ザーザーと音を立てて雨粒が窓ガラスや壁を叩いている。すぐに止みそうな気配も当然ない。

 

 ここまでの荒天にも関わらず、今日の午後の天気予報は曇りであった。だから菫にとって雨が降ることなど全くの想定外で、傘はおろか折り畳み傘すら持っていない。おまけに頼みの綱の琴葉は今日は用事があって、委員会に行かずに帰ってしまった。


(うーん……どうしようかしら。って言っても走って駅まで向かうしかないわよね。まだ雷が鳴ってないだけマシかも)


 それでも雷が鳴るのも時間の問題かもしれないので、菫はそれまでに駅に着くよう全力疾走することにした。両手で持ったスクールバッグを頭上にあてがいながら昇降口ドアへと向かう。高校から駅までは走れば10分もかからないだろう。

 菫がドアのすぐ前で走ろうと位置につき、いざ出発……


「あれっ!宮西さん!」


 ……しようとしたところで、聞き覚えのある声が菫の耳に入る。周りには誰もおらず、もう皆帰ったかと思っていたので菫はビクッと震えてしまう。スクールバッグを下ろして恐る恐る振り向くと、2年3組の下駄箱のところに見覚えのある人影が立っていた。




「か……上川畑君?」




 立っていたのは、直だ。こちらをじっと見るつぶらな目は、どこか嬉しそうにキョロキョロ動いている。


「珍しいですね、宮西さんがこんな遅くまで学校にいるなんて…」

「委員会よ委員会」

「えっ、新聞委員会ってこんなに遅いんですか?」

「長引いたのよ。あの委員長が記事全部書き終わってから帰れって言うし、なかなかOK出してくれないし」


 愚痴る菫だったが、直はニコニコしながら耳を傾けてくれている。

 

「奇遇ですね〜。僕も図書委員会で遅くなっちゃったんですよ。図書室の本の整理に集中してたら、いつの間にか僕以外皆帰ってました」

「えっ、だから上川畑君も遅かったのね」


 軽く話をした後で、直は少しばかりもじもじしながら話題を変える。


「み、宮西さん、もしかして……傘ないんですか?」

「そうなのよ〜。まさか雨降るなんて思ってなかったから……」


 菫がそう言ってため息をついたところで、直は食い気味にこう言った。


「じゃあ!一緒に帰りませんか!?僕傘持ってますよ!」

「えっ!本当!?」


 菫は嬉しい半分……少しギョッとする。


(こ、これって……相合傘になるのよね?相合傘っていかにも青春って感じだけど、恋愛イベントよね?こういうのは。私はそういうのは……)


「……みっ、宮西さん?」


 考え込んでいたせいで黙っていた菫だったが、直に再び話しかけられ我に帰る。


「……あっ、ごめん。だ、大丈夫よ」

「えっ!?宮西さんって自転車でしたっけ?」

「ううん、電車だけど走って駅まで行くから!」


 再びスクールバッグを頭に当てがって帰ろうとする菫を、直は止める。


「ま、待ってください宮西さん!僕も電車ですし駅まで行きます。濡れたら風邪ひきますよ!宮西さんが学校休んだら寂しいですし……」

「え?」


 そう言われると……菫の気持ちは揺らぎ出した。




「あ……ありがとう!じゃあ……よろしく」




 菫は迷った挙句に、直の傘に入れてもらうことにした。相合傘になってしまうが、今昇降口には自分達以外に誰もいないし、次の日噂になることもないだろう。それに葵も相合傘ぐらいで……と言っていた。そんなことよりも風邪をひく方が菫にとっては嫌なのだ。


「いえいえ〜。今日お祖父様が傘持って行けってうるさかったんですよ。ツバメが低く飛んでるからって…」

「あー、なんかそれ聞いたことあるわね。ツバメが低く飛ぶと雨が降るんでしょ?」

「そうそうそうです!不思議ですよね〜。さ、どうぞ。入ってください」


 直は自前の紺色チェック柄の傘を開き、その中へ菫を誘う。そんな直もどこか嬉しそうにニヤけており、地に足がつかない様子だ。直は菫とは反対方向から通っているが、最寄駅まで行くのは同じである。


(それにしても相合傘なんて……もう何年もしたこともしてもらったこともないわね。15年振りぐらいかしら?しかも男の子となんて初めてよ)


 夜職時代は車での送迎があったし、前の高校と中学は自転車通学していたため、そもそも傘ではなくレインコートを使っていた。となると、徒歩で通学していた小学校以来ということになる。

 

 直の傘は十分大きく、少し詰めれば余裕で2人とも雨に濡れずに済みそうなぐらいだ。しかも菫は言わずもがな、直も男子にしてはそれほど身体が大きい方ではないので、きっと余裕だろう。菫は少しドキドキしながらゆっくりと直の傘に入る。


「じゃあ行きますよ!」

「はーい!」


 直が出発合図を出すのに伴い、菫はついて行った。



 分厚い濃い灰色の雨雲が空にしっかり覆い被さっているせいで、辺りは普段よりも格段に暗い。早くも街灯が灯っているほどだ。菫と直が駅まで向かっている最中にも雨足はどんどん強くなり、雨の雫が直の傘を何度も何度も叩きつけている。


「読者感想文の宿題もうやってる?私まずどの本読むかでつまづいてて…」

「そうなんですか?オススメの本ありますよ」


 傘の下で、2人はたわいのない話をしている。面倒な宿題の話や、数学の授業で若竹がまさかの誤答を書いてしまい赤っ恥をかいたこと、学食の限定メニューの話などなど。

 

 菫にとって直はクラスメイトの中でも比較的よく話す方なので、最初こそ無駄に緊張はしたものの今は普通に話している。

 元々直は気さくな性格で、凜や幸輔など近寄りがたい人物にも分け隔てなく絡みに行くほどだ。もちろん菫も例外ではなく、むしろ菫と話している時の直は心なしか普段以上にテンションが高く見えなくもない。


「昨日はついつい夜更かししちゃって日付変わってから寝ましたよ」

「そうなのね。ゲームでもしてたの?」

「いえ、西野圭子の本読んでました。とにかく続きが気になって…」


 こんな感じで色々話してはいるものの……あまり長続きしない。さっさと終わってはまた別の話題に変わってしまい、その繰り返しだ。このままでは話題がなくなったら一気に気まずくなりそうだ。菫は頭をフル回転させて次の話題を探す。


(趣味は何?って訊こうかしら?でもなんかお見合いみたいね。あっ!一つあるわ、上川畑君にどうしても聞きたいこと。これにしましょ!……ん?)


 ふと直の方に視線を向けたところ、菫はあることに気付いてびっくりする。


「か、上川畑君!」

「えっ!!どうかしましたか!?」

「だいぶ濡れてるじゃない!」

「……あっ!!」


 直が傘を持っているのは左手なので、反対側の右腕は必然的に傘から離れ……激しい雨に打たれ、ずぶ濡れになっている。それどころか肩や脚はおろか、背負っている学校指定のリュックの右側まで雨水がぐっしょり染み渡っている。そんな状態であるのに、当の直は指摘されるまで気付かなかったらしい。

 それとは対照的に、菫の服と指定のスクールバッグに雨水は一滴もついていない。


「もうちょっと寄りなよ、上川畑君」

「だ、大丈夫ですよ。今は寒くないですしちょっとぐらい濡れたって…」

「ダメよ!上川畑君が風邪ひいちゃうじゃない、ほら!」

「あっ、ちょっ……!!」


 強がる直だが、菫は彼のポロシャツの背中のあたりを摘んで自分の方へ引っ張る。直はよろけたが何とかバランスを取り直して転ばずに済んだ。2人の距離がグッと縮まり、肩と肩がぶつかってしまう。

 ぶつかった瞬間、直は目を丸くすると同時に……一瞬だけ顔を赤らめた。すぐ隣にいる菫には見えずに気付いていないようだが。


「あっ、ごめん。痛かったでしょ?」

「いっ、痛くないですよ!それよりも……宮西さんが濡れちゃうじゃないですか」 

「大丈夫よ、この傘大きいんだし。これぐらい寄ったら2人とも濡れないわ」


 心臓が早鐘を打っていて気が気でない直の気も知らずに、菫は自信ありげに豪語する。そればかりか……


「はい」

「え?」

「拭きなよ。小さいし何回か手ぇ拭いたけど、これでよかったら…」


 鞄の中からタオルハンカチを取り出した菫は、直にそれを差し出した。



 直は菫から借りたハンカチで早速びしょ濡れになった右腕を拭う。その間、直の傘は代わりに菫が持っている。いかんせん腕が短い分高く上げざるを得ず、菫にとっては少々キツいが。駅まで残り3分の1程度の距離だが、菫も直も特に急いで帰る必要がないので一旦立ち止まっている。


「ありがとうございます……ちゃんと洗濯してから返しますね」

「それはこっちの台詞よ。傘入れてもらってるんだし」

「いえいえそんな……これでもうだいたい拭けたので大丈夫ですよ。そろそろ行きましょう」


 再び直が傘を持ち、強い雨の中で2人はまた歩き出す。


「ところでさ、上川畑君」

「はい、何でしょう?」

「夏場はポロシャツ派なの?」


 制服の規則が緩い北水島高校は、上半身は普段襟のついたシャツを着ていればまず注意されることはない。それは夏場でも同じだ。蒸し暑くジメジメする6月に入ったので、ほとんどの生徒がもう半袖を着ている。

 菫のように半袖のワイシャツを着てネクタイまたはリボンを着けている者が多数派である。が、真二や日向のようにボタン全開の半袖ワイシャツの下にTシャツを着ている者、直や雅哉、成一のようにポロシャツの者もいる。ちなみに2-3女子でポロシャツは少数派で、沙希と彩矢音の2人だけである。


「ええ、夏場はこればっかり着ちゃいますね。アイロンが大変ですし」


 傘を持っていない右手で紺色のポロシャツの裾を摘んでヒラヒラさせながら、直はこう言った。


「あー、確かに!ポロシャツならアイロンかけなくていいものね。特に夏場のアイロン暑いから…」

「でしょう?どうですか、ぜひ宮西さんもポロシャツに…」


 直に勧められるも、菫はイマイチ乗り気ではない。確かにワイシャツと比べてお手入れは楽だけど……と思いながら、胸元につけている赤いリボンを摘む。


「…でもやっぱり私はワイシャツがいいわ。ポロシャツだとリボンがつけられないし」

「あっ……確かにそうですよね。宮西さんいつもリボンつけてますし」

「そーそー。リボンなんか制服着てる時ぐらいしかつける機会ないでしょ?男の子のネクタイと違ってさ。だから今のうちに……ね」


 菫からそう言われると、直はまるで鱗が落ちたかのように目をぱちくりさせる。

 

「確かに!逆に男はスーツ着たら大体ネクタイしますもんね。そういえば、この間珍しく杉浦さんがリボンつけてましたね」

「あぁ、あの時も私杉浦さんにそう言ったのよね。あの子見かけによらず可愛いもの好きなのよ。だからリボンにも憧れてたみたいで」

「杉浦さんいつも可愛らしいペンとかハンカチ持ってますもんね。ということは……宮西さんが背中を押した感じですか?」

「そうよ、私と阪口さんで勧めたの。結構似合ってたでしょ?」

「これはこれでアリでしたよね〜」


 思いの外制服の話は盛り上がり長く続き、あっという間に時間も距離も進み、駅へと辿り着く。乗る路線こそ同じだが、帰る方向が真逆なので改札口を出たところで直とはお別れになる。


 最初こそ話題を見つけるのに頭をフル回転させる必要があったものの、一度盛り上がればあっという間だ。少し名残惜しい気がしないでもないが、何せ直とは同じクラスだし話す機会は何度でもある。

 が、どうしても今直に聞きたいことがある。駅構内に入ってすぐに傘を水切りし、閉じて紐で留める直に、菫はその話を切り出す。




「ねぇ……ばったん」

「はい…………ってええ!?」




 菫がばったんと言った瞬間、直はあんぐりと口を開け目が飛び出そうなほど大きく見開いたうえ、少しの間ポカーンとしていた。どうやらいきなりあだ名で呼ばれたことに酷く驚いているようだ。ここまで驚かれては菫も戸惑ってしまう。


「あ……もしかして嫌だった?」

「な、な、な、何がですか!?」

「ばったんって呼ぶの」

「いっ……嫌じゃないですよ!ぜ、全然っ……。ぜひ……呼んでください!」


 直はしどろもどろな様子で言葉に詰まりながらも、嫌ではないことを伝えた。とりあえずまんざらでもなさそうなので、菫は安心して思わず笑顔になる。改札口へと2人で向かいながら、本題に入る。


「よかったわ。じゃあ呼ばせてもらうわね。で、ばったんは……なんでいつも敬語なの?」


 どうしても聞きたかったこととは、それだ。直は教師や上級生はおろか、菫達のような同級生にすら敬語で話している。しかも3組の面々は誰もその理由について全く触れないので、菫はずっと気になっていたのだ。


「何で……か。……実は僕、物心ついた時からこの喋り方になっているんです」

「ええ!?そんなことあるの?」


 まさかの事実に驚く菫に、直は遠い目をして語り出す。


「実は僕、3、4歳ぐらいまですごい言葉遣い悪かったらしいんですよ。同じ保育園の友達の影響らしいんですけど」

「えーっ!?全然想像つかないんだけど!」

「僕だって全然覚えてないですよ。お母さんがそう言ってただけで。で、あまりにも悪すぎるのでお祖父様に何日か、僕を預けて再教育して貰ってたそうなんです。そしたら……帰ってきたらこうなってたみたいなんですよ」

「あらら……お祖父様にみっちり再教育してもらってたのね」


 胸のつかえが取れたような気分になったところで、菫と直は改札に定期をタッチして通過した。程なくして次の電車のアナウンスと接近メロディーが流れる。菫が帰る方向の電車だ。


“間もなく、普通、船橋行きが2番線に参ります。白線の内側にお下がりください”


「あっ、そろそろ電車来るわね。傘入れてくれてありがと。おかげで濡れずに済んだわ」

「どういたしまして。こちらこそハンカチありがとうございます」

「いえいえ。じゃ、また明日ね」

「はい、また明日!」


 直が手を振りながら見送る中、菫も笑顔で手を振り返しながら2番線へと軽く走り、長い髪を揺らしながら速やかに階段を降りて行った。


 菫の姿が見えなくなってからも……直は改札口にぼんやりと立ち尽くしている。照れ臭そうに顔を赤らめ、その顔を両手で恥ずかしそうに隠しながら。元々雨でジメジメしているうえ顔が熱くなり、かけている丸眼鏡が曇ってくる。


(みっ……宮西さんと相合傘しちゃいました……しかも僕のことを「ばったん」って……ゆ、夢みたいなんですけど……!)




 その頃、菫は到着した電車に無事に乗り込み、たちまち発車した。少しだけ呼吸が乱れながらも腕をピンと伸ばして吊り革を何とか掴む。電車に揺られながら、菫は直とのあるやり取りを思い出して改めてホッとした。


(よかったわ〜、ばったんて呼ぶの嫌がらなくて。だっていちいち「上川畑君」て呼ぶの長ったらしいんだから……)


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