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21ページ目 菫さんと彼の出生の秘密 後編


「ぼ、僕……、お父さんとも…………血が繋がってないって……」


「………………え?」




 これには流石の菫も絶句した。他のクラスメイトより10年長く生きていて人生経験豊富なのにも関わらず。

 一方、一緒に聞いていた寛斗は黙ったまま。恐らく一足お先にその事実を知っていたのだろう。自分よりだいぶ年下なのにこんな重い話を聞かされた心境やいかに……と菫は思わざるを得ない。


 暫く頭の中がフリーズして言葉を失っていたが、菫は少しずつ冷静になっていく。前に見せてもらった、息子に似ても似つかない悠太の父の顔を思い出してみると、何となく腑に落ちてくる。それと同時に、悠太の父の離婚の原因まで何となくわかってくる。


「えーっと……その……なんて言うか…言いにくいけど……、まさか……あの女の人が……他の人と浮気して、池田君が産まれて離婚した……ってことかしら?」

「……そうだね」


 菫は噛みながらも訊くと、悠太は未だに曇った表情のまま頷く。




 悠太の父の亮によると、それが発覚したのは悠太が1歳半ぐらいの頃だった。愛香は当初から母乳をあげずに酒を飲んで泥酔するわ、度々遊び歩くわ浪費するわと母親の自覚は0に近かったという。そのため、主に悠太の世話をするのは亮かその両親(悠太の父方の祖父母)であった。

 当然、亮は愛香にもっと育児をしろと叱ることもあった。だが、「自分なりにはやってるし、育児ストレスが溜まってるから」「そもそも子供を望んだのはアンタでしょ」と聞き入れて貰えなかったそうだ。


 そうなれば悠太を検診に連れて行くのも、当然亮の仕事にならざるを得ない。仕事の合間を縫うか少し穴を開け、亮は1人で何回も悠太を病院に連れて行った。職場でも病院でも肩身の狭い思いをしたのだが……ある日、亮は気付いてしまった。母子手帳に書かれている悠太の血液型がおかしいことに。




「お父さんがAB型で、あの人がA型……で、僕がO型で」

「……それじゃ確かにおかしいわね」

「生物で習ったもんな。AB型とA型じゃO型は生まれないって……」


 納得する菫と寛斗に、悠太は苦笑いする。


「それがキッカケで……お父さん、元々僕と全然似てないって思ってたんだけど、余計に疑心暗鬼になっちゃったっていうか……。それであの人に内緒でDNA鑑定したみたい……」




 その結果……「父性確率0%」と衝撃的な結果を亮は目の当たりにすることとなった。当然、亮はこの結果に激怒し愛香に問い詰めたものの、最初はこんなのインチキだと高をくくっていた。それでもちゃんと病院で検査したと主張すると、愛香は手のひらを返して呆気なく白状した。悠太が亮との子供ではないことを。

 

 ただ愛香は謝るどころか……あろうことか開き直った。


「子供を欲しがってたのは亮の方なのに、不妊治療頑張っても全然ダメだったし、亮だって全然協力してくれなかったじゃない!検査しないし禁酒も健康管理もしないし仕事ばかりで家帰ったらすぐ寝るし!

 それに私亮が仕事ばっかりしてるんだから寂しかったのよ〜?もう少し私の相手してくれたら自分の子だったかもしれないのに〜。

 てかあんなに欲しがってた子供なんだし血が繋がってないことぐらい我慢してよ。むしろ亮をパパにしてくれた私と彼氏に感謝して欲しいぐらいだわ!」


 亮はこうして愛香に捲し立てられたことと、それを聞いて眩暈がしたことを、十数年経った今でも忘れられないでいる。

 確かに愛香が言ったことにほぼ間違いはない。悠太が生まれる前まで平日はもちろん、時には土日祝日までも仕事に明け暮れ、その間愛香に構うことはできなかった。愛香が不妊治療をしていたのにも関わらず、仕事を理由に自分は何もしなかった。亮は自分にも悪いところや反省点が大いにあることは重々承知でいる。


 しかし、裏切られ騙された挙句、それを自分のせいにされていることは到底許せない。不満があるのなら他の男に逃げずにそれを訴えて欲しかった。そして、自分と血の繋がった子を育てたかった。


(あぁ……もうコイツとやってくのは無理だ)


 この時に亮は離婚を決意したという。そしてその怒りの矛先は悠太にまで向かい、俺を裏切ってできた子供なんかいらないとすらその時は思っていた。

 なので、親権は愛香に渡して亮1人、当時住んでいたマンションを出て行くこととなった。



 悠太がそこまで話してくれたところで、菫は首を傾げた。一つ気になることがあるからだ。寛斗も同じことを考えているようで、不思議そうな表情を浮かべている。


「あの……池田君」

「ん?」

「差し支えなければ聞きたいんだけど……その……池田君を引き取ったのは実のお母さんなのよね?じゃあ今お父さんと……」


 どうしても気になるので菫は慎重に訊いてみたが、悠太はあっさりと答えた。


「……育児放棄してたらしいんだよ、あの人」




 離婚から1年後、亮は少なからず後悔していた。あの時は感情のままに悠太を手放したものの……ほぼ2年間実子同然に一緒にいて世話をしてきたのだ。それなのに、育児はおろか家事すらまともにしない元妻に押し付けるなんて……。亮の両親も当然愛香の不倫及び托卵には激怒していたものの、なぜ悠太を向こうに渡したのかと亮にも怒っていた。

 

 出て行った日の悠太の顔が未だに忘れられないし、ちゃんとご飯を食べてお風呂に入って、ちゃんと生活できているのだろうかと心配が尽きない。愛香に連絡を取ろうと試みることもあったが、電話には出てくれず仕舞いであった。


 そんなある日のこと、いきなりの警察からの電話に亮は絶句した。そして大急ぎで病院に飛んで行った。

 看護師に案内されるがまま入った病室には……ベッドで寝込んでいる悠太がいた。最後に会った時よりも明らかにガリガリに痩せており、息こそはあるものの腕には点滴が数本刺さっている。

 発見してくれた警察官や児童相談所によると、かつて住んでいた部屋はゴミ屋敷と化し、大量のゴミの中に悠太は倒れていた。もう何日も食事を与えて貰えなかったらしく餓死寸前だったという。そのうえ、部屋の主であるはずの愛香は行方不明、他の住民も何日も愛香の姿を見ることがなかったらしい。そして泣き声も聞こえていたのだとか。


 この事実を知って……亮は悠太の前で人目も憚らず泣き叫んだという。「本当にごめん!」「もう二度と悠太を置いて行かないから!」と叫んでいたのを亮は今でも鮮明に覚えている。そして愛香が逮捕されたこともあり、親権を取り返して退院する時、「パパー!」と目を輝かせた悠太の嬉しそうな顔も。

 

 だから今、悠太は亮と後に再婚する麻里と暮らしているのである。一方、風の頼りでは愛香は出所後、悠太の実の父と再婚したという。




「なんか……すごい壮絶な話だな……」

「ねぇ………」

「僕だって未だに信じられないよ。その頃の記憶なんかないし……」

「そういえば……」


 悠太の話を聞いて、菫はとある古いニュースを思い出していた。


「昔ニュースでやってたわね。確かうちと同じ県で……子供をずっと放置してた親が捕まったって。ほら、コレ」


 そう言いながら菫はスマホで調べ、悠太と寛斗に見せた。画面に写っているのは「△△市にて餓死寸前の3才男児発見 母親逮捕」と書かれた見出しの新聞記事だ。その中には「男児が発見されたマンション」の写真も載ってある。これを見た悠太はハッとする。


「△△市!?確かお父さん離婚するまで住んでたって言ってた!それにこのマンション……なんか見覚えある」

「マジ!?しかもこの新聞平成XY年のやつだよな?てことは今から…………14年前、その時点でで3才なら……俺らと同い年じゃん!」

「じゃあこの男の子は……池田君かもしれないわね」


 まさか新聞記事にまでなっていたなんて……と悠太が愕然とする一方で、寛斗はどこか不思議そうな目で菫を見ている。何か変なこと言ったかしらと菫は思っていると……


「……すー様、だいぶ昔のことなのによく知ってたな。俺ら3才のはず……」

「あっ!あのね……中学の時、昔地元であったニュースについて調べる宿題があって、この事件について調べてたからよ。同い年だから心が痛くなって……」


 しまった!と思い背中に冷や汗をかきながらも、菫は何とか取り繕う。その当時、菫は2人と違って13歳。だからその事件は記憶の片隅に残っていたのだ。


「へぇ、そんな宿題あったんだ」

「確かに同じ年だと気になるかも」


 ちょっぴり苦しい言い訳かもしれないが、幸い悠太も寛斗も納得してくれているようだ。菫はヒヤヒヤしながらも話題を変えてみる。


「で、その愛香って人が池田君に会いたがってるのよね?」

「あぁ、僕の実のお父さんが末期癌でもう長くなくて……最後に会いたいって言ってるらしいんだよ」

「だからって今更……なぁ」


 そう言いながら寛斗は困惑の表情を浮かべ、悠太も首を横に振る。


「それだけじゃないみたいだよ。お父さんが言うに、そのまま僕を引き取るつもりでいるのかも」

「えっ……」

「あの人病的な寂しがりらしいから……たぶん1人になりたくないんじゃない」

「うわぁ……」


 離婚前から碌に世話をせず最終的には育児放棄までしたと言うのに、自分勝手な理由で再び引き取ろうとしているなんて……。もちろん菫と寛斗はドン引きし、苦虫を噛み潰したような表情になっている。


「……本当に会わなきゃダメなのかな?僕、正直愛香って人にも会いたくないよ。僕もお父さんも酷い目に遭わされたんだし、今更本当のお父さんとかお母さんって言われても……」

「それでいいわよ!あんな人お母さんでも何でもなくて、池田君を産んだだけの人なんだから」

「俺もそう思う」


 満場一致で会わなくて良いという意見になり、悠太はホッとしたよう。が、それでも悠太の表情はどこか晴れない。


「相談したかったことって……それ?でもまだスッキリしてなさそうに見えるけど」


 寛斗が訊くと、悠太は「実はもう一つあって……」と前置きしてから切り出す。


「……あれからずっと……お父さんとどう接したらいいのかわかんないんだ。だからよそよそしくなっちゃって……」



(……そうなるわよね。いきなり血が繋がっていないなんてこと言われたら)


 実は……少し前から麻里は悠太の部屋のすぐ前に佇んで立ち聞きしていた。当然ダメだとわかっていながらも、どうしても今の悠太の気持ちを知りたくて。それに自分よりも友達の方が話しやすいだろうから。


 確かに麻里には思い当たる節がある。元々血縁関係がない麻里への態度は変わらないが、悠太の亮への態度は一昨日以前とはガラリと変わってしまっている。悠太から亮に話しかけようとしないし、亮から行こうとしても素っ気なく取り付く島もない状態だ。

 尤も亮も麻里も無理はないと思い、悠太に注意することもなかったが。


 何とも重い内容の相談をした悠太だったのだが……




「別に今までと変わらなくていいじゃない」


「え!?」


(!!)




 菫はバッサリと言い切った。あまりにもバッサリと言うものだから、悠太本人はもとより立ち聞きしていた麻里ですら目を丸くする。そんな状況でも菫は構わず話を続ける。


「産みの親より育ての親ってよく言うじゃない。

実は私の友達にもね、血の繋がらない姉妹がいるの。親御さんが再婚して、しかもたった5年ぐらいで離婚しちゃって。

 でも2人は今もしょっちゅう会ってるし、本当の姉妹みたいに仲良しよ」


 その友達とは、瑠奈と琴葉のことである。実体験を交えながら話す菫に、男子2人は黙って耳を傾けている。


「それに比べたら……池田君のお父さんは14年もずっと池田君を育てているんでしょ?お父さんとして。それなら血の繋がってるお父さんと何ら変わらないわよ」

「そ、そうだけど……」

「池田君を一番可愛がってくれてて、いつも一緒にいてくれて、池田君が寂しくならないように寄り添ってくれてたの、誰だと思う?」


 菫にそう言われ……悠太は再び黙り込む。心なしか悠太の目は潤んでいる。


「…………」

「それに、今まで実のお母さんが恋しいとか会いたいとか思ってなかったんでしょ?それって誰のおかげだと思う?」

「…………!」


 菫に矢継ぎ早に訊かれ、悠太は目から鱗が落ちたかのようにハッとした。


 それは……亮以外の誰でもない。亮はなるべく自分が1人にならないようにしてくれていた。

 麻里と再婚するまではなるべく早く帰ってきてくれていたし、どうしても遅くなる場合は祖父母に面倒を見るよう頼んでくれていた。

 

 それだけでない。


 仕事が休みの日には旅行や遊びに連れて行ってくれたし、つい先日だってキャンプに出掛けていた。

 昔、同級生にチビだとバカにされた時だって慰めてくれただけでなく、当時の担任に直談判してくれた。 

 ご飯の量が足りなくてもっと食べたいと駄々を捏ねれば自分のおかずを分けてくれた。

 今も部活で頑張っているサッカーを教えてくれたのも亮だ。

 そして母親同然に世話をしてくれる麻里と結婚し、彼女を本当に悠太の母にしてくれた。そんな父と血が繋がっているのだと、もちろん悠太は昨日まで信じて疑わなかった。


(僕……血が繋がってないのにこんなに可愛がってもらってたんだ。しかも元奥さんと浮気相手の子供で本来憎まれてても無理はないのに……)


 気がつくと、悠太は嗚咽を漏らしていた。それに気付いた寛斗が黙ってハンカチを渡す。


「……どっ……どうしよぉ。っ……お父さんに……っ、酷いこと……っ」


 声を詰まらせながら悠太はそう漏らすが、菫は「なーんだそんなこと!」と一蹴する。


「そんなこと言われたばかりだし、よそよそしくなるのも仕方ないじゃない。池田君のお父さんだってわかってると思うわよ。

大丈夫よ、今日から徐々に戻していけば」


 そう言って菫はニッコリすると、悠太は泣き止んだ。寛斗のハンカチで涙を拭う悠太に菫はまだ言いたいことがあるようで……。


「私は……池田君が羨ましいわよ。血が繋がってなくてもご両親がいるのが」

「えっ…そうなの?」

「だって……私お父さんもお母さんももういないから」

「!!ごめん……」


 驚いて謝る悠太に、今度は寛斗が語りかける。


「わかるよ、すー様が言ってること。俺のとこも親普段いないからな〜」

「えっ、きよみーも?」

「うん、いつも海外飛び回ってるし。帰ってくるの年に1、2回ぐらい」

「あらら、少ないわね…」

「だから俺もだぁ坊が羨ましくなる時あるよ。家族で旅行なんか行った記憶すらないし」


 寛斗がそう言った瞬間、悠太は先ほどまでの涙はどこへやら、一気に疑わしげな表情へと変わる。


「……それ本当!?」

「なんで?本当だよ!」

「去年クラスの皆で別荘行ったじゃん!」

「別荘以外どこも行ってないって」

「まぁまぁ……ないものねだりってやつね」


 軽く言い合いになりそうな雰囲気だったが、菫は苦笑いしながらうまく宥めた。




(………………)




 その頃、ドアの前で3人の話を聞いていた麻里も涙を流していたのだった。



「ねぇ、清宮君」

「ん?」

「……何で私を選んだの?相談事があるんなら別にめめちゃんとか北山君でも大丈夫じゃないの?」


 後部座席に座っている菫は、助手席の寛斗に訊く。




 麻里が作ってくれた夕食をご馳走になり、池田家をお暇しようとした直後、菫は驚愕した。

 

 池田家の前には左ハンドルのロールス・ロイスが停まっていた。運転していたのは鍵谷で、寛斗を迎えに来ていたのである。

 菫は寛斗に家まで送ろうかと言われるも、流石に気が引けて一旦は断った。が、辺りはすっかり暗く駅で待たせたからと言いくるめられ、送ってもらうこととなった。夜職時代でもこんな高級車に乗せてもらったことなどなく、菫は却って縮こまってしまう。


「……すー様ならうまくアドバイスしてくれそうかなって。で、本当にいいこと言ってくれたし」


 ハンドルを握る鍵谷の横で、寛斗は夜景を眺めながら答えた。


「……そんないいアドバイスしてたかしら」

「うん。俺来なくてもよかったかなって思うぐらい」

「え!?」


 菫は耳を疑った。寛斗がここまで言うほどいい台詞を言っていたのだろうか?菫にとっては思ったことを言っただけなのに。


「き、清宮君は来なきゃダメでしょ。そもそも池田君が最初に打ち明けたのは誰なのよ」

「まぁそうなんだけど……途中から俺ほとんど黙ってたし。だからまだまだだなぁって思ってさ……」


 そう言う寛斗は少しだけ浮かない顔をしている。そこに、鍵谷は横から口を挟んでくる。


「坊っちゃまは将来は学校の先生になりたいんですからね」

「ちょっ!鍵谷さん!」

「へぇ〜、そうなんですね」


 まさか自分の将来の夢をこの場で暴露されるとは思わなかったのか、恥ずかしそうにする寛斗とは裏腹に、菫は微笑ましくなる。そんな2人に構わず鍵谷は続ける。


「学校の先生は塾と違って勉強だけ教える訳にもいかないじゃないですか。今はいじめや毒親、ネットの問題など色々ありますし、生徒の悩みにも解決策を一緒に考えたりアドバイスする必要があるでしょう。

そのために坊っちゃまは早くから頑張っているんですよ……ねぇ?」

「それにだぁ坊はいつも仲良くしてるし何とかしてやりたいなって」

(あらら……青春しながらも将来のことしっかり考えているのね。偉いじゃない。私なんか全然……)


 菫は未だに照れ臭そうにする寛斗にエールを送る。


「学校の先生ね……いいじゃない!清宮君ならきっといい先生になれるんじゃないかしら(どっかの誰かさんと違って……)」

「あ、ありがと」

「でも坊っちゃまは……お祖父様から反対されてるんですよね。この清宮財閥を継ぐようにと」

「……え?」


 菫はつい固まった。当の寛斗は菫に礼を言った時は嬉しそうにしていたものの、祖父の話題になると再び目を伏せため息をついた。



 一方、池田家では――


「ただい…………っ!ゆ、悠太っ!」


 22時頃、仕事を終えた亮はいつものようにドアを開いたが……腰を抜かしそうになってしまった。麻里ではなく、悠太が玄関に立っていたからだ。そんな亮に構わず、悠太はいつも通り「おかえり」と返す。


「え、えらい久しぶりじゃないか……で、出迎えてくれるなんて……」


 歯切れが悪くなる亮に、悠太は笑顔を向ける。


「今までのお礼を言わなきゃなって思って……。お父さん、ずっと育ててくれてありがとう」

「え?」


 礼を言われるなんて全くの想定外だった亮は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を見せる。


「あのさ……僕なんか赤の他人だし、それも裏切った元奥さんとその浮気相手の子供なんだから、本来は憎くて憎くて仕方ないよね?

 でも気にせずに可愛がってくれたんだよね。僕も本当のお父さんだって今まで思ってたぐらい。

 今までにしてもらったこと思い出してたら……感謝してもしきれないぐらいだよ。お父さんがいなかったら僕、どうなってたんだろうって…」


 そこまで言ったところで亮は鞄をその場に落とし、片手で目元を覆う。程なくして大粒の涙が流れてくる。


「お、お父さん!?」


 突然ボロボロ泣き出した父に驚く悠太に、亮は鼻を啜りながら語りかける。


「っ……だって……悠太に……っ、罪はないじゃ…」

「いやでも!僕がお父さんと愛香って人の間に生まれなくてごめ…」

「やめろ!謝るのは……俺の方だ……っ。悠太の本当のお父さんじゃなくて…しかも一度置いて行って…」

「お父さんだって謝らないでよ!また戻ってきてくれたじゃん。僕、お父さんに育ててもらってよかったって本気で思ってるから……

 さぁ、ご飯食べなよ!早くしないと……冷めちゃう……」


 こうして亮と言い合っているうちに、いつしか悠太まで涙ぐんでいた。


(……やっぱり親子ねぇ)


 悠太よりも少し遅れて玄関へ向かった麻里は改めて実感していた。この2人に血の繋がりなどなくても、れっきとした親子なのだと。



 それから数日後――


 とある駅の改札口に愛香は立っている。どことなくソワソワしている様子で時折腕時計を見ながら。


「…………あ!!」


 すると、ある人物の姿を見かけるや否や愛香の表情はパッと明るくなり、大きく手を振る。

 が、手を振られた彼の方は特に振り返すこともなければ急いで向かうこともなく、彼女の方へただ真っ直ぐ歩いて向かうだけだ。


「悠太ぁ!やっぱり来てくれたのね!」

「…………」


 やけに嬉しそうに歓迎する愛香とは裏腹に、悠太は無表情のままでいる。しかし愛香はそんなことは気に留めない、というよりも無視してハイテンションなままだ。しかも、有無を言わさず連れて行く!と言わんばかりに悠太の手首を掴んでくる。


「悠太なら絶対来てくれるって信じてたのよ〜。親でもない人と一緒に暮らすのなんか嫌でしょう?」

「…………」

「さ、早く早く〜。あなたのお父さん楽しみに待ってるんだから」


「行きませんよ」


 ここで悠太は初めて口を開いた。と同時に握られた手を振り解く。


「…………はぁ!?」


 全く想定外の台詞を敬語で言われ、愛香は思わず口をあんぐりと開ける。まるで何言ってんのコイツとでも言いたげなその表情に、悠太は呆れや失望やら様々な感情を通り越して最早笑けてしまい、ぐっと堪える。やはりこの人は何もわかっていない。


「……まさか僕がお望み通りついてくるなんて思ってたんですか?」

「……な、なに?!言ってる意味がわかんな…」

「じゃハッキリ言いますよ、僕は今日あなたに言いたいことが山ほどあるからここに来たんです」 


 悠太はいつにない強い口調で前置きしてからすぐに息を大きく吸い、愛香が言い返す隙を一切与えず口火を切る。


「僕を産んでくれてありがとうございました。

 だけどそれ以外何もしてないどころか、まだ小さい僕を3週間も置き去りにしたんですよね?

 それ以前にお父さんを裏切って僕を作ったんですよね?

 悪いけどあなたには産んでくれたこと以外何も感謝してないですし、憎しみしかありません。そんなあなたについて行くなんて死んでも嫌ですし、あなたの旦那さんの顔も見たくないです。

 僕の親は今僕と一緒に暮らしている人で、あなたと旦那さんではありません。

 今後僕にもお父さんにもお母さんにも一切近づかないてください!」


 サッカーで鍛えた肺活量のおかげで、悠太は途中で息が切れることなく大声で言い切った。そのせいで、他の客達が愛香をジロジロ見たり、ヒソヒソ話したり、眉を顰めたりし始める。


 こうして愛香と直接対峙すると決めたのは悠太自身だ。それを亮に持ちかけた際、やはり身の危険を案じて反対され、亮か麻里から蹴りをつけてもらうか手紙を渡すことも提案された。

 それでも自分から直接ハッキリ言った方が絶対効くと悠太は根気よく説得し、亮は渋々受け入れて愛香と連絡を取り、会わせてくれた。先程愛香に捲し立てた台詞は前から自分の気持ちをスマホのメモにしたため、必死に覚えたものだ。


 最初こそ呆然とし、周りの反応に焦りを見せたものの……愛香は徐々に悲しげな表情になり、目を擦りながら鼻を啜る。


「っ……酷いわっ!あの男……っ、私の悪口吹き込んで……っ、……悠太を洗脳してるのね。……っ、私……そんなこと……しない……ッ」


 愛香の性格について、極めて他責的・他罰的で被害妄想が激しい、それに嘘つき……悠太はそのように亮から聞いていた。

 ただここまでだったとは……。そもそもこんなに白々しい嘘泣きを見るのもこれが初めてだ。


「洗脳?……適当なこと言わないでくださいよ」


 悠太は鼻で笑ってからガツンと言い放つ。


「新聞に載ってましたよ、あなたが僕を育児放棄してたこと。それに……お父さんだけじゃなくてあのマンションの管理人さんや大家さん、住民さんにも聞いたんですから!」

「!!!」




 実はこの日の前日、悠太は14年前まで住んでいたマンションを訪れていた。あの事件のことを父以外の第三者から聞きたくなり、マンションに行けば何か手掛かりが掴めるかと思ったからだ。

 亮が言うに、愛香のことだから育児放棄したことを否定するばかりか、亮が嘘をついていると言い張る可能性だってある。そうなった場合でも愛香を黙らせるため、第三者の話も聞くことにしたのだ。


「前からずっとあのマンションに帰ってなかったんですよね?それでほぼ毎日僕の泣き声が聞こえてたらしいですよ。

 で、僕の声が聞こえなくなってから警察の人と児童相談所の人が来て……僕を見つけてくれたんですって」


 マンションの管理人は14年前と変わらず、事件のことはもちろん覚えていた。管理人室を訪れた悠太があの男児だと名乗った際、管理人は非常に驚き感激していた。「きっ、君があの時の……!!!こんなに大きくなって!」と。

 

 管理人はあの事件のことを包み隠さず話してくれたばかりか、マンションの大家と、あの日部屋に駆けつけた住民まで呼び出してまで話を聞かせてくれた。

 逆に悠太は彼らからも現在の状況を訊かれ、父とその再婚相手と幸せに暮らしていて高校に通っていると答えた。3人とも「本当によかったなぁ」と笑っていた。




「…………」


 悠太と亮の思惑通り、愛香は返す言葉がないのか俯いたまま歯を食いしばっている。

 悠太は正直ホッとした。もうこれで言いたいことはほぼ言えたし、これ以上愛香の顔すら見たくもない。最後にもう一つだけ……。


「まぁそういうことなんで……もういいですよね?

あなたにはもう会わないんで。さようなら」


 そう言い放った直後、悠太はくるりと向きを変えて愛香に背を向けた。



 悠太はその場から立ち去ろうとしたが……全然前に進めない。というよりも右腕を引っ張られている。悠太は恐る恐るゆっくりと振り向くと……


「!!!」


 愛香はまたしてもガッツリと悠太の右手首を掴んでいる。光のない目でじっと見つめながら。その顔が何とも不気味で、ここにきて悠太は初めて愛香に恐怖を感じ、血の気がスーッと引いてくる。愛香に捲し立てていた時は怖くも何ともなかったのに。


「……私諦めないから。絶対に悠太を連れてくから。……逃がさないわよ?」

「くっ!」


 必死で振り解こうとするも、愛香の手は悠太から離れない。その代わりに思いっきり引っ張るも、愛香は決して負けない。


「いいから来なさい!言うこと聞きなさい!」

「やなこった!何でお母さんでもない…」

「何と言おうと本当の家族は私達なんだから!前も言ったけどお父さんもう余命3ヶ月なのよ!?悠太が来てくれないと……お母さん1人になっちゃうの!」


 泣き叫びながら愛香がそう訴えた瞬間、悠太は何かが切れたのか、今日一番のものすごい剣幕で彼女を睨みつける。


「……はぁ?散々僕を1人にしてほったらかしたクセに自分が1人になるのが嫌だってぇ?ふざけんな!!」

「ちょっとリフレッシュしてただけじゃない!お母さんアンタの育児に疲れたんだから」

「育児なんか元々してねーだろ!てかお母さんって言うのやめろ!僕を産んだだけのオバさんじゃねーか!」


 いつの間にか激しい揉み合いとなり、周りの客は更にざわつき悲鳴を上げる者までいる。それでも悠太と愛香は言い争いをやめない。

 

「オバさんじゃなくてお母さんなの!それにもう高校生なんだから今なら多少ほったらかしても大丈夫でしょ。さぁ!」

「離せ!僕のお父さんとお母さんは今もいつも一緒にいてくれるんだよ!アンタみたいに放置なんてあり得ねぇんだから!」

「だから何回言ったら…」


「ちょっとそこの2人やめなさい!」


 そこに、1人の女性が止めに入る。その女性は黒く長い髪をヘアクリップでまとめ、服装はオフィスカジュアルとその辺の社会人とあまり変わらない。

 その女性は2人に冷静に注意する。


「さっきから何やってるんですか?他のお客さんの迷惑になりますよ」

「だってぇ!この子がついて来てくれないのよぉ!

赤の他人に親権取られて私の子供だっていうのにイヤがるの!何としてでも連れてくんだから!強制連行よ!」


 女性に言い返しながら、愛香は今もなお悠太の手首を引っ張っている。それに対し悠太は必死に抵抗を続ける。

 女性は冷ややかな目で愛香を見てこう言った。


「……知ってます?そういうの……未成年者略取って言うんですよ」


 それと同時にポケットからあるものを出して開き、愛香に見せる。


「!!!!」


 それを見た瞬間……愛香は急に顔面蒼白になり、漸く悠太の手首から手を離した。しかし、もう後の祭りである。

 女性が出したものは……縦開きの黒い手帳だ。下部には記章、上部には制服姿の顔写真に「宮西葵」の名前と階級が書かれてある。


「田中警部補、こっちです」


 いつの間にか悠太達の周りには人だかりが出来ていて、葵はその中にいる屈強そうな長身の男にアイコンタクトを取って手招きする。するとすぐにその男は人波をかき分け愛香の元へ辿り着き、肩をポンと叩く。


「……とりあえず署で話をお聞かせ願えますでしょうか?」

「はぁ!?あのバカ男が私から悠太を取り上げたのよ?私が育児放棄してるなんてでっち上げて」

「でっち上げ?そんな訳ないでしょう。あなた14年前に私どもに捕まってるんですから。ほら行きますよ、金久保愛香さん」


 最後の抵抗も虚しく愛香は田中に論破された挙句、腕を取られる。そして後から来た警察官数名と共にどこかへ連れて行かれた。「悠太ぁ!」「助けてぇ!」「離してー!」と喚き散らかしながら。


 悠太は何が起こったのかイマイチ理解できず、その様子をポカーンと眺めていた。それでも自分が葵達に助けて貰ったことを理解し、葵に「ありがとうございます」と頭を下げる。


「いいのよ。……あなた、公ヶ谷高校の池田君でしょ?はるなつ食堂のスペシャルディナー1人で食べたっていう」

「えええ!?」


 初対面の相手なのに、いきなり名前と通っている高校を当てられ、更にはスペシャルディナーのことまでなぜか知られていて、悠太はただただ唖然とする。

 しかし、彼女の警察手帳の名前を思い出し、悠太はピンと来た。


「け、刑事さん……宮西さんって言うんですか?もしかして……」

「ええ、あなたのクラスに宮西菫っているでしょ?私……菫のお姉ちゃんなの」

「だから僕のこと知ってたんですね!」


 葵は悠太に微笑みかけながら、手でグーサインを作った。



 翌朝、菫は熱々の淹れたてコーヒーをテーブルに置きながら労いの言葉をかけた。


「お手柄だったわね、葵」

「ありがと。お姉ちゃんが情報提供してくれたおかげでまた1人捕まえたわ」


 礼を言ってから、葵は息を吹きかけ冷ましてから一口啜る。既に制服に着替えている菫は焼いたばかりのパンを頬張っている。葵は日勤の日なのでこうして一緒に朝食を食べている。


「そういえば、あの捕まった金久保愛香の今の旦那……亡くなったらしいよ」

「え!?本当?」


 菫は驚くも、愛香が余命の話をしていたことを思い出して「あ〜」と言う。


「本当本当。末期の胃癌だったらしいよ」

「まぁ……まだ若いのに」

「なんか容体が急変したみたい。金久保の奴、わんわん泣き叫んでもう凄かったんだから〜……アンタらのせいで死に目に会えなかったって泣き喚くし。」


 ため息をつく葵は心底うんざりした表情を見せており、それが全てを物語っている。菫が愛香に会ったのはあの放課後だけだが、あの時ですら結構な騒ぎっぷりだったので、その状況が容易く脳裏に浮かんでくる。


「あらあら……ぶっちゃけ余計なことしなけりゃ看取れたでしょうに」

「だよねー。しかも亡くなった旦那……内縁の夫よ。しかも金久保とは別に奥さんいたって」

「えっ!嘘でしょ!?」

「本当本当。……なんか別居して金久保と同棲してたけど離婚はしてもらえなかったって。

 で、池田君を迎えてから離婚して籍入れるつもりだったみたい」


 まさかの新事実に、菫も大きなため息をつく。


「あらららら……まぁ因果応報だけど。それにしてもお天道様は見てるってよく言ったものね」

「本当それ〜。てか私達朝からすっごいヘビーな話してない?」

「確かに……って葵から言ってきたんでしょ!」

「そだね。じゃあこの話はもう終わり!

 なんか青春らしい話してよ、お姉ちゃん」

「ええ〜〜!」


 まさかの無茶振りに、コーヒーを啜ろうとしたところで困り果てる菫だった。






 それから1時間後――


 いつもの電車に乗る悠太は左手で吊り革を掴み、右手でスマホをいじっている。何気なくYapoo!のトップページを開いたところ、ある特集ページが目に入ってくる。


(そういえば……もうすぐ父の日か)


 それは「父の日特集」である。タップすると、ネクタイや酒、名前やメッセージの入ったタンブラーなど様々なプレゼントが載ってある。悠太はそれらを一通り見てどんなプレゼントがあるのかじっくり眺める。


(今年は何にしようかなぁ……あんまりお金ないけど出来るだけいいものあげたいな〜)


 営業マンには必須のネクタイか、亮はいける口だがまだ悠太は酒を買えないのでタンブラーか、はたまた仕事で疲れた身体を癒すグッズか……。

 悠太は心躍らせながらプレゼント選びを始めた。


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