19ページ目 菫さんと彼の出生の秘密 前編
十数年前、とあるマンションにて――
ドアをドンドン叩く音が響き渡る。住人数名が何事かと言わんばかりに自室を出て、野次馬の如く様子を見に行く。住民達はその部屋へ辿り着くなり衝撃を受ける者もいれば、反対に「やっぱりな」と呟き驚かない者もいる。
ドアを叩いているのは警察官で、他にも警官数名のほか名札を下げたスーツ姿の女性が立っている。その名札には「児童相談所」と書いてある。
程なくしてマンションの管理人が鍵を持って警官達のところへ駆けつける。
「……開いたぞ!金久保さーん!いますかー?」
鍵を開けてドアを開くなり、警官が呼びかけるも返事はない。
「……ん?何か物音してません?」
しかし、その代わりにカサッとビニールか何かに触れる微かな音が、児童相談員の耳に入ってきた。彼女がそう言うと、何かを察したのか警官の表情が変わった。
「ちょっと上がらせてもらうか……」
暗い部屋に警官が上がり、ゴミだらけの廊下を通り過ぎてリビングまで行き、部屋の照明をつけると……
「!!!」
★
体育祭が終わった次の日曜日の夜。悠太は自分の部屋で机に向かっていた。机上に数学の問題集とノートを広げ、右手でシャーペンを握り、左耳にスマホを当てがいながら。
「なるほど!そうやって解くのかー!さっすがきよみー!」
電話をしたまま悠太はパッと笑顔になり、ノートにスラスラと計算式と答えを書く。明日提出の数学の宿題があるにも関わらず、訳あって悠太は全く手をつけていなかった。なのですっかり日が暮れて夜になった今、急ピッチで進めている。
しかも悠太は元々数学が苦手で考えてもわからない問題にぶち当たり、寛斗に電話で聞いていたのだ。
「やっぱ難しいんだなー。さっきもこの問題わからんってLIME来ててさ、ナラッチとホリトモとよっしーから」
「マジか。忙しい時にごめん」
「まぁまた後で纏めてLI ME送っとくよ。もう答え写せないもんな〜」
「やめてよ〜」
実は少し前にも数学で宿題があり、悠太は答えを丸写ししたせいで全く同じ解き方の別の問題に手も足も出ず、数学教師の若竹にバレたことがあったのだ。
それもあって、今回は寛斗に答えでなく解き方を聞いてみっちり教えてもらっていたのである。
「まぁ若竹先生は鋭いからな〜。……誰かさんと違って」
「……杉やん?」
悠太がハッキリ個人名を口に出すと、電話口の向こうで寛斗は吹き出した。
「……言うなって」
「まぁそれはいいとして……ありがと。全然わかんなかったし助かったよ。じゃあそろそろ切るね」
「おう。また明日な〜」
「バイバーイ」と言ってから、優太が電話を切ったその時だった。
「……今更何なんだよ!言っただろ、もう二度と俺達に関わるなって!!」
「!?」
いきなり怒号が耳に入り、悠太は驚いてビクッと震えた。スマホを持ったまま、思わず部屋のドアをじーっと見てしまう。
声の主が悠太の父の亮であるのは確かだが、普段の父は温厚でキツく叱られることも滅多になく、こんな声を聞くのは初めてだ。悠太は何となく部屋から出づらくなり、呆然とドアを眺めたまま机に座っている。
一体何があったのだろうか?悠太がそう思う側から再び父が声を荒げる。
「うるせぇ!とにかくもうお前の顔なんか見たくもねぇんだよ!次に連絡してきたら警察を呼ぶからな!」
「…………??」
何事なのかさっぱりわからず悠太は訝しむ。その後も悠太は部屋から出られずにいたが、これ以降父の怒号は一切聞こえてこなかった。恐らく最後に言い放ってすぐ電話を切ったのだろう。悠太は恐る恐るドアを開け部屋を出る。
階段を降りてリビングに入ると、まだイライラが収まらない様子で頭を掻きむしっている父と、それを見て困惑している母の麻里がいる。
「お、お父さん、お母さん……」
「悠ちゃん。長いこと頑張ってたわね」
「おう、悠太。宿題は終わったのか?」
「終わったよ〜……ねぇ、さっきはどうしたの?」
それとなく訊くと、両親共々ギクっとして顔を見合わせる。こんな反応をされてしまっては、ますますなぜ怒っているのかわからない。怪訝そうな顔を見せる悠太に、亮は質問で返す。
「き……聞こえてたのか?」
「うん。なんかめっちゃ怒ってたくない?」
「……ごめんな。宿題してる時にうるさくして」
「全然いいけど何があったの?」
亮は一旦謝ったものの、悠太に何事なのか訊かれ少しだけ目を泳がせだ後、こう答えた。
「あっ、その……ブラックリスト入りしたお客さんから電話がかかってたんだよ。その人、前から無理難題ばかり言ってきたり、やっかいな人だから連絡取らないようにしてたんだけど、今日久しぶりに電話が…」
「ええ〜……それは大変だったね」
悠太は理由を聞いて納得し、思わず声を上げた。
亮は営業マンとして働いており、顧客は数多くいるらしく、休日でも客と電話をしていることもザラにある。温厚な父をそこまで怒らせる程のモンスター客も中にはいるのだろう。
それにしてもちょっと怒りすぎではないのか……と悠太は思わなくもなかったが。
「あっそうそう、悠ちゃん。お風呂沸いたからそろそろ入ってきたら?また明日から学校でしょ」
「ありがと。じゃあ入ってくる〜」
そう言うと、悠太はたちまちリビングを出て風呂へと向かった。パタパタと急ぐ足音に耳を傾けながら、亮と麻里はほっとした様子でほぼ同時にため息をつく。
★
その翌日の朝、いつも通り2年3組の生徒達はワイワイガヤガヤと楽しく過ごしている。菫が教室に入ると、すぐ後ろのめぐるの席には女子生徒が何人も集まっている。それ自体は珍しくも何ともないことなのだが……
「あっ!すー様ぁ!ちょっと来てぇ!」
「えっ?」
菫の姿を見るなり、普段よりハイテンションなめぐるが勢いよく手招きして呼び寄せる。慌てて向かうと、めぐるはにんまりしながら自分のスマホを見せた。
スマホの画面にはいつかの動画が流れている。菫とめぐるが一緒に「ヒグマダンス」を踊っている動画だ。
「あっ、これは……!」
「見て見て!いいね数50行ったんだけどー!」
「本当ね!コメントも結構あるわ」
めぐるの言った通り、ハートマークの下には52とある。コメント欄を開くと、「可愛いー」「楽しそう」「ダンス上手」「お友達も可愛いー」などとある。
結局めぐるはこの動画をインスタに投稿したらしく、狙い通り「いいね」を稼げたようだ。週明けの朝っぱらからこんなに嬉々としているのは、そのおかげである。
「すー様のおかげだよ〜、ありがと!」
「いえいえ……私ダンス下手だからどうなるかと思ったけど、ウケてたみたいでよかったわ」
「もぉ、めめちゃん喜びすぎだろ〜」
「さっきーだっていいねしてくれたじゃん」
相変わらずテンション上がりっぱなしのめぐるに、沙希が笑いながらそうツッコミを入れる。が、めぐるは負けじと言い返す。
「てかすー様もイソスタやればいいじゃ〜ん」
「えっ?」
不意に彩矢音からイソスタなるSNSを始めるよう勧められ、菫は目をぱちくりさせる。他の女子達も皆うんうんと頷いたり「そうだよー」と同調したりする。
「イソスタ楽しいよ〜」
「皆やってらじゃ〜」
「面白い投稿いっぱいあるもんね〜」
「そ、そっか……どうしようかしら〜」
萌乃、オリビア、遥からも勧められるが、菫はすぐにうんとは言えず、苦笑いする。どこから「足がつく」かわからないし、元職場の関係者が絡んでくる可能性もあるからだ。ただ、とっくにめぐるは菫が写った動画を投稿しているが、今のところ菫の過去に勘付くコメントはないようだ。
ちょうどその時、教室の戸がガラッと開くと同時に「おはよー」「うぃーす」と男子数名の声が聞こえてきた。入ってきたのは寛斗、恭平、悠太、真二のクラスの中心男子グループで、既に教室にいる面々も挨拶を返す。めぐるも同様に挨拶を返したその直後、何かを思い出したようにその中の1人に声を掛ける。
「あっ、だぁ坊!イソスタ見たよ。キャンプ行ったんだよな?」
「そーそー!めっちゃいいとこで写真いっぱい上げちゃった」
「私も見たー。キャンプ飯めっちゃうまそー!」
悠太のSNSを見たというめぐるや沙希によると、彼は先週の土日に家族でキャンプに出掛けており、その写真を投稿したようだ。よっぽど楽しかったのか、悠太は嬉しそうに話している。
「うちのお父さんがキャンプとか好きな人でさ。今週の土日は部活なかったから誘ってくれて。ご飯も全部作ってくれたけどすごい美味しかったよ」
「へぇー!お前のお父さん、俺と気が合いそうさー」
「うみんちゅもアウトドア派だもんなー。まぁ俺もだけど。で、自然の中でどんな筋トレしてたんだ?」
「なんでキャンプで筋トレなんかするんだよ」
悠太の父がキャンプ好きという話を聞きつけ、日向と成一が聡太郎にツッコまれながらも早速食いついてくる。キャンプ場には釣り堀があって魚釣りが楽しめたのと、その魚を彼の父が調理してくれたほか、キャンプファイヤーも楽しんだと悠太は語った。
そしてイソスタに上げていない写真もあるらしく、悠太は皆に見せてくれた。
「えっ、デカくね!?」
「本当だ!大きいね」
「こんな鮎初めて見たぞ!」
「鮎じゃなくてイワナだよ」
串刺しになった大きな魚の塩焼きに、恭平と遥と真二は興味津々な様子だ。スマホに写っていたのは、それに今にもかぶりつこうとしているアウトドアファッション姿の悠太。この写真だけでも楽しんでいるのが伝わり、菫も見ただけでキャンプに行きたく思ってしまう程だ。
次に見せてもらった写真には、ある人物も一緒に写っている。同じくアウトドアファッション姿の中年男性が、ピースサインをする悠太の肩に手を置いている。この男性……悠太とは対照的に身長が高くシュッとしていて、どこか薄い顔立ちである。
「なぁだぁ坊、この人誰なんだよ?知り合いかー?」
知輝がそう訊くと、悠太は思いっきり吹き出した。なぜそんなリアクションをするのかわからない知輝他クラスメイト達に、悠太は笑いながらこの男性が何者なのか告げる。
「やだな〜、僕のお父さんだよ!」
悠太がそう言った瞬間、聞いていた面々はまさか悠太の父だなんて思わず、「ええっ!?」と驚く。もちろん菫も目を疑ったし、皆がこんな反応になるのもわからなくはない。丸い目と輪郭が特徴敵な童顔の悠太に、この父親は似ても似つかないからだ。
「ふふっ……似てないっしよ?」
むしろ悠太本人ですらそう言うほど、父と似ていないことは自覚している模様だ。
「ま……マジか……。あまりにも似てねぇからよ…」
「俺も赤の他人かって思っちゃった」
「俺は1回お会いしたことあるけど、初めて見た時びっくりしたよ」
知輝と貴大が気まずそうにする一方、寛斗は悠太の父とは会ったことがあるらしい。
「それだばお母さんに似でらんでね?」
「あっ!おーりん……」
オリビアがそう訊くと、めぐるは慌てた様子を見せ、同じグループの面々までギクリとする。当の悠太はというとハッキリと首を横に振る。
「お母さんはもっと似てないよ〜、……お父さんの再婚相手だから」
教室内が一気に凍りついた。もちろん、訊いてしまったオリビアは瞬時に顔面蒼白になる。
「ごっ、ごめんっ!まさがそったごどになってらどは思わねんで……」
「全然いいよ。そんなに謝らなくてもいいのに〜」
手を合わせて平謝りするオリビアだが、悠太はケロッとしている。それどころか悠太は継母のことを自分からベラベラ話し出した。
「確か僕が小1の時だったかな〜。お父さんとお母さんが結婚したの。それよりもっと昔からお世話になってたし、結婚する前も3人で遊びに行ったりしてたからね〜」
「へぇ……赤の他人でも「お母さん」って言うんだ」
すると、教室に入ってきたばかりのつばさが彼の近くまで来てそう呟く。悠太は何で?と言わんばかりにきょとんとする。
「うん。……おかしいかな?」
「別にそんなこと言ってないじゃん。そういう人もいるんだなって思っただけ」
それだけ言うと、つばさは何事もなかったかのように自分の席へと向かった。
「……つーさんの奴、ナバちゃんみてぇなこと言ってんな〜」
「何か言ったか?」
「いや何でもねぇよ〜」
つばさの背中を眺めながら呟く真二に、凜が突っかかったところでチャイムが鳴った。ほぼ同時に杉谷が教室に入ってきたので、その話は自動的に終わりとなった。
(……まぁ今時の子も色々あるわよね。
幸せそうで何より……ってことは実のお母さん似ってことかしら。それとも隔世遺伝かもしれないわね。
まぁ私も葵と似てないし、瑠奈ちゃんと琴ちゃんも……ってあっちは実の姉妹じゃないけど)
話がだいぶ逸れたせいで誰も触れなかったが、菫は悠太が父親に似ていないことを再び思い出す。
朝のHRの杉谷の話を適当に聞きながら、こんなことを考えていた。
★
それから2日経った放課後――
「帰りどっか寄ってく?」
「いいじゃん!皆で行こーぜ!」
「私ゲーセン行きたいな〜」
「え〜、俺はカラオケがいい!」
「私はバッセン行きたい!」
「僕は食べ放題!」
「え!まだ食べるの〜?」
その日はノー部活デイである水曜日。寛斗、めぐる、恭平、悠太、真二、遥、沙希の3組中心グループの面々が帰るところ、寛斗がどこかで遊ぼうと提案した。真二が賛成したまではよかったものの……肝心の行き先が見事に割れてしまった。
めぐるがゲームセンター、恭平がカラオケ、沙希がバッティングセンター、悠太が食べ放題と4つに。流石に悠太のチョイスには遥は驚いていたが。
(また出たー!学校終わってかーらーのー寄り道!いかにも青春って感じね!)
そして今日はそこに菫も加わっている。今まではめぐるや他の誰かに誘われてついて行っていたが、今日は最初から当たり前のように一緒にいる。菫のテンションが爆上がりしたのは言うまでもない。
リクエストが次々出る中、めぐるから菫はどこに行きたいか訊かれ……
「私はカラオケがいいかしら。歌うの好きだから」
「おっ!すー様もカラオケ好きなのかよ」
自分の意見を言うと、恭平はニヤリと笑う。反対に、めぐるは不服そうだ。
「え〜!私すー様とプリクラ撮りたいのに〜」
「えっ!プリクラ……!(今時の子もプリクラ撮るのね!……それも青春っぽいじゃな〜い)」
「それいいじゃ〜ん!」
「私もすー様と撮りたい!」
盛り上がる女子4人とは裏腹に、男子4人は冷ややかな反応を見せている。
「プリクラか〜。ポーズ考えんの面倒くせぇ」
「それに男は居づれーぞ。女の子しかいねーし」
「わかる〜。てゆーか男子禁制じゃなかったっけ?」
「いや1人でも女子いたら大丈夫だよ。でも俺もプリクラはそんなに興味…」
真二、恭平、悠太、寛斗がぼやくのに対し、女子3人は真っ向から反論する。
「いいじゃん!ポーズはうちらで考えるし、居づらくても気にすんなよ!」
「そうだよ、記念に撮りたくない?」
「これだから男は〜!」
「だ、だってぇ〜…」
男性陣はめぐる、遥、沙希にたじろぎ、真二が言い訳しようとしたところだった。菫はふと気付く。校門のすぐ横、見知らぬ女性が立っていることに。
(あら、お迎えに来られたのかしら?)
菫ほどではないが小柄なものの、雰囲気は年相応で年齢は30代後半ぐらいだろうか。なので菫は生徒の誰かの母かと思っていた。やけにキョロキョロして挙動不審だが、恐らく自分の子を探しているのだろう。
そう思い、菫もスルーするところだった。
しかし、この女性……菫達がいる方を見るなり急に目の色が変わった。その表情はパッと明るくなり、目には涙まで浮かべている。
こうして暫くの間、こちらに熱い視線を注ぐのだから、言い合っていためぐる達も気が付いて……
「ねぇ……あの人さっきからジロジロ見てない?」
「確かに……」
「誰か知ってる人?」
「いや俺は知らねー」
「僕も」
「きよみーのとこの関係者じゃねぇの?」
「いやこんな人いないよ」
「すー様は知ってる?」
「いや〜……」
もちろん菫も全く知らないので首を横に振る。全員が不審に思う中……女性は我慢ならない様子でこちらに向かって駆け出す。
「えっ??」
「何!?」
まさかの事態に全員驚愕する。女性はそれに構わずその中の1人の元へ駆け寄った。そればかりか、何が起きたのか全く理解できず呆然とする彼の両手をガシッと握りしめる。その女性は彼の目をじっと見つめながらこう叫んだ。
「悠太!あなたが悠太なのね!」
「………………」
そう言われても訳がわからず、悠太はポカーンと口を開けたままだ。周りの生徒達が「誰?」「知り合い?」などとヒソヒソ話す中、悠太はこれだけ訊いた。
「……おばさん誰?」
「おっ……おばさん!?」
女性の表情が再びガラリと変わる。信じられないとでも言いたげに目を見開いている。彼女は暫く体を震わせた後、感情のままに吐き出した。
「おばさんなんかじゃないわよ!私……あなたのお母さんなんだから!!」




