『淵の主と山伏と青のプレスマン』
琴ケ滝と琵琶ケ滝という、二つの滝を持つ川があった。二つの滝の滝壺は、淵になっていて、より川下の琴ケ滝には女の妖怪、より川上の琵琶ケ滝には男の妖怪が住んでいた。
ある山伏が、琴ケ滝のすぐわきの道を通ったとき、女の妖怪があらわれて、琵琶ケ滝に連れていってほしいと頼むので、連れていってやることにした。山伏は、自分で行けばいいのにと思ったが、よく見ると、足が足でなく、ひれのような形であった。自分で泳いでいけばいいのにと思ったが、滝を昇るのは難しいのかと思い直し、お姫様を抱き上げるような格好で、連れていった。
女の妖怪は、悪さをしそうな様子など微塵もなく、琵琶ケ滝に住む男の妖怪に会えるのを、ごく楽しみにしている様子であった。女の妖怪の話によれば、自分は、琵琶ケ滝から琴ケ滝に戻ることはできるが、琴ケ滝から琵琶滝へは行けない。男の妖怪は、琵琶ケ滝から琴ケ滝へ来ることはできるが、琴ケ滝から琵琶ケ滝へ戻ることはできない。だから、琴ケ滝から琵琶ケ滝に連れていってくれそうな人が通りかかると、運んでもらうのだという。
山伏が、妖怪同士で会って何をするのだ、と尋ねると。女の妖怪は、恥ずかしそうに、男と女がすることといったら、あれだよ、と言うので、あれとは何だと意地悪く尋ねたら、速記に決まっているじゃないか、と顔を真っ赤にして答えた。
そんな話をしているうちに、琵琶ケ滝に着いた。男の妖怪があらわれて、うちの家内が大変お世話になりました、と言って、青いプレスマン一箱十本入りをくれた。淵の中からは、さっそく朗読の声が聞こえてきて、本当に速記をしている様子であった。山伏は、家内ということは夫婦なのか。夫婦なら、こんな面倒なことをしないで一緒に住めばいいのにと思ったが、暮らし方は、妖怪それぞれかと思い直した。
教訓:男と女がすることといったら速記に決まっていると言いながら、なぜ顔を赤らめたのかが不明である。