【エピローグ】
「どうした?コーイチ」
「なんだ?どうしたんだ?そんな澄ました表情で真っ白なドレスなんぞに袖を通して」
「だってしかたないだろう。私とお前の結婚式なのだからなっ」
「わぁー、義姉さん似合ってるよ!いいなぁ、ちい兄っ。ボクも早くいい人見つけたいよぅ!」
「……………なにが起こってるんだ?(ボーゼン)」
私はリオアースを目指してオルグに広がる大平原を歩いている。
細い紐のような茎が一本だけひょろりと伸びた植物が私の顔の当たりまで伸びている平原が地平線の向こうまで続いており、いつになったら、ここを横断し終えるのかとげんなりとしてくる。
「なぁ、コウイチ。オルグってほんっとーに何もない国だなぁ。遊牧国家っても、まだ羊一匹みてないぜ」
私より先に(なぜか私たちに同行してきた)ケンジが愚痴を漏らした。
「オレたちは魔人だぞ?リンガイアほどじゃないと思うが、ここでも扱いは酷いんだ。不法入国者は住民とは出来るだけ接触しない方がいいだろう」
「いいんじゃないのか?お前の嫁さんが一緒だし」
背中に背負った3人分の荷物と武器がつまった巨大なリュックを背負いなおした。ハッキリ云うが、むちゃくちゃ重い。一歩歩くたびに、草原の乾燥した大地にくっきりと私の足跡が残ってしまうくらいに地面にめり込む。
「コーイチっ。少し左に反れてるぞ。心持ち左に進む感じで歩け」
「……はいはいっ」
私は頭上からかけられたご命令に従い進路をやや左に向けた。
馬鹿でかい背負い袋の上には野営用の毛布を引いて二人の女性が優雅に腰掛けていらっしゃる。
座っているのは、私の妹と、なぜか、私の妻に収まっているディアスだ。
「ディア。さっきから脇腹の傷が火みたいに熱いんだが、そろそろ休憩にしないか?」
「だめだなっ。私はコーイチのその飛び出た腹が気にいらないんだ。引っ込むまでは、しっかりと運動して貰うぞ」
ディアスがなぜ、あそこまで嫌がるのか私は理解できない。自慢なのだが、今の私は逞しい躰つきであって、みっともない躰ではない。
「そーだよ。ちい兄っ、もう40キロ近く痩せたんだもん。あと20キロくらい痩せるのなんてすぐだよ」
ミチルが荷物の上から身を乗り出して私の顔を覗き込んできた。体勢を崩すのは止めて欲しい、私の荷物はふたりの体重も合わせると200キロ近くあるのだ。首筋にかけ布が食い込んで肌を擦りヒリヒリとする。
「いや、オレが云ってるのは、こないだの試合の傷が痛いと云ってるんであって、オレの痩せ具合なんかじゃないんだけど……」
私の言葉など聞いていないだろう女性陣二人は足をブラブラとさせながら何事か話している。ときどき、クスクスとした笑い声が聞こえて私をなんだか哀れな気分にさせる。
ケンジは、仕方ねぇよ、諦めろ。と言った風に肩をすくめるだけで助けてくれる気もないらしい。
ディアスの美しさは文句なしだが、自分より圧倒的に強い女に惚れられると厄介なことになると私は身をもって理解させられた。
ハッキリ云って、魔人衆だったころよりも運動量が地味に増えている気がするのは気のせいではないだろう。
私の胸の上にディアスがどっかりとお尻を下ろした状態で腹筋、1万回をこなせと云われたときは、内臓がねじ切れるかと思ったものだ。長身で鍛えられた肢体を持つ彼女は妹の1.5倍重い。お陰で、魔人衆を脱会し旅に出てからこっち、あんこ型だった私の体躯が真っ直ぐになってきていた。今なら、完璧な胴廻し回転蹴りが出せると思う。だからといって、もう一度ディアスと戦って勝てるとはまったく思わないけれどね。
ちなみに、あの試合の傷はほとんど治っていない。
ディアスはハッキリ云って目が覚めたら完調していた、というか最初から傷などなかったのだ、私の方は全身あちこち骨が砕けていたし、肉は打ち身と内出血でボロボロだった。内臓に到っては熱を持ったまま冷えないと来たものだ。
それなのに、この扱いはいったいなんだろう。もしかしたら、本当にこの女は部族の掟とやらに従って私にナイフを突きつけて結婚を迫ったのかも知れない。
「起きたか?コーイチ」
「ん……?だれだっ」
「さぁ、立て!わざわざ国王に式場を押さえさせたのだ。時間に遅れては申し訳ないだろう?」
試合の後、目覚めてすぐ私はディアスに肩を貸されて立ち上がった。その時の私の意識は白濁していてディアスを妹と勘違いしていた。
まったく抵抗することなく私は彼女に連れられていつの間にかチャペルにいた。
控え室に転がされていると、いつのまにか私の隣にケンジが立っていて彼はニィッと笑うと「お疲れさん。んでもって、おめでとさん」と告げてきた。
意味がわからず首を傾げる私にケンジが一杯の水をくれる。清水が砂漠に染みいるように私の喉がごくごくと音を鳴らして飲み込んだ。よほど、喉が渇いていたのか、水が食道を落ちる感触がしない。喉を通る瞬間に吸収されて消えたようだった。
「旨い……もう、一杯頼む」
「ほれ」
今度は水差しごと渡された。私は、公共物らしい水差し口から直接、水を飲み下した。大きなガラス製の水差しの水が半分ほどなくなるとやっと私は口を離した。
人心地ついた私が顔を上げると「ああ、ケンジだったのか」と気づいた。
「なんだぁ?わかんなかったのか」
呆れたような声に私は「はははは」と意味のない笑いを返す。
「まぁ、いいや。先方の準備が済んだぜ。お前もそろそろ行かねぇとよ」
行くっ?どこへだ?
「15で結婚かぁ。オレらの常識じゃ早すぎる気もするけど。こっちじゃ、適齢期だってからなっ………ああ、そうだ。鬼のポルカが『良くやった』って珍しく誉めてたぞ。ついでに香典を貰ってきた」
だから、なにがだ?
フラフラと立ち上がった私の背を押してケンジが赤い絨毯の引かれた部屋にオレを押し出した。
ボーっとその場で突っ立っていた私の横にすっと女が進み出てきた。褐色の肌に真っ白な布を巻きつけたディアス。そのコントラスは、戦士である彼女にとっては奇異に思えたが、異常なほど煽情的な美しさをかもし出していた。
「嬉しいだろう?コーイチ。天上の女神ですら、私の美貌には及ばないぞ」
目を細めて猫のようにディアスが笑った。
そう、そしてその後だ。何となく事態を察してきた私がともかく逃げ出そうとしたとき、どこからか取り出したナイフを首筋に押しつけられて後ろから、満面の笑みを浮かべたディアスに「駄々を捏ねるな。コーイチ、お前は黙って私と唇を重ねればいいぞ」と、耳元に囁かれたのだ。
耳朶に生暖かい空気吹きかけられた経験などもちろん私にはない。一気に眠気、発熱による頭の靄が吹き飛んだ。
私のファーストキスの味は、ナイフの物騒な煌きのせいで覚えることが出来なかった。
まったくの不覚だ。
妹に、レモンだった?それともミント?と聞かれて思わず、殺しの味だったと答えて笑われた。
「ディア。リオアースまで、あと何日ぐらいなんだ?」
「そうさな。コーイチがこの速度で歩き続ければ、あと一月くらいでつくんじゃないか?」
小首をかしげた彼女がさらりときつい事を云う。私の額にタラリと一筋に汗が流れた。
「遠いなっ。……馬とか手にいれられないか」
「だめだっ。そんなことをしちゃ、コーイチが痩せないじゃないか?!」
頭を振って、ディアスが力説し、それにウンウンと彼女の義妹が頷く。知らぬ間に、仲のよい関係を結んでしまったようだ。しかも、ミチルはどうも私よりディアスに味方している気がある。
兄としては、とても卑怯なタッグに適うはずもない。
「おいおい。オレはコウイチのダイエットのために歩かされてるのか?」
「私はお前についてこいなどと一言も言っていないぞ」
「ボクも言ってないぞー」
「うぁ!コウイチっ。お前の嫁さん等、冷てぇーぞ!」
私にさえ暖かければ、ケンジには冷たくても構わないぞ。
見知らぬ大地を恐れもせずに歩いていける私がいる。そんな私を嬉しそうに見ている瞳がある。私を友だと云ってくれる男がいる。
それは、以前の私でいたならば決してなかっただろう空気。
誇らしくも嬉しい私が作った世界。
私は、故郷を無くした魔人だった。でも故郷など、心にさえ存在していれば、歩いてゆける。
草原に影がスッと走り私の頭上を越えていった。見上げれば、巨大な鷲が風に滑空しながら東の空に消えていく。
「でかいなっ」
「ああ」
隣で、ケンジが感動したように頷いていた。
「オルグの国鳥だなっ。あの鳥はとても頭が良い。この大草原にいる家畜と遊牧民の位置を確認するためのオルグ王の目を担っている」
「へぇーっ。頭いい鳥ちゃんだね。そんなことも覚えられるんだ」
確かに、賢い。
このオルグ全域をあのような鳥が飛びまわっているのなら、この国の王は、自室から一歩も動かずに、絶えず移動する国民と家畜を把握することが出来る。
それは、旨く利用すれば、政治と税を円滑に出来るだろう。
それに加えて、外敵の侵入に対する監視の役目にも役立てられ─────役立つぞ!
「ディア!」
「うむ。見つかっただろうな。コーイチはともかくミチルと私は丸見えだっただろう」
心なしか、眉を顰めたディアスが答えた。
「魔人は掴まったらどうなる?」
「この国はあまり魔人と外国人を区別しないぞ。………確かここもリンガイアと同じで、兵役義務をこなせば、市民権が貰えたはずだが」
うろ覚えっぽい記憶を引き釣り出したディアスに妹が、ホッとしたように肩の力を抜いた。
「なーんだ。じゃ、やること一緒だよ。待ってて市民権もらっちゃおう!」
「いや、それがそうもいかないんだ。オルグではここ数十年、戦争がまったくない。ここで掴まると、不法入国者の居留地に送られてしまうぞ」
げぇっ。ケンジがとても嫌そうな顔をした。居留地といえば、魔人たちの知識では極寒の大地とか、危険な崖下とか、なにかしら日常生活に支障を来たす場所である。
「ジョーダンじゃねぇ!せっかく、魔人衆やめて来たのに、こんなとこで止まってられか!」
ケンジが憤慨したように、先程の鳥を睨みつける。先程の感動が過ぎ去り、今は怒りが頭に上っているようだ。
そして、私もその思いに激しく共感する。
拘束など、御免こうむる。
「二人とも落ちるなよ!」
「お、おい。コウイチ、オレを置いてくな~」
背負い紐をグイッと掴んで私は猛然と走り出した。私の主人は私だけだ。他者に邪魔などされてたまるか!
「コーイチっ。私たちも降りたほうがいいか?」
「降りるなっ!こんなもんはピンチでもなんでもない、ちょっとだけ激しいダイエットの一環だ!」