【妹よ4】
「コーイチ、お前、本気か?……剣に対して素手なんて、正気じゃないぞ」
「良いから、本気で突いてこい」
私はハッキリと自覚した。
私に足りないのは時間だと、たったの1月で、自分の躰を最強の部類まで鍛え上げないといけないのだ。
「コウイチ、お前、やりすぎだぞ」
突然の私の変化に困惑顔でオーバーワークだとケンジが云ってきた。確かに、ここの訓練の斜め上を行く修練を私は敢行していた。
毎朝の走り込みでは、ガントレットとレッグガードを二重に取り付け、素足で走った。格闘教練で習った、踏み込みのイメージを頭で常に思い描きながら、一歩一歩を踏み込みの練習にして走った。親指の先に私の全体重をあずけて引き寄せて、駆け続けた。
最初の1時間で、親指が血だらけになった。次の日までには土踏まずまでずるりと剥けた。
肉がだんだんと削られて神経がむき出しになっていくのが自分でもはっきりと理解できたが、止めるわけにはいかない。
公舎の医者が渡す、妖しげな薬を足裏に塗りつけながら私は愚直なほどに走り込みを続けた。
訓練後の朝食では、今までの食事量の三倍は頬張った。嚥下して飲み下すたびに涙が勝手に零れてきたが、これも躰を作るためだとおもって死ぬ気で飲みこんだ。
「だから、コウイチ。ヤバイって、それは!」
「うるせぇ。オレは1月いないにここの誰よりも強くなってみせるんだ!」
魔人たちが、異常な私に声をかけるたびに、この台詞を叫いた。叫かないと決意が揺るぎそうなほど、躰が悲鳴を上げているからだ。
食事の後は、剣の訓練がある。だから、普通はあまり食事を取らない。訓練が激しすぎて朝食のほとんどは吐いてしまうからだ。
だが、私は吐くわけにはいかない。
「おおお!!」
剣術では魔人たちの内でも1、2を荒そうケンジ相手に果敢に戦斧を振り下ろす。デカイ体躯を出来るだけ有利に使って、長い戦斧の柄を遠心力で振り回して戦うが、簡単に内側に入られ、剣の先で腹を何度も抉られた。潰した刃とはいえ、ケンジほどの魔人が撃ち込む一撃は帷子ごしでも痛烈だ。
内臓が衝撃で、踊っているのがわかる。
「うっ」
「ああ!云わんこっちゃねぇ。待ってろ、桶を持ってくる」
顔を青くして口元を押さえた私を見て、ケンジがそれ見ろという顔をして背を向けた。
私はその手を引き留める。
ケンジが振り向いたときには、なんとか戻ってきた物を飲み込みかえしていた。
「さ……さぁ、もう一本はじめよう。時間がもったい……ないぞ」
あきれ顔のケンジが私にはなんだか可笑しかった。
口いっぱいに酸っぱい味が広がったが、そんな物は気にせず、奥歯を力一杯噛みしめて戦斧を振り上げる。
「ふんっ」
一瞬前までケンジが立っていた地面に刃が突き刺さる。
「おりゃ!」
一歩下がって交わしたケンジが、短い呼気をしながら抜き打ちを放つ。ケンジの剣の間合いは妹より長めの96センチ。
普通に考えたら届くはずのない斬撃だったが、私が羨むほどの突進力に前傾姿勢で肩をいれることによって彼の剣は私に届くのだ。そして、ケンジが届かせることができるということは、アシュリカ族のキャメロン・ディアスも簡単に届かせてくるのだろう。
あるいは、ケンジよりももっと速く、長距離を。
「ぎっい!」
ブフッと鼻から大きく息を吐きながら、下っ腹に力を入れて、戦斧の柄を上げる。刃の部分が地面に突き刺さったままの戦斧は私とケンジの前に一本の邪魔な柱を作り出し、抜き打ちを食い止めた。
その隙に伸びきったケンジの手を取ろうとしたが、寸前で手を引かれる。
「くそっ」
「ひゅーっ、危ねぇーなぁ。組み打ちに持ってかれるとやばかったと思うぜ」
平気そう顔でケンジが云う。私が狙い続けた勝機を簡単に潰した彼は前のめりになった私の唯一肉の薄い首の後ろに容赦ない一撃を与えて意識を刈り取ってくれた。
「このところ、毎日来るねぇ。あんた」
「すみません」
パチリと目を開いた瞬間に声をかけられて、このごろ習慣的な反射になってしまった言葉を口に上げる。
寝台からムクリと身を起こすと、案の定、そこは治療室だ。
「躰壊すよ?いくら、ここは傷の治りが早いって云ってもさ、あんたは遣りすぎだ。一本の骨がくっつく間に、3本の骨と靱帯が損傷しちまう」
椅子に座っていた女医がくるりとこちらを向いた。
「また、傷が増えましたね」
「正確に言えば、あんたの骨は昨日まで5本折れてたから、それの5倍だよ」
「そいつは酷い」
躰は怪我から治るときに超回復によって以前よりも強靱になって蘇る。
「他人事みたいに云うなっ」
ちょっと怒ったように女医が私の傷だらけの躰の前に立つ。ほんとうに嫌そうにしながらも彼女はひとつの錠剤を与えてくれた。私は黙ってそれを噛み砕く。
「まったく、お前がここまでする奴だと解っていたら。こんな薬は教えなかったぞ。そろそろ幻覚が見えてるんじゃないのか?」
「先生が20代まで若返って見えますよ」
ニッと笑いながら私としては珍しく冗談を云ってみたのだが、どうも受けなかったらしい。私の瞼を彼女の指先が限界まで開かせて、その瞳孔運動を調べられた。彼女の顔は顰められる。
コツコツと足音をさせながら、自分の机に戻った彼女はこちらを振り向くと、その場で、何かコインのような物を親指で弾いて上に飛ばた、勢いよく回転するコインは上空で推力を失い落ちる。落ちてきた所を左手の甲に右掌で押さえた。
「セプテア銅貨だ。裏か?表か?」
真剣な顔で彼女が聞いてくる。それに私は笑って答えた。
「裏です。周囲に刻まれた年号番号は62868、製造年は432年。華の柄の横にインクの汚れが付いてる」
瞠目する彼女を放って私は治療室を出た。
その背中に彼女の慌てたような声がかかる。
「昼飯はいつも以上に食べるんだぞ。それから、もっと走って毒素を昇華させろ。走って走って走りまくって、その薬に慣れろ。水も良く取れ。そして、また走れ!全身の細胞にいつも新鮮な酸素を供給する機構を構築しろ!浄化と昇華を繰り返せ!」そうしなければ、死ぬぞ。とは彼女は続けなかった。
「ちい兄っ、なんだか格好良くなったねぇ」
特別教練という名目で、他の魔人たちから離れていたミチルが久しぶりに会いに来た。
上半身裸で、腕立て伏せを繰り返す私の背中にミチルが座っていた。
足をぶらぶらさせて楽しそうに風を受けている。
「そうか?」
「うん。昔より、すっごくスリムになったよ。糖尿病もいつの間にか治ったしさ。今、ちい兄の体重って80キロくらいじゃないの?」
「さぁな?ここには姿見がないから自分ではよくわからないんだ」
「ぜったい変わってるよ。今まではこのおっきな躰、ぷよぷよだったけど、今はむちゃくちゃ固いもん!これ全部筋肉に変わってるよ。特に、ちょっと合わない間にふくらはぎがすっごくなってるよ」
がんばってるんだね。と妹が嬉しそうに云う。
私は、妹が今どんな訓練を受けているのかまったく知らない。
肉体的な変化は、ハッキリ言ってみられない。ポルカは戦士に見えないミチルの容姿を利用すると云っていた、おそらくはミチルの受けている訓練は内面的なものなのだろう。
どことなく、辛そうななのが明るい表情ごしにわかる。
だから、私はなにも云わずに妹と同じ時間を過ごした。
言い合いになったところで解決しないことは解っているのだから。
「ほい!今ので500だよ。ちい兄っ、次は片手腕立て伏せ行ってみよう!」
「よっしゃ!」
左手を外すと、わずかに体勢が揺らいでミチルがはしゃいだが、潰れるようなこともなく腕立て運動を再開する。全身から吹き出る汗が躰をテラテラと濡らし、顔の汗は鼻の頭や髪の毛の先に水滴を作ってポタリポタリと滴り落ちた。いつの間にか、地面に小さな水たまりが出来てくる。
数を数えてくれながら、ミチルが何気なく呟いた。
「格好良くなったねぇ。ちい兄っ……ボクはちい兄の妹で嬉しいよ」
私は、その言葉の深い意味を考えないことにした。
あと、一週間。移動時間も考えるともっと短い。
修練場に現れた私を見て多くの魔人たちが、驚きの目を向ける。
「二刀流?」
私は自分の得物を長柄の戦斧から二本の剣に切り替えた。
今まで、自分の体格を活かす戦い方を訓練してきたが、ここに来て間違いに気づいた。私が潰さなければならないのは間合いなのだ。間合いの居る得物を使っていては、私はキャメロン・ディアスに叶わない。それどころか、この目の前の男にも。
「おいおい。コウイチ、お前、剣なんか使えたっけ」
剣は刃物として使わなければ、ただの金属の棒だ。基本として、刃筋を立てることくらいできなければ、剣など普通は扱わない。
そして、それは真剣でもって訓練しなければ培われない。
「いや。木剣しかやったことないな。だけど、良いんだ」
あの大会は刃の潰した剣を使うらしいからな。それなら、棍棒と同じだから勝機はあると私はよんでいる。
「けっこう斧使いが様になってきてたのによ」
周囲の魔人たちがウンウンと頷いた。
「だが、斧使いとしてのオレじゃ、何時までたってもケンジには敵わないだろう?」
「って、オレに勝つためにわざわざオフェンスチェンジしたのか」
「いーや、オレはお前に負けて悔しいとか、思う男じゃないよ。オレが勝たなきゃならない奴が、たぶんお前に似てるタイプだってこと」
と言うわけで、付き合って貰うぞ。
私は刃を左右に大きく開いた。
解りすぎるほどに私は中心線を無防備にして誘う。もちろん、ケンジは私の意図を瞬時に理解してニヤリと笑う。
「へっ面白いじゃん。でも、コウイチ二刀をふれんのか?」
「試してくれ」
私も物騒に笑って、視線を厳しくした。
へらっとした動きで二歩ほど進んだケンジが彼の間合い1メートル80センチに入った瞬間、恐ろしい加速で剣を上段から振り下ろしてきた。
その剣を左で、止めた。飛び込みの打ち下ろしはケンジの全体重がかかった一撃だ、それを左一本で止められて彼が瞠目する。
私の肩は剣の衝撃で外れそうだったが、なんとかもっている。これを後、二回止めろと云われれば無理だが、今の私は一度なら止められる膂力を得ていた。
間髪入れず、私の右剣をケンジの喉にある鎧の隙間に向けて投げつけた。「うぉ?!」兜に火花を散らして激突し、仰け反って尻餅を突く彼に抱きつくようにして剣を持った彼の手を極めて、悲鳴を上げさせた。
「いてぇー、ま、参った!」
私は、ここに来てやっとケンジを倒した。魔人たちの中には邪道だと云って私をなじる者もいたが、それがどうしたというのだ。
格下の私が格上に勝つためにはどうするか?絶対に勝てない技量の差を克服するにはどうすればいいか?実力以外の物で勝つしかないではないか。
「いや、とうとう負けちまったか」
ケンジが兜を外して、ケロリと笑った。
「このところ、むちゃ頑張ってたもんな。こんな日が来るのもそう遠くねぇとは思ってたが、想像以上に早かったなぁ」
彼は、私を卑怯とは云わなかった。
「うし!今夜は雀の涙みたいな給金から溜めた金で酒買ってくるから、飲もう!奢りだ」
十日死ぬほどの訓練をして、私たちはやっとコップ一杯分の酒が買える。魔人たちの数少ない娯楽だった。
「ケンジ奢るのはいいから、オレの頼みを聞いてくれないか?」
「あん?まぁ、別に良いけど。女紹介しろって云われても駄目だぞ。オレもこないだ振られたばっかりだからな」
それだけは嫌だ。とケンジが顔を顰める。
「いや、そうじゃない。今日から四日間、オレの訓練に付き合ってくれ。頼む」




