【妹よ3】
「やってくれるな?ミチル。これはすべての魔人のため、引いては君の兄のためになるのだよ」
「…………はい」
普通の騎士団なら、剣の練習をやっても格闘教練などしないのだろうが、魔人衆は普通にやる。
なぜなら、騎士は戦場で剣と槍でもって戦うが、魔人衆は戦場を選ばないからである。請われれば殺しも請け負う。
だからなのだろう。
私たちの格闘教練は命のやり取りだ。
相手の鼻を折る程度なら日常的にやっている。
格闘教練ではさらに相手の目を抉り、臍を親指で突き破り、耳を千切って首を絞める。躰の脆い部分を容赦なく攻められるように躰に動きを覚え込ませるのだ。
教練の相手は、食人鬼つまりグールだ。
動きは素早いと云うほどではないが、膂力が凄まじく、躰は腐っているので目の痛くなるような恐ろしい腐臭とべだべだとした粘液で捕らえにくいことこの上ない。
それ相手に、素手による接近戦で戦うのだ。
最初は、打撃系で戦い、教官の合図で超接近戦を挑むのだ。つまり、タックルから寝技をかけるのだが、まさか世界中でもグール相手に寝技を修練する人間など魔人以外にいないだろう。とろい私などはこの訓練の度になんどもグールに肉を食いちぎられてしまった。
ここから、見てもこの国における魔人の扱い方の酷さが伺えたが、人間とは図太い生き物で、そんなことにすら慣れてしまう。
私も妹も、最初はこの訓練がもっとも嫌いだと言い合っていたが、いつのまにか「まだグールちゃん相手に訓練してる方がましだよね」と云えるようになってしまった。
それは、この格闘教練以上に酷い訓練がここにはいくらでも有るというのも原因のひとつなのだが、それでもそう思える自分が私は成長したと感じる。
「コウイチって腕力は付いてきたけど、下半身が駄目だよな」
「それが解ってるから、腹筋をやってるんだろ?」
このところ、やっと蹴りを出すときに、綺麗に腰が回るようになってきた。
相変わらず、太い胴廻しなのだが、ミチルは3割スマートになったと云ってはしゃいでいる。
下あごに着いた肉がとれると割合にすっきりとした顔が浮かんできたと妹は云うが、私としては呼吸が楽になったのがありがたい。
戦場主義の魔人衆は眠るときにイビキをかくと見回りの教官に殴られるのだが、ここしばらく殴られていない。
「いや、お腹はあんこ型だけどそれはそれで良いんじゃないか?それよりもオレは走り込むべきだと思うけど」
「走り込んだって、そんな意味ないと思うけどな」
「コウイチ、お前ってスポーツ経験あるか?」
「ないよ。あったら、こんなに太ってるもんか」
ケンジが溜息を漏らした。
「あのな、知らないようだから教えてやるけど下半身ってすべての基本よ。コウイチって実際の所、腕力だったら大人連中にも負けてねぇーよ、お前の木剣を止めると腕が痺れるもん」
「オレはお前に勝てたことなんかないぞ」
謙遜するな。
「だから、そこが下半身の重要さなんだって。安定して力を込められないから腕を振り回してるだけになる。コウイチとの勝負は一回だけあの剣を止めて、反らしてやれば勝てるってみんな云ってるんだぞ?」
「たしかに、そのパターンで負けるな。まぁ、次からは絶対に止められない一撃を喰らわしてやる」
「だから!そこで下半身が安定してりゃ、あそこまで体勢が崩れないんだって。体勢を崩さずにあの重たい剣を繰り出してりゃ、コウイチ絶対、強くなるって」
剣を振ることを止めたケンジが嫌に真剣に言ってくる。
そういえば、ケンジは魔人衆三番隊の頭になることが、先月決まったな。三番隊は戦場における主戦防衛に当たる部隊だ。
その部隊の構成は頭であるケンジに一任されているはずだ。
おそらくは、体格だけは大きい私を三番隊に加えたいのだろう。私としては、妹と同じ部隊になれれば、どこになろうと気にはしない。
「序列189位のオレがどの程度になれるかは解らないが、まぁ頑張ってみるよ」
私は軽く手を振ると、彼の助言道理に走り込みに行くフリをしながらその場を後にした。
ミチルはいったいどの部隊に入るのだろうか。
「ミチルっ」
公舎の階段に力無く項垂れていたミチルを見かけて私は声をかけた。
「ちい兄っ!」
少々不自然なほどの勢いでミチルが顔を上げた。
どうした?気分でも悪いのか。
「うわぁー。ボクったらこんなとこで、ウトウトしちゃったよ。訓練疲れかなぁ、このごろずっと訓練づくだったし」
不自然な気配を振り払うように元気よく捲し立てるが、これでも私はミチルの兄だ。
妹がなにか隠していることはすぐに解った。
「そうか、ならもう休んだほうがいいな。教官にはオレが云うから宿舎に戻ったらどうだ?」
そして、こんなとき妹はけっして、その何かを教えないことも知っている。
「うん、そうするよ」
弱々しい微笑みを浮かべると、ふわふわとした足取りでミチルが公舎を出て行った。
私はミチルが出て行くと同時に階段の上に立つ人物を睨み付けた。
「ミチルに何をさせる気だ?ポルカ教官」
「仕事だよ。ファットマン」
個人での仕事と言えば、暗殺しかない。
ギシリっと私の歯がなった。無意識に噛みしめた唇が千切れて血が滴る。
重心が勝手に下がった、無意識に私の躰はポルカに向けて突進を開始する。
「うおおおお!!」
荒々しい猛牛のように階段を一気に駆け上り、ミチルの胴ほどもある二の腕で殴りつけようとした。
「甘いっ」
私の体躯が宙を舞った。あれほど低く構えていたというのに、私は簡単に体重を転がされて投げられたのだ。お前は崩しに弱い、ケンジの言葉が耳に蘇る。
「がぁっ!」
ドォーンっと激しい音をさせて階段の最上段部から一番下まで投げ落とされた。私の突進力がすべて自分に返ってきたらしく、ミシミシっとどこかで肉が潰れる音が聞こえた。
まったく動けない躰に激しく苛ついた。
早く、動け。この無能!立ち上がってあの男を引きずり倒せ!
「アシュリカ族というのを知っているか?ファットマン」
「………………。」
喋れない私を放っておいてポルカが続ける。最初から云うつもりなど疑問系で問うな。
「リンガイアからオルグを挟んで、その次にリオアースと云う国がある。そこにいる狩猟と戦を生業とする部族だ。お前たちの躰に使っている種々の薬もそのアシュリカ族の知識からきている」
「な、なにが…云いた…?」
ポルカは階段に腰を下ろして顎に手を付いて私を見下ろしてきた。相変わらず感情の浮いていない顔だ。私のことを魚か虫のように思っているのだろう。
「彼らの戦闘力は桁外れに高い。そう、我々、魔人衆総掛かりでいっても負けるとはいかんが、勝てもしないだろう。まぁ、絶対数の違いもあるがな」
相変わらず、私を無視している。
なんとか、身を起こそうと痺れが抜け始めた指先に力を込める。
「それに目を付けたのが我がリンガイアのローソン王子だ。彼は我々、魔人衆を余りかっていらっしゃらない。……ローソンは魔人衆を捨てて、アシュリカ族を使うつもりなのだよ」
「嫉妬かよ。……くだらねぇ」
なんとか肺から捻り出した空気を使ってそれだけ言うとポルカが自嘲気味に笑た。
「そう言うな。これでも数百年続いた組織だ。ここが無くなれば、魔人はこの国では生きていけない。─────どこまで、話したか。ああ、ここか。……我がリンガイアにも王覧武闘というものがあるのだ。その際に毎年、我が国にひとりアシュリカ族を招いて、その武闘に参加していく。そして、今回参加するのが、リオアース王家とも血の繋がりをもつアシュリカ族の女性、キャメロン・ディアスというわけだ。王覧武闘は三日間開催で、アシュリカ族は初戦から参加する。まぁ、負けることは万に一つもなかろうから、三日後には優勝戦に駒を進めるはずだ。そして、対戦相手はローソン王子」
「それがどうしたってんだ?」
「アシュリカ族には妙な習わしがあってな。一対一の決闘で勝った男を女は夫とせねばならん。どこかの女性弁護団体が激怒しそうな古い掟だが、キャメロン・ディアスという女はそれを実践して、今まで無敗だそうだ」
「それなら、優勝戦でも負けねぇだろう」
「普通ならそうだが、彼女が実力を出し切れないようにする方法など、それこそいくらでもあるだろう。賓客だから食事を提供するのもローソン王子だ、躰が痺れる薬でもいれるかもしれんし、もっと姑息な手にでるかもしれん」
つまり、ポルカはその無敗の女は決勝の部隊で必ずローソン王子に敗れると思っているらしい。ポルカが思っているなら、実際にそうなるだろう。この男は憶測を口にしない。
「我らは、なんとしてもこの婚姻を阻まねばならんのだよ。そのためにミチルを使うことにした。あれは一番、殺気が少なく、戦士に見えずらい娘だからな。まぁ、アシュリカ族相手だ、無傷に済むというのは無理だろうが、初撃で傷を負わせれば、あとは人数でなんとでもなる」
ふざけるなっ。
「これは、決定事項だ。王覧武闘まであと、1ヶ月。徹底的にミチルを鍛える」
ふざけるなっ。
ふざけるなっ。
「貴様では、キャメロン・ディアスの相手にはならん」
ふざけるなっ。ふざけるなっ。ふざけるなっ。ふざけるなっ。ふざけるなっ。ふざけるなっ。