表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

【妹よ】



「キャメロン・ディアス。この女をオレが負かせば、それで済むんだろう?」



                    「私はどちらでもかまわんよ。婚姻が潰れれば、それでいい」






 心にゆとりがあれば十分に美観を楽しめる山の中に出来上がった細い道筋。所々が周囲の緑に浸食されていたが、先に歩いた魔人たちがその緑を踏みつぶしていってくれているので迷う心配はない。


 ただ、潰れた草のしなり具合から見て先頭集団がかなり前にいることだけは伺えて、そのことがさらに私を陰鬱にさせた。これから、どれだけの距離をこの重くなった足で歩まねばならないのだろう。


「ミ、ミチル。もう、ボクは駄目だよ。先に行ってくれ」


「何いってんだよ!?ここら辺は危険な獣がいーっぱい出るらしいんだよ。ちい兄はそんな危険な道をボク1人で歩いてこいなんて非情なこというの!」


 妹はそう言ったが、獣が現れたとき危ないのは私の方だと、私は良く理解していた。


 頭頂部と額から滝のように落ちてくる汗が目に入って痛い。


 額を太い割に妙に手首の細い手で拭った。そのまま、じっと掌を見る。


 ウインナーのようにプクッと脹らんだ指は、ここに来てから少しは固くなったが、それでも醜悪さは拭えなかった。


 汗に濡れた手を鼻に近づけると、微かに甘い香りがする。


 私は十歳のときから糖尿病まで患っていた。


 最悪だ。


 こんな私が、ここで生きていけるの?それは、ずっと考えていたけど自殺するほどの勇気も生憎と持ち合わせていなかった。


「さ、行こう!夜中までには、ぜったいに下山しないとね」


 妹は、小柄だがスラリとした手足の健康的な躰をしている。ほんの少し、動いただけで息が切れる私とは大違いだ。


 私と同じく、ガントレットとレッグガードを装着させられ、その上、30キロの荷物を背負っているとはとても思えない体力を残している。


「ちい兄は凄いよね。ボクは30キロの重りだけどちい兄のは50キロでしょ?ボクとても、そんなの持ち上げられないよ」


 妹は私よりもひとつ年が下で、今年14になる。


 そんな少女に慰められて、ホッとしている自分が一番嫌いだ。








 結局、日がある内に下山することは出来なかった。


 荷物と鉄製の防具を捨てていけば、間に合ったかも知れないが荷物を捨ててくると教官たちから制裁を受けるのは解りきっているので出来なかった。


「はいっちい兄。水だよ」


 浅ましいと思うのだが、私がここで教えられた技術でもっとも使えたのは野宿のサバイバル技術だった。


 野生に近いどこかの原住民のように、枯れ木と枯葉で火をおこせるようになってしまった。どういう木々のどの部分が食べられ、どこが毒であるのか?


 そんな、ここで必要とされる技術のなかでもっとも役に立たない代物だけが私の中に貯まっていた。


「それはミチルの分だろ?ちゃんと自分の躰に入れときなよ」


「だって、ちい兄とは躰のおっきさが違うもん。少し飲めば十分だよ」


 羊の皮で出来ている水筒は私もミチルもサイズは一緒だった。躰の大きさから云えば、私はミチルの三倍は必要だろうし、滝のように流れた汗を考えれば、さらにその三倍は必要に思える。


「ほらっ飲んでよ」


 ニコッと笑う妹、でもその唇がわずかにひび割れているのが解った。薄い桃色で綺麗だった妹の唇。


 疲労が全身から漂っている私のまえで妹が疲れた、苦しいとか、そんな泣き言を言うのを聞いたことがない。


 情けないことに、兄である私は何度となく妹に愚痴をこぼし、泣いたというのに。


 そして、今日も情けない兄は、妹のための水を無我夢中で口にした。脳と足に来ていた耐え難い熱がその生ぬるい水で冷めていくように祈りながら。







 妹の切羽詰まった声で跳ね起きた。


 目の前では荷物の一番上から剣を引き抜いた妹が私に向けて駆け寄ってくる。剣を持って人が近づいてくる。情けないことで、それが妹であっても私の腰は引けた。


「ちい兄っ、もっと火をくべて野犬だよ!」


 妹の背中から青い光が数十も光っているのを見て慌てて私は頷いた。


 この火を、野犬たちが諦めるまで保たせなければならない。そんなことを頭の一番冷静な部分だけが考えてくれたが、実際には恐怖に負けてすべての薪を炎の中に放り込んでしまった。


「下がってて!ちい兄っ」


 妹が剣を中段に構えて、大声で叫んだ。


 喉の奥で唸りながら周囲を囲んでいた野犬たちが、ぱっと飛び下がるが、また少しずつ近寄ってくる。


 炎の明かりのなかに彼らが入ってきたとき私は本気で死ぬと思った。


 野犬なんて可愛いものじゃない。


 いや、たしかに姿形は私のしっている犬とそっくりなのだが、サイズが子供の熊ほどあるのだ。


 息を飲んで、私が固まったとき、妹が小さく「ッヒ」と悲鳴をあげたのが聞こえた。


 お陰で、私の呪縛が解ける。


「ミチル、無理だよ。お前だけでも逃げろ!」


 一瞬だけ、妹が泣きそうな顔で私に振り向いた。でも、すぐに妹はとっておきのような素晴らしい笑顔を浮かべて「厭だよ」と云った。


「わぁぁああ!!」


 居合い声と共に妹が、一番前に居た大犬の鼻っ面を斜めに切り裂いた。


「グァアァア」


 熊のようなうなり声をあげながら獣がひっくり返る。






 私は無我夢中だった。


 迫ってくる獣に火のついた薪を投げつけることしかできなかったが、それでも夢中で妹の援護をした。


 それを見て、妹が乱戦のなかで本当に嬉しそうに頼もしそうに私を見た。


 その時、私は涙が出るほど怖く、妹の目が嬉しかった。






 投げられるほどの大きさの薪がなくなると私はハッとして自分の荷物の上に付いていた武器を手に取った。


 妹の普通サイズよりも小さな剣とは違う。


 両手用のアックス。


 そして、その柄の部分は木で出来ていた。迷うことなく、その鉄の刃ごと炎の中に突き込んだ。


 荷物の中に入っている物を手当たり次第に大犬にぶつけながらも、妹の曲芸のような剣捌きを目で追った。


 機敏な動きと、従来の剣術にない動きでよけまくっているが、あちこちから血が流れている。


 私は、チラリと炎の中にくべたアックスを見た。


 もう、待てない。


 柄を掴み、炎を纏ったアックスを松明のように掲げたとき、私のほんの10メートル先で妹が飛んだ。






 妹の振り下ろした剣が大犬の肋骨に突き刺さったとき、脇から飛びかかった一際大きな一頭がその巨体で体当たりしたのだ。


 体重の軽い妹が、その勢いに耐えられるはずもなく独楽のように宙を舞った。


 飛ぶ妹を追うように、数匹の大犬が飛びかかり、妹の日焼けしつつも綺麗な肌にその禍々しく太い牙をプツリと突き立てた。


 肌に汚い牙が当たり、ほんの少し食い込んで、小さな赤い点が生まれて、ミチリと音が聞こえて─────骨が覗いた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」







 ミチル。私の妹。今日に誓おう。オレはお前を守れる男になると。情けない兄は今、死んだ。


 絶叫と共に私は私の命に誓う。


 妹に触れる汚らわしい獣の頭を粉々に吹き飛ばした。








 両手用のアックスを片手で振り回し、獣たちの中心にいた血まみれの妹をかき抱くと、私は走った。妹の命を救うために、私は獣たちの牙を、その役立たずに己の肉体で受け止めつつ、血を流し、肉を囓られ、涙を流しながら走った。


 ミチル。ミチル。ミチル。死なないでおくれ。


 山道の中を道も通らずに妹を抱いて走った。正規の道を走っては妹が死んでしまう。


 私は断崖のような道を転がり落ちながら、走った。


 あまりの勢いに生木の枝が勢いよく腹部の脂肪に突き刺さったが気にならなかった。踏み抜いた場所が悪くて足の指が砕けたが気にならなかった。


 なぜなら、私はミチルの兄だからだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ