09.最終話―こんばんは。カニ
09.最終話―こんばんは。カニ
「思い出したら、また来るよ」と言ってyaくんとその日別れると、俺はルーム「☆あにまるぅ☆」で眠った。
夢の中にヒロがやって来て「怒ってないよ」と言うと俺の横で丸くなった。俺はそっと抱き寄せると微笑んで眠った。
目が覚めて、自分が何も抱いていないことに気づき、俺はゴーグルの下で泣いた。泣きすぎて涙がたまってそれは俺をより悲しくさせた。
***
「久しぶり」と俺がyaくんの後ろ姿に声を掛けると、振り返ったyaくんは「久しぶり?」ととぼけた。音沙汰なしで俺は3日放置されていた。yaくんからしたら大したことないことだから、責めることは出来なかった。
「思い出した?」と俺が聞くと、「うん、たくさんね」とyaくんがウィンクをした。彼の閉じた右の瞼から小さな星がパンっと散って消えていった。そんな小さなきっかけでさえ、俺はスターを投げたヒロの姿を思い出してグズグズと鼻を鳴らした。
「あいつ。ヒロはさ、ルーム「運動部」が出来た時にはすでにこのゲーム内にいたから 5年前にはいたってこと、最初は学生って言っていたみたいだよ。でも途中からいろんな時間帯にいるようになったから、ニートか引きこもりじゃないかってーー」yaくんの話を聞きながら俺は手を合わせていた。
「ねえ、カニの話したら、ダンスで相性良さそうな子が何人かいたよ」とyaくんが言うので俺は首を振った。「他には?他にヒロのこと知ってる子とかいない?」と聞くとyaくんは「俺けっこう頑張って聞き回ったのにさ」と不貞腐れた声を出した。
***
「ごめん!そうだ!yaくん都内住みって言っていたよね、今度お礼に焼き肉奢る!」
何度謝っても機嫌を直してくれないyaくんに俺は勢いでそんなことを言った。
「本当に?」とyaくんが腕組みをするとゆらゆら揺れながら俺を見た。俺はうんうんと頷いた。「じゃ、今週の土曜は?」とyaくんが言って、俺は考えた。
その数秒で、yaくんが「なんだよ、噓かよ」と言うので、「嘘じゃないんだ、でも、ヒロがルームに来るかもしれないから」と俺が言うと、yaくんがスマホでルームの様子を見ていればいいじゃないかと言って、俺はそんな方法があるのだと知った。
だったらと、土曜日にyaくんと待ち合わせる。対面で飲み食いしながらの方が、情報を引き出すことが出来るし、ヒロが5年前に学生だとしたらyaくんたちのネットワークに誰かヒロと繋がる人間がいるかもしれない。お詫びとお礼を兼ねてそういう全てを俺は期待した。
***
駅の改札を出たすぐのドラッグストアで待ち合わせた。インディゴのシャツとグレーのパンツで21時頃に待っていると伝えた。yaくんは「たぶんTシャツとパンツで行くよ」と、なんともあいまいな返信を送ってきた。
少し早めについてドラッグストアの壁に寄りかかると、スマホでルーム様子を確認しようとした。視線を落とした途端に「やぁ、こんばんは」と声を掛けられ、慌てて顔を上げると痩せっぽっちの男の子が隣に立っていた。
「yaくん?」と聞くと「うん、カニさんでしょ?」と笑うので「なんでわかった?」と聞くと、「メッセージまんま」と俺の上下の服を指さした。そして焼き肉!焼き肉!とお腹を叩いて見せた。
***
駅近の焼き肉チェーン店に入ると簡単な自己紹介をして、肉とアルコールを頼んだ。
yaくんは22歳だと言ったけど、もっと若く見えた。白い肌と染めているのかと思うような明るい髪色をしていたが、髪も瞳の色も生まれつきだと言って下瞼を下げて瞳の色を見せてくれた。
なるほど瞳はヘーゼルで外国の血でも混ざっているのだろうか?
思ったほどyaくんは肉を食べないで、レモンハイをちびちび飲んだ。俺は生ビールを飲んでお互いの皿に焼けた肉が重なった。
俺は店に入ってから自分の右隣にスマホを立てかけて、ルーム「☆あにまるぅ☆」を流しっぱなしにしていた。
「ねぇ、そんなにヒロのことが好きなの?」と酔って目のふちを少し赤く染めたyaくんがそれを覗きこんだ後に首を傾げて聞いた。
「いや、その…」口ごもった後に、俺はヒロのことが好きだということをyaくんに伝えた。
今日会って少しのあいだだけど一緒に過ごしてみて、何故だかyaくんはゲームの中で会うよりも信用できるような気がしたのと、俺はヒロのことを誰かに聞いてもらいたかったのかも知れない。
「でも、顔も知らない子を、そんなに好きって、理想化しているんじゃない?」とyaくんが冷めた肉をつつきながら少し気の毒そうに言った。
それは俺も考えたさーー。その結果ヒロが80歳のお爺さんだろうが、ヤンキー中学生だろうが、かまわないって思ったんだ。
そして島谷のことも話した。「とても腹が立つ同僚がいるけどさ、仮にそいつがヒロだったら、俺は会社であいつに優しくするし、営業成績も少し分けてもいいと思っているんだ」と呟いた。
yaくんが「へー」と興味なさそうに言った後、「俺は、そんな風に人を好きになれないよ。誰かのことを、ただ盲目的に信じるなんて出来ないよ。怖いよ」とぼそぼそと言った。俺は頷いた。
yaくんの気持ちは俺だってわかった。でも、理屈じゃないんだよって言葉に出さなかったけど、現に実感しちゃっている自分がここにいるんだよなぁと優しい目をyaくんに向けた。
「ヒロは、眠っている時によくうなされていたんだ。心配だよ」スマホの中のルーム「☆あにまるぅ☆」を見ながら俺は呟くとビールを飲んだ。
「どっちのヒロが好きなの?ちっちゃい方?」とyaくんが笑いながら聞いた。
「どっちとかでなくて、俺はヒロが好きなんだ。さっきも言ったろ、ヒロがどんなんだって俺はかまわないんだよ。俺はさ…」とここまで言うと俺は言葉を切った。
yaくんが俺を覗きこむ。
「笑えばいいよ、こんな大人が、ゲームで知り合った、何も知らない相手に運命見たいもの感じちゃうとか、自分でも呆れてるんだ。でもさ、26歳になっても、心ってそんなに成長しないんだよ、yaくんも俺と同じ年になればわかるかも…」と俺が力なく言うとyaくんは「それわかるよ。俺だって22歳だけど、まだ気持ちは学生の頃のような感覚あるよ」と言った。
スマホの中のルーム「☆あにまるぅ☆」はそろそろ眠る時間だった。
***
焼き肉店を出た段差のところに俺は座っていた。さっきyaくんが「ヒロのこと呼べるかもしれない」とスマホをいじりながらつぶやいて、俺はyaくんの手を取るとその手に自分の額を擦り付けた。
「待ってて」と言ってyaくんは駅の方に歩いて行った。
ずいぶん経ったような気もするし、まだほんのさっきだったような気もした……。もしかしたらyaくんはこのまま戻ってこないかもな、それはそれでいいさ。なんて考え始めていた。
***
「こんばんは。カニ」自販機の後ろから声が聞こえた。
ヒロだった。「ヒロ!」俺が呼ぶと、自販機の後ろからyaくんが姿を見せた。『からかいやがって!』と一瞬かっと頭に血が上りかけた時に、yaくんと目が合って、その薄い色の瞳の中に俺はヒロを見つけた。
「ヒロ…」俺が再び名前を呼ぶと、ヒロの瞳から涙がこぼれた。「ごめんね」とヒロが泣いた。
俺は両手を広げると「おいで」と言おうとして、その声は震えて上手く出せなかった。自販機の横で俺達は泣きながら抱き合った。
おしまい