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03.手のなかの小さな背

03.手のなかの小さな背


 ダンスルームでは「カニ」としてヒロと笑い合い、ヒロがログアウトすれば、追い掛けるように俺はルーム「☆あにまる☆」へ入ると、NEO931として小さなヒロとの待ち合わせの場所へ走った。


 たいがいヒロが少し遅れてやってきた。さっきまで笑って跳ねまわってバトルしていた活発なヒロが、今度は俺の手の中で静かに甘えて丸くなっていた。その体を撫でながら俺の気持ちも落ち着いて行った。今まで一生懸命にクタクタになるまで体を酷使して晴らそうとしていたストレスは、この小さな背中を撫でているだけで消えていった。ペットを飼うのってこんな感覚なのではないだろうかと思うようになっていた。


***

 「最近、調子良さそうだね」同僚に言われて、俺は小さく笑った。

 俺は営業の仕事をしていて、それはただでさえストレスのたまる仕事なのに、今年になってこの島谷という同僚と組まされた。押し付けられた。

 もともと営業事務だった島崎は、そこでは優秀だった。だからなのか知らないが、島谷は営業に移動したいと言い出して、営業部の方でも島谷の優秀さは知っていたので気安く受け入れたのだが、島谷は営業の仕事は全く向いていなかった。


 まず、社外に出してわかったのが島谷は人見知りだった。社内ではそれなりの性格だったが、外に出るとまったくしゃべれない。挨拶もろくに出来ない上に、下手すれば不貞腐れて取引先の相手を睨みつける始末だった。


 教育担当だった俺は、そのしわ寄せを一気に食らった。それでも研修期間の3カ月が過ぎればと頑張ってみたものの、島谷が全く使い物にならないと知った上司から、島谷と仕事を組まされてしまった。つまりは島谷のお守役だ。とくに島谷に後ろ盾やコネがあるわけではないのだが、営業事務時代の馴れ合いや付き合い、それに部長が島谷を向かい入れてしまった手前、すぐに追い出すわけにもいかなかった。


 何も出来ないのでなく、かえって足を引っ張る島谷を連れて回る仕事に、俺達は互いにストレスを募らせた。島谷はもともと肉付きの良かった体を更に一回り大きくして、俺は一回り以上貧相な体になった。


 上司は何度も俺に謝ってくれたが、島谷とのコンビは解消させてくれなかった。島谷はしおらしいところが一切なく、自分の力が発揮できないのは部署と取引先のせいだと、まるで批評家のように文句ばかりを言っていた

 それを隣で聞きながら、何度も島谷のことを殴ってやりたいと思った。しかし俺はそういうことをするような人間ではなかった。それを上司も知っていて俺に島谷を押し付けていた。


***

 俺は島谷や上司を殴る代わりにゲームの世界にもぐりこんだ。

 そこでhiro0917を見つけた。今は向かってくるパッドを殴る必要はなくなった。毎日1時間程、カニとしてヒロとダンスをして笑い、そのあとNEO931になって小さなヒロを撫でた。


 ただそれだけで俺の日常は均等をはかれた。それ以上に癒された。手の中に生き物を抱えるというのはこんな風なのだと、ヒロを撫でながら俺はひとりの暗い部屋の中で胸に温かい湯を張られるような心地よさを感じていた。


***

 相変わらず島谷は仕事が出来ずに、生意気に文句ばかり並べた。その隣で俺は生返事を返す。俺達が任された仕事が、出来なかろうが何だろうが、そんなことは俺の知った事ではない。上司だってわかっているだろう。もしも何か言われれば、俺の方から島谷とのコンビ解消を強く言ってやればいい。そう開き直ってしまうと、今まで何をあんなに悩んでいたのかわからないくらいに、日常のいろんなことがなんでもなくなった。


 この頃になると、ルーム「☆あにまる☆」のNEO931の俺は、小さいヒロを撫でながら独り言を言うようになった。ヒロに聞きたい事や、聞かせたい事を呟いた。


 「ご飯は何が好きかな?俺はハンバーグかな。カレーもいい。オムライスはヒロに似合いそうだ」ってこんな具合に俺はヒロを撫でながら話した。この間、ヒロが「ファンタオレンジ」に反応して小さな頭を二回縦に振ったのが可愛かった。ヒロはファンタオレンジが好きなのか。


***

 その日はヒロを縦に抱くと、その背をトントンとリズムを付けながら叩いてあげた。ヒロが「なあーなあー」と鳴いて俺の首のあいだに頭を挟んできた。

「少しお散歩しようか」と俺が言うとヒロが頭をこすりつけてきたので、ヒロを抱いてルームの中を一周した。いつも俺達がいる場所は芝生と雲で出来ていて、ピンクと水色と黄色の光で包まれていた。けれど奥の方へ歩いて行くとそこには川があって、その奥に森があった。


 「川に入ってみる?」と聞くとヒロは少し考えるようにじっと川を見ていたが、やがて俺にまた頭をこすりつけてきたので、そっと川に降ろそうとすると俺にしがみついて足をバタバタさせた。「嫌だったのかい?」と俺が聞くと俺にしがみつく手に力を込めてくる。「そうか、そうか、ごめんね」と赤ちゃんでもあやすような声を出して俺はヒロを抱き直すと揺すった。

 ふと、ヒロが俺の首に軽くキスしたような気がした。

 さっきから俺の首元に顔を寄せているので唇が当たったかグラフィックの誤差だろうと俺は思った。ヒロの小さな手が俺の首に巻きつき俺の耳の下にそっと唇を押し当てた。俺は数秒動きが止まって「ヒロ」と呟くと、「ごめんね、まちがえ」とメッセージが飛んできた。

「そっか、間違えか」と俺がガックリとうなだれて見せると、「残念だった?」とメッセージが飛んできて、俺は頷いて見せた。小さなヒロがもう一度俺の耳の下に唇をそっとあてた。


 俺はヒロのおでこにチュッとキスをした。ヒロが両手で自分のおでこを押さえた。ミニキャラの短い腕を伸ばすのは、おでこまでが限界だろう。その愛らしい姿を見て、それ以上を求めないように俺は目を伏せた。


 その日、俺はログアウトしないで、ルームの中でヒロと一緒に眠った。


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