大東亜会議(1943年)
“文明圏協調”の始まり
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● 設立の背景
1943年、欧州ではナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を成功させ、ヨーロッパロシア全
域を東方生存圏として併合。さらに南欧・バルカン・北欧が崩壊し、ヒトラー率いる第三
帝国がユーラシア西半を実効支配するに至った。アメリカ合衆国は内部分裂、ソ連は瓦解
し、地球規模でナチスを止める勢力が日本連邦圏以外に存在しなくなった。
これを受けて、同年11月、日本・蝦夷・ASEP諸国・英連邦・極東ロシ
ア王国(非公開出席)が東京に集まり、「文明圏の共同行動原則」を定める会議体とし
て、大東亜会議が創設される。
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● 会議の目的と構造
項目 内容
名称 大東亜会議(Greater East Asia Council)
開催地 東京帝国議事堂(以後は横浜・シンガポール・ハノイなどを巡回)
初回開催日 皇紀2603年11月5日(1943年)
議長国 日本帝国(代表:外務大臣 重光葵)
主要出席国 蝦夷共和国(首相・陸軍統帥代表)、英連邦代表、ASEP諸国代表団、極東ロ
シア(密使)
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● 主な協議内容
1. 対独戦備15ヵ年計画の実施確認
• 各国の軍備増強、航空機・戦車の標準化協議
• 日本陸軍飛行隊と蝦夷空軍の装備統合研究が開始
2. 中華・朝鮮情勢の封鎖と監視
• 中華沿岸部の親ナチス国民政府の伸張を阻止
• 朝鮮を「日英共同封鎖区域」として暫定管理
3. 航空・海軍戦略の協調
• 日本海軍による制海権確保
• 英連邦とASEP諸国による海洋通商保護計画の協議
4. 通商ルートの確保と難民管理
• 東南アジア・インド〜極東を結ぶ「南方航路」の保全計画
• 難民流入に対する共通方針の草案作成
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● 象徴的意味
• 史実の「大東亜共栄圏」の軍事的スローガンを捨て去り、真の文明協調体制を築く再定
義となった。
• 日本が「盟主」ではなく、「調整者」ないし「座長」として振る舞った点が他国の信頼
を得ることとなり、長期的な国際協調の礎となった。
• 「この会議がなければ、紙挟み作戦も、宇宙計画も、存在しなかった」と、後に語られ
ることとなる。




