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日本の核兵器開発計画(富士計画)

—対独戦備15ヵ年計画の中核的柱として—

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1. 背景と政策的位置づけ

• 1943年:英本土失陥とドイツの勝利宣言を受けて、日本政府は「対独中立」からの脱却

を模索。

• 1945年:**「対独戦備15ヵ年計画」**が正式発動。この中で核兵器は「対独抑止の切り

札」として重視される。

• 計画当初は、陸軍・海軍・大学がバラバラに開発を進めていた。

• 湯川秀樹・仁科芳雄らの働きかけにより、**国家戦略研究体制としての「富士計画」**

に統合される。

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2. 組織構造と分担体制

◉ 中央指導部:富士計画本部(1945年設立)

機関 拠点 役割

富士計画中央本部 京都 総合調整、理論統括(湯川・仁科)

技術開発局(陸軍) 長岡 起爆機構・爆縮レンズ・安全装置

工業技術課(海軍) 呉 爆弾ケース設計・航空搭載化・製造指導

原子資源局 青森 ウラン濃縮、精製技術、輸入調整(後に英連邦と連携)

◉ 監督組織

• 「戦略科学委員会」(御前会議直属)

• 委員長:近衛文麿(学術派)、顧問:湯川秀樹、山本五十六(海軍代表)、梅津美治郎

(陸軍代表)

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3. 技術開発の進展

初期段階(1945〜1947)

項目 内容

実験炉 仁科研究室により初期型天然ウラン炉の建設(青森)

理論 湯川による中性子収束と連鎖反応理論の確立

起爆 陸軍登戸研究所が爆縮型とガンバレル型の並行開発

問題点 資源確保の困難さ、理論と工学の分離、学術界の倫理的反発

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進展段階(1948〜1950)

• 1948年:ナチス・ドイツの核実験成功(ヴァルハラ実験)

→ 政府・軍部に大きな衝撃。

• 日本は単独での抑止力確保を困難と判断し、蝦夷共和国・英連邦と連携協議を開始。

• 富士計画は**国際協調路線(JEF核体制)**への接続を見越して、重水炉と爆縮型に絞

る。

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実験と成果

年 内容

1949 初の爆縮起爆試験(非核)に成功(長岡)

1950 重水臨界炉「富士壱号炉」初臨界成功

1952 樺太南部にて準臨界試験を実施(蝦夷との共同)

1954 「嶺雲」計画にて、初の核実験に成功(日・蝦・英連邦合同)

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4. 軍事運用と兵器体系

名称 種別 解説

富士弐型 ウラン235型核爆弾 初期実験用(航空投下式)

富士参型 プルトニウム型(爆縮) 安定量産型。本格的戦力化を想定

大山 長距離ジェット爆撃機 富嶽の発展型。富士参型を運搬可能

桜型爆弾庫 潜水艦・列車搭載型弾頭 分散型保管・移動型報復能力を確保

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5. ドクトリンと対独戦略

• 使用条件:核の先制不使用、報復・抑止専用

• 思想的立場:湯川・アインシュタインらの「科学の防壁」理念に基づく

• 内部対立:

• 軍部:核兵器によるドイツ首都空爆構想を進言

• 学術界:実験制限・兵器保有の透明性を主張

• 結果:1955年、樺太協定により「極東核抑止ドクトリン」が採択される

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総括

「爆弾は最後の手段であって、使うための道具ではない。

しかし、使う能力がなければ、この世界で言葉は無力である。」

—— 湯川秀樹、1954年「嶺雲」実験後の回顧

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