1943–1953年:対独戦備15ヵ年計画と連邦化議論の開始
第一段階:対独戦備15ヵ年計画の発動(1943年)
▪ 発動背景
• ナチス・ドイツはバルバロッサ作戦に成功し、ヨーロッパロシアを占領して東方生存圏
を確立。
• 西シベリアは赤軍残党や武装勢力が割拠する無秩序地帯となり、ドイツとの断続的戦闘
が継続。
• 極東ロシア王国は崩壊せず健在だが、圧力にさらされ、日本・蝦夷の支援を受ける。
• この状況を受けて、日本と蝦夷共和国は共同で**「対独戦備15ヵ年計画」**を策定・発
動。
▪ 主な内容
項目 内容
軍事協定 日蝦相互防衛協定(非公開条項に極東ロシア支援を含む)
戦略目的 極東方面での対独抑止力構築/中露境界地帯の防衛網整備
実施項目 戦車・戦闘機・爆撃機の共同開発、統合軍事演習の定例化、装備体系の漸進的
統合
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第二段階:軍の統合運用の研究と実践(1944〜1949年)
▪ 軍事面の進展
年 内容
1944 蝦夷空軍が三式戦「飛燕」ベースの大鷲二型、彗星改造の迅竜二型を採用。整備体
系の共通化を開始。
1945 四式戦「疾風」が「荒鷲」として日蝦共通制式に/四式重爆「飛竜」も共通爆撃機
に。
1946 蝦夷軍と日本陸軍の統合演習「北嶺演習」実施。地上戦術と航空支援の合同運用が
試行される。
に。
試行。
認される。
1947 統合航空教範第1草案成立。教育制度・部品体系・指揮構造の統一化を進める基礎
1948 「日蝦統合作戦司令部(Joint Operations Office)」発足。情報・通信の統合指揮を
1949 「連邦的運用モデル」の仮想演習が行われ、両軍の共同運用に高い相互適応性が確
▪ 技術・装備の成果
• **七式中戦車(四七式猛虎)**が共同開発により制式化。
• 二式大攻→連山→富嶽へ至る戦略爆撃体系も蝦夷を含む仕様で標準化。
• 蝦夷でも「アツタ(ロールスロイス系)」や「イスパノ系」のエンジン互換型が普及。
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第三段階:連邦制への政治的助走(1950〜1953年)
▪ 外交的契機
• 西シベリアでのドイツ軍とパルチザンの衝突激化。日蝦連携が不可欠に。
• 満州では親ナチス中華民国政府と親日英の汪兆銘政権が対立。蝦夷は汪政権支援に関
与。
• 連携強化が軍事・外交・経済全体に波及し始める。
▪ 内政的潮流
• 日本では旧幕臣派・自由主義官僚が台頭し、**「蝦夷はもとより我らの兄弟国家」**と
いう世論形成。
• 蝦夷側では軍と技術者を中心に「日本本土との再統合こそ防衛と発展の道」とする意見
が広まる。
• 天皇側近筋による「象徴天皇制」移行構想が浮上。1953年に**「国民の象徴たる地位に
ある」**との声明が準備される。
▪ 制度整備への準備
• 1952年:日蝦連携委員会が外交・軍事・通貨制度の統合可能性調査を開始。
• 1953年:連邦草案第一稿が両議会に提出され、「対等な主権を保持する連邦制」の構想
が正式協議に入る。
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総括:軍事同盟から国家統合へ
• 「対独戦備」から始まった装備・運用の融合が、やがて制度・価値観の共通化へとつな
がった。
• 外圧(ドイツの拡張、満州の不安定化、西シベリアの混乱)と内的同質性(言語、文
化、旧幕臣系の融和意識)が相乗し、
• 日本と蝦夷共和国は、1950年代の早い段階で「一国二制度型連邦」への道を自然に歩み
始める。




