大日本帝国戦車発展史(〜1942年)
大日本帝国は日露戦争の敗北により大陸から撤退し、朝鮮半島も英国の影響下にある。
よって史実における満洲事変・支那事変・大陸戦線は発生しない。
陸軍は本土防衛・台湾・島嶼上陸戦支援に重点を置き、装備体系は限定的。
一方で、仮想敵国=蝦夷共和国(フランス戦車系)の影響と、外交輸出(中国など)の必
要から、対装甲火力の強化と国際技術吸収が加速。
年代別の発展系譜
◉ 1929年(皇紀2589)
【八九式中戦車(甲型・乙型)】
特徴|内容
初の国産中戦車|歩兵支援用/57mm短砲身/17mm装甲
技術影響|英ヴィッカース系サスペンション、仏ルノー式車体構造
運用|本州防衛旅団・戦術演習用・台湾にも少数配備
政治的意義|「国産装甲車両の幕開け」として高く評価されるも、性能は対歩兵特化型
◉ 1934〜35年(皇紀2594〜95)
【試製高速装軌車(甲型乙号)=クリスティ式導入試験】
特徴|内容
米M1931クリスティ型を英国経由で入手・評価
技術影響|独立懸架、履帯脱着式、高速走行(60km/h)
試験成果|足回り機構・転輪構造を九五式・九七式に部分的転用
限界|国産技術が追いつかず、実戦化せず技術吸収にとどまる
◉ 1935年(皇紀2595)
【九五式軽戦車(ハ号)】
特徴|内容
軽量機動型歩兵支援車両(7.4t)
主砲:九四式37mm戦車砲/装甲最大16mm
影響技術:英巡航戦車、米M1軽戦車の設計思想、クリスティ式履帯構造
特徴:整備性・量産性が高く、台湾・南西諸島防衛部隊に大量配備
◉ 1937年(皇紀2597)
【九七式中戦車】
特徴|内容
初期型:57mm短砲身/改型:47mm高初速砲
車体装甲:最大25mm/空冷ディーゼル機関
外交・輸出向けも視野に(中国親英派軍閥への示威目的)
設計影響:独II号戦車の砲塔リング/仏S35の傾斜構造/通信機標準化
導入意図:蝦夷共和国のS35中戦車に対抗する中戦車として開発
運用:帝都防衛師団・皇室近衛戦車中隊・台湾の拠点守備部隊など
◉ 1940〜1942年(皇紀2600〜2602)
【一式中戦車(=史実の三式中戦車相当)】
特徴|内容
砲:75mm長砲身(九〇式野砲ベースの戦車砲)
装甲:最大50mm/重量:18.5t級
技術影響:独III~IV号戦車/M4シャーマンの照準装置・装甲配置
初の「対戦車能力を重視した」国産中戦車
運用思想:七式開発までの繋ぎ/主に帝都・九州・台湾に配備
設計的転換点:火力中心主義への移行を象徴する存在
戦術思想の変遷と対外意識
時期|火力機動性|対装甲能力|対歩兵・支援|戦略目的
1920年代末|△|△|×|◎|本土演習用
1930年代中期|○|◎|△|◎|沿岸防衛・輸出向け試作
1937年以降|○|○|△→○|◎|蝦夷共和国への対抗、台湾・沖縄方面警備
1942年|◎|○|○|○|戦術兵器から陸戦戦力の柱へ
その後の発展の地ならしとして
一式中戦車は次の「七式中戦車/四七式中戦車(蝦夷名)」の設計基盤を構成します:
砲塔リング、射撃統制、通信装置、砲弾規格などが一部共通化
エンジン出力と足回り構造の限界が露呈 → 次世代共同開発の動機に
総まとめ:日本戦車発展の5つの特徴(架空史版)
大陸戦線が存在しないため、演習と輸出が主な設計動機
蝦夷共和国の戦車技術(S35等)との比較意識が強い
各国(米・英・仏・独)の技術的影響を史実以上に強く吸収
通信・照準・火力の三位一体化を早期に志向
• 5. 戦車の「国威象徴装備」化(御親閲用・天覧演習など)も重視される




