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第二次世界大戦勃発と日本国内の動揺(1939年〜1941年)

■ 1939年:ポーランド侵攻と欧州の戦争開始

• 日本国内では、ドイツのポーランド侵攻に対して「欧州の内輪もめ」との距離感を持つ

声が大半であり、南北分断国家としての自制も働き、直接的な関与を控える立場を取る。

• 一方で、英連邦とくにカナダ・オーストラリアからの要請で、形式的に連合国側に

立つ立場が水面下で模索され始める。

• 蝦夷共和国は早い段階からフランスの要請で中立を装いながらも人的支援・物資支援を

拡大していたが、日本本土(大日本帝国)は慎重な姿勢を崩さず、国論は分裂していく。

---

■ 1940年:フランス降伏とアシカ作戦成功

• フランスの崩壊と英国本土の失陥は、日本政府と皇室に衝撃を与える。

「列強の一角たる大英帝国が、ついに倒れたのか」という言葉が新聞社説に並ぶ。

• 蝦夷共和国は神戸を返還される予定の地であり、かつてフランスの庇護を受けていた過

去から、「次は自国が狙われるのでは」という恐怖と義務感から、対独協力の強化に向か

う。

• 一方、大日本帝国内部では三つの派閥が台頭:

派閥 主張 支持基盤

親独派(現実主義) ドイツの勢力圏に加わるべき 一部陸軍・財界保守・親ドイツ系知識

中立維持派(穏健主義) 内政安定を優先、戦争不介入 官僚・大蔵省・地方経済界

連合国協調派(義派) 蝦夷・英連邦と共に連合国側で戦うべき 海軍・外交官・青年将

校・皇室側近

• また、「昭和維新」を唱える国内極右が親独的に転向する動きも見られ、政情は不安定

化。

• 蝦夷共和国との和解・協調についても、軍部の中で意見が割れ始める。英連邦の要請に

より、非公式な「対蝦夷交渉窓口」も水面下で設置。

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■ 1941年前半:バルバロッサ作戦とソ連の崩壊

• ドイツが突如ソ連に侵攻。「バルバロッサ作戦」成功によってモスクワ・レニングラー

ドが陥落。ソ連は崩壊し、欧州からウラルまでがドイツの勢力圏に入る。

• これにより、日本国内は大混乱に陥る。

▪ 主な動揺:

1. 「ドイツは神か悪魔か」論争

→ 保守系新聞では「欧州はもはやドイツによって統一されるべし」という論調も現れ始

める。

2. 親独派の拡大

→ 特に陸軍の一部では、ドイツとの提携によって朝鮮半島・満洲・中華への野望を実現

すべきという声が高まる。

3. 連合国への義務論も強まる

→ 英国が敗れても英連邦は生きており、日本はかつて日英同盟の恩を受けた盟友とし

て、対独抗戦の意思を示すべきという「義の論」が台頭。

→ 蝦夷共和国からの協調提案も、この頃急増する。

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御前会議招集(1941年秋)

• 天皇(明治天皇の孫、当時の元首)は深く憂慮し、御前会議を開催。

• 議題は「帝国の進路」:枢軸に加わるか、中立を維持するか、連合国に加わるか。

• 結論は次の段階へ持ち越されるが、天皇は以下のようなご聖意を下したとされる:

「我が国体を守り、かつての友情と信義を忘れることなかれ。今こそ、大和の義を示すべ

し。」

• これにより、帝国は枢軸国への接近を明確に否定し、連合国側への傾斜を強める方向に

傾いていく。

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