【1939年】ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発
◆ヒトラーのポーランド侵攻、そして仏英の対独宣戦
ドイツがポーランドに侵攻し、英仏が宣戦布告(1939年9月)。
ヨーロッパ全体が大戦に突入し、列強が極東への関与余力を喪失。
この瞬間、蝦夷と南日本の両政府は、国家的・戦略的な転換を迫られる。
【1939年秋】「列島統一戦争」の凍結と停戦協定
◆戦争中断の要因
南日本の外交転換:英国との軍事同盟再強化
英国はアジア・中東における防衛線確保のため、南日本に再接近。
南日本政府は「欧州の正義と自由を守る」というスローガンを掲げ、英日軍事協定を更
新。朝鮮駐留英軍の増援も条件に。
軍部も「まずドイツと戦い、戦勝国として統一を果たす方が現実的」と判断。
蝦夷共和国:フランスの要請に応じ参戦決定
フランスは東方戦線の拡大を恐れ、蝦夷共和国に枢軸包囲戦略への協力を要請。
蝦夷政府は「世界における正義と秩序の体現者」として、ナチズムと戦う大義名分を得
る。
ロマノフ王家を擁する極東ロシア王国も、ナチスの反王政的イデオロギーを危険視し、蝦
夷と共に参戦。
【1940年以降】「第二次世界大戦と二つの日本」
陣営|国名|主な役割
連合国|大日本帝国(南日本)|英国と共にアジア防衛。中国南部や仏印に進駐。
連合国|蝦夷共和国(北日本)|極東戦線(シベリア方面)を担う。北満洲、沿海州、
樺太を拠点に対枢軸防衛。
中立(表向き)|極東ロシア王国|実質蝦夷の同盟国として、枢軸勢力の東方侵攻に備
える。
枢軸国|ドイツ、イタリア、日本国内の一部過激派(※後述)|日蝦双方に潜在的シン
パあり。
◆戦場はヨーロッパ中心だが…
南日本軍は、英軍と共に中国南部・マレー半島への進出を開始。日独同盟を結ばなかった
ことで、アメリカの反感はある程度和らぐ。
• • 蝦夷共和国は、極東ロシア王国と共同で、シベリア鉄道沿線の防衛を強化。ドイツが
東進してきた場合、ソ連を支援しうる立場に。
---
第一次世界大戦後から第二次世界大戦直前(1919年〜1939年頃)までの世界は、以下の
ような重層的・複雑な国際秩序の中で推移していきます。この時代は、欧州列強の疲弊と
米国の孤立化を背景に、地域大国の台頭と対立の激化、そして新たな世界大戦への序章と
なる期間でした。
【1. 国際秩序の構造変化】
● 米国の分裂と孤立主義の強化
南北戦争の長期的余波や内戦の再発、もしくは緩やかな分裂状態が続いており、アメリカ
合衆国は国際社会での影響力を著しく低下させている。
米西戦争が起きなかったため、フィリピンやグアムは依然としてスペイン領であり、アメ
リカは太平洋の覇権に関与していない。
モンロー主義の徹底により、欧州・アジアから距離を取り、外交的にも内向き姿勢を強め
ている。
世界恐慌(規模は限定的だが欧州発)により、アメリカの経済は打撃を受け、国際金融へ
の影響力も乏しい。
● 英仏の国力低下
第一次世界大戦の甚大な人的・財政的損失により、イギリスとフランスは植民地帝国の維
持に苦しむ。
戦債と復興のため、ドイツに対して厳しい賠償を課し、それが後のナチス台頭を招く。
海外植民地における直接統治は縮小傾向にあり、代替勢力(傀儡政権、傭兵部隊)への委
任が進む。
【2. 日本列島の分断と緊張の深化】
● 南日本(大日本帝国):英傀儡からの脱却志向
英国主導の朝鮮支配や日露戦争での屈辱に対する反発から、「脱英化」=自主独立を目指
す運動が高揚。
大戦でのイギリスの国力低下を契機に、軍部や民族主義勢力が台頭。
満洲や中国大陸への影響力回復を目指し、軍備の再整備と独自外交を推進。
英国は支援を縮小しつつも、朝鮮と台湾の統治を通じて南日本を牽制し続ける。
● 北日本(蝦夷共和国):義の理念と「北方ブロック」の確立
フランスの支援を背景に、シベリア・極東ロシア王国・樺太を結ぶ北方連携圏を築く。
ロマノフ家の長女を擁する極東ロシア王国を戴き、反共・反ボリシェヴィキの拠点として
東アジアに君臨。
義と武士道の理念を掲げ、積極的な外交・文化輸出を行い、民間人・傭兵・技術者を各地
に派遣。
フィリピンやグアムなど、スペインの旧植民地にも傭兵部隊を送り込み、治安維持を実質
的に担う。
【3. 欧州情勢:ドイツの危機とファシズムの台頭】
● ドイツの苦難とナチスの成長
米国からの金融支援がないため、ヴェルサイユ条約の苛烈な賠償条件がドイツ経済を徹底
的に破壊。
1920年代中盤からハイパーインフレ、政治的混迷、過激派の台頭が顕著に。
アドルフ・ヒトラーを中心とする国家社会主義ドイツ労働者党が、1930年代
初頭までに急速に支持を拡大。
ナチスは、ヴァイマル共和国の無力さ、共産主義の脅威、そして民族的誇りの回復を掲げ
て台頭。
【4. 東欧・アジアの再編】
● ソビエト連邦の台頭と東方制限
ボリシェヴィキによってロシア革命が成功し、ソ連が成立(1917〜1922年)。
ただし、シベリア・極東・沿海州は極東ロシア王国として独立・分離し、赤軍の支配が及
ばない。
ソ連はウラル以東の奪還を諦めざるを得ず、代わりに中央アジア・ヨーロッパ方面へ勢力
を集中。
【5. 二つの日本の対立構造の先鋭化】
● 偶発的衝突と統一戦争の予感
1930年代に入ると、朝鮮北部や間宮海峡、樺太南部などで蝦夷・南日本の部隊間の小規
模な衝突が断続的に発生。
「蝦夷が日本である」と主張する北日本と、「南こそが正統な皇国」と主張する南日本と
の間で、国民的レベルの相互憎悪が激化。
軍部主導の政権が双方で勢力を強めており、外交的抑制が効かなくなりつつある。
国際的には「日本統一戦争」が近いと予想されていたが……
【6. 第二次世界大戦の足音】
ナチス・ドイツの再軍備とポーランド侵攻(1939年)が、第二次世界大戦の引き金に。
英仏は再び参戦を余儀なくされ、極東情勢への関与が限定的になる。
日本と蝦夷共和国は、共に「列強の同盟国」として戦争に巻き込まれつつも、一時的な停
戦状態に入る。
南日本(大日本帝国)はイギリスと共に中国戦線で行動。
北日本(蝦夷共和国)はフランスと極東ロシア王国を軸にソ連との国境を守る。
このように、第一次世界大戦後から第二次世界大戦勃発までの世界は、欧州列強の衰
退、米国の不在、そして分裂日本の軍事化と対立が複雑に絡み合う時代でした。世界
は、かろうじて保たれていた不安定な均衡の上に立っており、1939年にはついに再び火
蓋が切って落とされることになります。




