一次大戦終結時の朝鮮半島(1918年)
形式上は独立国だが、実質は英国の保護国。中華世界からの離脱、日本との複雑な関係、
そして英国支配下での急激な近代化と植民地的収奪が進行している。
---
1. 背景:朝鮮半島の「奪取」史
• 日清戦争(1894–95)後:
日本が清国との戦争に勝利したことで、朝鮮は形式上「独立」したが、実質的には大日本
帝国の勢力下に入り、日本の保護国として扱われるようになる。王政改革や軍制整備、日
本式教育の導入などが進められた。
• 日露戦争(1904–05)後:
日本がロシアとの戦争で陸戦に敗北、戦局は膠着。日本は朝鮮に対する優越的地位を維持
したが、ロシアとフランスの反発を受け、英国が朝鮮問題に介入。調停の結果、朝鮮は
「英国の保護国」とされ、日本は表面的に朝鮮から手を引く代わりに、他の利益(権益・
英軍の朝鮮駐留など)を保証された。
---
2. 朝鮮の政治体制と統治構造(1918年時点)
• 体制:形式上の立憲王政
• 王政は存続しており、大韓帝国の皇帝(高宗→純宗)が君臨しているが、実際の政務は
英人顧問団と英国軍事当局が支配。
• **「英王室代表府(British Korean Resident Authority)」**がソウルに置かれ、実質的な
内政・外交・軍事の全てを管理している。
• 法制度は英国法の影響を強く受けており、民政は英式官僚制をモデルにして編成されて
いる。
• 駐留軍:英印軍+南日本人部隊(補助)
• ロシアと蝦夷共和国を警戒するため、英印軍(主にインド兵士)と英軍士官が朝鮮半島
に常駐している。
• 一部の治安維持には、南日本出身の民警や通訳官も雇われており、日本との接点は完全
に断たれてはいない。
---
3. 経済と社会:近代化と収奪の共存
• インフラ整備と英国企業の進出
• 鉄道(京釜線・京義線など)は英国資本で整備され、港湾都市(仁川・釜山)には大英
帝国系商社が集中。
• 鉱山(特に金・石炭)や森林資源は、英系企業により大規模に開発・輸出される。これ
により一部の朝鮮人中間層が育つ一方、農村は困窮。
• 教育・言語政策
• 上層部には英語教育が施され、王族や貴族の子弟はロンドンやカルカッタに留学。朝鮮
語の地位は限定的に維持されているが、官公文書は英語が併記される。
• 宗教は英国国教会(聖公会)とキリスト教福音派宣教師が主導し、韓国仏教・儒教勢力
は弾圧されずとも抑圧傾向。
---
4. 日本・蝦夷との関係
• 大日本帝国との関係:
• 表面上は断絶しているが、密貿易・人的交流・文化流入は続いており、「かつての宗主
国」意識が残る層も存在。
• 一部の親日派官僚・知識人は、南日本への移住・留学を通じて英統治への不満を抱くよ
うになる。
• 蝦夷共和国との関係:
• 蝦夷共和国とは地政学的には接近しているが、政治体制(共和制)と民族観(多民族融
和・義重視)が異質であり、文化的結びつきは弱い。
• ただし、一部の朝鮮人亡命者や急進的民族主義者が、蝦夷共和国で活動拠点を築く動き
もある。
---
5. 民族運動と潜在的火種
• 抗英運動:
• 日清・日露戦争を経て高揚した民族主義は、英国の支配下で一層強まる。1910年代には
**「独立協会」や「朝鮮民族自強会」**などが地下で活動。
• 特に**1919年の「三・一運動」**は、英国当局にとって深刻な反乱と見なされ、苛烈な
弾圧が行われた。
• ただし、日本による支援は明確には確認されておらず、英国の対日関係への配慮が背後
にあると見られる。
• 対露・対蝦意識:
• 北方(満洲国境地帯)では、ロシア革命後の混乱と蝦夷共和国の台頭により、「北の赤
化」への恐怖が流布。
• 英当局は、蝦夷・ロシア・共産主義の連携阻止を口実に、軍備増強と情報統制を強化し
ている。
---
結論:形式独立と実質植民地のあいだ
1918年時点の朝鮮は、名目的には独立を保っているが、実質は英国の強力な保護統治下
にある。
経済開発や教育は進むものの、それは植民地的収奪と民族的抑圧を伴う近代化であり、
朝鮮内部には日本に対する郷愁、英国への反感、ロシアへの警戒、蝦夷への不信が交錯
している。




