第一次世界大戦終結時の日本と蝦夷共和国の関係(1918年)
概観:敵から「競合的友邦」へ
1918年、第一次世界大戦の終結は、日蝦両国の関係にとって一つの転機であった。分裂
以降、対立と猜疑が続いていた二国だが、大戦を通じての「並立する連合国陣営の一員」
としての経験は、互いの存在を見直すきっかけとなった。
両国はこの時点で、形式上は互いを正統国家として認めていないが、実質的な通商・外
交・軍事情報の連携が進みつつあるという、極めて微妙なバランスに立っていた。
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1. 国際関係と立場の対比
項目 大日本帝国(南日本) 蝦夷共和国(北日本)
政体 立憲君主制(天皇制)+英国の保護国的関係 フランス式共和制(大統領制)+フラ
ンスと同盟
主な外交路線 英国主導の自由貿易体制、東アジアの安定志向 フランスとの密接な政治・
軍事協力、対露戦略重視
欧州大戦の関与 海軍を中心に英仏支援、地中海や南洋で作戦展開 陸軍主体の部隊を欧州
本土へ派遣、シベリア出兵も主導
戦後の立場 英国の主要パートナーとして講和会議に参加 フランスの戦友国として評価さ
れ、ロマノフ王朝支援などで注目
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2. 戦時協力とすれ違い
・表面的なすれ違い:
第一次世界大戦中、**日蝦両国の軍隊は別々に動いていた。南日本の海軍はインド洋や地
中海で連合艦隊の一部として活動し、北日本(蝦夷)の陸軍は西部戦線およびシベリア出
兵に参加。協力関係は明確な指揮系統や軍事同盟によるものではなく、「連合国という枠
組み内での並列的参加」**に過ぎなかった。
・非公式な協調:
ただし、両国の外交官や参謀の一部は、英仏の仲介を通じて極秘裏に情報交換を行い、戦
後のアジア秩序やロシア革命の影響などについて**「日本人同士として」非公式に協議す
る機会を得ていた。蝦夷の士官には、もともと幕末の旧藩出身者や、明治前期に南日本か
ら亡命・移住した経歴を持つ者も多く、民族的共通性や武士道精神に基づく敬意は両軍人
間に残っていた。
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3. 経済関係と市民感情
• 貿易の再活性化: 戦時需要を背景に、蝦夷産の石炭・鉱物資源、海産物などが、南日本
の工業地帯(特に関西)に流通するようになった。逆に、南日本の機械や織物も、フラン
ス経由で蝦夷に供給される構図が形成された。
• 人的交流: 日露戦争以降、政治的に抑制されていた南北間の人的往来は、戦時中にやや
緩和された。特に、**軍人、外交官、商人、知識人層のあいだでは、互いの言論を読む・
議論する動きが見られるようになった。**とはいえ、両国政府は引き続き正式な相互承認
を行っておらず、市民レベルの渡航・通信は厳しく制限されていた。
• 市民感情の複雑さ:
• 南日本の民衆は、蝦夷を「叛乱地」または「失地」として記憶しており、国家主義者の
間では再統一を志向する声も根強かった。
• 一方、戦時中の蝦夷では、「我らは北のフランス」「義を貫く独立国」としての自負が
強まり、南日本に対しては**「経済的には発展しているが精神的には欧州列強に従属する
存在」として見下す言説**もあった。
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4. シベリア出兵とロマノフ家救出
• 共同の敵:ボリシェヴィキ政権
• 両国とも、ロシア帝国の崩壊とボリシェヴィキによる革命政権の成立には警戒心を抱い
ていた。
• 南日本は主に英米との協調の下で、蝦夷共和国はフランス主導の自由ロシア派との連携
のもとで、極東・シベリア地域への軍事的関与を強めていく。
• ロマノフ家の極東逃亡・救出は、蝦夷共和国が主導し、ロシア貴族社会の再建支援を担
うという国際的信望を獲得する。
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5. 戦後の枢軸形成と二国の位置
• 蝦夷共和国:
• フランスとの関係深化により、「北方ブロック(蝦夷・樺太・極東ロシア王国)」の形
成が進む。
• 武士道的価値観に基づいた「義」の外交を標榜し、国際社会で道義的立場を確立。
• 大日本帝国:
• 英国との従属的な同盟関係が継続する中で、軍備の近代化、海軍力の強化が進む。
• アジアにおける覇権を目指す一方、蝦夷との間で「再統一」問題を巡る主導権争いが
徐々に顕在化。
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結論:競合と協調のあいだで
1918年の時点で、南北日本は明確な「敵」ではなくなっていた。互いに価値観の異なる
国家体制を持ちながらも、武士的精神や民族的な連続性は共有し、欧州列強との共闘を通
じて一定の信頼を築きつつあった。
しかしその一方で、軍事的には潜在的な仮想敵として互いを想定し続けており、国民意識
の深層には根深い警戒と優越意識が残されていた。
この時点では、関係は「平和的敵対」または「理性的な競争関係」と表現できるだろ
う。




