【第一次世界大戦における二つの日本】
I. 大日本帝国(南日本政府):戦功による屈辱の払拭と海洋帝国への道
1. 参戦と青島攻略:大日本帝国海軍の華々しい再登場
南日本政府は、英日同盟に基づき1914年8月に参戦。日露戦争以後、英国との関係は冷却
気味だったが、「忠実な盟友」としての姿勢を強調するため、迅速に行動を開始した。
• 青島攻囲戦(1914年10〜11月):
陸海軍の連携による精密な攻城作戦が展開された。英国海軍と協力しながらも、主導権は
日本が握り、戦術的・兵站的に洗練された包囲戦によって短期間での勝利を収める。
→ この勝利は、南日本が「陸戦でも勝てる」ことを内外に示す象徴的勝利となり、日露
戦争の汚名返上に繋がる。
2. 南洋諸島占領:太平洋進出の足場
ドイツが放棄したミクロネシア諸島(カロリン、マリアナ、マーシャルなど)を次々と無
血占領。日本はこれらを委任統治領として獲得し、「南洋庁」を設置。ここから南太平洋
への貿易・軍事ネットワークを整備し、将来の海洋帝国構想の礎とした。
3. 国内政治と経済の活性化
• 軍需産業の発展:重工業、造船、鉄鋼分野において英米の受注が殺到。帝国経済は空前
の好景気を迎えた。
• 国民の団結とナショナリズム高揚:「英国と肩を並べる国」というイメージが形成さ
れ、日露戦争の敗北体験を払拭。戦後、帝国議会でも拡張的な外交・軍備政策が主流とな
る。
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II. 蝦夷共和国(北日本政府):義勇軍の武名と道義国家としての台頭
1. 「義の参戦」としての大義名分
蝦夷共和国は、英主導で帝国主義的に進出する南日本を「大義なき侵略国家」と見なし、
あくまで「普遍的正義」のためにフランス・ロシア側(協商国)として参戦。正式には
1915年に動員が開始され、限定的な兵力を派遣。
2. 新選組義勇団:欧州での戦功と武士道の象徴
• 派遣地:ロシア西部戦線〜フランス戦線
特に塹壕戦が続くフランス戦線では、「士族団体」として再編された新選組義勇団が精強
な突撃部隊として用いられ、「武士道の精神」と「近代訓練の融合」が注目を浴びた。
• 仏露連携によるPR戦略:「日本の武士が正義のためにドイツと戦っている」というプロ
パガンダは、フランス国内でも人気を博す。絵葉書や新聞挿絵に「サムライ兵士」が登
場。
3. 北太平洋からの戦略的寄与
• 樺太を拠点とした補給・通商保護:ロシア極東艦隊の再建に協力し、北太平洋における
独軍潜水艦対策に貢献。連合国のシーレーン維持において、「静かな貢献」として評価さ
れる。
• アジア大陸政策の影響力保持:ロシアやフランスとの連携を通じて、戦後の中国東北部
や沿海州への発言権を強化。清朝滅亡後の中国再編でも「道義的関与」を主張する余地を
得る。
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III. 戦後の評価と分断の固定化
大日本帝国(南日本)
• 戦勝国としての地位確立:ヴェルサイユ会議では、南洋諸島の委任統治権を正式獲得
し、国際連盟の常任理事国にも名を連ねる(英の後押しあり)。
• 帝国主義の加速:戦勝によって自信を得た政府と軍部は、次なる拡張の段階へと突入す
る。「大東亜秩序」の萌芽がここに芽生える。
• 英国への依存深化:経済・軍事両面での英国依存はむしろ強まり、形式的には「独立国
家」であっても実質的には依然として「準保護国」状態が続く。
蝦夷共和国(北日本)
• 道義的優位の獲得:戦功よりも、「義を重んじる参戦」「独立的精神の表現」が、戦後
の国際社会で高評価。特にフランスとロシアでは「東方の正義国家」としてシンパシーを
得る。
• 「真の日本」を掲げる立場の強化:「列強の植民地主義に協力せず、正義のために戦っ
た日本」として、自国の正統性を訴えるプロパガンダを強化。国内の士族・市民の誇りも
高まる。
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【今後への布石】
この第一次大戦での南北の対照的な戦いぶりは、戦後の次なる火種――
• 「日本の正統政府はどちらか」
• 「東アジアにおける覇権を握るのはどちらか」
• 「西洋に従属する道か、自立する道か」
――という根本的な対立軸を明確にします。
さらに、この戦争での経験は、次なる世界大戦や国内統一運動、あるいはアジア諸国と
の関係に深い影響を与えていくでしょう。
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改変歴史の第一次世界大戦(南北分裂日本世界線)
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■ 世界大戦の勃発(1914年)
1914年、サラエヴォ事件を契機に欧州列強が連鎖的に参戦し、第一次世界大戦が勃発。
• 中央同盟国:ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア
• 連合国陣営:イギリス、フランス、ロシア帝国、イタリア(1915〜)、その他英仏の植
民地諸国
東アジアにおいても、英仏の影響下にある日本列島(南北に分裂)がそれぞれ積極的に参
戦することとなった。
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■ 南日本(大日本帝国)の参戦
• 英国の同盟国として1914年8月に連合国側で参戦。
• 初期は極東および太平洋諸島のドイツ領攻略を担当。
◆ 青島攻略戦(1914年10月〜11月)
• 英陸軍と協同でドイツ租借地・膠州湾要塞を包囲。
• 英式野戦砲・海軍艦砲射撃によって要塞を段階的に削り、ドイツ守備隊を圧迫。
• 南日本陸軍の近代戦経験不足が露呈したが、海軍火力によって補完。
• 11月7日にドイツ軍が降伏。山東半島の拠点を確保。
◆ ユトランド沖海戦(1916年5月)
• 南日本連合艦隊は金剛型巡洋戦艦3隻(金剛・比叡・榛名)を派遣し、英大艦隊に合流
して北海へ展開。
• 英独艦隊がユトランド沖で衝突し、激烈な砲撃戦が展開。
• 比叡はドイツ戦艦「グローサー・クルフュルスト」の斉射を受けて大破・沈没。約400
名が戦死。
• 金剛と榛名も中破しつつ辛うじて帰還した。
• この損害は国内に衝撃を与える一方、南日本海軍の奮戦は連合国側で高く評価され、日
本海軍の「世界標準の実力」が認知される契機となった。、日本海軍の「世界標準の実
力」が認知される契機となった。
◆ 太平洋委任統治領の獲得
• 戦後、旧ドイツ領の南洋諸島(サイパン、トラックなど)を国際連盟から委任統治とし
て獲得。
• 太平洋における戦略的拠点を確保。
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■ 蝦夷共和国の対応と欧州参戦
• フランスとの同盟関係に基づき、1915年に正式参戦。
• 「極東義勇軍団(蝦夷自由軍団)」を編成し、仏陸軍とともに西部戦線に展開。
◆ ソンムの戦い(1916年7月〜11月)
• 蝦夷義勇軍団は仏第20軍団隷下に配属され、ソンム川流域で塹壕陣地の防衛と前進を担
当。
• 蝦夷兵は規律の高さと白兵戦での適応力を評価され、損耗率にもかかわらず前線維持に
貢献。
• とくに8月21日のハイ・ウッド攻撃では、損害を出しながらも独陣地の一角を占拠する
ことに成功。
◆ ヴェルダンの戦い(1916年2月〜12月)
• 蝦夷軍の一部部隊が輪番でヴェルダン防衛戦にも投入。
• フォール・スヴォー周辺での防衛任務では、仏兵の補強要員として接近戦に従事。
• 蝦夷兵が行った夜間斥候や銃剣突撃は「東洋の決意」としてフランス国民に報道され
た。
◆ 内政と経済動員
• 本国では戦時経済が活性化。鉄鉱石・石炭・木材を大量供給。
• 函館・小樽・豊原(南樺太)などの港湾が軍事輸送拠点に指定される。
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■ 東アジアと日本列島の変化
◎ 南日本
• 海軍は比叡の喪失にもかかわらず、英海軍と並ぶ実力を示す。
• 陸軍は欧州本土に派遣されなかったが、海軍が連合国の一員として国際的地位を獲得。
• 戦後、国際連盟常任理事国入りを果たす。
◎ 蝦夷共和国
• フランスとの軍事協力を通じて、西欧政治・軍事界への深い接続を獲得。
• 戦後は「協約側の信頼できる準同盟国」として国際的影響力を高める。
• 西部戦線における功績により、ジュネーブ会議・国際連盟において発言力を確保。
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■ 戦後の影響(1920年以降)
• 南日本:海軍主導の国防戦略が強化され、軍縮会議でも独自路線を模索。
• 蝦夷共和国:フランス・英連邦との共同軍事演習を継続。国際的非大国として中立勢力
の中心に。
• 朝鮮半島:英国の保護国状態は続き、南日本企業の鉱山・鉄道支配がさらに深化。
• 満洲:ロシア革命の混乱を受けて南日本・蝦夷・英仏がそれぞれ経済利権を確保する
が、直接軍事介入は行わず。
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この世界の第一次世界大戦は、欧州中心の戦争に日本列島の両国家が本格参戦した初の大
戦であり、
• 南日本は「海軍帝国」としての存在感を世界に示し、
• 蝦夷共和国は「欧州陸戦に参加した東洋の軍事共和国」として国際的評価を高めた。
戦後、両国はますます異なる性格と路線を歩むこととなる。




