三国干渉と「国辱外交」:日本ナショナリズムの爆発
歴史的事件:遼東還付(1895)
日清戦争後、日本は清国に勝利し、遼東半島・台湾などを獲得。しかし、ロシア・フラン
ス・ドイツの三国が共同で遼東の返還を要求。史実と異なりこの世界では、英仏は日本を
南北に分断して支配しており、日本(南日本)はイギリスの保護国的存在。そのため、イ
ギリスはこの三国干渉に「同調せずとも、阻止もしない」中立的姿勢を取る。
• 日本政府は、**「イギリスの後ろ盾」**があると信じて遼東半島を保持しようとする
が、実際には英国から「受諾の勧告」がなされる。
• 日本国民の間では、「列強による侮辱」「イギリスに裏切られた」という感情が沸騰。
• **スローガン「臥薪嘗胆」**が全国に広まり、新聞・演説・学校教育などで盛んに用い
られるようになる。
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イギリスの対日戦略:「飴と鞭」の統治術
飴:見せかけの「自主性強化」
• イギリスは、遼東還付によって深まった対英不信と国民的屈辱を緩和するため、「日本
の自主外交能力強化」「朝鮮問題における主導権尊重」など、象徴的な譲歩を提示。
• 形式的には、大日本帝国の軍備増強や外交発言権を「承認」する姿勢を示すが、その
実、イギリスの戦略目標(ロシア封じ・朝鮮経済の掌握)に沿った方向性に誘導。
鞭:列強間バランスを優先
• イギリスは、三国干渉を容認した背景に、ヨーロッパでの対独仏露関係の安定があり、
アジアの局地情勢には冷静。
• その態度は、日本にとって屈辱であったが、外交的現実として受け入れざるを得なかっ
た。
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朝鮮への傾倒:「自主性」の錯覚と介入の本格化
対朝鮮政策の変質
• イギリスは日本に対し、**「東アジアの秩序安定のため、朝鮮近代化の先導役を担え」
**と促す。
• 日本政府はこれを、「大東亜における使命」として受け止め、朝鮮への政治顧問派遣、
軍事顧問団設置、財政管理介入を拡大。
経済支配の深化
ス資本が存在。
いく。
• 鉄道・港湾・鉱山などのインフラ整備は、表向きは「日本主導」だが、背後にはイギリ
• 日本企業は「表の顔」として機能し、朝鮮の資源は日英経済の結節点として収奪されて
対露牽制
• 朝鮮北部における日本軍の駐屯と港湾の軍港化は、ロシアの南下政策に対する防波堤と
して位置付けられる。
• 英国は、日本が「ロシアと戦う」意志と能力を持つ限り、干渉は控えつつも監視と武器
供与で支援。
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ナショナリズムの変容:「自発的な属国」から「使命感ある地域大国」へ
• 遼東還付の屈辱は、日本にとって「英仏露独に侮られた」象徴的出来事であり、排外ナ
ショナリズムの源泉となった。
• しかし、日本はイギリスの庇護を離れられず、「朝鮮支配の正統性」を国内的に主張す
ることで、従属の事実を国民感情で覆い隠す手法を取るようになる。
• これは、「列強の一員として、アジアを指導する」という倒錯した自尊心の形成につな
がる。
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「三国干渉」
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■ 背景:下関条約と遼東半島問題
1895年、日清戦争の講和として下関条約が締結され、日本(大日本帝国)は:
• 朝鮮の清からの独立の確認
• 台湾・澎湖諸島・遼東半島の割譲
• 銀2億両の賠償金
を獲得します。
遼東半島の戦略的重要性:
• 清国の要衝、大連・旅順を擁し、黄海と満州への出入口を制する
• ロシア帝国の極東進出(特に不凍港の確保)と直接衝突
• フランスが影響力を持つ蝦夷共和国は、この地域の安定に強い関心
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■ 三国干渉の展開(1895年春〜夏)
1. ロシア帝国の主導
• ロシアは清国の「伝統的保護国」としての立場を主張し、「日本の遼東半島占領は東ア
ジアの均衡を崩す」と強く非難。
• 旅順の軍港化は、ロシアのウラジオストクを脅かすと認識。
• ドイツの承認を得た上で、フランスに同調を要請。
2. フランスの苦悩と妥協
• フランスは、日清戦争の勝利を通じて経済的に発展していた蝦夷共和国の安定を望む。
• しかし、フランス本国は露仏同盟の継続を優先し、ロシアの要請を拒絶できず、最終的
に干渉に加わる。
※ 蝦夷共和国はフランス政府に抗議を行うが、影響力は限定的。
3. ドイツ帝国の思惑
• 東アジアにおける影響力を拡大したいドイツは、ロシアの提案に便乗。
• 「清国の分割にはまだ時期尚早」と判断し、日本の遼東支配に反対。
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■ 英国の中立と困惑
• 英国(保護国日本の宗主)は、当初この干渉に強く反発。
• だが、英露の対立激化を避けるため、最終的に「外交的沈黙」を選択。
• 日本(大日本帝国)政府には「誇り高い譲歩による国際的名誉の保持」を助言する。
※ これは、英国が日本を単なる道具としてではなく、アジアにおける自主的パートナーと
して育てる長期戦略に基づくものである。
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■ 大日本帝国政府の対応
• 遼東半島の返還に強い国内的反発(特に軍部・新聞・民衆)。
• だが、英国からの強い要請と、孤立回避のため、最終的に遼東を清国に返還。
• その見返りとして、賠償金の一部増額と、将来の朝鮮・台湾支配の黙認を暗に取り付け
た。
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■ 蝦夷共和国の反応
• 共和国の主戦派(旧士族系)は日本の「譲歩」に怒り、「日英体制は武士の面目を汚し
た」と批判。
• だが、フランス経由で「大陸への直接介入は不可」との指示が出ており、表立った行動
は控える。
• 蝦夷共和国内で、独自の大陸外交(満州人や北清軍との連携)を模索する動きが始ま
る。
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■ 三国干渉の帰結とその後
結果 内容
日本の国民的屈辱 「臥薪嘗胆」のスローガンが広まり、軍備拡張と国民動員が加速。将
来の「報復」が国家目標に。
露清接近と満州侵出 遼東返還後、ロシアは清国から旅順・大連の租借権を獲得(1898
年)、鉄道建設を進める。
英日接近の加速 英国は「日本を裏切った」との国民世論の高まりを懸念し、日英間の軍
事協力(特に海軍)を強化。
蝦夷共和国の自立志向強化 フランスに対する距離感を強め、極東ロシア人亡命者やユダ
ヤ人ネットワークとの接触が進む。
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■ 総括:三国干渉の意義
• 日英対仏露独の外交対立が表面化した最初の事例。
• 日本(南)と蝦夷共和国(北)の国際的地位と役割が分化していく転機。
• 「三国干渉」は、日本の列強入りへの最後の障壁であり、同時に復讐と再起の決意を国
民に植えつける象徴的事件となります。