朝鮮統治(1896年以降)
1. 統治体制:形式的独立、実質的保護国
• 下関条約により朝鮮は清の冊封体制から離脱し、「独立国」となるが、実質的には英国
と日本の二重影響下に置かれる。
• 1897年に「大韓帝国」を名乗るが、その成立は英国外交官・日本参謀の強い後押しによ
るものであり、実態は自主的統治とは言い難い。
朝鮮政府内には親日派(開化派)と親英派(文官派)が主流となり、清・露派は粛清され
るか排除される。
2. 実質的支配構造:英国式間接統治
• 英国は、インド統治モデルと同様、朝鮮王朝の形式を残したまま、税制・財政・警察・
通信・鉱山などの核心部門に顧問官と軍事顧問を派遣。
• 日本は軍事的・経済的に協力するが、主導権は英国が握る。これは日本が未だ列強の一
角として完全には独立していないことを意味する。
3. 経済構造:資源収奪・プランテーション化
• 朝鮮半島の資源(鉄鉱石、石炭、金属資源)と農産物(米、綿花、麻)は、英国・日本
資本による企業連合により開発・輸出される。
• インフラ(鉄道・港湾・電信)は、輸出効率化のために整備されるが、その費用は朝鮮
政府が負担させられる。
実質的に朝鮮は「半島型インド」と化し、列強の資源供給地として体系的に編成されてい
く。
4. 教育・言語・文化政策
• 英国の基本方針は、統治に必要な最低限の文官教育のみを朝鮮人に与える間接支配型。
• 日本は初等教育制度の整備に協力し、日本語・英語・朝鮮語の三言語体制を試みるが、
教育水準の向上には積極的でない。
• 欧米のキリスト教宣教師によるミッションスクールは残されるが、政治活動は禁止され
る。
5. 民衆統治:武断支配と警察国家化
• 抵抗運動(義兵など)への対応は徹底しており、**イギリス軍事顧問と日本陸軍将校が
訓練した「朝鮮警備軍」**が反乱鎮圧や治安維持を行う。
• 内地(日本)からの移民や企業の進出が進み、民衆との間に深刻な階級的・民族的分断
が生まれる。
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■ 統治の影響と長期的帰結
短期的効果(1896〜1920年代)
• 経済指標上は改善(鉄道延伸、鉱業・貿易活性化、農業の生産性向上)。
• だが、朝鮮人の実質的生活水準は改善せず、農民の借金と土地喪失が拡大。
• 反乱や暴動は絶えず、左翼的・民族的抵抗運動が地下に拡大。
中長期的展開(1930年代〜)
• 労働力確保のため、朝鮮人が日本内地・満州方面に大量動員される(史実の「出稼ぎ」
「徴用」に近い構造)。
• 1930年代以降、世界的な危機の中で、朝鮮社会では共産主義・無政府主義・民族主義の
混合運動が広がる。
• 英国の衰退と日本の台頭に伴い、朝鮮統治の主導権は徐々に日本側へ移行していくが、
その過程でも英系官僚が根強く残存。
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■ 蝦夷共和国の関わり(補足)
• フランスの勢力圏である蝦夷共和国は、朝鮮における日英主導の「武断・収奪支配」を
批判的に見ており、北朝鮮方面において独自の文化交流・地下支援ネットワークを形成。
• これが後に、冷戦期以降における**「東アジアの民族解放運動ネットワーク」**へと繋
がる布石になる可能性がある。
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結論:朝鮮は「日本式近代化」ではなく「英式収奪型植民地統治」の道へ
• 制度上は独立国家、実態は英日共同経営の準植民地
• 経済的には開発されるが、社会的には分断・抑圧・不満が蓄積
• 冷戦構造や地域の不安定化の火種となる