ショートショートⅢ「月食 -Blood Moon-」
駅付近の線路が地上から地下へと移されてから、どれくらいの時が経っただろうか。線路跡地には様々な商業施設が立ち並び、若者の行き交う場所となっている。
その線路跡地のすぐそばに、ひっそりと佇む古着屋「ルナエソーレ」はある。
イタリア語で「月と太陽」という意味。私の名前「月子」と夫の名前「陽太」から名付けた。
「ぃらっしゃぃませ~。」
覇気の無い低い声で接客をしているのは、夫の陽太だ。髪は長く緩いパーマがかけられており、黒い顎髭がよく似合っている。腕にはいくつものタトゥーが入っており体格も良いため、一見怖そうな人に見えるが、実際のところは自由奔放でとても優しい人だ。
私たちは結婚と同時にこの古着屋をオープンし、今年で3年目になる。夫婦で毎日楽しく営業していた。
私たちの店では定期的に古着の買い付けに行っているが、普段行くのは国内の古物市場だ。しかし、年に一度、海外へ買い付けに行っている。
私たちがいつも行くのは、アメリカのロサンゼルス。
ネットでももちろん買い付けを行うことはできるのだが、やはり現地で実物を見て、その服のストーリーを知ることが何よりも大事なのだ。
今年もまた、その買い付けの時期がやってきた。
私はあまり英語を話せないが、夫の陽太は流暢に話すことができる。そのためいつも助かっている。
今回やって来たのは、早朝から開催されるというフリーマーケットだ。
そこで私たちは数えきれない程の古着の山から、運命の出会いを求めて探していた。
おおかた選び終え、帰ろうとした矢先のことだった。
私の夫が出口から出る際、出会い頭にとある女性とぶつかりそうになっていた。「Sorry」と夫は謝りそのまま帰ろうとしたのだが、その女性が何か話しかけていた。
私は英語が得意では無いため、何を会話しているのかよくわからなかったが、途中で陽太が私のこともその女性に紹介した。私も拙い英語で自己紹介をした。
「この女性はアメリカ在住のイタリア人で、名前はテラって言うらしいんだ。テラは日本語に訳すと地球だろ。俺は陽太、お前は月子。つまり太陽、地球、月が揃ってるなって盛り上がってたんだ。」
「あら、素敵な名前ね。」
そのテラという女性は、朝日に美しく煌めく金髪を靡かせ、まるで我らが青い星のように美しいブルーの瞳を持つ、不思議な雰囲気を纏った女性だった。
テラもアメリカで古着屋を営んでいるというので、名刺を交換し、SNSも繋がっておいた。
まだ見ぬ古着との出会いを求めて旅をすると、このような現地の人々との新たな出会いがある。私も陽太もそれが楽しくて、二人で一緒に古着屋を営んできた。
そのはずだったのに。
アメリカから帰ってからも同じような日々は続いていた。けれどもとある変化があった。私はその変化を見逃さなかった。
夫の陽太の態度が少しづつ、そっけなくなっている気がしたのである。それになんだか、陽太は仕事中もどこか上の空というか、心がどこかへ飛んでいってしまっており、レジでのミスが目立つようになった。
「ねぇ陽太。最近ちょっと仕事に集中できてないんじゃない?」
ある日、私は営業中でもずっとスマホを見ている陽太に、流石に一言言わざるを得なかった。
「今だってほら、お客さんいないからってずっとスマホばかり見て。何見てんの?」
すると陽太が軽く舌打ちをした。
ちょっと、舌打ちなんてどういうことよ。
「……っせぇな。」
「んなっ…!」
私は頭に血が上ってしまった。
「何それ。なんで最近そんな態度なのよ。」
すると突然陽太は立ち上がり、横目で私を見てきた。その時の視線は忘れられない。もう私のことなど虫ケラにしか思っていないような、あの冷たい視線。
少なくとも、愛するはずの妻に向けるものでは無かった。
「俺たち、もう終わりにしよう。」
あまりにも突然すぎて、私は当然混乱した。
え、何を言っているの…?
「俺、アメリカ行くわ。アメリカで古着屋やる。お前はこの店を続けていきなよ。」
は?!あまりにも勝手すぎて、私は怒りを通り越し呆れの境地となった。
「あなた、そんなに馬鹿だった?」
私の知る陽太はとても優しく、困った時には助けてくれる、かっこいい王子様だ。
それなのに、今の陽太は取り憑かれたようにスマホを触り、私のことなどまるで見えていないようだった。どこか遠くに意識があり、まるでここに無い。
きっと意識はアメリカに行ってしまっているのだろう。
……アメリカ?
私はそこでふと、とある疑惑がよぎった。まさかとは思うけど…ね。
しかし私の直感は当たっていた。
アメリカで知り合ったあのテラとかいう女。その人のSNSでの投稿で、疑惑は確信に変わった。
太陽に向かって手を差し伸べているだけの写真を投稿していたのだが、「早く会いたい。」と書き添えられていた。問題はその写っている右手の甲にあった。
陽太と全く同じ部位に、全く同じ太陽のタトゥーが彫られていたのだった。
私は陽太に問い詰めた。
「ねぇもしかして、あのテラって子とできちゃってたりしないわよね?」
「あ~そうだよ。」
てっきり全力で否定すると思っていたのだが、あっさりと肯定されてしまった。
「だから何?俺、一目惚れしたんだよ。地球のように青く輝く、あの瞳にさ。」
あれ、なんだか私の方が馬鹿みたいに思えてきたな。こんな馬鹿な男を、王子様だとか言って好きになって愛してしまって。
それでもたくさんの幸せな時間を思い出し、私は胸が締め付けられてしまった。二人で一緒に古着屋を経営するのが楽しかった。二人でおしゃれな服をたくさん買ってはお互いにコーディネートし合うのが最高だった。
陽太は、私にとってまさに太陽のような人だった。陽太もいつも私に、月のように綺麗だねなどと言ってくれていたのに。
毎年秋にこの街で開催される、月がテーマのフェスティバル。線路跡地の空き地に浮かぶ巨大な月のバルーン。その目の前でプロポーズされた時の言葉を思い出した。
「もしこの月のように綺麗な君が、月食のように真っ赤な血で染まってしまいそうになっても、俺、絶対守るから。月子のためなら何でもするし、一生幸せにするから。」
その時は私も幸せに満ち溢れていたため、なんて素敵なことを言ってくれる人なんだろうと思った。しかし今思い返すと、なんてくさくて浅はかで中身の無い言葉なのだろうと思った。
いつの間にか、私は地球の影に隠れる月食になってしまった。
私の心は深く傷つき、まさにブラッドムーンの如く、真っ赤な血に染まってしまったのだった。




