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『 愛と所有の狭間』

作者: 小川敦人

『 愛と所有の狭間』


迷いの始まり


雨の降る夕方、野村隆介は研究室の窓から外を眺めていた。道路を行き交う人々は皆、傘を片手に足早に家路を急いでいる。彼らはそれぞれの「帰る場所」を持っている。誰かと共有する場所か、あるいは自分だけの空間か。野村は考え込んだ。

解離性人格障害の研究を続けて四年目になる。心が複数に分かれる現象を学術的に追いかけることで、野村は人間の心の奥底に横たわる「所有」と「愛」の問題に直面していた。つい先日、研究室の同僚との何気ない会話が、彼の思考を今の方向へと導いたのだ。

「野村さん、女性心理って本当に分からないよね」

同僚の中村はそう言って笑った。中村は最近、恋人との関係で躓いているらしい。野村はただ微笑み返しただけだが、その言葉が彼の中で反響し続けた。

「男はみんな女性を好きになったり、愛したりした時、所有したい、独占したいと思うことは自然なことだと思うよ」

そう続けた中村の言葉に、野村は頷きながらも違和感を覚えた。本当にそうなのだろうか。そして、もしそうだとすれば、女性の側はどう感じているのだろう。

野村隆介は三十二歳、大学で心理学の研究員をしている。特に解離性人格障害について研究を進めながら、時に臨床心理士として患者と向き合うこともある。彼は自分自身の恋愛経験も決して少なくはなかったが、どの関係もある地点で行き詰まってしまい、今は独身だ。

恋愛において「所有」という感覚が生まれることは、彼自身も経験してきた。好きな人を他の誰かと共有したくない、自分だけのものにしたいという感情。それはどこから来るのだろうか。そして女性はその感情をどう受け止めているのだろうか。「所有されたい」と思うことはあるのだろうか。もしあるとすれば、その代わりに何を得ているのだろう。

彼は雨音を聞きながら、そんな問いを脳内でめぐらせていた。


所有欲の起源を探る


翌日、野村は大学の図書館で関連する文献を読み漁っていた。恋愛心理学、ジェンダー研究、文化人類学、進化心理学...様々な分野の本が机の上に積み上げられている。

まず彼は、男性の「所有欲」の起源について考えた。

進化心理学的に見れば、男性が女性を所有しようとする傾向は、生物学的に説明できるかもしれない。子孫を残すという観点から、男性は自分の遺伝子を確実に次世代に伝えるため、パートナーの排他的関係を求める傾向がある。これは人間に限らず、多くの哺乳類に見られる行動だ。

しかし、人間の場合はそれだけではない。文化的、社会的な要因も大きく影響している。歴史的に見れば、多くの社会で女性は長い間、財産や地位の象徴として扱われてきた側面がある。結婚が家同士の結びつきや財産継承の手段であった時代には、女性の身体や生殖能力の「所有」は、社会制度として機能していた。

現代におても、その名残は様々な形で見られる。例えば、結婚式で父親が娘を花婿に「渡す」儀式や、女性が結婚後に夫の姓を名乗る習慣など。もちろん、これらは単なる伝統として現代では理解されているが、その根底には「所有」の概念が潜んでいる可能性がある。

野村はノートに走り書きした。「所有欲は生物学的本能と文化的教育の両方から生まれる可能性が高い。」

しかし同時に、彼は疑問も抱いた。もし所有欲が本能であるならば、なぜすべての男性がそれを同じように表現するわけではないのか。また、女性にも同様の所有欲が存在するのではないか。

彼は自分の臨床経験を思い返した。確かに、嫉妬や独占欲を強く示す女性患者も多く見てきた。しかし、その表現方法や根底にある感情は、男性とは異なる場合が多いように思える。

「所有」という言葉自体に問題があるのかもしれない、と野村は考えた。所有とは物に対して使う概念だ。人間を「所有する」という発想そのものが、相手を対等な存在ではなく、「物」のように扱うことを前提としている。

恋愛とは本来、二人の対等な人間の間で起こるはずのものだ。そこに「所有」という概念が入り込むとき、何か根本的なゆがみが生じているのではないだろうか。


女性の視点を求めて


野村は自分一人の考察に限界を感じ、女性の研究者や友人に話を聞くことにした。

まず彼が相談したのは、同じ大学でジェンダー研究をしている佐藤教授だった。六十代の佐藤教授は長年この分野で研究を続けてきた重鎮である。

「野村君、『所有』という切り口は面白いね。でも、それだけでは片手落ちかもしれないよ」

佐藤教授は優しく微笑みながら言った。

「女性が『所有されたい』と感じるかどうかは、個人差もあるし、文化的背景にも大きく左右される。でも一般的に言えば、女性が求めるのは『所有』そのものというより、『安心感』や『コミットメント』の証としての排他性ではないかな」

野村は静かに頷いた。確かに「所有」という言葉には物質的な意味合いが強すぎる。人間関係において求められるのは、もっと複雑な感情の交換なのかもしれない。

次に野村は、臨床心理士として働く友人の田中美咲に意見を求めた。カフェで向かい合った彼女は、少し考えてからこう答えた。

「私の臨床経験から言うと、女性が関係性の中で求めるものは『所有されること』ではなく、『選ばれること』や『大切にされること』の表れとしての独占欲じゃないかな。つまり、相手が自分を大切に思うがゆえに、他の人と共有したくないという感情を示すこと自体に価値を見出すということ」

田中は一息ついてから続けた。

「でも、それが行き過ぎると支配や束縛になる。健全な関係と不健全な関係の境界は、相手の自由や意思を尊重できるかどうかにあると思う。所有欲を満たすために相手をコントロールしようとするとき、それは愛ではなく、自己満足になってしまう」

野村はそれを聞いて深く考え込んだ。所有欲と愛情の表現は紙一重なのだろうか。そして、その境界線はどこにあるのだろう。

さらに、野村は様々な年齢層、職業の女性たちにインタビューを試みた。彼女たちの回答は驚くほど多様だった。

二十代前半の大学生は「好きな人に『あなただけを見ている』と感じさせてもらえることは嬉しい」と素直に答えた一方で、三十代のキャリア女性は「独占欲の強い男性との関係は疲れる。信頼関係があれば、お互いに自由であるべき」と主張した。

五十代の主婦は「若い頃は夫の嫉妬も愛情表現だと思っていたけれど、年を重ねるにつれて、お互いの個を尊重することの大切さを学んだわ」と穏やかに語った。

野村はノートに書き留めた。「『所有されたい』という欲求は単純なものではなく、年齢、経験、価値観によって大きく異なる。また、同じ人でも人生の段階によって変化する可能性がある。」


解離から見る所有と自己


研究室に戻った野村は、自分の専門である解離性障害の観点からこの問題を考えてみることにした。

解離性障害とは、心的外傷などが原因で、自己意識、記憶、環境の認識などが分断される状態を指す。最も極端な例が解離性同一性障害(多重人格障害)だが、軽度の解離は日常的にも起こりうる。

野村はある症例を思い出した。過去に虐待を受けた経験を持つ患者が、恋愛関係において極端な従属と反抗を繰り返すケースだ。この患者は、パートナーに完全に所有されることを求める一方で、実際にそのような関係になると激しい恐怖と抵抗を示した。

この症例から野村は、所有と被所有の関係性が持つ複雑さを考えた。人は時に、自分の意思決定の責任から逃れるために「所有されること」を求める場合がある。自分自身の存在や選択に不安を感じるとき、誰かに「所有される」ことで、一種の安心感を得ようとするのだ。

しかし同時に、それは自己の一部を放棄することでもある。そして往々にして、この放棄された自己は、後に何らかの形で反乱を起こす。野村の患者がそうであったように。

この視点から見ると、男性による所有欲も、単なる支配欲ではなく、不安や恐怖に対する防衛反応という側面を持つのかもしれない。愛する人を失うことへの恐怖、自分の価値が否定されることへの不安、これらが所有欲という形で表出している可能性がある。

野村は自問した。「所有欲の根底にあるのは、実は脆弱性なのではないか?」


文化による差異


野村の研究はさらに広がり、文化による恋愛観や所有概念の違いにも目を向けるようになった。

例えば、西洋のロマンティックラブの概念は、中世の騎士道精神や宮廷愛に起源を持ち、排他的な愛情と献身を理想としている。一方、東アジアの伝統的な恋愛観では、社会的調和や家族の結びつきが個人の感情よりも重視されることが多い。

また、一部のポリネシア文化では、愛情関係における排他性の概念自体が西洋ほど強くない例もある。こうした文化では、感情的な絆と性的な排他性が必ずしも一致しないこともある。

野村は特に日本の恋愛観に注目した。明治時代までの日本では、恋愛という概念自体が西洋から輸入されたものであり、それ以前は「色」や「情」といった概念で男女の関係が語られていた。

現代の日本社会においても、恋愛における「所有」の感覚は、西洋のそれとは微妙に異なる。例えば「彼氏」「彼女」という呼称は所有を示すのではなく、関係性を示すものだ。一方で「俺の女」「私の彼」といった表現には、より強い所有のニュアンスが含まれる。

こうした文化的差異は、所有欲が単なる本能ではなく、社会的に構築される側面も持つことを示している。野村はこの発見に興味を覚えた。もし所有欲が文化的に形成されるものなら、それは変容可能なものでもあるということだ。


現代社会における変化


野村の研究は現代社会における恋愛観の変化にも目を向けた。

デジタル技術の発達により、人々の関係性は大きく変化している。SNSの普及は、「誰が誰と繋がっているか」を可視化し、新たな形の所有欲や嫉妬を生み出している。「いいね」の数やコメントの内容が、関係性の指標として読み解かれる時代だ。

また、経済的自立を果たす女性が増えたことで、伝統的なジェンダーロールに基づく関係性も変化している。経済的依存が減ることで、「所有―被所有」の関係から、より対等なパートナーシップへとシフトする傾向が見られる。

「Z世代の若者たちは、恋愛においても従来の排他性や所有の概念に疑問を投げかけている」と、学生たちとの対話から野村は感じていた。彼らの間では、友情と恋愛の境界があいまいになっていたり、非排他的な関係を模索する動きも見られる。

しかし同時に、不安定な社会情勢の中で、安定した関係への憧れも強まっている。「確かな絆」「揺るがない関係」を求める気持ちは、時に強い排他性や所有欲となって表れることもある。

野村は現代社会における矛盾した傾向に注目した。一方では自由や個の尊重が重視され、もう一方では安定や確かさが求められる。この矛盾こそが、現代の恋愛における葛藤の源なのかもしれない。


所有から共存へ


研究を進める中で、野村の思考は次第に「所有」という概念自体から離れ、より健全な関係性のあり方へと向かっていった。

所有という概念は、本来モノに対して使われるものだ。それを人間関係に適用することで、様々な歪みが生じる。真の愛とは、相手を「自分のもの」と見なすことではなく、一人の独立した人間として尊重することではないだろうか。

野村は、「所有」に代わる概念として「共存」や「共有」を考えるようになった。二人の人間が、お互いの個を尊重しながらも深く結びつく関係。それは所有とは似て非なるものだ。

「愛するということは、相手を所有することではなく、相手の自由を尊重しながらも、共に歩むことを選ぶということではないか」

そう考えるようになった野村は、自分自身の過去の恋愛を振り返った。彼が経験してきた関係の多くが行き詰まったのは、「所有」の感覚に囚われていたからかもしれない。相手を「自分のもの」にしようとするのではなく、二人で創り上げる「共有の世界」を大切にする。そんな関係が可能なのではないだろうか。


野村の結論


雨の降る夕方、野村は再び研究室の窓から外を眺めていた。今日は傘を持たない人たちも多い。雨は止み、薄日が差し始めていた。

一ヶ月の考察を経て、野村は一つの結論に達していた。

男性が女性を愛するとき、所有したい、独占したいと思うことは確かに自然な感情かもしれない。それは生物学的本能や文化的背景から来るものだ。同様に、女性の側にも程度の差こそあれ、似たような感情が存在する。

しかし、その感情をどう扱うかが重要なのだ。所有欲を無反省に相手に押し付けることは、真の愛とは言えない。また、相手の「所有欲」に完全に従属することも、健全な関係とは言えないだろう。

重要なのは、お互いの感情を認識しつつも、相手の自由と尊厳を尊重すること。そして、二人の関係性において何が適切かを、常に対話を通じて確認し合うことだ。

女性が「所有されたい」と感じるかどうかは、個人によって大きく異なる。また、同じ人でも状況や人生の段階によって変化する。だからこそ、固定観念に捉われず、目の前の相手と誠実に向き合うことが大切なのだ。

そして何より、「所有」という概念自体を超えた関係性を模索する勇気が必要なのかもしれない。相手を「自分のもの」とするのではなく、二人で「共に創るもの」を大切にする関係。それが、野村が考える成熟した愛のあり方だった。

研究室を出る前に、野村は同僚の中村にメッセージを送った。

「話があるんだ。今度、時間がある時に聞いてほしい。」

野村隆介の考察は、まだ終わらない。むしろ、本当の意味での探求はこれから始まるのかもしれない。自分自身の恋愛観を見つめ直し、より健全な関係を築くための第一歩として。


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