22話 ヒーロー
雨蹴は慌てて我路堕に叫ぶと、少年の方向に向かって泳ぎ始めた。
離岸流に乗ってしまった少年は必死に両手を水面に出してもがいているが、水がバシャバシャと揺れるだけで浮けそうでない。さらに少年は既に陸からかなり離れており、陸にいる大人達も手を出せないでいるようだった。
夏と言えども沖に行けば行くほど海水はひんやりと冷たくなっていく。
冷たい海水は必死にもがいている少年の体力をじわじわと削っていき、その動きを鈍くしていく。
雨蹴は我路堕が陸に向かったのを確認しながら、もがく体力もなくなりかけた少年の腕を力強く掴んだ。
自身の身体が少年に引っ張られて沈みゆくのを必死にとどめながら、一刻も早く少年を海面より上に引き上げようと足を動かす。
そうしているうちにも雨蹴と少年は離岸流によって更に沖まで流されていく。
いつの間にか地面も見えないほど深くなって、遠くまで離れてしまった。
雨蹴は離岸流を横に抜けると、やっと少年を海面に引き上げることができた。
既に少年は意識を失っており、顔が青ざめており震えている。
その時かなり離れている陸地から叫び声が聞こえた。
その声は我路堕の声だった。
声とともに紅白色の浮き輪が尻尾をつけて空に弧を描きながら飛んでくる。
浮き輪は雨蹴の真横に大きな水飛沫を上げながら着水した。
浮き輪の浮力は強く雨蹴は浮き輪を無理矢理沈めこんで少年の下に合わせると、少年の身体は海面に寝そべるように浮き上がった。
雨蹴が少年の胸に手を当てて心拍を確認すると、安定した様子で胸が上下に浮き沈みしている。
「よかった.....、生きてた。」
雨蹴はほっとした表情を浮かべて、バタ足で浮き輪を押す。
水面が緩やかに揺れながら場は静寂を取り戻し、次第に騒がしさが戻ってきた。
しばらくして雨蹴は足が地面につくほどまで泳いで戻ってくると、少年を浮き輪から降ろして背中に乗せた。そのまま歩いていると遠くから少年の姉らしき人物が慌てて走りながら駆け寄ってきた。
「藍富!!大丈夫?!ごめんねおねぇちゃんがちょっと目を離したから。」
少年をあいとと呼んだ姉らしき人物は、弟を雨蹴から受け取って深くまで頭を下げた。
泣きそうな顔で頭を下げており、その表情からはどれだけ心配したのかがよく分かる。
その時だった。
姉に背負われていた少年がパッと目を覚ました。
弟は驚いたような顔をして、雨蹴と姉の顔を交互に見比べる。
そして、姉の背中から飛び降りて「俺死んだと思ってた。」と吞気に口に出した。
雨蹴はその言葉がツボにはまってしまったのか、我慢できないよう笑い出した。
姉は「バカ!謝りなさい!!」と言っているが、雨蹴は少年が無事だったことも相まってついつい笑っていた。
あまり状況が分かっていない少年は、雨蹴の元まで歩いていくと「おねーさん」と雨蹴に話しかけた。
「えっと、なにかなぁ?あと、俺男なんだけどなぁw」
「え!男の子なの!すっごいきれーなのに。」
「綺麗じゃないよw」
「えーじゃぁかっこよかった!!助けてくれてありがと、腕を掴まれた時までは覚えてるんだ、おにーさんヒーローみたいでかっこよかったよ!!」
少年はそういうと、姉の手とつないで砂浜の奥に消えていった。
ポツンと残された雨蹴は満足した顔で「ヒーローか。なれたのかなぁ。」とぽつりと呟いた。
いつの間にかみんながいた場所からは大きく離れている。
雨蹴は熱くなった砂を踏みしめながらその場を後にした。