第5話
コミケ初日、英治は会場で最終確認を行っていた。
「レイアウトは万全。後はどれくらいのお客さんが来てくれるかだな」
英治は、レイアウトに不備がないか目視で確認する。
「英治さん、2日間よろしくお願いしますね!」
レコこと麗奈が英治の元へやってきた。
「レコちゃん、どうして僕の手伝いを志願したの?」
「それは、英治さんと初めて出会ったのは去年の夏、駆け出しだったで名がしれ始めたわたしを撮影してくれたのは、英治さんだったの」
それは、去年の夏コミでまだ駆け出し漫画家だった英治がレイヤーとして名を馳せていない麗奈を撮影したことがきっかけだった。
以後、2人はSNSを通じて知らずのうちに交流を深めていき、現在に至った。
「そうか。僕のSNS上の名義で僕に想いを寄せていたんだ」
「英治さん、正式な締結は明日の集談社ブースの特別ステージでやりましょうね!」
2人は意気揚々と準備に取り掛かった。
コミケの朝は早く、深夜3時から並ぶ人もいる。
その中で、コミケへ向かう若いカップル。
「急げりみタン! りんかい線は、待ってはくれないでござる!」
「わかったわよ、ポンちゃん!」
オタクカップルが大崎駅へ向かおうとする。
その時、
「お前達、少し待ち給え」
不意に男の声が聞こえる。
「お前たちには死んでもらうよ。西園寺ホールディングス再建と、我が家の復権のために」
続けざまに女性の声。
「何者でござるか?」
「私達急いでいるので!」
声の主を気にせず、そのまま大崎駅へと向かう。
「言ったはずだ。お前たちには死んでもらうと!」
その後、どうなったかは後に明らかとなる。
コミケ会場では、オープンまで後30分を切っていた。
わんぱく編集部と新鋭漫画家全員が一同に介した。
「みんな、俺達新人漫画家の底力を世界に見せつけてやろう!」
「これからのわんぱくと少女きらりは、私達が主役よ!」
「みんなの力で、世界中を笑わせよう!」
各々の個性が詰まった同人誌もスタンバイしている。
「レコちゃんも頑張っちゃうよ!」
麗奈も気合十分だ。
「よし、全員気を抜くなよ! コミケは戦場だから、対応の遅れが命取りになるぞ!」
「えい、えい、おー!」
コミケ初日が幕を開けた。
多くの人がなだれ込み、同人誌を買う者や頒布する者たちとの交流があちこちで見られた。
クリエイターと人々の交流は、この時代になって明確になりつつある。
「さて、皆さん! 集談社新人漫画家チームです! 今回は僕達が集談社代表として、僕達が書いた読み切り漫画を同人誌として頒布しまーす!」
英治は訪れた人々に軽く挨拶する。
興味をもつ人々が、こぞってブースに集まる。
「僕達5人がそれぞれ書いた読み切り同人誌、売上次第ではわんぱく本誌への連載につながることもありえますので、是非投票という形でお願いします!」
英治たちはそれぞれの作品をアピールをする。
「みなさーん! 東雲レコとの撮影スポットもお忘れなく!」
麗奈も、わんぱくの大人気漫画「僕らのトライブハイスクール」に登場するメインヒロイン「春風えりな」に扮して撮影を促した。
コミケに情熱を燃やす人々。
クリエイターの力作と、それを求める人々。
英治と麗奈はこの2日間を思い切り楽しむことにした。
しかし、毒親の悪意は確実に二人の幸せに迫っていることを知らずに……。
大崎駅付近では、向笠たちが新たな事件が起きたことを受けて現場検証を行っていた。
「やはり銃殺ですか?」
「えぇ。遺体を司法解剖に回したら44マグナムの弾丸が検出されました。手荷物は燃やされ、現金が奪われた模様です」
付近にいた巡査が向笠に答える。
山城は別の事件に当たっているため、向笠一人だった。
防犯カメラになにか有力な手がかりがあるかもしれないと、向笠は思った。
「それが、防犯カメラは同様の拳銃で破壊されていまして。かろうじて、クラウド上にデータが残ってあると警備会社が提供してくれました」
巡査が向笠に、ノートPCを見せる。
画面には、若いカップルが初老の夫婦に拳銃で殺害される場面が明確に映っていた。
防犯カメラに気づいた男が、拳銃で破壊するところも捉えていた。
「やはり、証拠を残さないのか」
「はい。容疑者は以前行方をくらませているため、どこへ消えたかはわかりません」
やはり、一筋縄ではいかない。
残された監視カメラの映像はこれだけ。
残りのカメラに不審な人物はいないか映像を解析する。
「警部補、被害者は有名な動画配信クリエイターカップルです」
鑑識官が、向笠に被害者の身元を明かした。
「被害者は湊隼一とパートナーのえみとん。TikTokで有名な動画配信カップルで、イラストレーターと小説作家でもある有名クリエイターです」
「犯人との面識は?」
向笠は鑑識官に被害者と犯人の面識がないか確認した。
「面識はないみたいですね。何らかの手段で被害者の情報を手に入れたのかも視野に入れていますので」
どうやら、この事件はさらなる被害者がでてしまうと考えると、向笠は心を痛めた。
向笠の携帯が着信を知らせる。
『向笠さん、山城です。 今渋谷にいます!』
「山城くん、どうしたのですか?」
『闇バイトに関わった若者を逮捕まえたところ、西園寺ホールディングスに脅されてやっていると供述していました』
山城は、闇バイト事件で逮捕した若者が西園寺ホールディングスを名乗る者たちの指示でやっていたと言うものだった。
「西園寺ホールディングス、やはり元役員の犯行か、それとも……」
西園寺ホールディングス、かつては日本有数の総合建設業だった。
しかし、その実態は低賃金の過重労働を社員に強いる悪徳企業。
横暴に耐えかねた役員の内部告発により、会社は摘発。
会社はその後の裁判で営業取り消し処分となった。
元役員幹部は全員更迭され、CEO一家は蒸発したという。
「やはり、摘発されたときの恨みによる犯行ではあるのか? あるいはこの社会全体に対する憎悪なのか?」
向笠はとりあえず現場を離れて本庁へ戻る。
(あ、そう言えば朝から何も食べていなかった)
空腹が限界に来ていた。
「山城くんと合流したらデリバリーでなにか食べよう」
向笠は、タクシーを拾いながら昼食のデリバリーを考えた。
その一方で、コミケ会場では同人誌が飛ぶように売れるサークルもあれば、閑古鳥が鳴いているサークルが存在していた。
英治たちも売れ行き好調の中、とある諸老夫婦と交流を図っていた。
「お買い上げありがとうございました!」
「いいのですよ。わたしたちはコミケが初めてですから」
英治たちのブースを離れた初老の夫婦・西園寺城三郎・はつね夫妻は買い漁った同人誌を手に会場を練り歩く。
コスプレに情熱を燃やす若者。
撮影にすべてを掛けるカメラマン。
同人誌やグッズを売り買いする人々。
それらが、西園寺夫妻にとって目障り極まりなかった。
「なぁ、母さんや」
「何でしょう?」
はつねは城三郎に訪ねた。
「こんなくだらないものを作って売る。こんなイベント、なくしてしまえばよかったのに」
「えぇ。いつかなくなってしまえば、私達が暮らしやすくなるのに」
はつねは城三郎に微笑む。
それは悪意に満ちた笑顔だった。
「これは、私達の西園寺ホールディングスが再建された暁には、こんなイベントをなくして、世界を牛耳りましょう」
「そうだな。西園寺ホールディングス再建と私達の復権のため、すべての有名人には生贄になってもらおう」
はつねと城三郎は、会場を後にする。
そして人気のない路地裏で、先程買った同人誌に火を付ける。
ある程度燃え残ったところで火を消して粗熱を取る。
「これを編集部に送りつけておこう。私達を出し抜いて有名になったことを悔やさせて地獄に叩き落してやろう」
城三郎は燃え残った同人誌を大きめのビニール袋に入れた。
「全ては、我が社再建と西園寺家復権のために」
西園寺夫妻の悪意とは裏腹に、
「お疲れ様でした!」
英治たちはコミケ初日を無事に終えた。
その片付けと明日に向けての打ち合わせに追われていた。
「英治さん、今夜飲みに行きませんか?」
麗奈は英治を飲みに誘う。
「いいですけど、どうしてですか?」
「私のパートナーになる男ですから、交流を深めましょう!」
麗奈は英治をパートナーに選んでいる。
そのため、交流を深める必要があるのだ。
「私の行きつけのお店があるんだ! 終わったら東京ビッグサイト駅で19時に待ち合わせで!」
麗奈はアフター配信のため、一旦英治と別れることにした。
「さて、僕も明日に備えておかないと!」
英治は、翌日に向けて準備に取り掛かった。
英治と麗奈が合流したのは日がすっかり落ちた19時ちょうど。
「ごめん、待ってた?」
「大丈夫!」
ゆりかもめに乗って東京テレポート駅で降り、ダイバーシティ東京へとたどり着いた。
「行きつけのお店って?」
「コミケの後には必ず立ち寄るお店で、ここのクラフトビールが最高に美味しいのよ!」
レストラン街の一角にあるイタリア料理店についた。
「Benvenuto! おや? レコちゃん、彼氏連れで来たのかい?」
日系イタリア人の店主が、麗奈と英治を出迎えた。
「あぁ、明日には正式発表するけど、私のパートナーです!」
「どうもはじめまして」
英治はぎこちなく挨拶した。
「OK、OK! ようやくレコちゃんにも春がきたんだね。いつものビールでいいかい?」
店主が厨房の奥へと足を運んだ。
「ここの店主って、いつもあんな感じなの?」
「まぁね。イタリアビールの醸造資格も取っていて、公式オンラインショップでしか買えないオリジナルビールもあるんだって」
麗奈は店主が手掛ける業態を詳しく解説した。
「おまちどうさま。当店自慢のイタリアスタイルスタウト、キンキンのジョッキでグイッとどうぞ!」
店主が運んできたのは、冷えたジョッキに注がれた黒ビール。
溢れんばかりの泡が零れ落ちそうだ。
「それじゃ、」
「初日お疲れ様」
英治と麗奈はジョッキを酌み交わす。
「うちの特選マルゲリータもサービスだ」
店主が焼き立てのマルゲリータを運んできた。
「マスターありがとう!」
麗奈が喜んだ。
するとそこへ、
「お食事中失礼」
向笠と山城がやってきた。
「あなた達は?」
麗奈は向笠たちに質問した。
「警視庁捜査一課課長の向笠です。こちらが、」
「相棒の山城です」
向笠と山城がそれぞれ自己紹介をした。
「向笠警部補と言えば、警視庁捜査一課のコロンボと呼ばれたエースじゃないですか! そんなあなたがなぜここに?」
「いえいえ、ただの夕食ですよ。相席がてら、例の連続強盗殺人事件についてあなたが知りうる情報をお聞きしたくて」
向笠の目的は、英治たちとの会食と情報提供。
「いいですよ。僕らの身に危険があるとき、味方になってくださると助かります」
英治はその要求を快諾した。
「では、単刀直入な話をしましょう。今夜のお酒は、思った以上に苦くなるかもしれませんが」