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第88話

 乗ってきた車を降りて鉄柵の扉をくぐるとそこは陽の差す大森林。この森の奥に滝沢家の本拠地である屋敷、滝沢邸がある。

「では、私はこれで。お二人とも、いってらっしゃいませ」

 ハンドルを握る倉元は運転座席から顔を出してそう挨拶をし、

「では翡翠様、また後ほど」

 車を運転して違う方向へと去っていく。翡翠は見送るように軽く右手を挙げていた。


 先月10月19日はここが敵地であり、最終的にこの場所でこれまで全てを仕組んでいた変態ピエロ――レーツァンを激闘の末に時計塔から叩き落とし撃破した。

 彼は自らの緑炎で焼かれながら、死に際にもう一人いると、更なる黒幕がいること、そこから送り込まれた手下がすぐ近くにいることを言い遺し、その身を焦がし尽くして消えていった。その手下は零であった。

 翡翠が森林の道を先に歩き、その後を花予とともについていく。

「へえー、ここが翡翠ちゃん達のお屋敷かい。森の中ってのがいいね。都心なのに空気がうまい」

 花予はここに来るのが初めてで歩きながら深呼吸をし、辺りを見渡しながら感想を口にする。季節は秋で11月頭の文化の日三連休初日。紅葉のシーズンだが、この滝沢邸の敷地内は緑の木で覆われ尽くしている。

「ここは年中、緑に覆われていますの。私の屋敷ですからね」

 そう自慢げに断言する翡翠。以前ここに来た時に車の中で蔭山は昔はここはゴルフもできたというほどの草原だったと語っていた。植物単体ではなく森を操る稀異人ラルム・ゼノである翡翠の趣向と理想が大きく具現化した庭と言える。

「森は季節で姿を変える古くからの春夏秋冬の象徴。しかし葉が全て落ちてしまうと、この屋敷の景観も殺風景になってしまいますから、ここでは常緑樹を中心に植えています」

 確かに葉っぱが全て落ちた森は枝だけで、ただの自然の巨塔が無数に建つだけの寂しいものとなる。それに翡翠も能力を行使する意味でも困ることがあるだろう。何せ、この女王は眼前を覆う森全体を見通し、植物を通して透視や光線を放ったりすることができるのだから。


「ここは花粉症の人にはきつそうだねえ」

 木々の間から陽の差す美しい森林を見渡しながら歩く花予のさりげない一言。

「そうなのか、ハナ? アタシは感じねえけど」

「ほら、あたしと諒花は大丈夫だけどさ、スギやヒノキも常緑樹なんだよ」

「へえー」

 常緑樹なんて把握もしていなかった。スギやヒノキでティッシュが手放せない、服薬や目薬、マスクなど花粉症対策が必須という話はよく聞く。もし零がいたらそれもすかさず解説してくれたに違いない。本当に零は何でもよく知っていた。

「ふふっ、それはティッシュが手放せない客人によく言われますね」

 先を歩く翡翠が微笑し、振り返って会話に参加してくる。振り返った時の後ろの伸びる黒髪は陽によって際立ち、輝き、靡く様がとても綺麗だ。

「重度の花粉症の方をお招きする時は、ここではないホテルなどでセッティングしています」

 それはお金も準備も手間がかかって大変そうだ。最も、あのニワトリ野郎──コカトリーニョに襲われた渋谷ヒンメルブラウタワーで、迅速に部屋をとれるぐらいなので困らないのかもしれないが。何せ、フォルテシアに負けて意識を失い、気がついたらホテルで寝ていたというシチュエーションをやってみせたのだから。

「私としてはいつか人類が花粉症を克服する術を見つけてくれたらと思っています。そうすれば、不要な森林伐採なんてする必要もなくなりますからね」


 翡翠としてはみんなが花粉症だからという理由で木を沢山切ったりするのは気に食わなさそうだ。何せ、元々はゴルフができる庭が広がっていたというこの屋敷に始まり、青山の緑地化が加速したのも滝沢家が青山で天下をとってからなのだから。蔭山曰く。

「そういえば花粉症の人のためにって、東京都が進んでスギやヒノキを大量伐採したって話、前に聞いたなあ」

 さすが花予、家事の時に流しているテレビ、あるいはネットでそういうニュースを耳にしたに違いない。翡翠はそっと頷く。

「木は資源になりますし、ある程度切られることは人が生きる上で仕方ありません」

 ここで翡翠は顔色こそ変えないが声音からとても真剣さが伝わってくる。

「が、私には切られゆく木達の悲鳴が聞こえるのです。欲のままに伐採しまくる人間達がいるから、地球温暖化などの環境問題に直面していると思いませんか?」

 唐突に社会問題に切り込み始めた翡翠。理科の授業でそんな話を聞いたことがある。森林伐採によって緑が減ることも温暖化の原因の一つであると。あとは排気ガスや電気の無駄遣いとか。

「私が青山の裏社会を掌握し、表社会に働きかけることでこの地だけでも理想のものとした理由は三つ」

「一つは異能溢れるこちら側の世界で強くありたいと思ったこと、二つ目はこの青山を通して自然を蔑ろにする人達へ対抗するため──」

「そして三つ目は、私自身が森や山、花や河川といった自然が大好きだからですわ!!」

 その締めの言葉は女王というよりも純粋で親しみを感じる子供のようであった。


 裏社会で台頭することでやりたいことを殆ど実現した翡翠。以前、敵対していた時は肩書き通り、これまでの敵とは比べ物にならない裏社会の大物、青山の女王という恐ろしく強大な存在としか思わなかった。妹の紫水にも容赦がなかったり。

 しかしこの女王は紫水のメディカルチェック不合格の件も含めて、その根底には大切なものへの優しさや、環境問題など誰でも共感できる問題にも向き合う心がある。

 花予に会うためにクッキーを持ってわざわざ家に来てくれたし、今日も車を出して迎えに来てくれた。改めて見れば相当な人格者だ。







読んで頂きありがとうございました!すいません、前回の第87話、少し改稿を加えて、コカトリーニョを振り返る部分を盛らせて頂きました。宜しければご覧ください。

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