第87話
「逃げられても抗争が長期化するだけなので、スカールさんには時間をかけてでもワイルドコブラを追い詰めてもらうことになりました」
翡翠は続ける。どうやらスカール率いるダークメア本家は昨夜のうちからカヴラと直接話をすべく、ワイルドコブラ本部へ行く準備をしていたようだ。
しかし今朝、初月諒花を狙った渋谷ヒンメルブラウタワーでのコカトリーニョ襲来を知ったスカールは穏便な話し合いではなく交戦も辞さない方向で方針転換。
コカトリーニョはスカールもその腕を買い、本家の幹部にならないか打診しようとしていた所だった。それほどの実力者が初月諒花に手を出したとなれば、翡翠からこれ以上何を求められるか分からない。
──あのニワトリ野郎。そんなに評価高かったのか。
改めて実感する今朝の襲撃者の恐ろしさ。フォルテシアに負けて翌朝すぐに襲ってきたニワトリ野郎。朝起きた所を襲われてそのまま戦闘になった。下手したらあの時やられて、今頃ここにはいないかもしれない。
失敗すれば火の海になっていた駐車場でチカラをフルに出して向こうの炎の大技を押し返して結果的には勝てたものの、もし、駐車場ではなく、ホテル内であの炎技を使われていたら、ホテルも大惨事になり大変なことになっていただろう。
更に思えば、壁にぶつかる跳ね返りと超人的なコントロールを駆使して視界外から飛ばしてきた、どこにでもあるごく普通のサッカーボールだけでやられていたかもしれない。ホームセンターやスポーツ用品店で売ってそうなごく普通のボールが銃やナイフに劣らない、まさかの凶器と化したのだから。
そして、とにもかくにも翡翠からの更なる賠償を懸念したスカールは戦闘要員を引き連れ、ワイルドコブラ本部に直接殴り込みをかける方向で取り決めた。それは翡翠が車でこちらを迎えに渋谷に赴く前に連絡があったという。
せめてもの情けとして最初に本家の名のもとに降伏勧告をし、大人しく投降した者は助け、抵抗する者には容赦なく引き金を引き、心臓を貫く。やめて欲しければ素直にカヴラを差し出せ。戦闘も辞さない──そう命じた。
そうして今、抵抗した向こうの下っ端を黙らせた所で、部下達が続々とワイルドコブラ本部に乗り込んでいった所でスカールが翡翠に連絡してきたわけだ。街はずれに一つの工場を装った敷地に建つ施設であり、大きなトラックで正面突破したという。
「なあ、もしかして、これでワイルドコブラとの戦いは終わりになるのか?」
好都合だが、思ったよりもあっけない幕引きだ。結局、自分の家が潰される心配よりも先に向こうの家が潰されてしまった。
「いえ、これで終わりではありません」
そんな淡い期待は一瞬で打ち砕かれた。
「本部を潰せば敵の体制は崩れるでしょう。が、品川近辺をはじめ関東各所には彼らのアジトがあるのです。逃げ伸びた者はそこを拠り所とするでしょう」
「ボスであるカヴラさんをスカールさんが捕らえたと報告がない限り、安心してはいけませんよ」
ここで気になった。ビーネット、スコルビオン、コカトリーニョ。ここまで倒してきた幹部はいずれも個性的で各々が生き物に因んだ能力を持っていた。カヴラはどれぐらい強いのか。
「カヴラやスカールとか、ダークメアの最高幹部って変態ピエロやフォルテシアと同じぐらい強いのか?」
この際だから訊いてみることにした。
「はい、三人の最高幹部全員が稀異人です。各々が研ぎ澄ました強力なチカラを持つ紛れもない関東裏社会の王たち──」
「諒花さんは様々な良い要因が重なり、それを活かせたことで彼らの親玉である裏社会の帝王レーツァンを倒せた。しかし今カヴラさんと戦って勝てるかは正直疑問ですね」
あっさりと言われた。だが仕方ない。今の自分の素の実力では同じ稀異人に勝てないことはフォルテシアで思い知っている。幼少の時からチカラを長らくチョーカーで抑えつけられていたことが重くのしかかってくる。
「どんな能力を持っているんだ?」
「一言でいえば体力抜群の蛇人間。見た目は長身で筋肉質な大男ですが、その持っているチカラは諒花さんが戦ったこれまでの異人以上ですわ。ここまで諒花さんは虫と鳥由来のチカラを持つ異人と戦ってきたわけですが、爬虫類は初めてではないですか?」
「そうだな、初めてだ」
爬虫類と聞くと他に心当たりがない。
「トカゲ、亀、ワニ、絶滅していますが太古の時代の恐竜など、爬虫類はワイルドな生き物が多いです。それらに由来するチカラを持ち台頭した異人はいずれも強力ですよ」
それらと人間を合わせた姿を想像してみると、いかにもヤバそうなメンツしか浮かんでこない。亀やワニは泳ぐこともできるだろうし、トカゲや恐竜となると、もはや怪物以外の何物でもないかもしれない。
「だから蛇の頭領にかけて、ワイルドコブラっていう組織名なんだね」
花予の言う通りだ。コブラという単語の時点で蛇が浮かぶが、ここでそのボスが強大な蛇そのものだということで合点がいった。
「よほど自分の力強さを誇示したいのでしょうね。そんなストレートなネーミングは。実際、パワフルで暑苦しい男ですから」
など話していると見覚えのある場所にたどり着いた。森の手前にレンガの壁と鉄柵の門がある。そう、ここが先月19日の死闘の舞台となった滝沢邸の入口だ。結構長いドライブだった。
そこは一見すると住宅街に囲まれた場所にある広大な森林。だがこの森の奥にある滝沢邸とその裏にはロンドンの名物を思わせる巨大な時計塔。
ここだけまるで日常の空間から切り取られた特殊な聖域とも言えるかもしれない。そんな場所だ。




